むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

総統罷免案は予想通り不成立だったが・・・

2006-06-27 18:15:25 | 台湾政治
27日、立法院において総統罷免案の採決が行われた。9時から採決が始まり、開票結果が11時10分に出た。罷免案成立には現有総数の3分の2、つまり148票の賛成が必要だが、罷免に賛成した国民党・親民党、それらに近い無党団結聯盟などを合わせても119票で、罷免案は成立しなかった。民進党88人は絶対反対の立場を示すとして議場での採決に加わらず、台連12人と無所属2人の計14票は「罷免には理由がないが、陳総統にも問題がある」として採決に参加したが無効票を入れた。
立法院の外では、緑、青の両陣営がそれぞれ集会を開いて気勢を上げた。
青陣営は立法院の南側の済南路で集会を開き、2000人が参加。緑陣営は立法院北側の青島東路で集会を開き、2万人が集まった。
事前に青陣営系の暴力団が介入して暴動や乱闘沙汰になると心配されたが、蓋を開けてみると、小競り合いは発生したが、大きな混乱は発生しなかった。
というのも、この日は朝から晴れ渡ったこともあって、7時半にはすでに30度を超え、開票結果が出るころには35度近くと、前日と比べてもきわめて暑い日だった。暑さに慣れている台湾人もさすがにへばったのだろう。乱闘する余裕がなかったのではないか。
私も朝から一応緑側の手伝いに行っていたが、この茹だるような暑さでは、はっきりいって早く終わってほしい、といった気持ちだった。終わったら、一目散にコンビニに走ってアイスクリームを食べたのはいうまでもない。

陳水扁は罷免騒動を切り抜けたように見えるが、実際には逆で、これでレームダックは確定となったといえるだろう。なるほど罷免案は理由はなかった。娘婿のインサイダー疑惑も1ヶ月以上も拘束しておいて何の証拠も挙がらず、取りざたされた夫人の商品券を使った贈収賄疑惑についても関係者の証言が矛盾するなど根拠はまったくないからだ。
しかし問題は、こうした「疑惑」が野党側の悪意から出てきたときに、それに対して迅速に説明や釈明もできず、別の政策イシューを打ち出して巧みに危機を回避することができなかった陳総統自身にも指導力および政治的手腕の欠如が、誰の目にも明らかになったことである。
民進党は罷免案反対で自らの総統への義理を果たしたが、これを機に、党内における陳総統の地位は低下、08年総統レースに向けた主導権争いが激化するだろう。
しかも、台連の動きとスタンスも興味深い。当初は罷免案に反対するとみられた台連が棄権に回ったこと、李登輝が前日に「罷免は理由がないが、陳水扁も成果がなく、本土意識も偽者だ」とこっぴどく批判したこともあいまって、意味深長である。
これも07年の立法委員選挙をきっかけに、国民党本土派の大分裂が起こり、政界再編が進むことを睨んで、民進党との関係で、含みを残したものということができる。

私は07年立法委員選挙を機に、08年の総統選挙までには、大きな政界再編が起こると予想する。立法委員選挙は小選挙区にくわえて定数半減という厳しい戦いになる。こうなると、現職どうしでの争いが激しくなり、とりわけ地方派閥に依存している国民党には不利に作用する。というのも、小選挙区で、定数が半減にもなれば、国民党はこれまで中選挙区で恩恵に浴していた「同一選挙区における地方派閥共存」が成立せず、公認漏れする「派閥領袖」が発生する。公認漏れした領袖は、自力で無所属で出馬しようとするか、党を割って別の新党を作るか、いっそのこと民進党か台連に移ろうとするだろう。
だとしたら、国民党が大きく分裂するのは間違いない。もともと小選挙区・定数半減という選挙制度改革案は、民進党側が提出したものだった。民進党としても単に純粋に改革を目指したわけでなく、国民党に打撃を与える意図があったものである。実際、国民党のお家事情を見る限り、07年選挙は国民党には不利であろう。次回選挙は国民党にとって厳しいものとなることがわかっているからこそ、今回、「罷免が成立しなければ倒閣運動を進める」と宋楚瑜がぶち上げ、馬英九が同調しそうになったとき、国民党内部の現職議員から反対の声が相次いだのである。国民党自身は、制度改革以降の選挙では戦えないことがわかっているのである。

かといって、民進党も今の形のままで安泰だとは思えない。青陣営による陳水扁攻撃で、民進党のイメージにも相当の傷が残ったことは事実だからだ。民進党こそ唯一力のある本土派政党という今の図式が続くのであれば、08年選挙は必ずしも楽観はできない。
かといって、国民の多くは、国民党は民進党よりももっと悪いことを知っている。ここに、最近李登輝らが力説している第三勢力が浮上する余地と原因がある。国民党が大分裂し、本土派を中心に第三勢力ができる。そうなれば、台連はそこと合流するだろうし、民進党の中でも新潮流に批判的な人たちも合わさるかもしれない。

また、青陣営でも、宋楚瑜と王金平の動きも微妙である。この二人は、馬英九にとって最大の政敵であり目の上のたんこぶだから、もし08年に馬英九が総統になったとしたら、馬周辺によって政治生命を絶たれる立場にある。それは本人たちも承知しているので、最近の両者の動きを見ると、宋はより強硬な外省人・深い青の立場を打ち出して、少数ながらも確実な勢力をつかもうとしているし、王も民進党内非新潮流系とパイプを強めたりしている。それに対して、馬英九は明らかに無能すぎる。
これは囚人のジレンマというより、ダブルバインドになっている。焦って、両者を叩こうとすれば、両者の離反が早まるだけである。かといって何もしなかったら、両者の独自の動きを止められない。

