39の県で、緊急事態宣言が解除されることになりました。
今回解除される中には、私の住む福岡県も入っています。
福岡は、一時かなりの勢いで感染確認数が増えてたんですが、最近はかなりおさまってきていました。再拡大の懸念はありますが、いつまでもいまの状態を続けているわけにもいかないので、段階的に社会活動を再開していくことは必要でしょう。
ただそこで、これまで検査が抑制されてきたことが問題になります。
日本では新型コロナの検査数が少ないということがたびたび指摘されていて、検査数が半ば意図的に抑制されているということは、もうほぼ公然と認められている事実でしょう。検査数を増やして軽症者まで網にかけてしまうと医療機関が対処しきれずに医療崩壊を起こすからだ……というのが、検査抑制を正当化する論拠でした。
しかし、そうなると、判断の指標にするべき数字があてにならないという問題が出てきます。
感染の現状をとらえたり、ある対策の効果を評価したり、今後の方針を決定したりするときには、感染確認数の数字をもとに計算した指標を使うことになるわけですが、そのもとになる数字がそもそも偽りの数字だということが最初からわかってるわけです。これはかなり致命的なことじゃないでしょうか。
検査を拡大するべきか、抑制していたほうがいいのか――というのは、ツイッターなんかでさんざん議論になっていましたが、事態がこう進展してくると、検査抑制の方針が誤りだったことはあきらかだと思います。
この考え方は、クラスター対策に重点を置くやり方とセットになっていたと思うんですが、クラスター対策というやり方は結局失敗に終わったわけです。失敗に終わったがために、現状でとりうるもっともハードな対策をとらなければならなくなったのが、この一か月ほどの緊急事態宣言です。点と線だけを追うという考え方が実質的に破たんし、感染を面で追わなければならなくなった。そうなると、これまで検査を抑制してきたことが大きな問題になります。考え方を転換しても、もう今さら感染を面でとらえることは不可能になってしまっているのです。結果、いつわりの数字をもとにして現状を分析し、対策をたてなければならなくなりました。真っ暗な洞窟の中を、ペンライトだけを頼りにして進んでいくようなものです。
そしてもっとも問題なのは、収束時期のとらえようもなくなったことです。
国内問題としてだけならまだしも、人の行き来を考えると、国際的な問題も考えなければなりません。
もとになる数字がまったくあてにならないなかで「収束しました」といっても、海外の国々はそれを信用してくれるのか。海外の観光客は戻ってくるのか、オリンピックなんてやれるのか……そういったことを考えると、緊急事態宣言解除といっても、手放しで喜ぶことはできません。むしろ、この国におけるコロナ禍の影響は、これからさらに深刻になっていくのではないかと懸念されるのです。