脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

企業端末・政治端末という現在。

2013年12月15日 14時06分06秒 | コギト
年末になると、特売が増えるせいでもないが、服を買いに行きたくなる。
と言っても、ユニクロとかヨーカドウにしか行かない。先日、ジーユー
というユニクロの姉妹店(?)に入り、服を買って会計を済ませたとき、
ふとこの感じは何かに似ていると思ったら、コンビニで買物した残余感
と同質な気がした。

コンビニ・ユニクロ・ブックオフそれから、マック等のファストフード
など、今様のお店というのは、店員の応対がマニュアル管理されている
せいもあるが、画一的である。そんな感想を抱くのは今が初めてでもな
いのだが、近所のスーパーで食材を買って、パートのおばさんのレジで
支払いを済ませたときとは、何かが異なっている。

コンビニ・ユニクロ・ブックオフ等での、若い店員の方々に生活臭だか、
生きている手応えみたいなものが希薄なのである。定まった仕事のルー
ティンに乗って決まり事を無機質に反芻しているような人間に成りきっ
ている。別に、彼等を悪く言いたいのでも、責めている訳でもない。
仕事ってそういもんだろ、っていう話ではなく、個が余りに強く抹消さ
れ尽くしている感じがして気掛かりなのだ。

誰もがスマホというコンピュタ端末を持ち歩く時代、職場で働くヒトの
あり方も、「企業端末」化しているように思う。コンピュタが携帯化し
た次には、それはウェアラブル(着られる)化し、さらには、身体にPC
端末を埋め込むサイボーグ型人間にまでやがては行き着くだろう。

コンピュター技術が人工知能を発展させ続けることと平行して起こって
いることは、人間のコンピュター化、人間存在の端末化である。コンピ
ュターが人間に近づき追い越していくことの危険性と同じくらいに、人
間がコンピュータ化端末に置き換えられつつあることの危険と悲劇につ
いても、同じ眼差しを向ける必要がある。


ところで最近また「愛国心」という言葉が頭をもたげて来ている。教育
基本法に「我が国と郷土を愛する」「愛国心」を盛り込むべきだとか、
外交・防衛の基本方針である国家安保戦略にも「愛国心」が盛り込まれ
るという。

(むしろ国民に、政治家には特に「愛国民心」ともいうべき、民を愛すべ
き心や態度を教育・涵養すべきだろう。「愛国心」が足りないと国民を
非難する政治家や教育者には、あなた方には「愛国民心」が不足しては
いまいかという対抗提言が用意されるべきだ!)

さて、今のような画一化・規格化が強い社会状況は、「上からの」政治
や教育には都合が好いかもしれない。しかし、我々はひとりひとりが、
考える葦であり続けるべきである。断固として個人であらねば、自分と
して生きている意味がない。
「下からの」言葉を磨いておこう。自分がいつのまにか、政治端末・企
業端末にならぬために。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 猫がネズミに鈴を付ける秘密... | トップ | レッツラゴン展を観た。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コギト」カテゴリの最新記事