いろんな意味で、今後台湾の政界は一気に流動化するだろう。

台湾語能力が低い総統府職員のお粗末

2006-06-24 17:10:27 | 台湾言語・族群
陳水扁が20日行った「人民への報告」という会見で、中国語に直して文字起こしした全文が総統府のHPに掲載されている(http://www.president.gov.tw/php-bin/prez/shownews.php4?Rid=11940)。しかし、最初の原稿の数字など細かな点に誤りがあって、後で訂正するというポカをやらかしたようだ。民進党主席がチェックして見つけたらしい。
これは総統府職員の台湾語能力の低さに起因する問題。台湾では、一般に学歴が高く、社会経験が浅い人は、北京語はできても、台湾語能力が低い。しかし、いまや総統も南部貧農出身で、台湾語のほうが流暢なんだし、選挙となると国民党だって台湾語を多用している時代なんだし、まして民主主義というのは、これまで蔑視されてきた階層の声も反映される。総統府職員が昔の蒋介石時代みたいに「北京語しかできません」じゃ、話にならない。

西北雨

2006-06-24 17:09:22 | 台湾その他の話題
この時期の台湾では、午後3時くらいになると、いきなり黒い雲が覆い、雷があって、土砂降りとなる。1時間くらい降って、日が落ちるころには晴れる。日本でいうと夕立だが、それより激しい。熱帯地方の雨季にはよくあるスコールと同じ。これを台湾語では西北雨(サイパッホー、sai-pak-hou7)という。ただ、雨の降る時間帯がどんどん前倒しになっていって、7月中旬くらいには午後1時ごろに降る。それがだんだんなくなって7月下旬からは、台風が来る以外は、毎日炎天下、最高気温35度、茹だるような毎日が9月中旬くらいまで続く。

今回のレバノン行きではドルーズ派によく出くわした

2006-06-24 17:00:14 | 中東
前回のレバノン行きでは「そういえばドルーズ派の人って、あまり出会わなかったな」と思った。前回であったドルーズ派はザハレのレストランの給仕だけだった。ところが、今回はやたらとドルーズ派とよく出くわした。実は前回は「ムスリム」といっていただけだったからてっきりスンナ派だと思い込んでいた定宿にしているホテル経営者一家も、ドルーズ派だったことがわかった。しかも、その兄弟の一人の恋人という女性は、ワリード・ジュンブラートの従姉妹だという。
シューフ地域にあるベイトエッディーンに行く途中でも、同地域はドルーズ派が多いから当たり前にしても、バスの隣にいた学生はドルーズだった。さらに、買い込んだ本と雑誌がたくさんになったので、FEDEXで送ろうとしたとき、その事務所にいた女性もドルーズだと言っていた。ジェイタ洞窟に行ったときもベンチで腰掛けていたら話しかけてきた家族もドルーズだった(しかも、米国もよく行っていて、米国など西側が大好きで、シリアとか中国は大嫌いだと言っていた)。
ドルーズ派はイスラーム教の一派とされているが、独自かつ秘儀とされる教義と経典を持った独特の集団。レバノンでは5%を占めるに過ぎないが、レバノンという国の建国にはマロン派とともに中核になり、レバノン意識は強い。同時に欧州との関係も深く文化社会的には開放的な面を持っている。

シーア派って、人によって大きく違うみたい

2006-06-24 16:59:42 | 中東
レバノンのムスリムはシーア派が多いし、今回の旅行ではカタールやレバノンでイラン人もたくさん見かけた。つまり、シーア派との接触が多かった。
シーア派というと、日本では米国メディアの宣伝に洗脳されてか、戒律が厳しく頭が固いというイメージがあるが、実際にはそうでもない。実はきわめて保守的で教義戒律に忠実な人もいれば、それと対極にきわめて開放的で奔放な人もいたりと、実は両極端に分かれているようだ。
これはシーア派そのものが、いろんな宗派に分かれた総称であって、さらに自由意志を強調している宗派が多いということがあるのかも知れない。
前回ヒズボラのショップで会った女性は、ヒジャーブもつけていて、握手を求めると胸に手を当ててちょっとお辞儀して握手を断ったくらい、男女の別に厳格で保守的だった。ただ、礼儀はきわめて正しかった。しかし、今回会ったアマルは、歌手として顔をさらしているわけだし、けっこう露出度が強くてフランス風のスタイルをしている。
レバノンで、イランで作られたというパンク音楽のビデオを見たが、それは宗教指導者の演説会場で、指導者が紙をばらまいたりして、演説会場がわやわやになってしまうというシーンで、なんだかシュールだった。
帰りのドーハ空港で、待ち時間が5時間くらいあったので、床に座っていたら、隣の男4人の集団が酒を勧めてきた。疲れているので飲まないといったら、いきなり「あんた、飲まないってことはムスリムなの?」と聞いてきた。こっちが「そういうあんたらどこよ」と聞いたら、なんとイラン人だった。「いやあ、俺らもムスリムなんだけど、それは神が決めることだし、別に酒は禁止されていないからな。ははは」みたいなテキトーなことを言っていた。
イランは戒律が厳しいとされているけど、本で読んだら一時婚という制度もあるわ、「のぶろぐ」でも紹介(http://blog.livedoor.jp/nobuta04/archives/50683852.html)されているように、ある女優がヒジャーブをつけているのに、胸のあたりのラインがすけすけになっているような服を着ているはで、実はかなり柔軟なんだと思った。
まあ、イランは歴史的に文明文化大国だったからね。外界の文明の時間が浅い日本人や米国人には、よくわからない奥の深さや懐の深さみたいなのがあるのか知れないし、シーア派も一筋縄に「戒律が厳しい、保守的な宗派」といえないということだ。

