脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

2019年正月。

2019年01月01日 13時04分49秒 | 社会時評
大晦日の前日、突然の体調不良に陥り、吐き気もして寝込んでしまっ
た。少し熱も出たので風邪の一種かとも思う。インフルではなさそう。
食当たりっぽくもあり、胃がむかつき食べては嘔吐するので、風邪薬
と漢方薬を飲んで、ひたすらダウンしていた。

やることない風邪の無聊で、TVを付けたり消したり。「紅白」を少
し観たが、あいみょんが観たかっただけだが、あまり彼女冴えてなか
った。紅白歌合戦はいつもほとんど観ないが、久しぶりな感じで観る
と、大分NHKっぽさが退色して、肩の力が抜けた空気を感じた。

昭和の頃の「紅白」はもっと厳粛というか、観客もセキひとつしない
緊張感にあって、司会者の方も笑顔の陰でピリピリしていた。進行が
押してくると、最後の方に出演する歌手が「マキ」で歌ったり、エン
ディングの「蛍の光」がちょん切れて、忙しく「ゆく年くる年」に切
り替わるという、せわしないものが時にあった。
(今となっては、あの昭和の「せわしなさ」もちょっと懐かしい。)


本日2019年元旦。陽射しも好く程々に暖かな日。
今年、我が家は喪中なので、正月は祝わない。
体調も復したので、いつもの朝食を摂りシャワーに入り、私宛に年賀
状が2枚来てたが、花束を持って、自転車で近所のお寺へ墓参。
寒寒とした墓苑に佇み、花を添え線香を焚く。正月なのでカップ酒も
捧げて、合掌。ご先祖様は、ご機嫌如何だろうか。健やかだろうか。

年末当たりから「平成最後の××」みたいなフレーズをTVでよく耳
にした。あるまとまった年数を元号で括り意味づけすることに何の意
義があるのだろうとは思う。これが日本式の総括の単位であり、回顧
の仕方なのである。ただの風習であるが、そうとも侮れない力がある。

「昭和」は戦争と繁栄の時代、「平成」は敢えて括れば、ポスト繁栄
の時代としての、保守的な「安定」期の時代だったと思う。近代とは
組織化された力(軍事力等)と制度化されたカネ(資本)の時代である。
この近代化の推移の特徴は、武力(暴力や独裁)中心の時代から、カネ
(産業資本や国際資本)中心の時代へと行き付いたことだと思う。

今尚、多くのおカネが世の中を巡るよう経済を廻すことが、国家や政
治の使命かのようである。また平成末期の集約的表現は、権力者への
「忖度」という情けない言葉であった。平成の次代には、おカネの速
足よりも、平等な気配りや分配、他者への「愛」が世の中を自然に廻
すような社会へとシフトさせていくべきであると思う。

私は「愛」などとキザな事を語りたい訳でも宗教家でもない。今後の
日本社会ではカネ(予算)は絶対的に不足する。日本の経済規模も大幅
に縮小する。災害や介護その他、社会的な基幹部分でもボランティア
のような無償労働に頼る必要が増えると思う。(無償労働とは言え、
資金や報償がクラウド・ファンディング等を通じて供給されるとか。)

私のいう「愛」とは、そのような他者への社会的営為の話である。
平成の次の時代が、愛(情)で廻った社会の時代として、数十年後に総
括回顧されるなら全く素晴らしい、新たな人類史の始まりである。
…いささか、先走り過ぎですけど。では、どちら様も良いお正月を!





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