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seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

弓浦市

2009-04-19 | 読書
 トキワ荘ネタをもう一つ。
 実は私は、トキワ荘ゆかりの漫画家M先生の作品を舞台化した作品に出演したことがあるのだ。それもミュージカル(!)。遡ること30数年も以前のことである。私もティーンエージャーだったが、今年70歳になろうという先生もその頃は30歳台半ばだったわけだ。
 アングラ俳優が何故・・・とは私自身が聞きたいくらいだが、劇団のメンバーがその舞台製作のスタッフと知り合いだった関係であれよという間に手伝う羽目になっていたのだ。
 まあ、そんな経緯はともあれ、その舞台に出演した事は自分のキャリアにはならないまでも、M先生と関わりができて、その自宅に造られた完全防音のスタジオで稽古にいそしんだ日々の事はそれなりに懐かしく密かな自慢でもあった。

 今月4日、トキワ荘の記念碑が建立され、その除幕式が行われ多くのファンや関係者が集まったことはすでに書いたが、その時に当のM先生に挨拶する機会があった。
 名刺を交わしながら、実は・・・と自己紹介した私のことを先生が覚えているはずもない。それは当然のことなのだ。私はといえば、30年以上も前の一時期に出入りした大勢の若者の一人に過ぎなかったのだから。
 「あら、何の役をなさったのかしら?」と言いながら、先生は胡乱な眼差しで遠くを見つめるようだ。

 このような話はそれこそたくさんあるだろう。
 一方ではそれこそ人生における掛け替えのない体験や記憶が、別の人にとっては取るに足らないただすれ違っただけのエピソードに過ぎないといったようなことが・・・。

 と、これはただの前フリであって、なにも自分のことを書こうとしたわけではない。
 こうした記憶にまつわる出色の短編小説として有名な「弓浦市」を最近読み直して、やはり凄いなあと改めて感嘆したことを書きたかったのである。作者は、「移動祝祭日」の作家ヘミングウェイと同年生まれの文豪、川端康成。
 この小説は様々なアンソロジーに収録されているけれど、これを最初に読んだのは相当昔のことである。
 わずか原稿用紙20枚程度の掌編でありながら、読後感はずっしりと重い。以来その影響下、それに匹敵するものをと思いながら、何十年も経ってしまった。
 無論、これを芝居にしたり映像化したりすることはできないだろう。言葉によってこそ構築できる不可思議な世界がここにはある。

 ・・・小説家の香住のもとをある初老の婦人が訪ねてくる。見覚えのない相手だったが、婦人は懐かしそうに彼の顔を見つめ、30年も昔、九州の弓浦の町で彼女の部屋を訪れ、彼女に求婚までしたという香住との思い出を語る・・・。だが、彼にはその記憶がまったくないのだ。
 香住はその年齢にしては人並み外れて記憶力が衰耄しており、それを自覚しているだけ、こうしたときの不安に恐怖が加わってくる・・・。
 ・・・弓浦という町で香住に邂逅した過去は、婦人客には強く生きているらしいが、罪を犯したような香住には、その過去が消え失せてなくなっていた。・・・
婦人客の帰ったあと、日本の詳しい地図を広げ、全国市町村名を検索したが、弓浦という地名の市は、九州のどこにも見当たらない。
 彼は、婦人の話を半信半疑で聞きながら、自分の頭もおかしいと思わないではいられない。
 「・・・弓浦市という町さえなかったものの、香住自身には忘却して存在しないが、他人に記憶されている香住の記憶はどれだけあるか知れない。」・・・と。

 人の記憶ほど奇怪で怖ろしいものはないのかも知れない。実体がないのに、それは紛れもなく「存在」するからだ。
 また、逆もあり得るだろう。実体はあるのに、まるで存在しないような記憶=過去。
 ある人との思い出を大切に慈しむ私のことを、当の相手はまるきり忘却しているということ、あるいは忌まわしい記憶として消し去っているというようなことが・・・。