ミリアム・ファーレスはキャピキャピ娘だった

2006-06-24 16:59:13 | アラブポップス
前回レバノンでは30代の中堅歌手の取材だったが、今回は、シーア派と20代アイドル歌手が主な目的。会えたのは、ディーナー・ハーエク、ミーリアーム・ファーレス、アマル・ヒジャーズィー、4キャッツ(ただし一人来なかったので3キャッツだったが)。
4キャッツの前に、そのプロデューサーであるガッサン・ラフバーニーと、その父親で、フェイルーズを手がけたエリアス・ラフバーニーとも会った。
本当はシーア派ハイファー・ワハビー、メイ・ハリーリーも申し込んだが、海外に出ていて会えなかったので、二つの目的の一つシーア派については、会えたのはアマルだけだった。ディーナとミリアムはマロン派、4キャッツのうちダリダ(夫はプロデューサーのガッサンで、彼はギリシャ正教)とラヤは姉妹でともにギリシャ・カトリック、アリーンはアルメニア人でアルメニア・カトリック、今回来なかったマヤはギリシャ正教。
ミリアムは、ビデオクリップなどはぶっ飛んだものが多いが(服を挟みでチョキチョキ切っていったり、パンクガールなどの格好で怪しく腰を振って踊ったりする)、なんとなくかわいい感じの女の子という予想をしていたのだが、会ったところ予想通りで、かわいくて、キャピキャピしていた。詳しくは、今年中に出す予定の拙著レバノン案内本で書く予定だし、その一部を雑誌などでも発表するので、そちらに期待してほしい。
ただ、インタビューが始まった最初に写真を撮ったら、驚いたように「あはは、写真取られちゃった、キャピキャピ」みたいに話したのが面白かった。けっこう感じも良かった。
ディーナも写真より実物のほうが綺麗だったが、見た目やスタイルが典型的な芸能人って感じで、普通っぽくない。歌もうまくて、人間的にはわりとしっかりしているっぽかった。
アマルは前回ドタキャンされたし、いろんな情報では性格が悪いといわれていて、先入観では構えていたのだが、実際会ったところ、まあ、そんなに愛想は良くないものの、かといってそれほど感じも悪くはなかった。顔は写真とほとんど同じ。シーア派に関する一般的イメージとは違って、フランス風のおしゃれな感じ。実際、フランスにも長く住んでいたらしい。
4キャッツはマヤは「遅れてくるかもしれないが、こないかもしれない」と例の台詞で、結局来なかった。歌が下手だがおしゃれというのがウリのグループで、写真とか見ていると馬鹿っぽいんだが、実際に話してみるとそんなに馬鹿ではなかった。特にダリダはさすがガッサン夫人となっただけあって、わりと気が利いていた。

逆バクシーシ攻勢

2006-06-24 16:58:31 | 中東
シリアでの話。シリア人は親切だが、イスラームのザカート(喜捨)の思想から、金を持っている人間から施しを受けるのが当然だという発想があって、バクシーシを要求してくる人が多いのはちょっと困った。
まあ、物価も安いし、求める金額はせいぜい日本円に直して100円程度なんだが、人数が多いと閉口する。子供も多い。ただし、エジプトなどに比べると(てエジプトはまだ行ったことないが、ものの本によると)シリアはあまりしつこくないから、対策は簡単だ。
あるとき子供が要求してきた。無視しているとおなかを指でつついてくる。それでも無視しつづけるとすぐに諦めて去って行った。
また別のときは、無視する状況でなかったため、逆にこちらが「バクシーシ、バクシーシ」と手を突き出して、「逆バクシーシ攻勢」をかけてみた。
すると、シリアの子供の場合、変な東洋人の大人の予期せぬ反応にびっくりした顔して、逃げていった。けっこう純真なんだな。これも中国あたりとは大違いだ。
この逆バクシーシは、実は「エジプトがすきだから」という本に載っている話。応用したところ効果てきめんだったので、数回使わせてもらった。

印象が良かったシリア

2006-06-24 16:57:59 | 中東
今回中東旅行で回ったシリアは、レバノンから陸路入国して、ビザも国境で金を払って取得した。
レバノンからシリア側にセルビスで入ったときには、道路にアサド父子の写真が並べてあって、「うっわー、さすが独裁国家」と思って緊張した。さらにダマスカスの街に入ったときには、ベイルートと比べたら、雰囲気が暗めで、その印象を強くしたものだ。

ところが、ちょっとダマスカスの街を歩き回ったり、さらにパルミュラ(タドモル)、ホムスも回り、それぞれ一泊した感想を言えば、シリアは人々の親切さに支えられて、社会としては決して悪くない気がした。「社会主義」の建前も機能しているためか、貧富の格差も湾岸やレバノンほどは目立たなかった。社会や経済の平均レベルは、フィリピンより若干上といった程度で、決して豊かな国ではないが、いってみればみんなが平均的に豊かではないといった感じだ。
「国家」としてみても、確かに監視の目は行き届いているという雰囲気はあったし、警官も10メートルおきにいるという警察国家の典型であったが、警官自体はそれほど威圧的なわけでもなく、私がダマスカス中心部の内務省の裏口前通りをぶらついていると、そこを警備していた警官が呼び止めて、職質?と思ったら、「シャーイ、飲む?」といってシャーイを勧めてきた。それから10メートル西側歩いたところ、別の警官が呼び止めて、「あなた、日本人?」といって、私が持っていた「地球の歩き方」を好奇心いっぱいに手にとって眺めていた。そうやって調査しているのかとも思ったが、どうも、そうでもなさそうだ。一方でも、「おいおい、ちゃんと警備しなくていいのか?」とも思った。要するに人懐っこいわけだ。

それに監視社会というが、私は別に当局に申請しなくても、自由にバスで動きまわれたし、街の家々には衛星アンテナが林立しており、海外のテレビもかなり自由にアクセスできるようである。自由で奔放なレバノンの新聞も販売されている。さすがに反シリアの急先鋒のアンナハールとアルムスタクバルは輸入禁止になっているようだが、それよりは穏健だがやはりシリアに批判的なアルリワーなどは公然と売られていた。
また、シリアに存在する反体制派は、存在そのものは許されているようで、政府批判をしたら、逮捕されるのはされるようだが、すぐに抹殺されたり、銃殺されたりする中国や北朝鮮ほどのひどい状況ではないようだ。シリア嫌いのレバノン人に聞いても、「さすがにシリアでは、政府批判したら、すぐに消されるようなことまではない」と言っていたくらいだ。
つまりシリアの「独裁」とは、「国民はそれなりに自由に情報にアクセスして知識を持つことはある程度は許容するが、ただしそれを使って自由に政府批判することは許さない」という「基準」があることがわかる。これは中国などとは質的な違いがある。誉められたものではないが、それなりの「けじめ」があるということである。
まあただ、シリアそのもののメディアはレバノンと比べたら、異常につまらない。アッサウラ、アルバアスなどの新聞はすべて政府やバアス党機関紙だし、印刷も悪く内容も精彩がない。ホテルで見られる有線テレビチャンネルも、100くらいあるレバノンと比べて30くらいしか選択肢がない。

