ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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建国記念の日 日本はまだ道半ば

2018-02-11 15:20:58 | 日記
今日2月11日は、建国記念の日。

この日付が祝日となるには複雑な経緯があり、国家のあり方を考えさせられる日です。
そこで私も、ちょっとスケールの大きい話を書きましょう。
そもそも日本は本当に建国されているといえるのか……あえて、そんな挑発的な問いを投げかけてみたいと思います。

私のかねてからの主張である、“まっとうな多党制”という観点から見たとき、日本という国はまだまっとうな国として成立していないのではないか……そういう問いです。

実際のところ、日本では、明治維新以来まともに政党政治が行われたことは一度もないでしょう。

明治時代はいうにおよばず、一時的に政党政治が行われたとされる時代であっても、それはきわめて不徹底なものでした。そして、昭和に入ってからは、それさえ完全に崩壊してしまいました。
戦後になっても、いわゆる55年体制ができてからは、実質的には与党になりうるのは自民党のみで、その自民党内の派閥による擬似政権交代のようなかたちでバランスをとるといういびつなスタイルでした。政権交代と呼びうる現象もありましたが、結局それらは一時的なイレギュラーにすぎませんでした。自民党以外の勢力で過半数を構成するには基本的な考え方の違う諸勢力を寄せ集めるしかなく、当然のごとく内部から自壊してしまいました。

いまの状況は、いわゆる55年体制の時代よりもひどくなっているようにみえます。
小選挙区制の導入によって派閥の力が弱まり、今では自民党内の擬似政権交代も起こらなくなっています。結果、きわめて風通しの悪い一党独裁状態が生まれているのではないでしょうか。

こうした歴史を振り返ってみるとき、「政権交代がふつうに起こりうるまっとうな政党政治を確立する」というのは、日本人に課せられた宿題であり続けていると思うのです。

それができないうちは、日本という国は真に建国したとはいえないんじゃないか……そんな気がしています。

パット・トーピー死去

2018-02-09 15:52:06 | 音楽批評
Mr.Big のドラム、パット・トーピーさんが亡くなりました。

パーキンソン病を患っていて闘病生活を続けていましたが、その合併症ということのようです。

パーキンソン病は手足に震えが出る病気で、ドラマーにとってはかなり致命的な病です。
しかし、Mr.Big はドラマーを変えようとはしませんでした。演奏中にスティックを落としてしまったりすることもあったようですが、それでも彼は最期までMr.Big のドラマーであり続けたのです。

Mr.Big といえば、思い出すのは東日本大震災のときのことですね。

あの震災と福島の事故とで、訪日を予定していたアーティストなどがキャンセルするという話がいくつかありました。
しかしこのとき、Mr.Bigは日本にやってきました。結果として、たしか彼らが東日本大震災後に訪日した最初のミュージシャンになったんですよね。

近年、ビッグアーティストの死去や引退という話を耳にすることは少なくありません。
軽々しく言えることでもないでしょうが、Mr.Big というバンドに最後までいられたことは、パットさんにとっても本望だったんじゃないでしょうか。

Paul Simon,The Boxer

2018-02-07 17:13:44 | 音楽批評
以前、エルトン・ジョンがツアー活動を引退という記事を書きましたが、また似たような話を耳にしました。

ポール・サイモンがフェアウェルツアーを行っているというのです。

あの、サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンです。今年フェアウェルツアーを行い、エルトン・ジョンと同様、今後ツアー活動は行わないということです。
時代ということなんでしょうね。
レジェンドたちも、もうツアーはしんどい年齢になりつつあるということでしょう。

というわけで、今回はポール・サイモンの歌として、「ボクサー」という曲を紹介したいと思います。
厳密にいえば、サイモン&ガーファンクルの曲ですが、ポール・サイモンもソロで歌っています。

「ボクサー」は、都会に出た若者が、厳しい暮らしに打ちのめされる姿を描いた歌です。


  開拓地に、ボクサーは立つ
  彼は闘う男
  彼を打ち倒し 切り刻んだグローブの
  記憶を抱え
  怒りと恥辱にまみれ
  何度も逃げだしそうになる
  しかし闘士は それでもまだ
  とどまり続けている


ボクサーというのは、倒されても倒されてもまた立ち上がる、そういう存在としてよく描かれます。 
『あしたのジョー』なんかまさにそうですが、この歌でも、ボクサーはそんなふうに描かれています。世間の冷たい風にさらされ、ホームレス同然の身になり、それでも決して逃げ出そうとはしない。そこにとどまって闘い続ける……そういう強い意志が感じられる名曲です。
アコースティックではじまりますが、終盤はストリングスが入ってきたりして盛り上がります。教会で録音したそうですが、この荘厳な雰囲気のなかで「ライラライ……」というリフレインが、悲壮に、力強く響きます。打ちのめされても、倒れそうになっても、何度でも立ち上がる……「ボクサー」は、そんな力を与えくれる歌なのです。