 それはそれで、哀しい私の記憶となっていつまでも生き続ける。

挑発する建築家

2009-02-26 | 読書
 「建築家 安藤忠雄」は勇気づけられる本だ。 
 私はこの本を2冊買った。1冊は自分のため、もう1冊は私が心の底から応援しているある人へのプレゼントとして。
 タイトルどおり建築家の安藤忠雄による自伝であるが、凡百のビジネス本や自己啓発本より何倍も心に沁みる。

  人を育て、組織を動かすとはどういうことか
  独りで学ぶとはどういうことか
  建築とは何か、アートとは何か
  ものを創るとは、挑戦するとはどういうことか

 これらについて、この本は読む者を挑発し、鼓舞し、力を与えてくれる。

 「彫刻家や画家といったアーティストと、建築家との違いは何か。
 その一つは、建築家は活動のための組織を持たなければならないという点だ。
 仕事の規模が大きくなり、手がける数も増えてくると、能力的にも社会的にも、ある程度の組織力がないと立ちゆかなくなってしまう。
 しかし、組織は肥大化する。建築家個人が組織に飲み込まれるようになっては、その建築家は終わりだ。」

 アーティストの中には、劇団や映画のように組織も資金もなければ成り立たない分野で活動する人もある。そうした人にとっては、その表現にとって必要なあるべき組織の規模やマネジメントは重要な要素である。
 その組織を力として駆使するか、呑み込まれてしまうのか、最後に残るのは表現者として独り立つという覚悟なのかも知れない。

 恐怖感で教育するとも言われる安藤忠雄だが、人を育てることについては独特の優しい視点を持っているようにも思える。

 「われわれは、一人の指揮官と、その命に従う兵隊からなる「軍隊」ではない。共通の理想をかかげ、信念と責務を持った個人が、我が身を賭して生きる「ゲリラ」の集まりである。
 自分で状況を判断し、道筋を定め、試行錯誤しながら前に進んでいく、一人ひとりが責任を果たす覚悟をもてる、そんな力強い個の集まりでありたい。」
「人の真似をするな! 新しいことをやれ! すべてのものから自由であれ!」

 この本の表参道ヒルズのプロジェクトや直島の地中美術館建設の項を読みながら、その仕事に関わった人々が、安藤忠雄を中心として、妥協によって調和するのではなく、挑戦しながら共生する道を模索し続け、さらなる高みへと向かおうとする姿勢に深く感動させられる。

 建築は竣工までに何年もの月日を要し、出来上がってからも、そこに住まい、生活し、行き来する人々の記憶や時間を塗りこめながら、ゆっくりと完成に向かう「作品」なのだということを改めて考えさせられる。
 かたや「演劇」は「保存」できないと言われ、私もそう言ってきたが、そうではないのだ。
 それを観た人や作品づくりに関わった人々の記憶に刻まれることでその作品は生き続け、それぞれの人生に深く根付きながらゆっくりとエンディングに向かう。
 一人ひとりの想像力によって、作品は世界中に満ち溢れ、増幅されていくのだ。
 そんな作品に出会うことができたら、どんなに幸せだろう。

寄り添うチェーホフ

2009-02-22 | 読書
 この数年、何度も何度も折りにふれて読み返しているのがチェーホフの短編小説「中二階のある家」である。
 それはたいていの場合、気力が弱った時だったり、忙しすぎて物を考える暇もないと泣き言を口にしたり、あるいはむかし愛したある人のことを思い出しては何も手につかないという時に何気なく手にするのだけれど、そんな自分にそっと寄り添って囁きかけてくれるような気のする作品なのだ。
 小説の最後、遠く離れてしまったひとのことを思い出しながら、こうして思い続けていると向こうでも自分を思い出してくれ、いつかきっと会えるのではないかという独白が胸を打つ。
 
 100年前の小説がこんなにも身近に感じられるのは何故なのか。
 郵便はもちろん、電話やメールなど、通信手段の飛躍的に発達した現代にいながら、この「相手を思いやる」という気持ちは100年前も今も変わりはない。
 いや、千年前の源氏物語の頃からだって変わりはないし、逆に言えば、小説を書くという行為の動機も手法も昔から少しも変わっていないのに違いないのだろう。

