むじな@金沢よろず批評ブログ

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足で稼がない情報と解説の無意味さ--田中宇氏HP

2005-11-04 23:41:36 | 世界の政治・社会情勢
 このブログを立ち上げたばかりのときにもその情報のでたらめさを批判したことがある「田中宇の国際ニュース解説」。最近では情報リテラシーがある人たちからは、「はじめから陰謀論で結論を決めていて、それに見合う情報をテキトーにネットサーフィンして見つけだして切り貼りしているだけ」として見放されつつあるが、ところがいろんなブログを見ていると、こうやって著書もたくさんあって、10万人を超える顧客を抱える巨大ニュース解説者を盲信している人も多いので、ここで再度批判することにしたい。
 今回は10月に立て続けに2回にわたって田中氏が取り上げたシリアに関する「解説」である。

シリアの危機 2005年10月15日 http://tanakanews.com/f1015syria.htm

アメリカの機密漏洩事件とシリア 2005年10月18日 http://tanakanews.com/f1018syria.htm

 いずれも、レバノンのラフィーク・アル・ハリーリー元首相暗殺事件に関連して、国連報告書がシリア情報機関の関与を指摘したことに関連しての「解説」である。
しかし、ここにはひとつとして、自分で実際シリアなりレバノンなりフランスなり米国なりに行って独自の情報源にあたって書いたものはない。すべてがネットサーフィンでテキトーに記事を探しあてて、自分に都合よいものだけをぺたぺた貼り付けて作文しているに過ぎない。

 田中氏の解説は2001年ごろまでは面白かった。いちおう現地に行って足で稼いで見聞きした生の鼓動が伝わってきたからだ。取材力はもともとそんなにない気もしたが、やや斜にかまえた性格からか、それなりに面白い視点と情報があった。
ところが、2002年を境に、現地取材はほとんどなくなって、もっぱらネットで英文記事を検索してきて、陰謀論で固めて作文するという現在のスタイルに固定してきた。
足で稼がなくなってからもはやジャーナリストとしての感覚が鈍ってきたからか、たまに現地取材や報告があると、実につまらない。その典型は、今年3月にサウジアラビアに研究員として滞在したときの報告である。何のため現地に行ったのかわからないような退屈でパンチのない記事だった。
 ネット検索だけならまだいい。ちゃんとした裏づけがあって信頼できるマスコミをいくつか定点観測して、それを丹念に分析するだけでも、相当シャープな分析記事を書くことは可能である。たとえば、中国ウォッチでは定評があるブログ「日々是チナヲチ」()はその典型である。
 ところが、最近とみに田中氏の「解説」の質の低下が目立つ。それは信頼できるマスコミ情報ではなく、テキトーに見つけてきた個人のブログの類を引っ張ってきて、その信憑性や真偽を吟味することなく多用するようになったからである。
マスコミもすべてが信頼できるわけではないから、吟味が必要なのに、まして個人のブログとなると、匿名や筆名でやっているものだと、本当にどこまでが信頼できるのか皆目わからない。ブロガーに直接会って、その背景や経歴や人柄も知っていて、それで信頼できると判断したのなら、それはいいのだが、どうも田中氏の最近の行動パターンを見ているとそうではない。玉石混交の石や怪しげな情報をピックアップしている。これは彼一流の偏屈さと奇の衒い方かどうかわからない。ただ、これではノンフィクションではなくて、それこそフィクションである。しかも田中氏はそれほど筆がたつわけではないから、落合信彦や五島勉のように、情報そのものはうさんくさくても、とにかく筆がたつ点でごり押しするのと違って、とたんつまらないものになってしまうのである。その点は落合や五島って、内容はともかく筆力は学ぶべきものがあると思う今日この頃ではある。

