長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

日本三大仇討①

2010年05月28日 23時58分00秒 | お稽古
 五月二十八日ごろに降る雨を「虎が雨」という…といっても旧暦の五月廿八日なので、本来の季節は梅雨の最中。もっと空が悲しい感じに曇っていて、どんよりした雲が低く垂れこめている。
 虎が雨の「虎」は、タイガーマスクでも、柴又の寅さんでも、金語楼のおトラさんでもなく、大磯の虎御前という遊女のことである。平たくいえば「虎の雨」。六甲おろしの風に吹かれて甲子園球場で雨が降りコールドゲーム。トラキチ、ボー然の虎が雨…というわけではない。
 自分の間夫が討ち死にしてしまったので、悲しくて泣いている。それで空から雨が降ってくるのである。

 …って、ドロップスの歌みたいなメルヘンになってますが、ちゃうちゃう。
 旧暦の5月28日は曽我兄弟が富士の裾野の巻狩りで、苦節十八年、父の敵である工藤祐経(すけつね)を討ち取った日なのだ。工藤祐経は源頼朝にも仕えた、鎌倉幕府の武将である。この仇討は、日本三大仇討の一つで、江戸歌舞伎では重要な意味を持つ人気演目となっている。
 …というのは、一富士、ニ鷹、三茄子…縁起のいい初夢じゃなくて、三大仇討の覚え方なのだが、三大仇討の二は忠臣蔵(赤穂の浅野家の家紋が違い鷹の羽)、三つ目は荒木又右衛門、伊賀上野は鍵屋の辻の仇討。ということで、ほかの二つは上方のものだが、唯一、将軍家お膝元の関東のものである曽我兄弟の仇討は、江戸で好まれたのである。お正月の初春狂言には、必ず、曽我兄弟の仇討のバリエーションの演目(これを曽我物という)を興行するのが習わしだった。

 何よりも、単純でわかりやすいキャラクター類型と筋立てが、明快で関東らしい。
 曽我兄弟は、兄を十郎祐成(すけなり)、弟を五郎時致(ときむね)。兄が和事の二枚目で、弟が荒事の若武者。兄は鳥の、弟は蝶の柄の、ともに浅黄色の小袖を着ているのがトレードマークである。能の「小袖曽我」は、兄弟がいよいよ仇討に出かけるので母に暇乞いをしに行き、小袖を拝領するという、勇ましい謡が印象的な演目である。
 弟の五郎のほうが江戸歌舞伎のメインである荒事の演目で主役になるから、この兄弟は「曽我の五郎十郎」と、弟が先にくる。

 五郎の恋人が化粧坂(けわいざか)の少将。十郎の恋人が最前の大磯の虎で、武運つたないお兄さんは、仇を果たしたものの、同日討ち取られてしまう。
 虎が雨は、晴らした仇のうれし涙か…いや、やっぱり戦死した恋人を悼む涙でしょうなあ…。梅雨の末期には、とめどもなく雨が降る。

 長唄に「五郎(時致)」、踊りでは「雨の五郎」というタイトルで上演される曲がある。こちらは、雨が蕭々と降るなかを、傘をさした五郎が、廓の化粧坂の少将のところへ通うという、他愛ない内容ながらも、歌詞と曲調に色気があって艶やか、そして爽やかな名曲である。

 そんなわけで、旧暦五月廿八日、曽我兄弟が敵討ちをした日に降る雨を、虎が雨というのである。

 今でも、国道一号線、東海道の大磯駅入り口付近にある和菓子屋さんで、たしか、虎が餅とかいうお饅頭を売っているはずである。お店の名前は……スミマセン、失念しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする