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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

親と子のいる情景

2010-08-13 | 雑感
 いつの間にか夏休みの真っ最中なのだが、そんな気分にならないまま時間ばかりが過ぎていく。子どもの頃は、夏休みも8月の声を聞くと、何だかもう休みが半分以上もなくなってしまったようで妙なさびしさを覚えたものだった。

 さて8月になって、おなじみ「にしすがも創造舎」での「アート夏まつり」が始まった。
 すでに2週間も前のことになるけれど、その初日イベントである「畑@校庭まるごと体感デー」のことを少し書いておこう。
 かつて中学校だった校庭の一部が今はとても素敵な畑になっていて、その「グリグリ・プロジェクト」が楽しい。
 グリグリ・プロジェクトというのは、「グリーン(植物)+アート」をテーマに、畑づくりを通じて多世代の人が出会い、多様なコミュニケーションと、新しいコミュニティの形成を目指す地域交流型プロジェクトとのこと。
 ちょっと難しそうだが、要は、100人ほどの親子連れや様々な年齢の人々が畑づくりを通して触れあい、そこにアーティストが加わって楽しいことをみんなで企てようということなのだ。
 畑の一角にある《石がま》で焼いたピザの販売や、子どもも楽しめるちいさな畑づくり体験、集めた葉っぱでのお絵描き、絵本の読み聞かせなどなど、様々なプロジェクトが展開されている。
 このほかトイポップ集団「ヒネモス」のぷちライブ、無農薬や有機栽培でがんばる農家の皆さん、手作りの加工品生産者による「アースデイマーケット」、校舎の昇降口をリノベーションしたカモ・カフェなど、猛暑の中を子どもたちの元気な声が響き渡っている。
 そんな子どもたちの姿を眺めながら、さまざまな親子のかたちというものをぼんやりと考えていた。

 同じ日、東京芸術劇場5階の展示ギャラリーに顔を出した。
 池袋西口一体で繰り拡げられている「まちかど回遊美術館」の関連イベントとしてギャラリー・トークが開催されていた。
 「父 吉井忠の旅」というタイトルで、画家の吉井爽子さんが娘の視点から池袋モンパルナスゆかりの画家・吉井忠の生涯を語るというものだ。
 吉井忠は、1908(明治41)年福島県に生まれ、1999(平成11)年、91歳で亡くなった。
 30歳で東京豊島区長崎のアトリエ村に移り住み、戦後も池袋谷端川沿いにアトリエを建てて終の棲家とした人である。
 28歳の頃、2・26事件のあった年に渡欧し、アンドレ・ブルトンのグラディバ画廊を訪ねたのをはじめとして、樺太島、中国のほか、地中海、西アジア、インド、メキシコ、キューバ、敦煌、トルファン等々、その画業は生涯を通して常に旅とともにあったのである。
 娘の爽子さんはそんな忠氏の晩年、一緒にスケッチ旅行をしたそうだ。
 絵になりそうな場所を見つけ、その場に座り込むやいなや、もう画帳に鉛筆を走らせていたという父の姿を語るその口調は愛情に満ち溢れている。
 
 さて、いま読んでいるのが姜尚中氏の著作「在日」(集英社文庫版)である。そこに描かれた親子の絆、とりわけ母の姿は全身全霊をかけたありったけの深い愛情に満ちて読む者の心を揺さぶる。
 昨今のニュースに現れるような、母性本能や親子の情愛といった言葉がすでに死語と化したかのような殺伐とした世相のなかではむしろ奇跡とも思えるけれど、果たしてそれは、差別され、抑圧されたもののみが感じることのできる種類の能力であり、感情なのだろうか。
 猛暑の夜に涙腺を刺激され、汗と涙にまみれて頁を繰りながら、あらためて親子のあり様を考えていた。

 そんな時に、こまつ座の舞台「父と暮らせば」(井上ひさし作、鵜山仁演出)を観たものだから、まるでもう無防備にも涙が流れて仕方がなかった。(於:あうるすぽっと)
 丸谷才一氏はこの芝居を「笑いと涙と、戦後日本の最高の喜劇」と評したそうだが、娘の胸のときめきからその胴体が生まれ、もらしたためいきから手足ができ、その願いから心臓ができたという原爆で死んだはずの父親の言葉は、一人だけ生き残った負い目から絶望し、ひたすら内向しようとする娘へのそれこそ全霊をかけた思いやりと激励に満ちている。
 芝居を観ることの幸せとともに、死者と生者との魂の交感、生きることへの励ましといったことにまで思いを至らせる至福の時間がそこにはあったのである。