 とくに今回問題にしたいのは、「シリアの危機2005年10月15日 http://tanakanews.com/f1015syria.htm である。
 この「関連記事」を見ればわかるように、
 使われているのは、英国のファイナンシャルタイムズ、ガーディアン、タイムズ、レバノンの英字紙デイリー・スター、ナハール英文版、パキスタンのジャング英文版、イスラエルのハアレツ英文版あたりが、それなりに信頼できるマスコミだが、
 レバノンの http://yalibnan.com/site/archives/2005/10/kanaans_death_w.php という身元不明のページが、その出所の背景や信頼性の説明もなく、いきなり参照されている。まあ、このサイトはレバノンの新聞をもとにして再構成したような記事が多そうだが、それでもネットの身元くらいは説明すべきだろう。
 レバノンというのは、中東アラブ語圏では唯一自由なところだが、自由だからこそそれこそ有象無象の情報もあふれている。80年代までのアジア・華語圏における香港がもっていた性質と似たようなところがある。レバノンはとくに今年2-3月の「杉革命」以降、自由度が拡大したことから、政治批評のブログも雨後の筍のように出現していて、百花繚乱状態である。
 同サイトも「おおレバノン」というサイト名が示すように、杉革命以降の反シリア運動勢力によるものだろうが、情報の信頼性は、その開設者と会って確かめない限りはなんともいえない。
 私自身が9月にレバノンに訪れて、さらにヨルダンやドバイにも行ったから、レバノンの自由度の高さは実感している。と同時に、それだけ玉石混交で、真偽を見抜くには相当の訓練を要すると思った。まして、われわれ東洋人には、たとえ香港情報の選別はできたとしても、中東の感覚はつかみにくい。田中氏にそれができているとは思えない。
 また、個人のブログについても、Joshua M. Landisという米国大学教授でシリア研究者の公開サイトを関連記事として多用している。この人についてはある程度肩書きを言及からよさそうなものだが、それでもこの人がどういう立場の人なのか、あるいは公開以外にどういう情報を持っているのかわからないまま、いきなり引用しても意味がない。
 
それから、絶対に落としてはならない点だが、今回のようにシリアやレバノンを焦点にする情報分析を行う場合、英語による情報だけでは絶対だめだということである。アラビア語もできたほうがいいが、それよりも重要な決めてはフランス語である。
もちろん、英語は日本語よりも情報が豊富だが、実際に現地に行けばわかることだが、レバノンとシリアはフランスの植民地だっただけあって、フランス語がかなり使われているし、とくにレバノンにいたっては、フランス語が情報伝達のきわめて重要なものを担っている。私が今回芸能・文化・社会運動関係を取材したときでも、「フランス語のほうが楽なんだが」とややへたな英語で話したり、あるいはフランス語しかだめですというケースも多々あった。レバノンで出ているニュース雑誌にしても、Hebdo Magazine, Revue du Libanなどフランス語で出ている重要なものがある。レバノン年鑑の類も見つけたが、やはりフランス語だったし、ハリーリー暗殺についてノンフィクションも売れているものはフランス語で書かれていた。
 レバノンの通史や現代史の書籍も、英語ではノンフィクションの類が多く、概説書はフランス語で読むしかないのが実情である。
 しかも何よりも、今回のようにシリア撤退、レバノンの自由回復にいたる一連の動きで、決定的な役割を果たしたのが旧宗主国フランスであって、フランスとともに国連1559号決議を提出した米国は、アラビア語の人材も払底していることもあって、あくまでも脇役である。英国にいたっては、レバノンやシリアにはほとんど人脈も情報源もない。
 それにもかかわらず、今回の田中氏の「解説」は、フランス語で出ているフランスやレバノンの情報源をまったく使わず、英語でしかも英国の新聞に頼っている。パキスタンは、ハリーリー暗殺に使われた日本の盗難車がパキスタン経由で運ばれた可能性もあるから外れていないともいえるが、それでもパキスタンのニュースメディアの質と自由度を考えればそれなりに慎重に使うべきだといえる。まして、レバノンの敵国であるイスラエルは、言論の自由があるとはいえ、情報源として適切といえるかどうか私には疑問である。

 以上の点から、田中氏のシリアに関する「解説」は、足で稼がないどころか、情報源として信頼するに足りないものばかり貼り付けているだけである。これはジャーナリストとしてもニュース解説者としても失格である。この程度の切り貼り作文なら、いまどき気の利いた中学生でもやれることである。かといって、落合信彦のような筆力もないから、フィクション作家としても失格である。
 こういう人を解説者として信じる人がいるという点では、日本はもっと情報リテラシーに関する教育、国際感覚を養う教育を行うべきではないか?

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