 原文を読めない私は翻訳に頼るしかないのだけれど、いま、おそらく4種類ぐらいは手にすることのできる本のなかで一番しっくりくるのは原卓也の訳かなあ。
 以下、引用して満足することにしよう。

 わたしはそろそろ、中二階のある家のことを忘れかけているが、ごくたまに、絵を描いている時や本を読んでいる時など、ふと、あの窓に映った緑色の灯とか、恋する身であったわたしが、家にかえって行きながら、寒さに手をすり合わせた、あの夜ふけの野にひびき渡ったわたしの足音などを、何とはなしに思いだすことがある。それ以上に時たまのことではあるが、孤独が胸をかみ、淋しくてならぬ時など、おぼろげに思い返しているうちに、なぜか次第に、向こうでもわたしを思い出し、待っていてくれ、そのうちにまた会えるに違いない、という気がしてくることさえある……。
 ミシュス、君は今どこにいるのだ?

8×8の宇宙を泳ぐ

2009-02-16 | 読書
 小川洋子著「猫を抱いて象と泳ぐ」を読む。昨年の夏、雑誌「文學界」に3か月にわたって連載されていた頃から単行本になるのを待ちかねていた作品である。
 「博士の愛した数式」でとてつもない感動をもたらしてくれた作者が、今度はチェスを題材に選んだのはさすがに慧眼というしかないが、思えばチェスはこれまでも多くの映画や小説を彩るものとして様々に扱われてきているのである。
 ルイス・キャロルの諸作品はもとより、エドガ―・アラン・ポー、ボルヘス、ナボコフの小説群をすぐに思い浮かべることができるが、映画ではサタジット・レイの「チェスをする人」、監督名は忘れたけれど「ボビー・フィッシャーを探して」はチェスそのものが主人公のような映画だった。
 何年か前にリメークされた映画「探偵(スルース)」でもチェスのシーンがあったような気がするし、私立探偵フィリップ・マーローにとってチェスはなくてはならない心の友だ。最近のテレビドラマでは水谷豊演じる「相棒」の杉下右京が推理の合間にチェスの駒を動かしている。
 このようにチェスは絵になりやすいのだろう。あの駒それぞれの造形は本当に見飽きることがない。私も東急ハンズに立ち寄るたびにチェスのコーナーに並んだ数々の駒を眺めてはいつもうっとりしてしまう。

 かたや将棋はどうか。まず思い浮かぶのは映画や舞台劇にもなった坂田三吉の「王将」であるが、すぐに村田英雄の歌声が聞こえて来そうでいささか湿度が高すぎる。もちろん、わが国の推理小説には将棋をテーマにしたものもあるのだが、チェスほどには広汎に愛されていないように感じるのは私の偏見か。
 私が一番好きなのは寺山修司の映画「田園に死す」のワンシーン、青森県の田んぼのただ中で、主人公が記憶の中の自分である少年と将棋を指しながら会話を交わすところである。
 そういえば、寺山修司は普通のチェスのようにキングを詰めるのではなく、クイーンを詰める、すなわち人妻を奪うと勝ちになるというチェスを考案している。
 そんなチェスがあったら私も指してみたいと思うけれど、そのゲームではクイーンを守るためにキングは犠牲になるのだから、終盤、双方のキングが死んでしまった場合、相手の人妻を寝取るのはクイーンということになる。話がややこしくなるのではないだろうかなどといらぬことを考えてしまう。

 さて、「猫を抱いて象と泳ぐ」だが、美しい寓話のような小説である。11歳の身体のまま成長することをやめ、チェス人形「リトル・アリョーヒン」の中に身を潜めて詩のような棋譜を残し、盤上の詩人と評された実在のグランドマスター、アレクサンドル・アリョーヒンにちなみ、「盤下の詩人」と呼ばれるようになった少年の話である。
 具体的な地名も人名も出てこない抽象性の高い作品だから、読後の感動も結晶の純度が高くなる。それを詩的な傑作と評価するか、物足りないと感じるか、どう捉えるかは読む人それぞれの個性であり、特権でもあるだろう。

