レバノンにしても、マレーシアにしても、ここ最近、ムスリマによるスカーフ着用が急激に増えている感がある。
遠くは第4次中東戦争に淵源を発する動きで、新自由主義の拡大、さらに911以降にも強まっていたが、それでもおそらく8割を超えるムスリマがスカーフを着用している感がある昨今の状況は、驚異的である。イスラーム世界に何があったのか?
もちろん、以前から蓄積されていたイスラーム復興の動きが臨界点に達したからそうなったのだという通時的な説明ができるのかも知れないが、よくわからない。
事件といえば、ヒズブッラーとイスラエルの戦争と、あとはムハンマド戯画事件だろうか。
それまでも臨界点近くに達していた復興運動が、この二つの事件をきっかけに爆発して、従来は世俗的な傾向が強かったレバノンやマレーシアのムスリマの間でも急激にスカーフ着用が増えたのかも知れない。
そういえば、こないだCNNでもスカーフ着用の動きについて伝えていて、エジプトでナセル大統領がなくなったときの映像で、女性は99%までがスカーフをつけていなかったことに注目していた。
信心深いことは良いことだ。信心深い人は心が清らかで礼儀正しいことが多いからだ。
それに背景としては、米国資本主義が押し付けてくる新自由主義グローバリズムに対して、それぞれの土地の伝統や習慣の喪失を危惧するローカリズムの高まりという一般論的説明も可能だ。
ただし、問題はこの復興主義の高まりをスカーフという外形で明確に見せ付けられることで、ムスリムではない人たちが心理的圧迫感を感じる部分があるというところだ。
だからといって、新自由主義の横暴への批判や反省や検討を抜きにして、一方的にイスラーム社会の動きだけを批判するのは妥当ではない。
非イスラーム社会が、イスラーム社会の復興主義に対して、注意深く対処していく知恵を持つ必要があるということだろう。
遠くは第4次中東戦争に淵源を発する動きで、新自由主義の拡大、さらに911以降にも強まっていたが、それでもおそらく8割を超えるムスリマがスカーフを着用している感がある昨今の状況は、驚異的である。イスラーム世界に何があったのか?
もちろん、以前から蓄積されていたイスラーム復興の動きが臨界点に達したからそうなったのだという通時的な説明ができるのかも知れないが、よくわからない。
事件といえば、ヒズブッラーとイスラエルの戦争と、あとはムハンマド戯画事件だろうか。
それまでも臨界点近くに達していた復興運動が、この二つの事件をきっかけに爆発して、従来は世俗的な傾向が強かったレバノンやマレーシアのムスリマの間でも急激にスカーフ着用が増えたのかも知れない。
そういえば、こないだCNNでもスカーフ着用の動きについて伝えていて、エジプトでナセル大統領がなくなったときの映像で、女性は99%までがスカーフをつけていなかったことに注目していた。
信心深いことは良いことだ。信心深い人は心が清らかで礼儀正しいことが多いからだ。
それに背景としては、米国資本主義が押し付けてくる新自由主義グローバリズムに対して、それぞれの土地の伝統や習慣の喪失を危惧するローカリズムの高まりという一般論的説明も可能だ。
ただし、問題はこの復興主義の高まりをスカーフという外形で明確に見せ付けられることで、ムスリムではない人たちが心理的圧迫感を感じる部分があるというところだ。
だからといって、新自由主義の横暴への批判や反省や検討を抜きにして、一方的にイスラーム社会の動きだけを批判するのは妥当ではない。
非イスラーム社会が、イスラーム社会の復興主義に対して、注意深く対処していく知恵を持つ必要があるということだろう。