ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

美輪明宏『ヨイトマケの唄』

2021-07-22 21:50:39 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

このカテゴリーでは、寺山修司ゆかりのアーティストというのをやってきましたが……それもいよいよ、今回で最後となります。

トリをかざるのは――美輪明宏さんです。

その風格はまさに、大トリにふさわしい人物といえるでしょう。
そして、大物というばかりでなく、実はこれまでに登場した誰よりも美輪さんは寺山修司と深いゆかりがあります。

というのも、美輪明宏さんは寺山作品の舞台に役者として立ったことがあるのです。
しかも、端役やゲスト的な扱いではなく、主演級として……

(※この記事に書いた内容のほとんどは「丸山明宏」名義で活動していた時期にあたりますが、煩雑を避けるため、基本的には「美輪明宏」と表記します)

発端は、天井桟敷を立ち上げる前にさかのぼります。
寺山の妻だった女優の九条映子(九條今日子)さんが美輪さんの知人で、その縁で寺山のほうからオファーしたそうです。
それもひとつの伏線となって、後に天井桟敷で上演した『毛皮のマリー』でも美輪さんは主演をつとめています。
そしてその演技を目にした三島由紀夫が、自身が舞台化した『黒蜥蜴』の主演に抜擢……というふうになっていくわけです。
一応注釈をつけておくと、『黒蜥蜴』の原作は、わが敬愛する江戸川乱歩の小説。乱歩作品のなかでも、妖艶、耽美という点では一二を争う快作です。その妖艶、耽美の源泉であるのが、明智小五郎の敵役として登場する女傑・黒蜥蜴で、常人には演じられないこの役を、三島由紀夫は丸山明宏にオファーしました。
さらに注釈をつけると、この二人はかねてから面識があったのですが、三島が知っていたのはあくまでも歌手としての丸山明宏であり、たまたま『毛皮のマリー』を観たことで、その役者としての異才を発見したということのようです。
「黒蜥蜴は君自身じゃないか」と、三島はいったといいます。
「耽美主義者のために世間の秩序からはみ出した女だろう。君の生き方はあまりにも黒蜥蜴に似ているよ」……

同性愛者であることを公言して表舞台から締め出されたという経歴は、たしかにそういうことでしょう。「僕」という一人称を用いる女傑・黒蜥蜴――性別としては逆になりますが、世界を相手にして戦う黒蜥蜴の姿は、たしかに美輪明宏という人に重ね合わせられるかもしれません。



さて、その美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」です。

美輪明宏といえば本来はフランスのシャンソンをホームグラウンドにしている歌手であり、泥まみれ汗まみれで働く労働者を歌った「ヨイトマケの唄」は、イメージとしてその対極にあるようにも思われます。

しかし、これこそ、美輪明宏というアーティストが見出した方法論の、一つの到達点なのです。

「メケメケ」のヒットで“シスターボーイ”として一世を風靡したものの、同性愛者への偏見がいまよりもはるかに強かった時代に同性愛を公言したことで、表舞台からはじき出され……そうして、ドサ回りのようなことをやっていた時期が美輪さんにはあります。
そんなとき、一つの転機となったのが、筑豊の炭鉱町での体験でした。
エネルギー革命で衰亡していく石炭産業。そこで呻吟する炭鉱労働者たちの姿……彼らのための歌がなければならない。これが、美輪さんの創作に大きな影響を与えるのです。戦争を、そして長崎の原爆を体験したことも、詩作に反映されました。その道の先にあったのが「ヨイトマケの唄」なのです。
「父ちゃんのためならエンヤコラ」という歌い出しは発表当時においてもいささか時代遅れと受け取られたようですが、そうした皮相な見方はこの歌の真価を損なうものではありませんでした。やがて「ヨイトマケの唄」には名曲という評価が定着していき、美輪さんが表舞台にカムバックする契機ともなったのです。

名曲ゆえに、いろんなアーティストにカバーされていますが……ここでは、森山愛子さんによるカバー動画を紹介しましょう。

ヨイトマケの唄.wmv

泥臭いワークソングというよりは、桑田佳祐さんのバージョンに近いアレンジになっていますが、名曲であることは十分に伝わってくるでしょう。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:さすらい日乗さん (村上 暢)
2022-12-14 20:03:46
コメントありがとうございます。

この歌は、ドラマでも使われていたんですね。
やはり、それだけの名曲ということなんでしょう。職業差別といういわれなき批判を受けて放送禁止になっていたといいますが、その頃のテレビではまだ大丈夫だったんでしょうか……
返信する
最初に見たのは (さすらい日乗)
2022-11-01 09:31:10
この曲を歌っているのを最初に見たのは、1965年の秋、TBSテレビの『陽のあたる坂道』でした。
芦川いずみの主演で、妹役が小川知子でした。

映画での石原裕次郎の役は、新克利がやったと思う。
小川知子が、山田次郎と行くジャズ喫茶で、丸山明宏が歌っていました。
これは、シナリオが福田善之で、とても良かった記憶があり、これをやっていた連中は、後にテレビマンユニオンを作ることになります。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。