むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

ケロロ軍曹、台湾を侵略するであります!

2006-08-24 01:06:33 | 台湾その他の話題
この夏台湾では20代を中心に人気の日本製ギャグアニメ「ケロロ軍曹」劇場版が上映されている。ところが、これの広告をバスの脇広告で見てギョッとした。「KERORO軍曹8 月 4 日 侵略台灣是也!!」と書かれているではないか!
台湾はかつて日本が植民地にしたところだから、あんまりシャレになっていない気もするが、そこは台湾、あっけらかんとしているようだ。
台湾公式ブロ:  http://blog.xuite.net/tony0224/keroro
8 月 4 日 侵略台灣是也 !!
さらに、外省人反日系の聯合報系列まで!!!:http://stars.udn.com/star/StarsContent/Content9066/
このサイトにあがっているポスターにやはり「8 月 4 日 侵略台灣是也 !!」と書いてある。

まあ、韓国でも「韓国侵略!」というコピーで売っているようだが、韓国の場合は、国民日報が7月3日付けで「日本軍国主義の美化ではないかという論争が起こっている」と伝えている。
http://www.kukminilbo.co.kr/html/kmview/2006/0703/092023993511171225.html
まあ、若者は韓国でも「しょせん漫画だ」としてあっけらかんと受け入れているようだが、うるさい50代の反日世代の建前論がマスコミにも登場しがち。
もちろん、台湾でもネットレベルではそうした議論もあるみたいだが、台湾のほうが建前論もあまり跋扈しないため、もっとあっさりしている。

しかし、びっくりするコピーではある。

いずれにしても、このケロロ軍曹劇場版は、若者の間で話題になっているようで、毎日のように20代の知り合いが「ケロロ、見た?」といっているのを耳にする。
聯合報など大中国メディアでは「施明徳による陳水扁やめろ一人100元募金運動」が大きく報じられ、「100元献金した?が流行になっている」などと煽っているが、実際の社会はそうなっていない。特に、台湾意識が強い若者の間では、そんなものは相手にせず、「ケロロ見た?」が挨拶になっているのだ。
「侵略するであります」を含めて、そこらへんのあっけらかんさのほうが、よっぽど健全かつ成熟しているといえる。

レバノンの戦後(ハーレ・フレイク地区の廃墟など)

2006-08-24 01:04:09 | 中東
イスラエルとレバノンのヒズボッラーの間の戦争はいったん停戦となった。その後イスラエルがゲリラ的な攻撃を展開しているが、ヒズボッラーの自制によっておおむね停戦状態は維持されている。
今回の戦争によって、19日現在までの判明分で、レバノンでは1287人が死亡、そのうち一般市民が1140人、さらにその中で30%が12歳以下の子供、負傷者が戦闘員と市民合計で4054人に達した。被害をこうむった住居建物が1万5000棟、橋80箇所、道路96箇所。経済被害は75億米ドル、うちインフラが15億ドル(完全復興まで1年から1年半)、建物被害が20億ドル(完全復興ま3-5年)と見積もられている(レバノン英字紙デイリースター、フランス語紙ロリアン・ルジュール、アルハヤー英語版などによる)。
1ヶ月強の戦争でこれだけの被害が出たのはレバノン史でも例を見ない。
#被害状況などについては、今週末にでもまとめたい。

レバノンの知人何人かと戦争以来はじめて電話がつながったので、状況を聞いてみた。

ベイルートは爆撃が激しかった地域を除いては、今週に入ってから市民生活がほぼ戦前に近い状態になっているそうで、戦争中は途絶えがちだった電気も元の状態に戻り、戦中も出ていた水道も普通に出ているようだ。ガソリンの入手しやすくなり、セルビスも普通に動いているという。
空港や市内のところどころ開いていた爆撃による穴も、応急措置ですぐに復旧したらしい(もっとも、すべてのインフラや道路は応急措置で作られたようなものだし)。
「さすがレバノンは戦争に慣れている、あっという間に立ち直っている」とあまり冗談にはならないのだが、ある日本人は感心していた。この辺の臨機応変というか、リスクや変化への対処の早さは、台湾人にも通じるものがある。

