ロック探偵のMY GENERATION

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コロコロコミック販売中止……からみえる、PCの地平

2018-03-07 17:32:55 | 時事
コロコロコミック3月号が販売中止となりました。

チンギス・ハンに対する侮辱的な描写があったということで、抗議を受け、販売中止に踏み切ったということです。

私の個人的な意見としては、正直なところ、これはちょっと過剰な対応ではないかと思えます。
現在も生きている人の話ならいざ知らず、歴史上の、しかも何百年も前の人のことで、そこまでの配慮が必要なんでしょうか。その基準でいったらアウトになってしまうものが他にもいっぱいでてくるんじゃないかと。
まあ、コロコロコミックの販売中止は、ことさらに自分の立場を押し通すほどのことでもないという“大人の判断”ともいえるかもしれませんが……

最近、こうしたことが多いように思えます。

たとえば、アメリカ大リーグのインディアンスというチームが、ロゴマークを廃止するという話がありました。
インディアンスは、“インディアン”すなわちアメリカ先住民をチーム名としていて、その先住民の酋長をモチーフにしたロゴマークを長年使用してきました。しかしこれは先住民に対する差別ではないのかという声があって、廃止に踏み切ったということです。

日本では、昨年、有名お笑い芸人が番組内で顔の黒塗りという演出をして、差別的だという批判を受けました。海外からは、かなり厳しい批判も出ていたようです。

これは難しい問題です。

アメリカ先住民やアフリカ系の人たちがたどってきた歴史を考えれば、差別的という批判も聞き流すわけにはいきません。
しかし、当事者に差別という意識があるかといわれれば、そうではないだろうということもあります。

ただ、こうした“配慮”が近年いささか過剰になりすぎているのではないかという気も私はしています。そして、それが社会における悪い形でのリアクションを誘発しているようにも思えるのです。

いわゆる「ポリティカリー・コレクト」のコードが社会に埋まっている“地雷”のように感じられ、窮屈に思っている人がおそらく相当います。何の気なしの言動が差別やハラスメントと糾弾され、「え? これもだめなの?」というわけです。そしてその窮屈さへの反動で、差別やハラスメントを規定するあらゆるコードに対して「面倒くさい」と全否定する立場に立ってしまう人が出てきているんじゃないか……という気がするのです。
この人たちは、「差別だなんだと難癖をつけるやつはうっとうしい」と考えていています。そのために、批判を意に介さず、堂々と差別的な言動を繰り返します。いうなれば、“反・反差別”です。
反差別への反発……否定の否定は肯定ですから、この立場をとった人は、積極的に差別を行うようになります。
日本におけるそのもっともわかりやすい例は、在日コリアンへの差別でしょう。
在日コリアンへの差別的言動があからさまになされるようになったのは、この十数年ほどのことだと思いますが、その背景には、先述したような構図があるのではないでしょうか。
世の中が、少数派に対する“配慮”をいろんな点でもとめるようになった。そのことへの反動で、そうした“配慮”を根本から否定する人が増えてきた。その結果、それまで抑えられてきた差別意識が表出するようになった……
こんなふうに考えると、たとえば女性専用車両に反対する団体の活動なんかも同じベクトル上にあるように思えます。
また、世界レベルで考えると、そうした“反・反差別”がもっとも大規模に表出したのが、アメリカのトランプ大統領でしょう。トランプ大統領は「この国には公明正大なバカが多すぎる」といいましたが、これはまさに、PC否定宣言です。その考え方に、“反・反差別”主義者が同調した。その結果、宗教や人種、性別といったあらゆる差別が噴出してきているのが、今のアメリカです。

そんなふうに考えると、みようによっては「マイノリティへの配慮をもとめる社会」の進展が、逆に、これまで一定程度抑え込まれていた差別を解放する働きをしたともとれます。

誤解のないようにいっておきますが、もちろん私は差別を肯定するつもりはありません。

ただ、差別を批判するにも、いたずらな糾弾調はかえって逆効果になりかねないということを意識して、そうした態度は避けた方がいいのではないか……という話でした。


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2 コメント

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Unknown (A. Hara)
2018-03-23 21:35:29
触れづらい問題に…実にギリギリに言及しましたね。
正直この問題はモンゴルの人々の気持ちもわかるし、
日本の漫画家さんの気持ち(その世界でのテンション?)も理解でき、なんとも言えない気持ちです。
ただその二者の周りを取り囲むマスコミの態度は「過剰」と言う点で賛成です。
こう言っちまうと、短絡的ですが
マスコミは火に油を注いで、燃え盛る様で飯を食ってるとしか思えない。彼らは、本質がどこに帰着するかという点は、問題視していないように思えます。そして、この事を我々は十分に承知しておくべきでしょう。
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いつもありがとうございます (村上暢)
2018-03-24 04:06:17
いつも貴重なご意見をありがとうございます。
マスコミが火に油を注いでいるという側面はたしかにあると思います。
しかし私は、そこは方向性の問題だと思います。
本当に社会にとって重大な問題であるなら、騒ぎたてて「こんなたいへんなことになってるぞ」というのはマスコミの仕事だと思うんです。
今のメディアの問題点は、本当に騒ぐべきことに騒がずに、日がな相撲の話ばかりをとりあげたりすることにあるんじゃないでしょうか。
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