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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

進化するモリカズ

2010-03-04 | アート
 今日、豊島区千早町にある熊谷守一美術館で「池袋モンパルナス」の名付け親といわれる詩人・画家:小熊秀雄の展覧会がオープンした。
 オープン前の早朝、特別に入館させてもらい、展示室に独りきりというこのうえない状況で作品と向き合う幸運を得た。1階、2階が熊谷守一の常設展示、3階ギャラリーが小熊作品の特別展示となっている。

 今から30数年前、97歳でこの地に没した熊谷守一だが、実は私の一番の自慢が生前の守一さんと直接お会いしているというものだ。
 おそらくは最晩年期だったろう、仙人と呼ばれた風貌そのままに真っ白な髭に顔を埋めたご当人とやはり美しい白髪の奥様が縁側で日向ぼっこをしていたのを思い出す。
 私は上京したての何も分からない小僧っ子で、ろくに挨拶もできず口をもごもごさせながら仕事で何かの集金に伺ったのだった。このお爺さんが何をしている人なのか無知な私は想像すらできなかったし、文化勲章をメンドクサイとばかりに断ったすごい人なんてことも当然ながら知らなかった。
 ただ、いつも伺うと仲良くご夫婦で縁側に座って庭の鬱蒼とした木々や草花を眺めていた。

 そんなことを思い出したので、小熊の絵ももちろんよいのだが、今日は守一先生の作品とじっくり対面し、お話をしてきた、つもりだ。
 何度も観ている絵なのだけれど、改めてそれを年代順に見直すと、その特徴ともいうべき、とことんムダを削ぎ落としたシンプルで純粋な画風は守一氏が65歳を過ぎた頃から顕れているのが分かる。
 自画像を比べても、50歳代後半の頃はまだいわゆる本格的なデッサンに基づく写実的な絵画なのだ。その頃は気難しい人柄だったそうで、その気風が絵にも滲み出ている。
 本当にモリカズらしい作品となるのが80歳になってからではないかと思うのだが、その「進化」ぶりにはまさに瞠目させられる。
 私などまだまだひよっ子だ、というのは当然にしても、その60歳までの期間にモリカズは描こうとして描けない時間、悩み抜いた時間、とことん対象物を眺めつくし、観察するという時間を幾重にも積み重ねているのだ。
 その基盤があってこその老年期からの脱皮であることを認識しなければならないだろう。

 描こうとしないこと、表現しないこと、ムダを削ぎ落とすこと、欲望しないこと、期待しないこと、演じないこと、ただそこに居ること・・・。

 その難しさ!


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