ただ、ベイルートでも爆撃が激しかった南部のハーレ・フレイク地区(日本の新聞ではハレト・フレイクとしていることが多いが、ター・マルブータは読めないだろう、普通)だけは別のようで、レバノンのポップス歌手パスカル・マシュアラーニーの事務所から送られてきた写真や情報によると、建物が破壊されたり、爆撃で火災になったりするなどして廃墟となった。撤去工事の粉塵が舞うため住民はマスクをつけている人が多いようだ(写真はパスカルが同地区を慰問に訪れて、生活物資などを支援したときのものらしい)。

ベイルート北部にいるキリスト教徒は、「まだ治安はよくない。ヒズボッラーが銃を持って徘徊しているし、各地の検問や警備も厳しい。もし今来る人がいるなら、2週間くらい様子を見てからにしてほしい」といっている。

ちなみに、芸能ニュースを集めている Albawaba Entertainment によると、私が取材したことがある歌手は、戦争中ほとんどは中東各地のコンサートをキャンセルし、レバノンにとどまって、戦後は慰問や献金をしているようだ。ただ、ミリアム・ファーリスちゃんは外に逃げていたみたい。まあこれはさもありなん。キャピキャピしているから、爆音にびっくりしてキャーって逃げたんだろう。まあ、かわいいから許すが、とどまってほしい気もする。
またびっくりしたのはパスカル。戦争中もとどまったけども、カナダ・パスポートも持っていて逃げようと思えば逃げやすかったみたい。こういう多重にパスポートもっていて、足腰軽いのは、台湾人と似ているなと思った。

国連決議にもとづきようやく停戦

2006-08-15 02:00:31 | 中東
国連安保理においてイスラエルとレバノンのヒズボッラー双方に敵対行為の停止を求める第701号決議が戦闘開始からちょうど1か月目を迎える11日夜(NY時間)に採択され、13日までにイスラエル、レバノン政府とヒズボッラーが停戦に合意、決議が発効する14日GMT午前5時には双方が戦闘を停止した。
ただし、イスラエルがパレスチナ人の自決権を承認せず、軍事覇権主義を保ったままで、そのためヒズボッラーも武装解除に応じる理由もないとしている以上、根本的な戦争不安要因が解決されたわけではないから、今後ともレバノンおよび周辺地域は不安定なままである。

それにしても、一ヶ月強にわたる無意味な戦闘行為によって、レバノンでは1100人を超える死者と3500人を超える負傷者、しかもそのほとんどが民間人という悲惨な事態となり、避難民も貧困層を中心として100万人、経済的損失は50億ドル以上に上った。軍事力が強いイスラエルは相対的に被害は少ないものの、それでも戦闘員を中心に120人以上が死亡、そのうち民間人は40人あまりでパレスチナ人がその半数を占めるという。
ここから見られることは、何度もいうように戦争は弱い立場の人によりしわ寄せをもたらすということだ。確かにレバノンは内戦からの復興過程で貧富の格差は拡大していたし、平和が貧困を拡大する場合もある。しかし、戦争ともなると貧困そのものが生命の危機をもたらす。

レバノンでは、南部を中心に道路が寸断され、ライフラインも絶たれ、生活物資がいきわたらない状況になっているだろう。
とりあえずの停戦となった今、国際社会は政府からNGOまで、こぞってレバノンの避難民支援と再建に取り組まないといけないだろう。

再び盛り返している李登輝と新政党の展望

2006-08-15 01:59:25 | 台湾政治
陳水扁総統が統一派のメディアや政治家によってでっち上げられた「疑惑」に有効に対処できず、レームダックとなりつつある。それに反比例するかのように、台湾本土派の政治家として再び影響力を強めているのが李登輝前総統だ。
日本の一部の親中派メディアなどは李登輝が影響力がないように書いているところもあるようだが、それは台湾の実情を知らない物言いというべきだろう。
陳水扁の声望が落ち、馬英九や国民党はもっとダーティーで発想が古いとあっては、必然的に李登輝に注目が集まる。李登輝自身もまたそうした空気をうまく利用して影響力復活につなげている。

