吉川集落の田圃の案山子、花束を持った娘さんを見つけた。
稲穂は早くも色ついて、季節の移り変わり速さを実感。来月には稲刈りが始まり、新米の収穫も。
暑いので、木陰と渓流の涼感を求めて、49人のオオタカ組が初谷川渓谷を歩いた。
期待したほど涼しくなく、シッカリ汗を流したハイキングだった。
吉川集落の田圃の案山子、花束を持った娘さんを見つけた。
稲穂は早くも色ついて、季節の移り変わり速さを実感。来月には稲刈りが始まり、新米の収穫も。
暑いので、木陰と渓流の涼感を求めて、49人のオオタカ組が初谷川渓谷を歩いた。
期待したほど涼しくなく、シッカリ汗を流したハイキングだった。
ね
猛暑が続き食欲の落ちるこの季節、口当たりのよい豚肉と夏野菜のピリ辛炒め、ねばねば野菜を和えた「冷やし素麺」など四品。
メニュー
① 美味しいポテトコロッケ
② 小松菜と油揚げの煮びたし
③ ネバネバたっぷり冷やし素麺
④ 豚ひれ肉ときゅうりの辛み炒め
手間暇かけただけに、美味しく出来上がった。
ネバネバたっぷりの素麺は、納豆、メカブ、長芋、オクラ、スダチを、氷で冷やした素麺にトッピングし、混ぜ合わせて食べたが、美味しかったです。
第二次世界大戦が終わって71年、悲惨な戦争で310万人の尊い命が失われた戦争が終わった日。
私は、当時15歳の海軍飛行予科練習生(予科練)で、71年前、九州・佐伯海軍航空隊で迎えた日。
遠い昔でも、鮮明に覚えている暑い日。
二度と悲惨な戦争をしない事を誓う。
終戦勅語 ネットからcopy
橘内牧師の説教・「立つ」・平和の大切を話された。
明日は終戦記念日、私にとっては敗戦記念日。71年前、九州・佐伯海軍航空隊で敗残兵になった日。
310万人の尊い命を失った太平洋戦争。
悲惨な人間同士が殺い合う戦争は絶対してはならない事を祈る。
戦争体験者が少なくなったので、戦争の実態を語り伝える事の大切さを想う。
相変わらず猛暑が続く今日、暑さにも負けずに約70人が保健福祉センターに集まった。
健脚組は、木陰の多いトンボ池コース。
時々爽やかな涼風もあり、気持ちの良い汗を流して約2時間のハイキング。
帰宅して、シャワーで汗を流して、冷えた缶ビールで昼食。
午後は、オリンピックと高校野球のTV観戦。
万歩計で15.892歩。
猛暑続きで、参加者は少なかったが、頑張って急坂が続く新滝道を登った。
暑かったのでシンドカッタ(´・ω・`)
今回で妙見ハイク登山回数が190回に。
ハイキング会の皆さんに支えられ、励まされたお蔭、感謝。
食後の話は飯島正明氏の「吉川に伝わる新しい炭焼きの民話」。
瑞牆山のピークから富士山を望む。
道の駅「まきおか」からタクシーで約1時間、標高2.365mの大弛小屋へ。
7時に朝日峠~朝日岳(2579m)へ。途中はガレ場の歩き難い登山道が続く。慎重に足場を選んで登る。
朝日峠から朝日岳(2579m)へ。
金峰山のピーク。
五丈石(ごじょういわ)てっぺんに登る人もあった。
千代の吹上。
富士見平小屋はランプの小屋。夕食は山小屋では珍しい豪華な「鹿のソーセージ」料理。
標高1812mの朝は素晴らしい。小屋から富士山も望めた。
水場が遠く、汲みに行くのに一苦労。水温は6度。美味しい水だった。
厳しい、滑りやすい岩道の連続。鎖場や梯子、ロープなど大変だった。
下山が週末だったので、大勢の登山者との離合で時間がかかった。
360度の素晴らしい眺望が楽しめて、登った苦労も一時忘れる。至福の一時。
帰路、バスが長野県・諏訪SAで熱中症?で動かなくなり、救援の代車の到着まで約5時間のフリータイム。
諏訪湖のミニ花火大会(20時30分から15分間)も観られるハプニングがあった。
帰町は日が変わって午前2時。
疲れたけれど、良い夏の想い出になった山旅だった。
素敵な山仲間に励まされ、支えられ、時には煽てられて事故なく帰宅出来ました。感謝。
灼熱の日が続く今日は、「オオタカ組」65人が、木陰の多い旧山下道を歩いた。
保健福祉センターで貰った「団扇」で涼をとりながら歩いたが、風がなく、暑かった。
午後は、明日からの夏山の準備、リュックに二泊三日の必要な物を選んで詰め込む。