名護市長選にみる日本社会の状況

2018-02-05 16:31:03 | 時事
昨日、沖縄の名護市で市長選がありました。

健全な多党制が必要だという平素からの私の主張からみれば、残念な結果となりました。
しかしながら、選挙の結果は結果としてひとまずは認めなければいけません。
そこで今回は、この結果を踏まえて、思うところをっ書いてみよう思います。


どうも、この十数年ぐらいの世の中を見ていると、日本社会がなにか決壊しつつあるのではないかというような気がします。
政治・社会・経済……と、いろんな面でそうなんです。

ここで名曲を一曲。

レッド・ツェッペリンのLevee's Gonna Break です。
オリジナルはメンフィス・ミニーという人で、ボブ・ディランなんかもカバーしている歌ですが、そこにこんな歌詞があります。


  このまま雨が降り続ければ 堤防は決壊するだろう
  このまま雨が降り続ければ 堤防は決壊するだろう
   堤防が決壊しちまえば、どこにも居場所はないんだ


なんだか、ずっとこんな感じがしています。
レディオヘッドのトム・ヨークも、だいぶ前の話ですが、洪水のイメージについて語っていました。そういう漠然とした不安を、多くの人が持っているのではないでしょうか。

では、その洪水とはなんなのか。
私は、ネガティブ・フィードバックの欠如ではないかと思うようになりました。

ネガティブ・フィードバックというのは、恒常性を保つために不可欠な要素です。

たとえば、風呂の温度を一定に保つシステムを考えてみましょう。
風呂の温度をある決まった温度に保つということはできません。冷めてきたら加熱して温める、温まりすぎたら加熱を止めて冷やす……この繰り返しで、設定温度プラスマイナス一、二度ぐらいの範囲におさまるようにします。
この、「熱くなりすぎたら冷ます」、「冷めすぎたら温める」というのがネガティブ・フィードバックです。プラスにはマイナス、マイナスにはプラスという逆の反応をすることで、一定の温度を維持する仕組みです。

生物の体にも、この仕組みがそなわっています。
体温が上がりすぎたら汗を出して冷やす、体温が低下したら体を震えさせて熱を発生させる。そうして、一定の体温を保とうとします。そうしないと、体が過熱するか、逆に低体温になって生命の危機に陥ります。

さて……このたとえで考えたとき、いまの社会はどうなのか。
「過熱してきたときに冷ます」という回路が致命的に欠けているように思えてなりません。プラスにプラスの反応でこたえるばかりで、ひたすら過熱していっているように見えます。これは、社会を一個の生命と見立てたとき、非常に危険な状態といわなければなりません。

政治の世界にも、本来ネガティブ・フィードバックは働いてしかるべきです。

ある方向に進みすぎたら、「これはまずいんじゃないか」「行き過ぎなんじゃないか」と考える有権者が増え、別の考え方を持つ政党への支持が増えてくる……そんなふうにしてバランスをとっていくのがあるべき姿だと思います。
ところが、いまの日本ではそうならない。このことが、暴走を引き起こしているように思えるのです。このオーバーヒートが、いずれ“決壊”を引き起こしてしまうのではないか……そんな気がします。

ここで、私の平素の主張に戻ってきます。
やはり、まっとうな多党制が必要なんです。
かつては、自民党の党内の派閥が擬似政党のように機能し、擬似政権交代のようなことをしていましたが、いまはもうそういうことはほとんど期待できなくなっています。それに、事実上の一党独裁で党内の擬似政権交代に任せるというのは、やはり健全とはいえません。そのようなあり方が、政治のことは政治家におまかせしておけばいいという政治風土を作ってきた側面があると思いますが、それではダメなんです。

ここでもう一度、Levee's Gonna Break の一節を引用しましょう。


  泣き叫んだところでなんの助けにもならない
  祈ったって意味はない
  堤防が決壊しちまえば ここにはいられないんだ

まさにこれです。
おまかせ政治の先には暗い未来しかありません。
誰かがなんとかしてくれるだろうと思ってちゃいけません。誰も助けてはくれません。堤防の決壊を防ぐためには、きちんとバランス感覚を働かせなければならないのです。手遅れになる前に……

“超隠し玉”発売から半年

2018-02-04 15:04:35 | 小説
時の経つのは早いもので、拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』を含む『このミス』大賞“超隠し玉”も、刊行から半年が過ぎました。

これまでも、だいたい毎月4日には「発売から〇か月」といったことをツイッターでつぶやいてきましたが、せっかく半年という節目なので、もう少し大きな声でなにかいっておきたいと思います。
……まあ、そうはいっても、結局「ぜひ読んでください」というようなことしかいえないわけなんですが。

ともかく、このブログで使用可能な最大のフォントで、もう一度申し上げておきます。


ぜひ読んでください!