長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

うなる風(続・近江八景)

2010年05月04日 22時33分11秒 | お稽古
 よく知っているはずのものを、改めてしみじみよくよく見てみると、急に今まで思いもしなかったことに気づく。
 いつもは稽古場で話して説明していたことを、こうして文章に変えて説明してみたら、おや?と、立ち止まって、顎に指を当てて考え直すことが出てきた。
 近江八景のなかで、今まで仲間はずれの音の風景について説明してきたが、ここへ来て、コウモリ的立場の両面性を持つ景色があることに気がついたのだ。

 ひとつは「粟津の晴嵐」。天気のよい日に、ものすごい風圧で吹きまくる山おろし。
 これは、よく考えてみたら、風に鳴る松林の音の、松籟の風景でもあるまいか。
 海岸沿いには千本松原とかいうような、防風林がよくあるものだ。時代劇では街道をゆく旅人さんが、振り分け荷物を肩にかけた縞の回し姿で、松の根方を往き来する。焼津の半次がアイドルだった小学生の私は、通学路を街道に見立て、登下校時、旅人さんごっこをしていた。その心持ちで往来すれば、見馴れた商店街や道端の雑草すべてが、旅情だった。

 先年、松本清張『ゼロの焦点』のヤセの断崖に行きたくて、羽咋から東尋坊を経て海岸線を北上したとき、琳派の松そのままのような松の枝ぶりの景色に感激した。
 茶の湯の風炉、釜で湯を沸かすとき、ゴウゴウと釜の鳴る音が、松の風に鳴る音に似ていて、松籟という銘のある名物もある。…風流でんな。

 それに私、風が天駆って唸っている、風鳴りの音がものすごく好きなのだ。とくに夜中に、あのびょうびょうという音を聞いていると、瞑い、雄渾たる雲がわく天空を、龍がとぐろを巻いて泳いでいるような気がする。昔の人の想像力は、実に率直である。
 そういえば、犬吠埼に行ったとき、岬の先に立つと、太平洋から巻いてくるものすごい強風にさらされて、びょうびょうとすごい風音がして、本当に、これは犬が吠えているかのような状況を映した地名なのだと、感動した。日本古来の犬の鳴き声の擬音は「わんわん」ではなく「びょうびょう」なのだ。

 垣根を吹き抜ける風のびゅうびゅう鳴る音に、虎落笛(もがりぶえ)という命名をするくらいだから、日本人って、風に吹かれてるのが好きな民族なんじゃないかしら。
 もし同好の士がいらしたら、これはまた場所が違うが、ぜひ、伊良湖岬のビューホテルに泊まることをお勧めする。夜もすがら、海原を渡り、砂浜と断崖、木々を鳴らす風が、実にしみじみとした風音を奏でるからだ。私が行った平成5年前後のころは、さらに宿の窓から沖合の漁火が見えて、晦い海と風が渡る音のハーモニーの風景の、もう、その旅情たるや…! 何に譬えん、というぐらい素晴らしかった。

 そしてその夜明りを想い出すにつれ、さらにもう一つ疑念がわいてきたのが「唐崎の夜雨」。
 しっとりして、♪ン、夜のあぁめぇ~と一節呻りたくなる夜の雨の風情。大人には遣らずの雨、というのもあるけれど、夜降る雨を、子どものころ、生まれ育った家の二階の窓から眺めるのが好きだった。今はもうないので、見ることはできないのだけれど、玄関先の門扉のわきの金木犀の、雨に濡れた木の葉に、街頭の水銀灯の光が反射して、キラキラしてきれいなのだ。まるで木の枝に星がひっかかって輝いているようで、ファンタジーの極みだった。
 …しかし、考えてみたら、街灯がない昔、こういう景色はなかったわけで、雨が降っているのだから、月明かりも星明かりもない。漁火だってない。油代が高いから、夜なべ仕事もそうそうはすまい。
 夜の雨が屋根に当たってはじける音って素敵だ。ひょっとしてこれなのか…??
 でもそれって、アメリカの50’sじゃあるまいし、トタン屋根にはじける音だよね…いやいや、待てよ、あ、そうそう、雨戸だよ、雨が板戸に当たってはじける音ってのも考えられるよね…もとい、篠突く雨だ! 琵琶湖岸の蘆の原に、ザアザア降りかかる雨の音ってのもあるョ、湖に降りそそぐ雨音もある…と、湧き出る疑問は尽きることがなく、一人問答を繰り返すのだった。

 そういえば、樹に引っ掛かったお星さまを眺める愉しみって、最近見かけないけどなんでだろう…と思い入るに、そうだった。街中が明るくなってしまったからだ。
 住宅街でも夜っぴいて、ティンクルティンクルしている電飾が、あちこちに出没するようになったからだ。…昔に帰って、夜は静かに、暗闇の風景を観たい。
コメント
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