親切といえば、シリアは数年前まで鎖国に近い状態だったこともあって、外国語があまり通じない。これは外国人にはアラビア語よりも英語やフランス語で話しかけたがる「英語話したがりい」が多いレバノンとは大きな違いだ。要するにシリア人はアラビア語しかできない。ただ、アラビア語教育をみっちり仕込まれているために、逆に、レバノン人とは違って、フスハーもこなせるし、アラビア語の運用能力はきわめて高い。
最初はアーンミーヤのシリア方言で話しかけてきて、相手が通じないと、ゆっくりとしたフスハーで言い直してくれる。それでも、こちらは単語は300語程度しか知らないアラビア語入門者なので、言い直した単語が私の射程内にヒットしないことが多い。すると、彼らは同義語を次々と繰り出して、「これならわかる?これなら?」という感じでパラフレーズしてくれて、何とか相手にわからせようと努めてくれる。たいてい5回以内でこちらの知っている表現がでてくるので、それで意思疎通がめでたく成立となる。
これは、アラビア語を学習しようという目的がある外国人にとっては、絶好の環境というべきだろう。なるほど、最近、日本人のアラビア語語学留学先が、かつてのエジプトから、シリアにシフトしつつあるわけである。そういえば、レバノンに語学留学している、という話はあまり聞かない。レバノンはアラビア語学習と練習という意味では、あまり環境はよくないからだろう。物価も高めで、人々は外国語を喜んで話そうとするから。まあ、親切は親切なんだけどね。とはいえ、シリアはメディア環境がつまらなく、レバノンはいろんな情報が溢れていることを考えれば、中級レベル以上になればレバノンのほうがインセンティブは高いといえる。新聞雑誌やテレビをかじりつくだけで上達できそうではある。ただ初級レベルなら新聞も読めないわけだからシリアのほうがいいだろう。

ちなみに、シリア人などの親切さは、田舎の親切さではない。そもそも都市と都市文明の発祥の地は中東にある。ダマスカスやシリアの主要都市は、都市の歴史が2000年以上に上るような世界文明史クラスの都市が多い。歴史的にさまざまな人種や民族が往来してきた文明の交差点である。そういう意味で、彼らの親切というのは、異なる文化や言語を持ったものと接し方に熟達した結果なのだ。そういう意味では、シリア人はアラビア語しかできなくても、真の国際人、国際センスを持っているといえるのである。

また、これはアラブ人あるいはムスリム全体にほぼ共通していることだが、非常に礼儀正しい。他人に対する基本的な尊重というものがある。そして優しさがある。これも、長らく異なる文化の交差で揉まれた結果だろう。
同じく大文明で揉まれてきたはずの中国と比べると、違いの大きさに驚く。中国の場合は、ぎすぎすしていて、人間の相互不信と、他人を蹴落としてでも自分が前に出るという気分が充満している。きわめて感じが悪いのだ。
ところが、シリアや多くのアラブ諸国では、そういう気分があまりない。砂漠性気候を多く抱え、牧畜が主体だった地域で、本来は生存競争が激しく、文明の交差点として戦乱も多かったところだから、下手すれば中国と同じような人間不信と過当競争社会になっていたはずだが、それがまったく違っている。
これを支えたのが、実はイスラームやキリスト教といった信仰体系だったのではないだろうか。戒律が厳しく一神教の信仰体系では、人を超えた存在である絶対的な唯一神に対する畏怖がある。唯一神が命ずる人間として最低限持つべき倫理体系が、一種の歯止めや自己規制として働くことで、中東は現在の中国ほどに劣悪な状態に転落する危険性を回避できたのかもしれない。
だから、とく欧米のメディアに洗脳された人が中東について「中東が戦乱が多いのは、イスラームのせいだ」という感想を持つのは、実は錯覚だといえる。そもそも中東はイスラームばかりでなく、キリスト教徒も多いのだから、「戦乱が多い」のはキリスト教徒のせいにもなるはずだからだ。
それはまったく違う。私が中東の地で彼らと接して思うのは、むしろあの過酷な条件にあってもあの程度の戦乱で済んでいて、社会秩序が保たれていて、治安もいいのは、イスラームやキリスト教という一神教の倫理価値体系の規制が働いているからだと思う。
特に今の中国を観察していると、人間として最低限のモラルとか倫理価値体系というのは、必要なことだと思う。中国の場合は、共産主義イデオロギーがきつく鎖国だったときのほうが、共産主義の建前もあって、最低限のモラルが機能していたと思う。それが下手に改革開放して、中国人の無限の欲望への規制を「解放」してしまったから、人間としての最低限のモラルも失われ、弱肉強食、欲望充満の利己主義社会になってしまったのだろう。

またシリアは物価が安い。台湾と同じくらいの物価水準のレバノン(それでも日本と比べたら半分くらいだが)と比べたら、さらにその2分の1か3分の1くらいだ。アジアではフィリピンと同じくらいか?
ダマスカス中心部のアッサウラ(革命)通りとアッシューハダ通りの交差するあたりに、アラブポップス、アニメ、映画などのCDやビデオCDを売っている屋台や店がいくつか並んでいた。同じものがレバノンでは2000レバノンポンド(140円)に対して、シリアでは25シリアポンド(50円)。思わず30枚くらい買い込んでしまった。それでも日本円で1500円くらいにしかならない。実はまだ見ていないし、不良品もけっこうあるだろうが、これはお徳だ。中東だと正規版だって、不良品が多いのだから(昨年レバノンで買ったカロール・サマーハのCD2枚は正規版なのに2枚とも音とびがして使いものにならなかった)。