李登輝はそういう意味では真の政治家というべきだろう。よく言われる「哲人政治家」という評は明らかに誉めすぎ、過大評価だといえるが(そもそも李登輝の教養や知識はかなりの部分はったりに過ぎない)、それでも政治家としての遊泳術や力はピカ一だといえるだろう。
これはすごいと思ったのは、6月下旬の総統罷免案採決前後に「陳水扁は堕落した本土、われわれはクリーンな本土を目指す」といったことだ。しかし、李登輝自身、国民党主席・総統時代に台湾人のヤクザをどんどん地方政界に引き入れて、いわば黒金政治を蔓延させた張本人だし、陳水扁政権になって李登輝一番の側近だった劉泰英が有罪判決を受けているくらいで、クリーンというにはきわめて疑問が残るのだが、それでもこんなことを言いのけてしまう。
また、彼は都合の悪い話題ははぐらかすという術も長けている。日本人のある記者が「いまあなたは馬英九を批判しているが、馬英九が今日の勢力を築いたもとは台北市長当選にあり、あなたはその選挙戦で新台湾人などといって馬を助けたのがすべての元凶ではなかったか」と問いただしたところ、話をそらした。また台湾人の友人も李登輝学校で「李登輝には三つの誤りがある。一つ目は側近がいずれも能力がない国民党のダラ幹。二つ目は蒋経国の批判と清算をしていないこと。三つ目は自分自身の台湾主体性意識が浅く、いまだに漢人移民史観で台湾の歴史を語っているところだ」と批判したところ、これもはぐらかしたという。
自分を棚に上げて他人を批判したり、都合の悪いところははぐらかしたり、これらはまさに政治家としての実力というか真骨頂だろう。
陳水扁がたいした証拠もない「汚職疑惑」をかわしきれず、メロメロになっているのと対照的である。政治家に必要なのは、政治的なセンスと鉄面皮だろう。陳水扁は真面目すぎるから駄目なのだ。馬英九はセンスがもともとない。

国民党や統一派メディアは陳水扁と民進党たたきに熱心である。しかし民進党をいくら叩いても、国民党が自然に浮上するわけではない。実際民進党という敵を攻撃するばかりで国民党は自らの党資産問題や利権体質については頬かむりして、党体質改革をなおざりにしたままなのだから。客観的に見ても民進党と国民党では、国民党のほうがダーティなことは台湾人なら誰でも知っている。
しかし、陳水扁と民進党の声望が下がったのはなぜか?それは民進党が「思ったほどクリーンではなかった」からでは決してない。それよりは、問題が起こったときに有効に反撃できない点、これまでの政策や成果をちゃんと国民に説明できない点など、いってみればアカウンタビリティの欠如に国民の不信が高まっているせいだといえるだろう。
「民進党もダーティだから」というのはまったく理由にならない。それなら李登輝が再び出てくるはずがない。

この流れが続くならば、2008年の主役は再度李登輝になるだろう。李登輝が総統選挙に出るということではなくて、李登輝の息がかかった人間が総統になるだろうということである。
つまり、国民党本土派が大挙脱走して、民進党でも李登輝に近い人や新潮流に批判的な人と新たな政治勢力をつくり、それが08年の与党になる可能性が高いということである。
いってみれば大してクリーンでもないけども、本土派といえば本土派であり、堅実で現実的な地方建設に大きな関心を持った日本自民党型の保守政党であろう。
私自身は民進党の中道やや左よりのリベラル+穏健社民主義的な理念が好きだ。
しかし、大中国意識を中核として、極右的な体質と理念を持つ国民党から、一挙に本土派リベラルの民進党に政権が移ったのは、ある意味では冒険的かつ急激すぎたのかも知れない。
民進党政権の6年間で、本土意識、台湾主体意識は確実に強まったが、その割には民進党そのものの支持が目に見えて増えていない。なぜか。台湾主体性を支持しても、民進党のリベラルな理念と革新政党的な体質が「合わない」と思っている保守的な層が、民進党についていけず、かといって台聯も力が弱いとあっては、国民党本土派としてとどまらざるを得ないという問題もある。実際、私が知っている国民党本土派支持者は、決して馬英九らの大中国意識を支持していないが、かといって民進党のリベラル志向についていけないから、国民党本土派という保守勢力の支持者として国民党を支持している、という部分もあるのだ。