にしすがも大都映画撮影所

2009-01-25 | 読書
 集英社新書の今月の新刊、本庄慧一郎著「幻のB級!大都映画がゆく」を読んだ。
 大都映画は、昭和2年に土建業界の雄といわれた河合徳三郎によって設立された映画配給会社河合商会、同年、映画製作会社として発足した河合映画会社にはじまり、昭和8年、大都映画へと発展拡充して改名、昭和17年に国策によって日活、新興と合併を余儀なくされ大映となるまで、1200本以上の映画作品を量産した映画会社である。
 とはいえ、今では日本映画の研究書でもその詳細は語られることがなく、当時先行のメジャー会社や関係業界からは常に「B級三流」というレッテルを貼られ、空襲による火災などでフィルムが散逸し、今ではごく一部の作品しか見ることができないのだが、徹底した大衆娯楽路線によって当時のつましく貧しい庶民からは絶大な支持を得て活況を呈していたと言われる。
 著者の本庄氏は、母方の叔父4人が大都映画で脚本家、カメラマン、助監督を務めていた縁があるとのことで、平成18年11月22日から12月6日まで、東京・恵比寿でテアトル・エコーが上演した「大都映画撮影所物語」の作者でもある。
 
 本庄氏が「拙著は、日本映画史上の傑物である河合徳三郎へのオマージュである」と書いているように、本書の半分近くがこの魅力的な人物についてのエピソードに満ちている。
 この人物のことをこれまで知らなかったことが残念だが、下級武士の子として生まれ育った河合徳三郎が青雲の志を抱いて名古屋から新天地をめざして旅立ったのが14、5歳の頃。過酷なもっこ担ぎという土木の現場仕事から這い上がり、30歳の頃には河合組を興し頭領となって独立している。
 やがて、右翼の大立者頭山満らを顧問に迎え「大日本国粋会」の組織化に活躍、その後、同会を離脱すると今度は「大和民労会」を組織化、労使協調を唱導して労働社会大学を創設したり、無産階級のための慈善病院を建設する一方、民権新聞社の社主として活動しながら、貧しい人たちのために毎日300人分の炊き出しを行っている。
 そうした活動や事業が関東大震災によって灰燼に帰したのちも、震災後の建築ブームに乗ってたちまち蘇生、その勢いで直営の映画館を何件も確保したことが映画製作にのめり込んで行くきっかけとなるのである。
 後藤新平の知遇も得て、東京府会議員を2期8年務め上げたという経歴も彼の人生の振幅の大きさを示しているが、反面裏世界とも通じ、全身に彫り物があったという話や、いつも護身用の十手を離さなかったということ、撮影所内に愛人の家を作って住まわせていたり、自分の娘たちを何人も自身の作る映画の看板スター女優に仕立て上げているエピソードなど興趣は尽きない。
 河合徳三郎は昭和12年12月3日、67歳でその人生の幕を下ろすことになったが、自己資金、健全経営を貫き、大衆娯楽に徹するという信念によって映画界を席巻したその生き様は昭和史のなかでもっと語られるべきではないかと思う。

 さて、この本には大都映画を彩った女優や男優、監督たちの姿が当時のスチール写真とともに紹介されていて楽しいが、なかでも私にとって忘れられないのが当時の少年たちの憧れのスター、アクションヒーローのハヤフサヒデトである。
 