シリアに行く前と行った後で、シリアへのイメージがまったく変わり、良い印象を持つようになったのは私だけではない。ボーダーではビザが取りやすい日本人の多くもシリアに好印象をもつ人がほとんどだし、シリアが中国や北朝鮮と友好関係にあるため同国に入国しにくいはずの韓国人や台湾人も、幸運にもボーダーでビザが取れてシリアに入ると、「シリアは良い」という印象を持った人に何人も出くわした。
シリアはいい国だ。これに外野から文句を言う米国がわからない。911以降の米国はやっぱりおかしい。

カタールはそんなに悪くなかった+中東と民主主義

2006-06-24 16:57:13 | 中東
5月21日から6月8日にかけて出国、カタール航空、香港、ドーハ経由で、レバノン(12泊)、シリア(3泊)、カタール(1泊)を回った。
事前に、湾岸はいかんと書いたし、カタール航空のチケットの発行でトラブルがあったものの、実際にカタール航空のフライトに乗ったり、ドーハを歩いたところ、カタールはそんなに悪くないと感じた。
昨年寄ったドバイはやたらと砂上の楼閣、虚栄の市みたいな虚妄を感じて、さらに砂漠性のわりに湿度も高く不快感を募ったが、ドーハはこじんまりとした街で、それほどケバさもなく、地元民ものんびりしていてフレンドリーで、気候もドバイほどは湿度も高くなかったため、それほど不快感は感じなかった。
まあ、トロイのはトロイとは思ったし、それがチケット発給でのとろさだったこともわかって逆に納得できたくらいだった。

人の紹介も受けて、アルジャジーラ本部も訪れた。国際広報とキャスターのうち二人と会った。アルジャジーラはこれまで時々ニュースサイトをチェックしていると、台湾に同情的で中国に批判的な感じがしていて好感が持てたが、実際に人と接触すると、中国の軍拡と宗教弾圧に批判を持っていて、それに威嚇されている小国台湾に同情的なスタンスがあることがわかった。米国と中国という横暴な大国をどちらも批判するというのは、なかなかよろしい。しかもこちらが意地悪い質問、カタール政府に物を言わないのではないかという疑問をぶつけたところ、実はカタールに都合の悪い報道もしているということだった。しかも、その話題を持ち出しても、そんなに緊張したところがなかった。全体の雰囲気も非常に明るくて、自由な感じだった。カタールのような小国でも、こうやって世界を震撼させるメディアを持っているというのはすごいことだと思った。これは、小国の戦略として模範的な成功例だといえるだろう。

もちろん、暑いといえばひどく暑い。私は熱風を呼ぶ男なのか、ドーハも私が行く前日までは日中も30度台だったようだが、私が着いた日は45度と体温をはるかに超える猛暑。しかも日差しも殺人的な強さ。だから、私は一度外を出歩いて、あまりの日差しと暑さに、Yシャツと帽子とタオルを部屋に取りに戻り、Yシャツと帽子をつけて、さらに顔をタオルで覆って、暑さを防いだ(写真参照)。一昔前の過激派の格好みたいで非常に怪しいのだが、そうする以外に方法はなかった。体温よりさらに高い気温というのは、体を覆うほうがはるかに涼しいし、自己防衛にもなることを肌で感じさせられた。
半島・湾岸諸国で、アバーヤみたいな体を覆ったり、女性にいたっては顔でベールで覆うあの服装は、暑いといってもせいぜいが35度くらいの温帯・亜熱帯モンスーン地域の常識では「暑苦しい」と感じさせるものだが、実は、ああいった服装こそが、砂漠性気候で夏場の気温が軽く40度を超えるところでは、皮膚を守り、暑さをしのぐための合理的な服装だということが思い知らされた。

気候風土が異なれば、当然、思考や文化パターンも異なる。米国が一律に温帯気候で発達した思想と基準が世界に通用するものと思って、イラクに戦争まで仕掛けて押し付けようとしても無意味だということだ。
民主主義や自由や人権は良いものだ、独裁は悪い。それはそのとおりである。
しかし問題は、どうして中東や中央アジアに独裁国家が集中するのか、どうしてなかなか西欧型の民主主義に向かわないのか、ということである。それは中東などが遅れているからではない。西欧型民主主義が機能しないかもしれない別の理由があるからではないのか。
それに人は、独裁が悪いというとき、意外にマレーシアを忘れていることが多い。マレーシアは、政府批判の自由は認められていないし、マハティールとそれに続くアブドラといった歴史首相の独裁政治だし、華人への差別政策も存在する。しかし、普段、「民主主義が普遍的な価値だ」と強調する人でも、それなりに一定の法治と合議的な政治システムと安定してそこそこ豊かな社会が存在するマレーシアを特別に悪く思っていないだろう。日本だけでなく世界でマレーシアに対する評価を尋ねたら、おそらく上位のほうに来るはずである。
だとしたら、西欧型の自由民主主義が万能ではないということだ。
もちろん、だからといって、中国や北朝鮮のような独裁国家は許容されるべきだというのではない。いずれも軍備を増強し、他国を軍事的に威嚇している以上は、その覇権主義、侵略主義的な性質について、問題にされなければならない。
しかし、対外的、少なくとも日本に対して脅威を与えていないマレーシア、トルクメニスタン、シリア、イラン、リビアなどの「独裁国家」が、内政で「独裁」を行っていることに対しては、もちろん反体制派に対する過度の人権蹂躙の事実があればそれを問題にしていく必要はあるが、言論制限も一定の規範に従って合理的に行われていて、さらに社会的に安定しているならば、それは言ってみればその国の勝手であって、外国がとやかく言う筋合いではない。
つまり問題は軍事的脅威や侵略の意図がその国にあるかどうかであって、独裁か民主主義かではないのだ。そうでなければ、米国はイランだけを問題にするのではなくて、米国の盟友のサウジアラビアも、東南アジアのマレーシアも、一様に問題にしなければならないことになる。ところが、そんなことはどんな「人権派」だってやっていない。私は少なくとも、マレーシアの言論統制を執拗に追及する「民主主義者」を見たことがない。

