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猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

用意した話、全く政治家としての資質に欠ける今村雅弘の事件が重なってしまって、苛ついてます

2017-04-27 06:27:45 | あんじゃあない毎日

昨日の上毛新聞の一面の記事です。政治家として求められている資質を全く備えていない人物です。今村雅弘、1947年佐賀県生まれ、東大法学部卒、日本国有鉄道を経て民営化後は九州旅客鉄道、1996年に佐賀県選挙区で衆議院議員に選ばれたのだそうです。私よか二つ若いんですね。

一昨日から、この人物の発言と彼が復興大臣を辞任したことが大きなニュースになりました。腹立たしいことです。

  朝は、自治会費の集金をしていて、白いシランに会いました。

「福島の復興はマラソンにたとえると30キロ地点」、これは今年の1月に福島で開かれた会議での今村大臣の発言です。内堀福島県知事は、「避難指示区域ではまだスタートラインに立っていない地域もある。解除された地域も復興の序の口だ」と、認識の相違の大きさを指摘しました。この時に、今村大臣という政治家は何もわかっていない人なんだなと感じてした。

 今日、前工大の学生に話をします。夕飯の支度をしている時間がないかも知れないので、朝食後にロールキャベツを仕込んでいました。

実はね、学生諸君に私が話したかったことは、「地域社会の崩壊という現象は歴史的事実やシュミレーション上のものとして私は認識していました。東日本大震災によって、それが現実のものとして突きつけられたのです。大変な衝撃でした」ということなのです。まちがなくなる、なくなってしまう、それを現実に見ることになってしまったんです。大きな衝撃でした。

 用事があって、家を出ると顔見知り猫に会いました。
<このまちでもそういうことってあったよね…>

そうなんです、1945年8月5日夜、米国のB29爆撃機92機が前橋の上空にやってきました。そして、723.8トンの爆弾を投下したんです。『前橋空襲』です。前橋のまちは市街地の8割を焼失しました。1万1千軒を超える住宅等の建物が焼失し、535名の命が奪われたんです。
まちは一夜にして破壊されました。人々の暮らしを支える仕組みも環境も失われ、そこに残されていたのは一面の焼野原だったんだそうです。

   私は4月に生まれていましたけれど、まだ0歳何も記憶にありません。知っていることは、後から聞いた話、文献で見た話なのです。
その聞いていただけの話が、現実として目の前に現れたのが東日本大震災でした。

今の前橋のまちはきれいです。バラのいけがきです。藤棚です。初夏の路地は美しいです。

 そしてね、東日本大震災は私がこのまちを見る視点を変えさせたんです。
前橋のまちは、本当に戦災から復興したのかなって思うようになったんです。確かに、戦災復興事業として取り組まれたまちづくりの仕事は終了しました。失われた公共施設やなんかもきちんと再整備されました。でもね、失ったものすべてを取り戻せたわけではないのですよね。「代わりに新しいものを手に入れたじゃないか」っていう人もいるかもしれないですけど、失ったものはどこまで行っても、何年経っても失われたままなのですよね。

道端に色の濃いスミレが咲いていました。

風呂川の水が止まってました。カキですね、柿の新芽です。

戦災復興は、秋に葉を散らした木々が春にまた芽を吹くのとは違うんですよね。問題は、そこんとこにある気がしてるんです。
地域社会というものは、そこに生きる人たちが、生きて行くために必要な仕組みと環境を作り出しているんです。それは、普通の場合、緩やかな時間の流れの中で行われる営みなんです。木々の芽吹きと似ているかもしれません。
でもね、私が小年期を過ごした戦災復興はそういうのと違う気がするんです。

  風呂川の岸には、イチハツが咲いてました。黄色いのはイヌナズナだいね。

復興相辞任を受けて安倍総理大臣は「被災者の気持ちに寄り添って復興に取り組むことが安倍内閣の最重要課題です。まだ、復興は道半ば…」と言って謝罪しました。
復興って、なにがどうなったら復興なんだろうね。福島原発の廃炉作業が全て終わって、原発が作られた以前の福島、私の父が生まれ育った福島に戻れるのにあと何年かかるのかな…。道半ばなんかでない気がしています。

 ましてね、経済的な損失の規模をとんでもない前提に基づいて比較することは全く意味のないことです。そういう何の意味もない「東北で良かった」という言葉を発した今村大臣は、東京大学で何を学んだろうかな、非科学的で、空疎な意味のない言葉…、空しいやいね。

用事がすんで、家の近くまで帰って来たら、猫が木戸をくぐろうとしてました。この木戸の向こうの家はさ、住む人を失っています。

 わが家の玄関先、卯の花が咲きはじめました。

私は、学生諸君にこのまちが本当に復興したのかどうか、彼らの目で見てほしいのです。その上で、このまちが直面している課題を考えてほしいと思っています。
5、6百年遡ると、このまちも何度か難しい事態に直面しています。その歴史的な事実を今日は話そうと思っていたんです。地域社会はそこに人が生きている以上消滅はしないみたいです。でもね、衝撃的事態の傷はそう簡単に治らないみたいです。傷は残っているんです。

こういう話の準備が終わったところで、今村雅弘という無教養で非科学的な、政治家としての資質を全く備えていない人の話しが飛び込んできちゃったんです。苛ついています。

 

 <まあさ、今日の話はさ、今村ってアホのことと全く別にした方がいいよ>、キキも心配してくれています。

 

  養田鮮魚店へ行ったら、鯛と向かい合わせでカツオが並んでいました。もうそういう季節なんですね。でも、カツオでなくイサキを買いました。

 魚を買った帰り道、大先輩のNさん家のまえを通りかかったら、庭の樹に白い花が咲いてました。アオダモかな…
塀越しに写真を撮って走り出したら、歩いて帰宅してきたNさんにばったり会ってしましました。ご無沙汰をお詫びしてご挨拶、ついでに花の話したら、「寄ってってください、私は分からないけど、家内は知っていると思いますから…」

「植木屋さんがね、トネリコだって言ってましたよ」って、奥様のお話しです。美しい花です。

 

   夕食は筍料理三日目です。
イサキと甘エビと筍の刺身の盛り合わせ、イサキと筍のポン酢焼き、三つ目はタケノコでなしで赤貝とウドの酢味噌和えです。

  それと、春キャベツとトマトのサラダ、お椀はウドの卵とじにしました。筍はいろいろできてうれしいです。三日間でさ、九つの料理作ったはずです。
「あたし、筍大好き」、伯母さんが言ってます。

 

 

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
第74回美登利会にお越しいただいた皆さま、誠にありがとうございます。心より御礼を申し上げます。
来春は75回目の節目を迎えますが、4月8日に開催できますよう既に会場を確保いたしました。これからもしっかり精進いたしますので、引き続きよろしくご贔屓いただきますようお願い申し上げます。

4月9日の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

 

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