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長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

チョコプラな日々

2010年06月25日 12時10分01秒 | フリーク隠居
 お笑いは、わが心の糧である。
 去年ぐらいからか、CX系番組レッドカーペットに登場するようになった漫才…というかコントのコンビ、チョコレートプラネット。
 藤山寛美を彷彿とさせる、松竹新喜劇的ほのぼのとした不可思議な空気感を持っていて、出てくると嬉しい。私の場合、映画なのだが、昭和に大井武蔵野館で観た寛美ちゃんの『親ばか子ばか』とか、面白かったなあ。
 そのチョコプラの、「なんでやねん!」の声色が真似られるようになった私は、日々、「なんでやねん」な出来事があってもなくても、「なんでやねん!」を連発するようになっていた。

 「なんでやねん……!!」イタリアが負けたのである。
 今回のワールドカップに乗り遅れていた私は、一試合も観ていなかったのだが、数日前、虫の知らせとでもいうのか、偶然つけたТVでイタリア戦が始まり、そのままずるずると、引き分けたニュージーランド戦を観てしまった。
 偶然つけたラジオやテレビで、気になっていた出来事や音楽に、思いもかけずバッタリ行き合ってしまうことがよくある。人間にもきっと、自分の好むものを意図せずしてキャッチする、指向性アンテナ、のようなもの…がついているに違いない。

 懐かしいリッピ監督。かつてスカパーと、サッカー・キングダム・セットを視聴契約していたカルチョ三昧の遠い夏の日々を思い出した私は、そのころの贔屓のユヴェントスが調子の悪いときに一点も取れない、あのジリジリとした、胃の痛くなるような試合展開を、再び目の当たりにした。

 日本のリーグ戦突破に沸く国内のほんわかした歓喜ムードで、逆に私は安心して、イタリアを悼むことができる。
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忌地(いやち)

2010年06月25日 09時30分50秒 | 凝り性の筋
 先日、所用で琵琶湖西岸北部へ赴き、そういえば…と思い出して、海津の浦を訪ねた。義経一行が、奥州落ちの旅路のはじまりに、月の都(京)を発ち出でて、舟で渡りついたところである。「竹生嶋」という地酒を商っている蔵元のご主人が、「義経の隠れ岩」がある、と教えて下さった。
 おぉ、近江の地にも義経の隠れ岩があったのか。以前、屋島を訪れたとき同名の岩が海岸にあった。いや、あれは「義経の舟隠し岩」だったかしら…。とにかく、義経はよく隠れる人なのだ。あんなに活躍したのに、可哀想に。…もっとも、屋島のときは戦略上のことで、溌剌として隠れていたのであろうから、状況がずいぶん違うけれども。イタリアも負けちゃうし、栄枯盛衰は世のならい、ってことなんでしょうかね。 
 その酒屋さんには「ヨキトギ」というお酒もあった。ご主人が「よき」は上代語で「斧のことです」とご説明くださったので、おお、よきこときくですね、と言ったら、「犬神家の一族ですか」と切り返された。さすが湖西の旧街道沿いで蔵元をやっていらっしゃるだけあって、歴史に造詣の深い、お話の面白いご主人なのだった。
 蛇足になるが、斧琴菊の本来は、歌舞伎の尾上菊五郎のキャラクター文様である。

 浅井三姉妹の次女・初が嫁した京極高次も居城としていた大溝城へ至る道が分からず、どうにかこうにかそぼ降る雨の中を辿りつき、途上の地名のいちいちに戦国武将でおなじみの土豪の氏を見出しては感動しつつ、朽木渓谷を越えてゆけば、北近江に隣接する町々一帯のところどころに、すでに来年の大河ドラマのヒロイン・お江の関連商品が置かれていた。
 高島市の菖蒲園へ行ってみたところ、花菖蒲を株分けして売っていた。旅先で植木や花の美しいのを見ると、つい欲しくなってしまう。後先のことがあるのでいつも諦めていたのだが、珍しく買ってみることにした。
 園内をざっと観たところ、三笠山という肥後系の花菖蒲の濃き紫が実に美しいので、求めると、この売り場に置いてあるのは咲いてみないと分からない、すみませんね…という、鄙らしい長閑な話だった。開けてみないと分からないとは、博打みたいなもんですね、こりゃ。酔狂だからのってみるか、と、葉っぱの威勢よく四方に思い切りよく伸びている株を選んだ。

 さて、近江の菖蒲を江戸に移して数日。若緑の花芽は徐々に花弁を顕かにして、蕾の端から顔を覗かせていたのは紫色だったが、花開いてみると、二藍(ふたあい)とでもいおうか、薄い紫のような、浅黄色というか、裏はまさに花色木綿。薄い花色、水色なのだった。
 お手本のような紫色を期待していた私にとっては意表を衝かれたことだったが、これはこれで清々しく、美しい。梅雨空に時々のぞく、雲の晴れ間の淡い空色みたいで、いいじゃないの。わがものと思えば軽し笠の雪、ってなもんですョ。
 そしてまた、なんとまぁ間のよいことに、次の日曜日の朝、偶然テレビをつけたところが、NHK「趣味の園芸」で花菖蒲特集をやっている。これぞまさしく渡りに舟。
 明治神宮の菖蒲苑から、花菖蒲の種類、育て方から管理の仕方まで、懇切丁寧にレクチャーしてくださり、私は園芸科一年生の真剣な面持ちで、放送に見入った。
 明治神宮で栽培されていた三笠山は、濃い紫ではなく薄紫だったのも、新発見。近江の地と江戸の地で、当然土壌の性質が違うから、色の出方も違うのかなぁ…。

