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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

日本の文化システム

2009-02-06 | 文化政策
 2月4日、東京芸術劇場中ホールで行われた国際シンポジウム「今日の文化を再考する―米国・フランス・日本の文化システムを巡って」を聴講した。今月末から開催されるフェスティバル/トーキョーのプレ・オープニング企画である。
 このたび「超大国アメリカの文化力」(岩波書店)の邦訳が刊行されたばかりの仏の社会学者フレデリック・マルテル氏と元仏文科相ジャック・ラング氏を招き、詩人・作家の辻井喬氏と劇作家・演出家の平田オリザ氏がパネリストとして参加、外岡秀俊氏が進行、根本長兵衛氏がコーディネーター役を務めた。

 この手のパネルディスカッションではどうしても日本側は旗色がよろしくない。そもそも日本に文化システムなんてあったの?なんて疑問も出てくるほどで、他国の事情を拝聴しながら溜め息を漏らすというのがいつものパターンである。
 平田氏も「このシンポジウムのタイトルはおかしい。米国・フランスの文化システムとシステムレスの日本を巡って、ではないか」と悔し紛れの軽口を放っていた。
 ディスカッションの肝は他国の文化システムは果たして移管できるのか、ということだろう。文化は否応なく他国や異文化の影響を受けながら発展するという性質を持つ。これに対してシステムは、歴史や地域性に根付いたものでなければ発展しない。
 結局、いくらうらやましいと思っても、米国やフランスのシステムをそのまま真似たのでは日本には馴染まないということになる。
 しかし、後進国日本の有利な点は、他国の成功例や失敗例を見てそれを批判的に取り入れることができるということなのである。まだまだ、諦めるには及ばないだろう。

 会場には平日の昼間というのに、熱心な聴衆がいっぱいに詰め掛けていた。その様子を見ながら根本氏が「これだけ文化に関心のある人々がいるのに、政治状況が一向に変わらないのは何故なのか」と問題提起していた。
 政治にはもう期待できないとの声は確かにある。しかし、文化芸術への寄付税制にしろ、教育システムにしろ、最終的には政治に拠らなければ変えることはできない領域である。
 期待するしかないではないか。
 そうした政治状況を変える力を私たちが持てるのかどうかということが、問われているのかも知れないのである。



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