もちろん、だからといって独裁者や独裁政権が開き直ったり、誉められていいことにはならない。だが、少なくとも、政治体制や社会のあり方は、その地域の風土、気候、歴史的背景、国際関係などの複数の変数によって複雑に規定・影響されているのであって、それを別の歴史や文化体系を背景にしている人が自分の文化や価値観を絶対視して、一方的に異なる他者を糾弾する資格はないということである。

そういう意味では、私は今回、カタールとシリアを初めて訪れてみて、一概にそれらの国を「言論弾圧、不自由、非民主国家」として糾弾することは避けたいと思った。気候風土も思考パターンも日本や西欧とはまったく違っているところである。日本や西欧では当たり前にできることが、45度もの気温の下ではできるわけではない。できるというなら、1週間くらい毎日、45度の炎天下を欧米や日本を歩く感覚で歩いてみたらいい。
そういう点では、差異の権利、異なる文化を尊重する態度というのが必要なのである。

グーグルニュース、アラビア語版も開始

2006-06-22 04:18:54 | 中東
最近気づいたのですが、Googleニュースで、アラビア語版も始まったようですね。
http://news.google.com/news?ned=ar_me
ざっと見た感じでは、ソースはアルアラビーヤ、ロイター、BBC、それからヨルダンの新聞が多いみたいですね。意外にレバノンの新聞が上位に出てこないのは、リベラルで奔放の紙面が、多くのアラブ諸国で忌避されているから、あまり目立たないように設定されているからだろうか?

それから、Googleのアラビア語の検索サーバーは、なぜかチャド、リビア、サウジ、UAEに置いてあるみたいけど、これは、言論統制が最も厳しいところばかり。逆にそうしておけば、無難なんだろうね。これが、レバノンに置いたりすると、各国とも対策に困るかも知れないから。

ちなみに、Google各言語版の一覧は:
http://directory.google.com/Top/World/


南部民衆の生活言語・母語である台湾語使用を攻撃する知識人やメディアの傲慢と偏見

2006-06-22 02:47:08 | 台湾言語・族群
陳水扁が20日に「人民に説明する」といって、最近のスキャンダルについて反論を行った際、95%以上は母語である台湾語を使ったことについて、例によって台湾語を蔑視する青系メディアの聯合報、中国時報、リンゴ日報が、これを攻撃する記事や投書を掲載した。

理由はいわく「緑の支持層を固めるためで、人民への説明にならない」「台湾語がわからない人はどうする。外省人や客家人や原住民は人民ではないのか」など、タメにする攻撃が目立つ。
これが、青系のアホメディア記者の記事だけならまだしも、台独聯盟中央委員も務めたことがあり、現在は呂秀蓮のブレーンとされる台湾独立派学者の施正鋒教授までが、中国時報の投書やリンゴ日報の取材に対して「これは緑の支持層だけを対象にしたもので、選挙戦術のようなものだ」と批判したのだ。

施教授といえば、台湾語運動界も何度か彼に応援を頼んだことがあり、台湾語の演説もうまく、台湾語に理解が深いと見られていただけに、非常に不快である。


陳水扁の今回の談話内容を見ればわかるように、無実の罪を着せられて、人身攻撃され、辞職まで迫られるというアンフェアな状況が1ヶ月も続き、これまで沈黙していて溜まっていた鬱憤を、反論という形で吐き出したという感じで、そうした心の機微に触れる問題を話そうと思ったら、陳水扁のような生い立ちの人にとっては、当然、母語である台湾語のほうがいいに決まっているのだ。
これを北京語で全部話そうと思ったら、思ったことの50%も話せないで、聞いているほうも消化不良に陥るであろう。

もちろん、批判していけないわけではない。たとえば、リンゴ日報が20日付け社説(リンゴは全体は青だが、社説だけは中立やや緑に好意的)で指摘されていたように、総統である陳水扁があまり根拠を挙げずに「呉淑珍は潔白だ」としか主張せず、感情に流れるに任せていたのは、総統としてはおかしい、という指摘は当たっているだろう。
しかし、施教授や青系メディアの記事が主張するように、これを単なる選挙対策だとか緑支持層向けだとか、客家や外省人を無視したという指摘は、母語という性格を考えれば当たらない。

それなら聞くが、北京語を話したら、もっと不公平になることを考えないのだろうか?
北京語教育が普及しているといっても、中南部の農民の中には、北京語を聞いてわからない人が、なんと30台にもいるのは事実である。中南部の田舎に行けば、それこそ台湾語一色で、学校を卒業すれば北京語とはまったく縁が無い生活を送っている人はかなりいる。

今回、陳水扁の談話は、台湾語のわからない外国人記者向けに北京語への同時通訳が用意されたという。
これについても、聯合報の記事は「総統が台湾語で話してそれをわざわざ公用語に通訳するとは本末転倒」などとけなしていた。
しかし、それこそ本末顛倒だ。
外国人でも、タイ人、フィリピン人、ベトナム人労働者などは、労働現場で鍛えられているために、台湾語が流暢に話せても、逆に北京語ができない人がほとんどだ。
青系メディアが「台湾語がわからない外国人には不公平だ」という場合の「外国人」とは、あくまでも、帝国主義大国の国民として、いわばちやほやされる欧米や日本など先進国民の場合、母国で北京語を勉強してから台湾に来て、知的職業についている人たちしか見えていないのだ。
数としてははるかに多いブルーカラーの外国人は、はじめから対象外だし、「台湾語がわからない台湾人」を持ちだすくせに、「北京語がわからない台湾人」の存在は無視する。そうしたダブルスタンダードとご都合主義が蔓延しているのだ。
ふざけるな!といいたい

要するに青系メディアや緑の知識人が見ているのは、自分たちと同じ階層である「知的階層」だけであって、南部で台湾語だけで暮らしている農民、台湾語が流暢な外国人労働者は、はじめから人間としてみていないのだ。外国人といえば、北京語ができるが台湾語がわからない欧米日の知的階層だけしか思い浮かばないのだ。つまりは、典型的な帝国主義、権威主義的なレイシズムなのである。