 それにしても六日のアヤメ、とはよく言ったもので、きれいに咲いたなぁ…と嬉しく見とれていると、咲いた翌日ぐらいまではもっているのだが、三日目には花弁の先が丸まって、すぐにしぼんでしまう。…三日天下??
 しかし、驚いたことに、菖蒲は一茎に一輪限りではないのだった。その花のすぐ下脇に、もう一つ花芽が、蕾というより、花芽と呼びたいような、茗荷の花苞の様な形をしている花芽があるのだった。…柏の葉のようだな、と思った。新しい葉が出てから古い葉が落ちる柏は、そんなわけで、家代々累代栄えるめでたい植物として好まれる。
 同様に、菖蒲の花は、ひとつが萎れても、お次が控えているのだ。これはまた、武家っぽい話ではないか。

 こうして日々仔細に菖蒲を観ていたら、「武士道残酷物語」を想い出した。南條範夫の残酷ものが流行って、次々と映画化、舞台化されたのは昭和の三十年代だろうと思う。私は昭和六十年ごろから、自分が生まれる以前に制作された日本映画黄金期の作品群の魅力にすっかり取りつかれて、むさぼるように観、原作本を読んだりしていた。
 南條範夫原作の『第三の影武者』は市川雷蔵が主演なのだが、影武者が、武将本人が負傷するにつれ同様に身体を損傷させられていくという身の毛もよだつストーリー性に驚愕して、通常のカリスマ的雷ちゃんキャラは影をひそめ、市川雷蔵を観た、という印象よりも、南條範夫の残酷もの映画、なのだった。
 歌舞伎では『燈台鬼』というのがあり、私が平成ひとケタ時代に歌舞伎座で観たのは、先代松緑の追善興行で、当時二代目辰之助だった当代松緑が演じた。彼の地で行方知れずになってしまった遣唐使のお父さんを探す主人公。奴隷として売られた父は、生きながらにして宮廷を彩る人間燭台にされていた。
 …人間の尊厳、という根本的な命題を突きつけられ、観客はただただ打ちのめされる話なのである。このとき、紀尾井町親子の逆縁に思いを致し、物語を梨園の孤児的立場になっていた新旧二代の辰之助の身に置き換えて、観客はさらに泣いた。

 この芝居を観たとき、久生十蘭の全集の中にあった、世界残酷物語ともいうべき一連の作品群を想い出した。読む者は衝撃の滂沱の涙で、文字の後先が見えない。…もう目が見えぬ…という、太功記十段目、瀕死の十次郎的状況だ。
 そんな物語が流行ったのが昭和の三十年代で、たぶん、戦争が終わって十年以上経って、そのときのことを思い起こす気持ちのゆとりが多少、高度成長期を迎えようとする日本に訪れたのだろう。戦争中の、自分の存在を脅かす慄然とする衝撃を、虚構の世界のものとして体験する。現在の現実ではなく、過去のものとして安堵しながら、映画館の暗闇の中で反芻してみる。

 ところで、菖蒲の咲き誇る姿を観るにつけ、この剣のような鋭角的な性質は、やはり関東のものが好んだような気がする。杜若…琳派のカキツバタは、なんとなく京風で姿が優しい。丸みを帯びた曲線で図案化されている。色も高貴な紫一色。三河は池鯉鮒の八橋とともに描かれている風雅の極みとでもいうべきあの植物も、カキツバタだ。尾形光琳の燕子花図屏風もあった。
 …燕子花。たしかに、燕のヒナの、親鳥が餌を銜えて戻ってきたとき、巣の中で大きく嘴を開けて、まだ羽根の生えない上肢を折り曲げてピヨピヨ叫んでいる姿に、花の形がそっくりだ。…こういうと、ちょっと世話場な感じもしますけれどもね。

 それから、思わずメモしてしまったのだが、趣味の園芸の先生のおっしゃっていたことには、菖蒲には忌地性という性質があり、ずっと同じ地べたで育てているとうまく育たなくなってしまうらしい。へえぇぇぇ…。だから、何年かしたら、新しい土に入れ替えるとか、近くてもいいからちょっと違う場所に植え替える必要があるそうだ。
 …ううむ、これもなんだか武将っぽい。替え地をさせられたり、新しい領国を求めたり。スーッと伸びた茎と葉といい、わずか一両日咲いてしおれる花質といい、潔すぎる。
 菖蒲=尚武=勝負、という単純な図式だけではない、武運長久を祈念するに、菖蒲が好まれる理由が、その性質にもあるように思う。

 花菖蒲に、ある意味、明治以降につくられた幻影ともいうべき、武士道のお手本のような中世期の武将の姿を見た。…そして、引っ越し魔ともいうべき、葛飾北斎のようなその気風に、江戸っ子ウケする気概も感じた。
 上方はカキツバタ好みで、菖蒲は江戸好み。古今集の歌で「五月のあやめ草」と、ことさらにことわっているからには、これはやはり旧暦四月に咲くアヤメ・カキツバタのことではなく花菖蒲のことなのだろう、と、ひともとのあやめ草から想いはさらに株分かれしていくのだった。

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