お笑いは、わが心の糧である。
去年ぐらいからか、CX系番組レッドカーペットに登場するようになった漫才…というかコントのコンビ、チョコレートプラネット。
藤山寛美を彷彿とさせる、松竹新喜劇的ほのぼのとした不可思議な空気感を持っていて、出てくると嬉しい。私の場合、映画なのだが、昭和に大井武蔵野館で観た寛美ちゃんの『親ばか子ばか』とか、面白かったなあ。
そのチョコプラの、「なんでやねん!」の声色が真似られるようになった私は、日々、「なんでやねん」な出来事があってもなくても、「なんでやねん!」を連発するようになっていた。
「なんでやねん……!!」イタリアが負けたのである。
今回のワールドカップに乗り遅れていた私は、一試合も観ていなかったのだが、数日前、虫の知らせとでもいうのか、偶然つけたТVでイタリア戦が始まり、そのままずるずると、引き分けたニュージーランド戦を観てしまった。
偶然つけたラジオやテレビで、気になっていた出来事や音楽に、思いもかけずバッタリ行き合ってしまうことがよくある。人間にもきっと、自分の好むものを意図せずしてキャッチする、指向性アンテナ、のようなもの…がついているに違いない。
懐かしいリッピ監督。かつてスカパーと、サッカー・キングダム・セットを視聴契約していたカルチョ三昧の遠い夏の日々を思い出した私は、そのころの贔屓のユヴェントスが調子の悪いときに一点も取れない、あのジリジリとした、胃の痛くなるような試合展開を、再び目の当たりにした。
日本のリーグ戦突破に沸く国内のほんわかした歓喜ムードで、逆に私は安心して、イタリアを悼むことができる。
去年ぐらいからか、CX系番組レッドカーペットに登場するようになった漫才…というかコントのコンビ、チョコレートプラネット。
藤山寛美を彷彿とさせる、松竹新喜劇的ほのぼのとした不可思議な空気感を持っていて、出てくると嬉しい。私の場合、映画なのだが、昭和に大井武蔵野館で観た寛美ちゃんの『親ばか子ばか』とか、面白かったなあ。
そのチョコプラの、「なんでやねん!」の声色が真似られるようになった私は、日々、「なんでやねん」な出来事があってもなくても、「なんでやねん!」を連発するようになっていた。
「なんでやねん……!!」イタリアが負けたのである。
今回のワールドカップに乗り遅れていた私は、一試合も観ていなかったのだが、数日前、虫の知らせとでもいうのか、偶然つけたТVでイタリア戦が始まり、そのままずるずると、引き分けたニュージーランド戦を観てしまった。
偶然つけたラジオやテレビで、気になっていた出来事や音楽に、思いもかけずバッタリ行き合ってしまうことがよくある。人間にもきっと、自分の好むものを意図せずしてキャッチする、指向性アンテナ、のようなもの…がついているに違いない。
懐かしいリッピ監督。かつてスカパーと、サッカー・キングダム・セットを視聴契約していたカルチョ三昧の遠い夏の日々を思い出した私は、そのころの贔屓のユヴェントスが調子の悪いときに一点も取れない、あのジリジリとした、胃の痛くなるような試合展開を、再び目の当たりにした。
日本のリーグ戦突破に沸く国内のほんわかした歓喜ムードで、逆に私は安心して、イタリアを悼むことができる。