長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

with a little bit of luck!(運よき男の話)

2024年06月09日 06時35分40秒 | 折々の情景
彼は運のよい奴なのです。
それは土曜日の朝のこと、ずいぶんと黒くなって羽化も間もないと思われるベランダの蛹を訪うこと幾たびか…9時半を回り10時近くなって、再々ながらふと見ると、黒い頭がムクムクと殻を抜け出すところでした。
すわ、撮影を…と室内に戻りおっ取りスマフォを手に駆けつけてみると、アニハカランヤ(変換できませんね…)何とどこにも見当たらず、正にもぬけの殻の脱けがらだけが取り残されておりました。



あまりに拍子抜けして間の抜けたことに鼻白んで、一体どうしたことか…と呆然と暫し佇んでいたものの、ひょっとして…と、テーブル下に雑然と積まれた園芸道具を周章てて取り除けると、床下の泥濘にペチャリコンと白いお腹を見せて仰けに転がっているものがおりました。
翅はまだクシャクシャで何か別な虫のようで、固まって動かない様子に、もう息絶えたのだろうかと、ぎょっとしつつも中空に突き出した脚に指を近づけてみると、必死に掴まってきます…

どうなることかと案じておりましたが、そのまま指にぶら下げておりましたら何とか翅も伸びてきたので、彼の将来を担う重責から私も解放されたい…と、彼が埴生の宿たる第一マイヤー荘へ。



今季はじめて、幼虫からの一期生一番手を見送りたかったのですが、私も渡世のため午前中に棲み処を後にしなくてはなりません。
気をつけて行ってらっしゃいね、変な虫や鳥に食べられないように気をつけるんですよ…と声をかけた私が見た彼の最後の姿が、



わずかな間にすっかり大人の顔をして、一人で大きくなったような風情ではありますまいか。
羽化する瞬間を私に目撃されていなければ、ひょっとすると羽化不全で儚くなってしまっていたかもしれない…
いのちの分かれ道はほんのちょっとしたところが、ターニングポイント。
…してみると、彼は本当に運がよい蝶々だったのです。

翌朝、無闇と早く目が覚めてしまいました。
小鳥たちの囀りがあまりに朗らかで、高原の避暑地に来た気分さえする日曜の朝5時前です。
風と共に去った運のよいヤツに、ばったり再会出来ないものかと久しぶりにお隣の公園へ。





植栽が変わっていないようで変わっていて、なるほど流れる川の水は同じように見えて同じでないように、生えている草々も、緑色の濃い薄いがあるだけでなく、種類までもが違っているのです。宿根草は必ずしも永遠ならず…
中国の古典籍のような名前の草に往き遇いました。(…あれはセンゴクサク(;^ω^)ゝ



しかし、それにつけても今年はどうしたことか、虫一匹も見当たりません。
ジョギングをするでもなくふらふらと朝歩く人が、私のほかにも意外と多いのは驚きでしたが、昆虫の姿が見えない…
池の水面をアメンボが…そしてトンボが数匹。
以前はもっと蝶や蛾やガガンボのようなものが舞い、カイツブリの雛が雨に濡れた石積み際をヨタヨタ彷徨してたりして、それなりに生き物と自然の在りようが面白い場所だったのですが…

ここ何年か、東京都内の公園に改造の手が伸びて、樹齢何百年もの惜しい大木だけでなく、井の頭公園の御殿山雑木林の灌木や下草が随分きっぱりと払われてしまいましたが、以前そこを生息地としていた虫たちへの影響が、今、眼に見える現象として顕れているのかも知れません。



小学生の頃、愛読書だった福音館書店の大草原の小さな家シリーズの、プラムクリークの土手で…という本のタイトルがふいに浮かび、同時期に流行ったホリーホビーというアーリーアメリカン調ボンネットスタイルのキャラクターを想い出しました。

あの運がよい、昨日飛び立っていった我が家のアゲハチョウは、果たして運よく伴侶に廻り合えるのでしょうか…
昆虫の居ない街で……
何やら寂しい鈍色の景色です。


コメント
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