それにおかしいのは、彼らが二言目には持ち出す「客家人はどうする」だが、彼らは客家人の友人がいないのであろう、客家人の中で台湾語がわからないなんていう人は存在しない。それどころか客家人の7割は、日常でも台湾語をよく使い、しかもヘタなホーロー人よりも台湾語がうまかったりするのである。外省人や原住民だって、いまや40台以下なら台湾語が流暢な人のほうが多い。

台湾語は台湾全人口の7割にとっての母語であり、国民党が来る以前には、超民族語、事実上の共通語として機能してきた。7割といえば、フランスにおけるフランス語の母語人口に匹敵する。
7割の人口を持つ母語が台湾で理解できない人がいるなどというのは、単なる言いがかりであり、デマである。台湾語は台湾にいる95%の人が理解できるし、80%の人が流暢に話すことができるのである。
特に、階層的に差別され、抑圧されがちな農民、漁民、労働者が最も多く使っているのは台湾語であり、外国人であってもブルーカラーとしてきているタイ人やフィリピン人、ベトナム人も台湾語は流暢でも北京語ができない人が多い。

北京語はいくら公用語といっても、実際にはできない人はかなり多いのが事実なのである。
おそらく青系メディアや知識人からすれば、「北京語ができない労働者」などは眼中にないのだろうが、それこそが傲慢な帝国主義・支配者の論理でしかない。


リンゴ日報21日付け社説
總統強辯 國親愚蠢
http://www.appledaily.com.tw/AppleNews/index.cfm?Fuseaction=Article&loc=TP&PageType=new&sec_id=5&NewsType=twapple&showdate=20060621&art_id=2694587


聯合報21日3面
冷眼集》看見政客 看不見總統
http://udn.com/NEWS/NATIONAL/NATS9/3368036.shtml
聯合報記者劉永祥

昨天晚上在總統府三樓大禮堂,眾人只看到政客陳水扁,不見國家元首陳水扁。
這場長達兩個小時的獨白戲碼,劇名定為「向人民報告」,但陳水扁卻全程幾乎都以台語發音,現場還安排「台語翻成國語」同步口譯,形成須把總統談話譯成官方語言的荒謬現象。
此一安排充分顯現陳水扁有意把國家區分為「聽懂台語」及「不懂台語」兩個族群,談話內容也極盡分化之能事。


リンゴ日報21日1面下
扁用台語引來民怨
http://www.appledaily.com.tw/AppleNews/index.cfm?Fuseaction=Article&loc=TP&PageType=new&sec_id=5&NewsType=twapple&showdate=20060621&art_id=2694249
陳水扁昨天向「向人民報告」時,幾乎全程都以台語演講,甚至以「擦尻川(擦屁股的台語發音,意指收拾殘局、善後)」等俚俗台語,回應國親批評他操弄金融改革的質疑。
「替別人擦屁股」
陳水扁點名,王玉雲的中興銀行、劉松藩的台中商業銀行、梁柏的華僑商業銀行及郭廷才東港信用合作社等,光這些人就淘空641億元新台幣,這是阿扁時代造成的嗎?都是在替別人擦屁股,所以才會推動二次金改。
對於陳水扁全程大多使用台語演說,昨晚有民眾向《蘋果》投訴,質疑為什麼對「全民」的演說卻用台語,「那客家、原住民、外省及新移民族群算不算是全民?情何以堪啊!」政治中心


中国時報21日投書欄
沒有感動的一場告白
施正鋒
http://news.chinatimes.com/Chinatimes/newslist/newslist-content/0,3546,110514+112006062100334,00.html
面對泛藍在國會發動的罷免案,陳水扁總統放棄正面答辯,選擇直接訴諸民意,要鄉親父老主持公道。東施效顰的「向人民報告」,雖然定位為國際記者會,不過,既然全程以台語為主要用語,很明顯的,最重要的對象是民進黨死忠換帖者。


リンゴ日報21日1面下
政治學者解讀扁談話
http://www.appledaily.com.tw/AppleNews/index.cfm?Fuseaction=Article&NewsType=twapple&Loc=TP&showdate=20060621&Sec_ID=5&Art_ID=2694220
施正鋒
淡江大學公共行政系教授
喜歡狡辯
阿扁說台語多,目的是想穩固泛選民,像在搞選舉,但都在抱怨且愈描愈,典型喜歡狡辯的律師性格,弊案避重就輕,連「我錯了」3個字也沒有,阿扁應學會認錯。


自由時報13日付けでなぜかJolinの隠密東京ショッピングを特集

2006-06-21 04:38:40 | 台湾その他の話題
6月13日付けの自由時報D(芸能)セクションは、アイドルのJolinこと蔡依琳が6月9-12日にプライベートで密かに東京に行って買い物した!という話を、「特ダネ」と銘打って、なんと三面にわたって大々的に特集していた。Jolinファンの某紙記者は大喜びしただろうが、いきなり「Dカップのブラジャーを買った」から始まって、ルートも図示したり、と行動が事細かに書かれていて、いまいちワケワカめだ。

ただ、いくつか推測してみると、まず台湾の芸能人は、仕事では中国に行くことが多いだろうが、プライベートで自らの意志で旅行に行くなら、絶対に中国ではなく、日本を選ぶ、ということだ。これは、Jolinのようなコテコテの台湾人だけでなく(実はJolinはあの世代の北部生まれの若者としては台湾語がうまいほうで、家でも常用していることは、かつて鐵獅玉玲瓏に登場してカミングアウトしている)、外省人であっても同じで、特に旧正月休みのときには、台湾の芸能人の多くが日本に殺到する。台湾の芸能記者もそれをフォローすることになる。

もう一つは、自由時報は、昨年までは両親が陳水扁応援団である林志玲一辺倒だったところがあったが、林が中国に行き過ぎることが祟った?のか、最近林に批判的な記事を載せているし、Jolinを贔屓の対象に変えたのではないか?ということ。Jolinも中国ではよく公演もやっているが、林志玲よりは確実に台湾語もうまいと思うし、数年前には中国のネット族から「緑色芸人」の一人に指名されたこともある。

