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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

何のための文化政策か

2012-10-04 | 文化政策
 もう半月も前のことになるけれど、研修旅行で上京した福岡大学法学部1年生20名ほどの皆さんの前で私が関わった豊島区の文化政策について話をする機会があった。
 お世話になっているO教授の教え子たちなのだが、Oさんは、豊島区が廃校を活用した文化拠点づくりプロジェクトである「にしすがも創造舎」を中心とした地域再生計画を国に申請した当時、内閣府の企画官をされていたというご縁で、ここでの活動に興味を持たれ、機会あるごとに何かと助言や励ましの応援をしてくださっている。
 「にしすがも創造舎」をご自分にとっての地域再生の「一丁目1番地」といってはばからない方で、私にとって、同じ空気感を共有できる数少ない「仲間」の一人といってもよいだろう。(言い過ぎか……)
 
 とは言え、その日集まった福岡大学の学生の皆さんにとって、東京・豊島区などあまりに遠い存在でしかなく、そこでの文化政策の話など、興味の抱きようもないのではないか、とも思えたのだが、案の定、将来の就職先として東京をターゲットに考えているかどうかを尋ねたところ手を挙げた学生は皆無であった。
 それはそうだろう、北九州・福岡市は人口150万人に及ぶ大都市なのだ、その周辺で生まれ育った人々にとって、大阪、神戸、名古屋を通り越してわざわざ東京に職を求めて移り住むなどということは、想像すらあり得ないことなのかも知れないのだ。
 
 それはともあれ、今回の講義資料を作りながらの収穫は、10年ほど前に勉強のために読んだ中川幾郎著「分権時代の自治体文化行政」からのメモ書きを改めて読み直したことだった。
 その中でも、1970年代末の畑和埼玉県知事時代に提示された埼玉県における文化行政のキーワードである、いわゆる「埼玉テーゼ」は、今もなお一般に流布している文化行政の分かりやすい道しるべと言ってよいだろう。
 すなわち、「①人間性」「②地域性」「③創造性」「④美観性」の4つのテーゼであるが、これらの一つひとつが持つ真の意味合いは、80年代に入ってからの美術館や音楽ホール等の建設に代表されるハコモノ行政の波に呑み込まれ、さらにはその後のバブル崩壊や景気低迷の長期化のなかで撹拌され、希薄化し、雲散していった。
 しかし、これらの命題に込められた意味をもう一度深く噛みしめてみた時、そこには文化政策の本質的な意義がしっかりと内包されていると思えるのだ。以下、メモ書きから引用。

 「人間性」とは、市民のライフサイクルと日常生活の全体性をみつめることを基本としながら、多様な市民の立場に立った視点から、行政の改善や改革を図ることにつなげることを企図する。
 そこにおいて、地方自治の主権者としての自律性と統治能力をもつ市民像の追求と、行政と市民の協働方式の追求は同一線上にあるといえる。

 「地域性」とは、単に、地域の個性化を追求し、風土、歴史、産業、住民特性を重視した施策を展開するということではなく、地域のアイデンティティ(自覚された個性、独自性)の形成、開発までを射程に入れたものでなければならない。
 アイデンティティは、他者との関係性の中で形成されるものであり、他都市、世界諸地域との交流の活性化なくしては生まれない。
 異なった文化のふれあいが豊かな文化を生み出し、人々を生き生きとさせ、地域や都市を個性化させる。成功した「むらおこし」「まちづくり」は、この交流の視点を間違いなく重視している。
 個性化の視点とは、すなわち他者との交流による自己発見の視点にほかならない。

 「創造性」とは、前例や規制制度、縦割りの枠組みにとらわれず、自由な発想と積極的な提案を重要視することであり、そのためには、自治体自身が、政策主体として自立するという問題意識、危機意識が不可欠である。
 とりわけ、行政内部の意識開発を進める粘り強い仕掛け、創造的な提案を実際に着地させる仕組み、総合的な政策構築のための組織横断マトリックスが重要であり、加えて、市民意識の活性化への働きかけや市民からの政策提案を受け入れていく実際的な回路=市民との協働の視点が何よりも必要となる。

 「美観性」とは、地域の個性的な文化と、平均的な日本文化や世界共通の文化の地域内での流動性を高め、異化(個性化)と同化(共通化)の緊張関係を際立たせていくために、文化衝突や文化交流の活発な回路を意識的につくることにほかならず、これらをとおして優れた公共デザインや地域デザインが形成される。

 以上は、「行政の文化化」というものを考えるうえでの命題であり、30数年も前の考え方に違いないのだが、根底に流れるものは今もなお古びることなく、切迫性を伴って私たちに文化政策の有り様を問いかける。
 これらを忘れた文化事業は、それがいかに華々しくにぎわいを呼んだとしても、ただ空しいだけだろう。
 それが、あの日、私の前にいた20歳前後の学生たちの心にどれだけ響いたかは分からないのだけれど……。


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