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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ネガティブ・ケイパビリティ

2022-06-22 | 読書
友人たちが私の書いたものにたまに感想を寄せてくれるのだが、最近投稿した「何も決めないという決定」「対立しながら共存する」について、それは「ネガティブ・ケイパビリティ」というジョン・キーツが唱えた概念に近いのじゃないか、と教えてくれた。
そう言われてはっと気がついたのだが、それは確かにそうなのだ。

「ネガティブ・ケイパビリティ」については、小川公代著「ケアの倫理とエンパワメント」の序章と1章に詳しく書かれている。
定義づけとしては、「相手の気持ちや感情に寄り添いながらも、分かった気にならない『宙づり』の状態、つまり不確かさや疑いのなかにいられる能力」ということであり、「短気に事実や理由を手に入れようとせず、不確かさや、神秘的なこと、疑惑ある状態の中に人が留まることができるときに表れる能力」を意味するとある。

さらに本書では、作家で精神科医である帚木蓬生がその著作の中で「人はどのようにして、他の人の内なる体験に接近し始められるのだろうか」という問いに言及していることを紹介している。帚木氏は「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」の中で次のように書く。

「共感を持った探索をするには、探究者が結論を棚上げする創造的な能力を持っていなければならない。(中略)体験の核心に迫ろうとするキーツの探求は、想像を通じて共感に至る道を照らしてくれる」

これらの言葉は、最近話題になったいくつかの文学作品において描かれる登場人物が、自分が抱える癒しがたい痛みや傷について、第三者の一方的な決めつけによってカテゴライズされたり、おざなりでありきたりの理解から発せられる同情や憐みに対して異議申し立てをする姿が描かれていることを想起させる。
それらの作品の中では、当事者の痛みに寄り添うことのない第三者の「想像力の欠如」こそが断罪されるべきであると読者は期待するのだが、その期待が叶えられることはなく多くの場合は宙ぶらりんのままに放置される。作家たちは、想像力を駆使して当事者の苦悩に寄り添いながら、そうした現実の姿をもまた冷徹に見つめるのだ。

まさに、「想像力は他者との共感に至る道筋」であり、「病気や苦悩に寄り添いながら、その状況をじっと見守る営為と、物語を言葉で紡いでいく営為は地続き」なのである。

改めて、「ネガティブ・ケイパビリティ」が、芸術作品を生み出すために必要な能力であるのみならず、仕事上の課題解決や組織のマネジメントにおいてもまた極めて有効で不可欠なものであると感じる。


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