 大都映画巣鴨撮影所の跡地はその後豊島区立の中学校となり、そこが閉校となってからは学校跡施設をそのまま転用した芸術創造拠点「にしすがも創造舎」としてNPO法人によって運営されている。
 以下、本書にも記述されているが、平成17年2月5日、「にしすがも創造舎」で活動するNPO法人「芸術家と子どもたち」が企画したプロジェクトとして、現代美術家の岩井成昭氏が子どもたちとともにハヤフサヒデトの後を追い、資料を調べたり、当時の様子を知る地元のお年寄りや関係者にインタビューしたりする過程を作品にしたドキュメンタリー映画が上映された。
 当日は、大都映画制作のハヤフサヒデト作品として唯一フィルムが残っている「争闘阿修羅街」(監督・主演ハヤフサヒデト。昭和13年作品)も同時上映され、会場は往年のファンばかりか、多くの若者も詰め掛けて超満員となった。
 私も当日会場でその場に立ち会っていたのだが、撮影所跡地という場のDNAが立ち上がってくるような稀有な瞬間を目撃しているのだと興奮したものだ。
 
 そんな瞬間のことも併せて思い出す楽しく貴重な時間を本書は与えてくれた。

寡黙なる巨人と潜水服の夢

2009-01-18 | 読書
 多田富雄著「寡黙なる巨人」を読む。2年前の7月に刊行され、昨年小林秀雄賞を受賞した話題の著作であり、すでにネット上でも多くの論評を読むことができる。半歩遅れどころではない10歩遅れくらいの読書なのだが。
 世界的免疫学者の多田氏が2001年5月、突然旅先で脳梗塞の発作に見舞われ、死線をさまよった後、3日目によみがえる。気がつくと右半身が完全に麻痺し、重度の構音障害で言葉も一切しゃべれなくなっていた。嚥下機能も侵され、食事ばかりか水も飲めない状態である。まさにカフカの「変身」の主人公グレーゴル・ザムザのように一夜明けたら自分がまったく別のものに生まれ変わっていたのだ。
 自死を願うような深い絶望の時期を経て、苦しいリハビリを繰り返しながら、左手でパソコンを打つことを覚え、綴ったのがこの本に収められている文章である。
 多田氏は「リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが、私は生命力の回復、生きる実感の回復だと思う。」と言い、「病という抵抗のおかげで、何かを達成したときの喜びはたとえようのないものである。初めて一歩歩けたときは、涙が止まらなかったし、初めて左手でワープロを一字一字打って、エッセイを一篇書き上げたときも喜びで体が震えた。」と書き綴る。
 そうしたなかで、自分自身のなかに何か新しいもの、無限の可能性を秘めたものが生まれ、胎動するのを感じる。それは縛られたまま沈黙している、寡黙なる巨人であった。
 多田氏はそうした状況のなかで、能楽をはじめとする芸術文化への深い理解と教養に裏づけられた数々の文章を書く。さらには行財政改革のもと、厚生労働省によって診療報酬が改定され、リハビリを必要とする多くの患者が見捨てられようとしている現実に対して積極的にコミットし、抗議の声を上げる。
 まさに、怒り、そしてのた打ち回りながらも戦う巨人である。その姿は深い感動を呼び、私たちにも生きることの意味を問い掛ける。

 この本を読みながら思い出したのが、ジュリアン・シュナ―ベル監督の映画「潜水服は蝶の夢を見る」である。
 こちらも実話であるが、有名なファッション誌ELLEの編集長だった主人公が脳卒中に倒れ、昏睡状態から目覚めた時には身動き一つできない体になっていた。動かせるのは左瞼だけである。
 潜水服とは深海に潜る時の固い鉄でできた鎧状の服で、身動きのできない主人公の病状を言い表わしているのだが、唯一世界との交信手段となった左瞼を使った合図をもとに、女性編集者の力を借りながら、気の遠くなるような作業をとおして彼は自伝を綴っていく。

 寡黙なる巨人と潜水服、そのどちらも想像力の素晴らしさや、表現することが生きることであるということを切実な状況のなかで私たちに教えてくれる力強い作品だ。

友達の輪と国家

2008-12-29 | 読書
 一昨日、年に二度三度会うばかりの親しい友人たち三人と忘年会に集まった。みな二十歳そこそこであった頃から直接間接の付き合いが今に至っているのは稀有なこととして素直にいとおしいと感じられる歳となっている。
 若い頃は誰もが自分は天才と思い、独立不羈と唯我独尊を謳歌して憚らなかったものだが、そんな片意地というか大きな勘違いも若気の至りと笑って振り返るこの頃である。そうはいっても煩悩からはなかなか脱せられないのだけれど。
 さて三畳ほどの狭い飲み屋の座敷で酒を飲み交わし、濃密な時間を過ごしていると、こうした小さなコミュニティの延長に国家というものがあることをつい忘れてしまう。

