
昨日も広瀬川は減水したままでした。交水堰あたりも、濁った水が川底ひたひたにゆっくり流れています。水音も立てないで。
昼食は呑竜仲店の『ヤギカフェ』、昨日はさ、アーツ前橋×前橋文学館共同企画「ヒックリコ ガックリコ 言葉の生まれる場所」展に関連する作品の上に自転車を乗せさせてもらいました。そいで、食べたのは「ハロウィン乗せ(かぼちゃ入りサラダ入り)カレー」です。そうなんです、あっちもこっちもハロウィンなんですね。詳しい事情はヤギカフェ日記を参照してください。
かぼちゃ入りのカレー、おいしかったですよ。
今日の前橋の路地は佐久間川沿いの道なんです。佐久間川もすっかり秋、花の季節は終わっちゃって、木の実草の実の季節なんですね。私の大好きな道をご案内します。
群大の養心寮や国領町公民館のある信号のある角のちょい北、佐久間川は両岸を小路に挟まれて流れている。国領町2丁目と若宮町三丁目の境を流れているのだけれど、国領町2丁目公民館や通称「国領住宅」と呼ばれている一角は若宮町三丁目にある。住居表示のなせる業だ。
そんなことに関係なく、僅かな勾配なのだけど川はいくつかの段差を勢いよく流れ下っている。
まずは、国領町側(西側)の道を上流に向かう。
佐久間川は、もともとは桃ノ木川から分水された農業用水だ。前橋城下の北の村々の田畑を潤し、旧一毛村まで、そこで広瀬川に合流している。
埋もれてしまつた麥畑と
工場寄宿舎と大煙突の下を曲れば
佐久間川は
各工場から吐き出される湯氣のため濠々たる白煙をふき上げてゐる
その蛹臭い匂ひを嗅ぎ乍ら
彼女は降雪の中に立つて
派手な羽織に白く雪を吹きつけて
懐しい仕事の匂ひを嗅いだのであるあ
萩原恭二郎が1931年(昭和6年)に刊行した第2詩集『断片』に収められている『春の糸挽歌』の一節である。恭二郎が見た昭和初期の佐久間川の風景である。田畑が埋められ、そこに製糸工場とそこで働く労働者の暮らしが集積したことがわかる。
佐久間川は農業用水から工場の排水を受け止める川になったのだ。
中ほどまで来ると橋がある。小さな橋だ。橋の上流は流れが緩やかになる。土地の勾配が小さくなったのだ。
流れが緩やかになると、川底に堆積した土砂に草たちの暮らしが見られるようになる。赤マンマがまだ花を残している。他の草ぐさはもうほとんが枯れ始めている。
道端に赤い実が落ちている。アメリカハナミズキの実だ。見上げるとこれでもかのビラカンサスの実。すごい。
そして、この路地の終点に辿り着く。黒い穴が見える。そこから先、佐久間川は道路の下を暗渠で流れているのだ。右手に見える大きな木は、若宮小学校のヒマラヤスギ、学校のシンボルになっている。なにもない、これだけの道だ。
帰りは若宮町側(東側)の道を行く。緩やかに下っている。左手の住宅地を「国領住宅」と呼んでいた。長屋造りの木造の市営住宅、学校の友だちも暮らしていたので、よく遊びに来た。夏だと佐久間川に入って遊んだ。
今は払い下げられて、小さな個人住宅が集積した町になっている。
萩原恭二郎は1938年、40歳の若さで他界した。詩集も第2詩集の『断片』で終わっている。
枇杷の花が咲けば冬が来て春が来る
彼女製絲女工 前山フサ子は
(四肢健全にして森の中から生れたやうな肉軆をしてゐるが)
口紅の唇をまげて、居酒屋の二階に馬鹿の如く正座して酒を飲み
氷結せる天から
限り無く雪は青く冴えて地上へ積らんとしてゐる
『春の糸挽歌』の書き出しだ。大人になってからこの川岸の道を訪ねたのはこの詩に誘われてだった。製糸女工の前山フサ子が歩いたであろう道を辿って見たかったのだ。恭二郎は製糸工場で働く女性労働者を『工女』とは呼ばない。『女工』と呼んでいる。このまちの産業を支えた女性たちの姿をありのままに伝えてくれている。
私が子どもの頃にはまだこの川筋にはたくさんの糸繰工場があった。すぐ東には繭の乾燥場もあった。路地に面した家の上り口には、湯気をもうもうとさせた糸繰機を前に絹糸をひくおばちゃんたちの姿があった。佐久間川の水も白く濁って湯気を立てていた。
路地の隣りにある国領住宅で出会った猫です。昨日はお天気が良くなって洗濯日和だという天気予報だったんで、ユキ子さんがキキの使っている敷物やタオルを洗濯したのですが、天気予報はハズレ、一日中曇りで肌寒かったです。だから、猫も丸くなってました。
2013年に『佐久間川シリーズ』を書いた時も恭二郎の『春の糸挽歌』でした。高校生の時に出会った詩なんです。当時のブログはコチラです。
佐久間川 13回 萩原恭次郎作『春の糸挽歌』 2013年9月23日
佐久間川 最終回 糸挽き歌は… 2013年11月2日
そんなわけで肌寒い夜は温かいものをと沢煮椀を作ってユキ子さんの帰りを待ってました。ニンジン2種、サヤインゲン、舞茸、カブを昆布出汁に豚バラ肉の細切りを加えた塩汁で炊いた汁ものです。具だくさんなんです。温かいです。
それと、ピーマンと椎茸の肉詰め、ブロッコリーの辛子醤油和えでした。
直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。
今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。
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