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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ユートピア?

2009-03-27 | 演劇
 3月23日、ブザンソン国立演劇センターとフェスティバル/トーキョーの共同製作作品「ユートピア?」を東池袋の劇場「あうるすぽっと」で観た。
 いわゆるオムニバス形式の作品で、3か国の俳優が4つの言語(日本語・ペルシャ語・英語・フランス語)で演じ、作・演出は、プロローグとエピローグをシルヴァン・モーリス、2部構成の前半にあたる「クリスマス・イン・テヘラン」を平田オリザ、後半の「サン・ミゲルの魚」をアミール・レザ・コヘスタニが担当している。
 
 前半は、テヘラン郊外のアメリカ資本が残したスキー場のホテルで、3か国の人々がクリスマス・イブを過ごす、というもの。短編小説のような味わいがある。
 現に私はこの場面を観ながら、堀江敏幸の小説集「おぱらばん」に出てくる、パリ郊外の宿舎でネイティブのフランス人たちに片言の言い回しを冷笑されるマイノリティの登場人物たちのことを思い出していた。
 後半では、その「クリスマス・イン・テヘラン」のまさに上演中の楽屋裏という設定で俳優たち自身の別の物語が進行する。紗幕をはさんで手前に楽屋、奥に上演中の舞台が見える。俳優たちは奥の舞台でもう1回同じ芝居を演じながら手前の楽屋に出入りするのだ。

 通常のバックステージ物の場合、舞台上では夢の世界を演じながら、楽屋では現実的な人間模様が展開するというのがパターンであるが、本作ではそうした構図を逆転させ、舞台裏のほうが幻想的で超現実的な作りとなっている。
 出番待ちの俳優のいる楽屋に突然電話がかかり、イランの俳優が「お前はイラン・イラク戦争に行って、何人殺したか」と聞かれたり、日本人俳優のもとに日本にいるはずの妻の声が聞こえたり・・・。
 楽屋での情景のほうがより演劇じみた不条理性や幻想をまとうことで、相対的に前半の舞台をよりリアルなものと感じさせる。

 しかし、そこで描かれるのはユートピアではない。
 不条理な現実世界に生きる俳優たちが、ディスコミュニケーションを主題とした芝居を演じている俳優を演じるという二重の構図によって、より《リアル》で冷徹な世界を描き出すことにこの作品は成功していると言えるだろう。