seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

旅の仲間

2009-09-23 | 演劇
 22日、子どもたちのために世界各国で美しく幻想的な作品を創り続けているイタリアの演出家テレーサ・ルドヴィコの脚本・演出による舞台「旅とあいつとお姫さま」を東池袋の劇場「あうるすぽっと」で観た。
 原作:アンデルセン作「旅の道づれ」、ノルウェーの昔話「旅の仲間」、台本:佐藤信、美術:ルカ・ルッツァ、出演:高田恵篤、KONTA、楠原竜也、辻田暁、逢笠恵祐。
 本作は「あうるすぽっと+座・高円寺プロデュース企画」と銘打ってあるとおり、池袋と高円寺という比較的至近な場所に立地する2つの公共劇場が共同でひとつの舞台を製作するという試みの成果である。

 同時期に距離の近い2つの劇場で上演するという興行上の冒険が観客動員という面でどう評価されるかは別にして、舞台そのものは高い緊張感と躍動感、そして美しさに満ちた素晴らしいものだったと思う。
 こうした舞台に出会えるからこそ、時にはがっかりし、絶望を通り越して怒りに震えるような思いをしながらも、劇場に通い続ける甲斐があるというものだ。

 この数日、必要があってある地域の演劇祭に参加している若手劇団の舞台を3本ほど観て回ったのだが、実はそのレベルや志の低さに落胆していたのだ。
 そのことはわが身にも当然跳ね返る。おそらく自分のやってきたことは彼らと比べて同等以上とは到底言えないのではないか。私は役者であることが恥ずかしくて堪らなくなっていた。

 「旅とあいつとお姫さま」は芝居を観ることの至福、観た芝居を語り合うことの楽しさを教えてくれるだろう。
 1時間の舞台を客席の子どもたちも集中力をもって観続けていた。
 そのことには劇場の特質もまた要素の一つとして挙げられるように思う。「あうるすぽっと」は固定席のあまり自由度が高いとは言えない半プロセニアム形式の舞台なのだが、役者の声をよく響かせ、沈黙の瞬間には役者の息遣いまで聞こえるような底知れない静寂を空間全体に作り出すことのできるブラックボックスの劇場である。観客の集中力を高めるように作られているのだ。
 その要素がよい創り手と出会った時、言い知れぬほどの高度な劇空間を出現させるのである。
 役者は誰もが素晴らしかったが、特に旅仲間とネコを演じた楠原竜也はダンサーとしての技量を存分に活かしながら、緻密な動きで観る者を幻惑するようだ。
 お姫さま役の辻田暁も無垢なるものがたちまち魔に魅入られることの官能性を示して強烈な印象を残す。
 
 芝居は、この世界に満ちた「悪意」や「邪悪」なものが、「善」なるもの、「愛」によって駆逐される物語であると言えるが、子どもたちはどのような感想を持っただろう。
 お姫さまや高田恵篤が演じた魔物が魅力的であったように、「邪悪」なることの誘惑性をしっかり描いているからこそ、この物語は心に楔となって届いたとも言えるのである。
 悪意を知らぬ無垢なばかりの善や愛ほどやっかいなものはないとも言えるのだから、これは物語の効用と言ってよいのかも知れない。

 さて、劇場ロビーでは、「WORLD STAGE DESIGN2009~DIGITAL EXHIBITION in TOKYO」が同時開催されている。
 OISTAT(劇場芸術国際組織)日本センターが主催し、あうるすぽっとと(社)劇場演出空間技術協会(JATET)が共催するもので、WORLD STAGE DESIGN2009が韓国のソウルで開催されるのに合わせ、優秀作品をデジタル映像方式で紹介するほか、日本のデザイナーによる海外における創作活動を模型展示するなど多面的に紹介している。
 舞台芸術の国際化の進展の一端を知ることのできる興味深い催しである。その美しさは芝居そのものに関心のない人にも理解してもらえるのではないだろうか。併せて記録しておく。