  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 こんな寺山修司の歌を思い出したりするけれど、小さな友達の輪、もう少し大きく考えれば趣味のサークルやプロジェクトの集団、会社や地域コミュニティ、自治体など、そうしたものから国家レベルへと想像力を広げることが実はいまこそ求められているのかも知れない。
 今日付の毎日新聞に政策研究大学院准教授の岩間陽子氏が、米国のブッシュ大統領が任期の最後に訪問したイラクでの記者会見で靴を投げつけられた例の「事件」について書いているが、まさに、ブッシュ大統領が身軽によけて見せたその靴が、後ろにいたはずの日本の顔面に命中していたかも知れないのだ。戦争は飲み屋の片隅でくだを巻くおやじたちの薄くなった後頭部のすぐそこに迫っている。

 そんなことを考えたのは、忘年会に向かう電車のなかで、作家で起訴休職外務事務官の佐藤優氏の著作「国家と神とマルクス」を読んだせいだろうか。これは2007年に刊行された単行本の文庫版であるが、佐藤氏は文庫化された今年10月時点での考え方をそれぞれの文章のあとに付記している。佐藤氏の旺盛な仕事は、いまの世の中で私たちが考えなければならない物事の指針を与えてくれる重要なものだ。ついでに言えば、書店に平積みになっている凡百のビジネス書よりも仕事に役立つ実用的なものだと思う。
 さて、この本に収められている書評のなかで佐藤氏は、宇野弘蔵は「資本論」が想定する純粋の資本主義社会では、資本家、労働者、土地所有者の三大階級しか存在しないと考えたが、これに対し、柄谷行人が「近代文学の終わり」で、マルクスは一つの階級を見落としている、それは税を徴収し、再分配する階級、すなわち官僚機構であり、第四の階級としての官僚を含めるべきであると指摘していることを紹介している。
 ちなみにこうした階級論において、役者や芸術家というものがどういった位置づけにあるのか、というのが私の目下の関心事なのだが、「資本論」的にはやはり「労働者」ということになるのだろうか。
 このあたりになると私の考えは朦朧としてただの酔っ払いのたわごとに過ぎなくなるが、世の芸術家には、このように秩序立てられた階級社会や価値観を攪拌してリセットする働きや役割があるように思えてならないのだ。それは階級の埒外に放逐された存在かも知れないのだけれど・・・。

現代語訳「源氏物語」

2008-12-07 | 読書
 今年は源氏物語の千年紀とのことで、さまざまな催しが各地で行われている。ブームとも言えるムーブメントである。だからというわけではないのだが、今、少しずつ物語を読み進めているところである。
 とは言っても、現代語訳なのだが。もちろん原文で読むにこしたことはないのだけれど、やはり骨が折れる。あの主語が省略され、独特の敬語や言い回しに満ちた古文はなかなか歯の立つものではない。
 それにしても、これまで実に多くの人たちが現代語訳に挑んできた。与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴、そして最近では大塚ひかり・・・、そのすべてがいま文庫で読める環境にあるというのが実に素晴らしい。これは世界に誇るべき日本の文化的状況ではないだろうか。
 ちなみに私が読んでいるのは円地訳である。いろいろ読み比べた結果、文体的にはこれが一番自分には合っていると思えるのだ。かつて昭和40年代に文庫化された円地訳だが、しばらく絶版になっていた。それが今年になり、活字も大きくなって復刊されたのは喜ばしいことだった。
 そのことをT公論の元編集長で私が私淑するK先生に申し上げたところ、「円地訳が一番好きというのは初めて聞いたなあ。でも、あの人は大変な人だったよ」と笑っていたけれど・・・。
 円地訳には、実は原文にないものがたくさん書き込まれているというのは有名な話だが、それでは瀬戸内訳がどうかというと、うーんとうならざるを得ないのではないか。
 少し読み比べてみると、たとえば―――
 「夕顔」の巻で、光源氏が六条御息所のところに泊まった翌朝、世が明ける前に帰る場面である。
 「・・・霧のいと深き朝、いたく、そそのかされ給いて、ねぶたげなる気色に、うち歎きつつ、いでたまふを、中将の御許、御格子一間あげて、「見たてまつり送り給へ」とおぼしく、御几帳ひきやりたれば、御髪もたげて、見いだし給へり。前栽の、色々乱れたるを、過ぎがてに、やすらひ給へるさま、げに類なし。・・・」

