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長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

猫の町 1

2011年10月26日 13時00分03秒 | やたらと映画
 私はよく、猫にたぶらかされるたちだ。
 もう30年近く前、池上本門寺に、市川雷蔵の墓をさがしに出かけた時のことである。
 そのころ友人が本門寺の近所に住んでいて、友人一同で散策ついでに「力道山の墓を見に行こう」ということになったのだが、そのころの私はまだ恥じらいの多い年ごろだったので、ひとりだけ、あの~、ついでに雷ちゃんのお墓参りもしたいン…とはとても言いだせなかったのである。
 目玉の松っちゃんのお墓はあっち…とか言いながらガヤガヤと、学生どもは広い山内を散歩した。
 …で、後日、ひとりで探しに行った。

 昭和60年前後。そのころ雷蔵は、忘れ去られた銀幕の大スターのひとりだった。
 現在のように、大々的に回顧特集を組まれることもなく(その当時、日本の伝統的風合いを持つ芸術文化に対する社会的評価はそんなものだった)、浅草の新劇場で三本立てのうちの一本に「陸軍中野学校」がバラ上映されるとか、好事家の16ミリ上映会とか、そのころよく放映されていた12chとかの昼下がりの邦画名作劇場(勝手に命名してます、スミマセン)で明朗時代劇が放映されるとか…そんな稀少な出会いを求めて、若い私はフィルムの巷をうろうろしていた。

 五重塔を右に曲がったほうにある…という唯一の手掛かりを頼りに、ひとりで本門寺の墓苑をトホンとしながら歩いていた時のこと。
 日も暮れかかり、樹影でうっそうとした墓内は、人っ子一人見えず、風に木の葉がざわざわと揺れる音だけが聞こえていた。
 ふと視線を感じて、木洩れ日でちらちらする辺りを見つめた。とあるお墓の石段の上、墓を守るが如く横臥した猫が、私をじっと見据えていた。
 しばしの静寂。と、突然、スフィンクス猫は、ミャア…とひと声鳴くと、石段をするするっと降りて、私の脚にすり寄り、幾度も往ったり来たりして痩身をこすりあわせた。
 …その、猫が石段を下りてくるさまたるや、あまりにも流麗。
 おぉっ、これは…! 
 五味康祐原作「薄桜記」で隻眼片腕の美剣士となった雷ちゃんが、いざりながら階段を下りてくる、あの立ち廻りにそっくりや…!! と、気がついた私は、ゾッと総毛立った。
 …この猫は、雷ちゃんじゃあるまいか…。

 結局、その墓石の主の名は、雷ちゃんのものではなかった。
 それからまた何年かして、祥月命日の日に本門寺を訪れる機会があった。前回と同じく墓をさがした私は、ご遺族が法要を続けている様子を見つけ、散歩をするふりをして遠巻きに拝んだ。
 この辺りには猫が多いのだ。尻尾をピンと立てて、道案内をするでもなく人の斜め前をひたひたと歩いていた猫は、いつの間にか姿を消していた。

 やっと、雷ちゃんのお墓の在り処がわかった! …と雀躍しながら帰途につき、また何年かが過ぎて、ある春のうららかな午後、久しぶりに本門寺をたずねた。
 そのとき同道していた知人に、ちょっと自慢げに、雷ちゃんのお墓はここよ!と、前回の記憶を辿って案内したかったのだが、なぜだか、見つけることができなかった。
 かつてとは全く様子の違った、散策の人々でにぎわう寺内をいったりきたりして、ようやく市川雷蔵の墓に辿りついた。
 そこは、以前、私がそれと見定めた、雷ちゃんのお墓ではなかった。

 あの、うららかな十年ほど前の法要は、いったい何家の法要だったのか、気になりながらも確かめようがない。
 またいつの日か本門寺にやって来た時、私は間違いなく、目当てのお墓を参ることができるのではあろうけれども。
コメント
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