長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

青虫の旅路

2010年05月11日 01時30分00秒 | 美しきもの
 朝、レタスをむいていたら、葉っぱの奥に、芋虫がいた。小さくて、翡翠のように半透明のきれいな緑色をしている。2センチ足らずの可愛らしい虫だ。感動した。このレタスは、厳選された産地からお取り寄せした特別な無農薬野菜でも何でもなく、駅前の大手スーパーの野菜売り場から、無造作に買ってきたものだったからだ。20世紀の終わりごろ、十年も以前の話だ。
 「生きているのかしら…」じっとしている。ヒンヤリ程よく冷蔵されて運ばれてきたので、凍えているのだろう。常温の流し台の上に放っておいて、しばらくして見てみたら、葉っぱの別な場所に移動していたのでうれしくなった。
 そこで、久しぶりに生き物を育ててみるか、という気になって、しばらくの間、その青虫の日々の動向を観ているのが、やたらと愉しみになっていた。なにしろ、日々レタスを与えていればよいのだから、この上もなく簡単だ。

 子どものころ私は、むやみと図鑑を観るのが好きだったが、特に『幼虫の図鑑』というポケットサイズの図鑑が好きだった。一般の昆虫図鑑は、成虫の姿を載せているのが普通だが、その図鑑は、産み付けられた卵と、羽化する前の幼虫の絵をメインに載せていた。
 そうそう、私のこの昆虫観察志向は、小学2年生のころのタツノコプロ制作のテレビ番組「みなしごハッチ」によるものだ、たぶん。私はハッチの似顔絵を描くのが得意で、クラスの友人からお絵かき帳一冊にハッチの似顔絵を描いてくれ、というリクエストまで頂いた。この放送期間中、うちのテレビは白黒からカラーに変わったのだった。

 青虫の成長は目覚ましいものではなかったが、日々着実に、少しずつ成長していった。何回かの脱皮のあと4センチ程度にまで育って、ついにある日、白い糸で薄い繭をつくり、蛹になった。
 人間としてはかなりの成虫になっていた私は、大人らしくずぼらになっていたので、その青虫のひととなりを、あえて昆虫図鑑で調べてみることはしなかったが、私のかつての経験からの勘でいえば、彼女は蝶ではなく、蛾ではないかと推測された。

 蛹になってから数日、その勘からしてそろそろ羽化するのでは、と予測される日、私は仕事で名古屋に行かなくてはならなくなった。そこで、小さい紙箱にそっと蛹を入れて、新幹線に乗り込んだ。
 仕事に連れていくわけにもいかなかったが、箱の中で羽化して翅が曲がってしまったら一大事。ホテルの部屋のサイドテーブルに蛹を置いて、私は仕事に出かけた。用件もそこそこに、いそいで帰って蛹を見ると、もぬけの殻になっていた。
 …ああ、羽化に立ち会えなかった、という落胆と、あぁ、無事に羽化したのだという喜びがまぜこぜになって、私は室内を見渡した。
 天井に、黒いスレンダーな翅の、彼女がとまっていた。

 夕方、名古屋城大通りの街路樹に、私は彼女を放した。こりゃ、子どものころ読んだ、虫愛ずる姫君…じゃなくてオバ…じゃなくて、アネサンだね、とすがすがしい心持ちになった。…が、ひょっとすると私は生態系を壊していたのかもしれなかった。
 そのころ、日本列島西半分でしか生息していなかったクマゼミの分布が、徐々に東日本を脅かしている、というニュースを聞いていたからだ。…しかし、そのときの私にはこれが最善の策だった。

 上州か信州だかの高原で生まれた青虫くんが、はるばる都下23区はずれの西域までやってきて、今度は列車に揺られ、尾張のお城の御成り街道前で、飛び立つ。
 元気で暮らせよ~と旅がらす的な感慨に満たされた私は、彼女の、はるばる来ぬる旅をしぞ、思った。

コメント (2)
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