 これが円地文子訳では次のように描かれる。
 「・・・霧の深くたちこめた朝、源氏の君は度々起こされて後に、まだねむたそうなご様子で、何やら溜息をつきながら、簀子にお立ち出でになった。
 中将の君という女房が、御格子を一間だけ押し上げて、お見送り遊ばせという心組みらしく、御几帳も少しずらしたので、女君は静かに身を起こして外の方へ眼を向けられた。枕元の御髪筥にうずたかくたたなわっていた黒髪が、女君の起き直ってゆかれるのにつれて音もなくゆるゆると背を伝い上がってゆき、やがて黒漆の滝のように背中一面に流れた。
前栽にさまざまの秋草の花が咲き乱れているのを、見過ごしにくく、佇んでいられる光る君の御様子は、ほんとうに、世人のもてはやす通り類なく美しくあでやかにお見えになる。・・・」

 瀬戸内寂聴訳では次のようになる。
 「・・・霧がたいそう深い朝のことでした。昨夜は久々に、源氏の君と六条の御息所はこまやかな愛の一夜を共になさいました。御息所はしきりに早くお帰りになるよう源氏の君をおせかしになります。
 昨夜のはげしい愛の疲れに、源氏の君は、まだ眠たそうなお顔のまま、溜め息をつきながらお部屋からお出ましになりました。女房の中将の君が、御格子を一間ひき上げて、御息所にお見送りなさいませというように、御几帳をずらせました。女君は御帳台の中からまだ身も心も甘いけだるさにたゆたいながら、ようやく頭を持ち上げて、外を御覧になりました。
 庭先の草花が色とりどりに咲き乱れているのにお目をとめられ、美しさに惹かれて、縁側にたたずんでいらっしゃる源氏の君のお姿は、この上もなくお美しく、惚れ惚れいたします。・・・」

 大胆にセックスを想起させる描写を入れ込んでいる点で、どちらもどっちという感じではないかなあと私には思えるのだが・・・。

 ちなみに、円地訳の「源氏物語」には、原文になかった文章があると言われることに、円地自身十分意識的だったようで、そのことを瀬戸内寂聴が訊ねると、「わたしは『源氏』をそのまま訳したのではありません。強姦してやりました」と言ったというエピソードがある。
 また、川端康成は「『円地源氏』は、円地さんの小説です。創作ですよ」と評したそうだが、その川端が「源氏物語」の訳に取り組むという噂が円地文子の耳に入ったときのこと、
 「川端さんが『源氏』をはじめるんですって」と怖い顔でいう。「絶対にできるわけありません。あなた見ているでしょう、『源氏』を訳するのがどんなに大変か」
 と、新潮文庫「源氏物語一」の解説で瀬戸内寂聴が書いている。
 また、この同じ場面が、「源氏物語六」の林真理子の解説では、次のように表されている。
 「それだけではない。川端康成氏が源氏物語の現代語訳に意欲を見せていると聞き、円地氏は瀬戸内先生にこう言いはなったという。ノーベル賞をもらって、ちやほやされている人に、源氏の訳などが出来るはずはない!」

 実に面白い。げに恐ろしきは女の執念、いやいやそれなくして源氏訳は達成できない難事業だったのだろうなあ。