脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

夏の終わりに‥。

2020年08月29日 22時56分23秒 | 雑談
コロナ下の夏は、ただ暑いだけでなく、息苦しく重ッ苦しい。
歳のせいではなく、夏の暑気が今年は体にこたえる気がする。
そんな8月が終わりかける頃、総理大臣が持病の悪化から辞任
した。やっと辞めてくれたかというか、健康第一、良いことである。

アパートの庭では、夜になると、秋の虫の声が聴こえる。
暑い夏も終盤かな。9月も残暑はあろうけど‥。
9月は母の3回忌である。
夏は、どうして死者を思い出す季節なのだろうか。

私はひとり暮らしであるが、亡くなった父母の遺影を飾り、
仏壇はないが、線香台は設えてある。鉦を鳴らし線香を立てる。
供養や慰霊というものは、勿論故人に向けたものであるが、
そうしていると、父や母の声が耳元に響くようで、未だに物故者を
身近に感じられて、嬉しいような、和やかで静かな気持ちになれる。

それは、宗教でも信仰でもない。
ただ亡き祖父母や父母を心に持っているだけのことである。
思い出を持っているという意味ではなく、
死者という<永遠>、それへと続く、
ただ<暖かいもの>を感じて、心が満たされるのである。

そよと吹いた風に、一瞬鳴り立った風鈴の音色みたいに、
その刹那、不意に<永遠>の響きを、感受させられ、
まるで、生死のあわいに、軽く浮かんで、一瞬だけ、
私も死者の時空に入って、父母と対面し交歓したようで、
嬉しくも、心地良い気分になるのである。

一体これ、自分は、何を書いているのだろう、とも思うが、
亡くなった近親者等を追悼していると、独り居の寂しさがなくなり、
何処からか、嬉しさが込み上げてくるのが、不思議である。

私一人、夜の小部屋。
ピアノ曲が静かに零(こぼ)れて、
訪なう微睡(まどろ)みに揺れて、
その遠く、続く空‥、白い雲と‥‥。




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