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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

つながるもの

2022-03-10 | ノート
 水辺を歩く。久しく見上げることもなかった空はどこまでも広がって、あの空ともつながっているのだ。つらく困難で厳しい冬の戦いに耐え忍ぶ人たちのことを考える。祈る。



 この川も海も空も、それを見るこの私も、孤絶しては存在しない。みな何かとつながっているのだ。否応なくつながる紐帯は人を束縛し、監視し、抑圧し、時に憎しみすら生むのだが、そのつながりなしに生きてはいけない。
 その息苦しさを嫌悪し、憎悪し、唾棄し、忌避しようとしながら依存しないではいられず、逃れることのできない「つながり≒しがらみ」、それが《絆》と呼ばれることもあるのだろう。

 人を結びつけるそのか細い糸を遡った先の先に過去の「私≒私たち」がいて、父と母とその母たちがいて、流れていくその向こうに未来の「私≒私たち」がいる。



 遠い昔、私の父は戦いのあとに抑留された極寒のシベリアから海を渡ってこの国に帰り着き、母は終戦の混乱のなかを、生まれ育った異国の都市から、着の身着のまま海を越えて祖父母のふる里の村にやって来た。
 船に揺られ、波しぶきを掻いくぐり、交差するはずのない糸が偶然と因果の悪ふざけによって絡まり合い、そして私が生まれた。
 それが僥倖なのか奇禍なのかは問わないが、この国に暮らし、あの国の人々と同じ地球に生きることの意味は問われなければならないだろう。
 時を超え、空間を飛び越えて、あの時代と今、この場所と戦火の街はつながっているのだ。

 人々を傷つけ、縛りつけ、殺戮と絶望をもたらすあらゆるものを断ち切って、思いやりと慈しみによってむすばれる安らかな夜の訪れることをただ祈る。


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