nabe語録-スペシャルティコーヒー専門ショップ サーカスコーヒー

京都北山にオープンしたスペシャルティコーヒーショップ「サーカスコーヒー」の熱い日常をご案内します!

サーカスコーヒー誕生までの軌跡シリーズ①

2020年04月20日 10時49分33秒 | サーカスコーヒーの軌跡
おはようございます。

今朝のサーカス家のコーヒーは

7★9(紫竹)ブレンドです。



ほっこりコーヒーが進みます。

さてさて

突然ですが

だれが興味をお持ちかわかりませんが

週1ぐらいで

「サーカスコーヒーまでの軌跡」をだらだら書いていこうと思います。


私は、1974年6月に京都で生まれました。

私の実家は、

西陣の帯を作っていいました。

機織りが5台ほど

糸を紡ぐ機械(おそらく)もありました。

毎日、「カットン、かットン」機織り機の音を聞き

両親の働く姿を見ながら小さい頃を過ごしました。

ただ、おそらく西陣全盛期は終わっていて

いつも両親のピリピリ感が感じていました。

幼いころに覚えているエピソードとして

両親の仕事がとっても忙しかったので

今でいう待機児童で家に居た年て言うと年少の私が

姉の通っている保育園に一人で迎えに行って

「さすがに・・・」っと親が言われていたことが

面白エピソードとしてかすかに覚えています(笑)

そう、私には姉がいます。

おそらく

父のきちっとした性格は

姉が引き継ぎ

母のちょっと面白い性格は

私が引き継いだと思います。

ですので、

ちょっと甘やかせて

いい加減なところのある私を許せない姉に

幼いころは、かなり怒られていました。



保育園の卒業アルバムのコメントには

「怖いものは?」という問いに

みんなは「おばけ」とか「お母さん」とか書いてる中で

「おねえちゃん」とリアルに書いていたのは

私だけでした。

今考えて見れば

おねえちゃんのおこる気持ちが良くわかります。

今では仲良くしています。


ちなみにその卒園アルバムの

「好きな人は?」の問いには

「ザ・ぼんち」でした。

以前、お店を始めて

その「ザ・ぼんち」のおさむ師匠が来られた時は

感動しました(笑)



こちらから

そんなこんなで

幼少期を過ごしていました。

続く