もっとも、芸能人にそれほどの政治性を求めても仕方がないし、中国のバッシングは単なる妄想といえないこともない。しかし、中国がバッシング対象にしたことがある張恵妹が、原住民テレビの対談番組で、台湾+原住民意識をかなり強く表明していたことに示されるように(本ブログで既出)、実は中国によるバッシングも意外に感度がいいというか、理由がないこともないのかも知れない。
実際、私が昔から割りと好きな歌手だった羅時豊が明らかな緑支持だったことが判明しているし、中国から「緑系」とバッシングされたことがある台湾アイドルのうち張恵妹、蔡依琳、S.H.E.は、北京語で歌っていても、比較的好きなほうである(そういえば、S.H.E.のうちHebeは客家人で、小型コンサートで客家語で挨拶したことがあるらしい。それは素晴らしい)。後で青支持が判明した芸能人は昔からあまり好きではなかった。なんとなく嗅覚でそう感じたからかも知れない。


台湾人の認識では「パンダ」は日本の表象?

2006-06-21 04:07:59 | 台湾その他の話題
さっきTVを見ていたら、本土色が強い飲料メーカー「黒松」のCMが流れて、パンダが「熊猫」か「猫熊」か子供が言い合った後で、「いずれにしても黒松(台湾語ではオーションで、猫熊の北京語マオションと韻をふんでいる)だ」といって、「いらっしゃいませ」と日本語で書かれた看板とともにパンダの絵が出てくるというのがあった。
以前、何回か台湾ではパンダの実物は関心がないと指摘したが、このCMを見ていると、関心がある場合でも、実は「日本のマスコット」としては認知されているのではないかと思った。
そういえば、数年前に日本でもはやった「たれぱんだ」が台湾でもはやった。
パンダも実物としての、あの、動きが鈍い、つまらない動物には台湾人の関心はないが、日本人によってマスコット化されたものとしての「ぱんだ」なら実物とは離れたキャラクター・表象として認知、受容されているのかもしれない。

18日に発足した「台湾社」の発展を祈る

2006-06-21 03:59:31 | 台湾社会運動
18日午後5時から、台北市政府近くにある中国石油ビル5階で、北社など台湾独立派市民団体の連合体である「台湾社」設立大会が開かれた。
本土派政権の継続をサポートするため、これまでばらばらに動くことが多かった北・中・南・東の四社をはじめ、台湾教授協会、台湾教師連盟、台湾独立建国連盟など比較的規模の大きい団体をはじめ、私自身も理事を務める台湾羅馬字協会も含め、ほとんどすべての主要独立派団体が結束して連合体を作るものだ。
来賓として民進党主席、台連主席も招かれ、出席していた。民進党本部の元現職員の何人かも見かけた。
民進党は政権獲得後、急進独立派=建国派と距離が開いているとされているが、それでもコアの部分では本来の理念と人脈を捨てられるわけがない。もちろん、台湾全体の状況や国際環境を見れば独立建国は理想論でしかないが、それでも独立建国論は大中国勢力を牽制するうえで有力な考え方であり、建国派が消えてなくなることもないだろう。そういう点では、やはり民進党と建国派との関係はこれまで同様、これからも不即不離となるだろう。

私は別の用件があったし、このテの飯付きの円卓を並べた「大会」は、人数が多すぎて実際にはあまり楽しめないので、最初だけ顔を出して、集まってくる既知の友人たちに挨拶をして会場を離れた。
予定では5時開始、9時終了だったが、例によって5時過ぎから三々五々集まる、という感じで、私が現場にいた6時過ぎでもまだ始まっていなかった。
会場は円卓が100卓近くあっただろうか。広すぎ、多すぎで把握できない。まあ、でも友人が勢ぞろいという感じでその点は圧巻だった。

昨今は国民党反動ファッショ勢力が、無実の罪で総統周辺を陥れる策動を強め、復辟クーデターを企んでいる。民主化を維持・定着させ、台湾の価値を高めていくうえでも、独立派勢力の連合体発足は時宜にもかなった良いことである。台湾社の発展を祈りたい。

陳水扁「人民への説明」はほとんど母語=台湾語を使った模様

2006-06-21 03:58:27 | 台湾言語・族群
20日夜総統府に内外記者を集めて、陳水扁総統が「人民への説明」を兼ねたテレビ演説を行った。別の用件があって深夜に帰ったので、後で民視新聞台の報道を見たところでは、ほとんど(9割くらい?)は母語である台湾語を使ったようだ。
外国人記者の中で台湾語が理解できない人向けに北京語への同時通訳も用意されたようだが、まあ日本人のように会社の人事で2年しかいないならともかく、台湾に長くいる欧米人記者のほとんどが台湾語をちゃんと理解できないというのは、ひどく怠慢というしかないと思う。

80年代ならいざ知らず、台湾語が台湾政府高官の口から飛び出すことは、民主化が定着しはじめた90年代後半からほぼ定着している現象。それから10年以上、しかも本格的台湾土着政党である民主進歩党の政権になってから6年もたっているというのに、いまだに台湾語が「まったくわからない」というのは、感度が鈍すぎるというか、記者として失格というべきだろう。そんなことでどうやって民意をつかみ、的確な記事が書けるというのか!

確かに若者の多くは(台湾語の影響が強いクレオールとしての)北京語を日常語にしており、台湾語などの母語の将来は必ずしも明るくない。しかし、少なくとも台湾語を第一言語として育った世代が社会の一線にいるこれから20年の間は、台湾語の必要性と重要性は否定できない。

いくら「国語教育」の普及で現在の台湾住民のほとんどが北京語を解するといっても、中南部の田舎に行けば、れっきとした「国語教育世代」の40台で北京語が話せないだけでなく、聞いてもちゃんと理解できない人だってたくさんいる。そしてそういう人たちこそが、民進党政権獲得の原動力になったのだ。そうした層のナマの声を捨象して、一部の台北のエリート層と北京語だけで話をとっても、そんなものは台湾社会を理解したことにならない。