脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

信教 + 暴力 or テロ。

2018年07月07日 17時40分55秒 | 社会時評
一連のオウム真理教事件の死刑囚、教祖以下7人に死刑が執行された。
地下鉄サリン事件のとき、30代の私は銀座のオフィス・ビルに勤めて
いた。私は通勤には山ノ手線を使っていたが、朝出勤すると地下鉄でガ
ス漏れだかガス爆発があったような噂話を周囲がしていた覚えがある。

銀座の大通りがやけに騒々しく、いつまでも救急車だかパトカーのサイ
レンがこだましていた。窓の下を行き交う人の流れもどこか殺伐として
いて、都心の街にこれから暴動でも起こりそうな不穏な雰囲気がした。

その日、地下鉄での重大事件を知ったのは、昼のニュースだったかと思
う。誰の仕業か、また何かが起きるのではないかと、誰もが不安と疑心
暗鬼になり、職場では顧客の要望等から外出の仕事が次々とキャンセル
になっていった。とにかく街全体がざわついて落ち着かない一日だった。

宗教団体が毒ガス製造工場を持ち、サリンを製造して地下鉄にばら撒い
た。当時私は「オウム真理教」という一風変わった宗教団体の存在を知
ってはいたが、彼らがやったとは信じられなかった。宗教カルトの存在
や実態があまり知られてなかったせいもあるが、そもそもが命の大切さ
を説くのが宗教であり、無差別殺人を実行する事に矛盾を感じた。

「極左暴力者集団」という言葉があるが、左翼の行動様式としては体制
側への武力攻撃はあっても、一般大衆へのテロは通常しない。革命が大
衆の支持なしでは成功しない理屈からである。これに対してカルト宗教
は何でもありな感じだ。今日ではISというイスラム過激派が有名にな
ったせいか、宗教とテロとの結びつきに違和感もなくなった。

昔のマルクス主義者は、革命を信じて暴力を必要悪としたのだろうし、
オウム教徒は、カリスマ教祖を神と崇め、サリン攻撃その他殺戮行為に
加担したのだろうし、例えばグリーンピースのような環境団体は、鯨を
守ることに正義や真理を感じ、ときに捕鯨漁に対して無法行為やテロま
がいの挙にも出るが、「鯨」教の「鯨」教徒のようなものである。

我々人間は何らかの「幻想」を共有し信じて生きている。いや、それ無
しでは生きられない。国家も社会も法も幻想の共有である。福沢諭吉が
印刷された紙切れを1万円の価値と信じることも同じ幻想である。サッ
カー・ファンならサッカー幻想に生きがいをも感じるのだろうし、そこ
に「神」を見出すことさえあろう。

つい最近フランスで、肉屋が相次いで襲撃される事件があった。肉食や
動物性食品に反対する完全菜食主義者の犯行だと言われている。これな
どは、テロの標的が肉屋であるという「菜食カルト」の「宗教」にも見
える。マルクス主義から菜食主義まで、信念ある処では何でも「宗教」
化し得るのであり、行き過ぎると集団でヒトまで殺すようになる。

このようなヒトの業から、我々は自由ではないし、常に冷静でもない。

オウム教の頃は、インターネットもSNSもなかった。今は既に、カル
ト紛いのSNSも在るのかしれないが、今の方がヒト同士の結びつきは、
広範囲で簡単安易であることを考えると、何らかのグルを「神」と頂く
ヒトの繋がりや、その命令だかノリで動く集団的な結束が、再び「オウ
ム真理教」に化ける可能性、その暴走は今後もあり得るのかもしれない。




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