私が推定するところでは、本土リベラル進歩派は40%、本土保守派が50%、大中国派は多く見積もっても10%だろう。
台湾の民意において、もはや大中国意識派はごく一握りに過ぎないのである。だから本来政党システムの対抗軸は、本土進歩派と本土保守派の間に設けられるべきあって、民進党だけが本土派を代表し、国民党全体を「大中国派」と対決するという台湾・中国意識の対立ではないのだ。そういう点では、陳水扁政権は、台湾の政党政治の本来あるべき対立軸に持ち込めず、旧態依然とした台湾・中国の対立と見ることで、逆に本土進歩派の民進党についていけない本土保守派をみすみす中国国民党の傘下に追いやり、本土派全体の力を弱め、馬英九に代表される大中国派を跳梁させてきたといえる。
私自身は確かに本土進歩派の理念を応援したいが、しかしいかなる国においても民意の多数は常に保守的なものである(上でも比率を示したとおり)。このまま本土進歩派政権で突っ走るのは難しいのかも知れない。実際、この6年で基盤の弱い本土進歩派は政策を進めることができず、「台湾と中国意識」の極限対立で消耗し、国民も疲れているのが実情だ。
かといって、国民の多数はいまさら大中国派の復辟などまっぴらごめんだと考えている。
だとしたら、50%前後を占める本土保守派を代弁し代表する勢力が必要だということになるだろう。

しかし間抜けだというか、皮肉なのは、7月15日の「親緑学者陳水扁辞任要求声明」だの、最近の施明徳らもと民進党支持層が言い始めている「陳水扁打倒」運動だのである。彼らは陳水扁の身内に関する、たいして証拠もない「疑惑」に過剰反応し、「堕落した陳水扁は駄目だ」などといっているが、そうやって陳水扁と民進党をバッシングした結果、おそらく今後台頭するのは大してクリーンでもない本土保守勢力だろうということである。特に学者声明に参加した学者の何人かは「本土進歩主義を広める」といっているが、実際に強まるのは本土保守のほうなのである。
双方がお互いにダーティかどうかを問題にして、いずれも軍配が上がらない場合は、はじめからダーティであることを開きなおっている勢力が台頭する、というからくりである。
もっとも、いずれにしても、本土派が主流となる展開は、台湾の将来にとっては望ましいことである。
本土派が08年以降の台湾政界の圧倒的多数派を占め、大中国政治勢力は完全な少数泡沫政党に転落することで、台湾政界は相対的に安定化するだろう。

陳水扁は政治家として稚拙ながら辞める必要はない

2006-08-15 01:58:18 | 台湾政治
6月の罷免案を何とか乗り切った陳水扁だが、7月以降はますますレームダック化が進んでいる。

■勘違いするにもほどがある「親緑学者」

レームダック化を示すものとして、「マスコミ的」に騒がれているのは、7月15日と26日の二度にわたって発表された「親緑学者」の陳水扁の辞任を求める声明(「親緑学者倒扁声明」といわれる)、8月12日午前に民進党を離党している元同党主席施明徳らが発起した「百万人を集めて陳水扁の辞任を求める運動」(「百万人倒扁運動」といわれる)であろう。これらは本来民進党やそれに近い学者、政治家、市民運動家、弁護士らが参加しているとして、中国時報など国民党系煽動メディアに「民進党内部の撹乱につながる」と見られて持ち上げられて大々的に宣伝されている。
ただ、一般庶民に対する効果はというと、それほどでもない。第一、特に中南部の庶民は、中国時報やTVBSのように明らかに大中国派のメディアなんて見ないし、メディアの報道を信用してもいない。新聞で最も読まれているのは自由時報であり、ニュースチャンネルは多々あれど視聴率はいずれも1%を割り込み、テレビ番組やチャンネルで最も人気があるのは夜8時の台湾語ドラマ(特に民視と三立で、その両者だけで視聴率は20%を超える)だ。しかも台湾社会は、歴史的に「外来植民地権力に洗脳された一部都市住民と知識人」と、「洗脳に毒されていない中南部を中心とする庶民」との間で、情報や現状認識の上で大きなクリービッジ(亀裂)が存在してきた。
知識人が何を言おうが、民衆にとってはほとんど関係がないのだ。
もっとも、「親緑学者」の声明は、裏では国民党系が蠢いているのだろうが、表面的に見る限りは、確かに民進党寄りの学者や市民運動家が署名者の主軸を形成している。そして私自身がよく知っている人も多数参加している。施明徳の運動もそうだ。
しかし、学者の声明はしょせんは一般庶民から遊離した台北の一部世間知らずの学者のままごとであり、施明徳の運動もその顔ぶれを見る限りは、「失意政客」(立法委員に落選するなどして政界を去った元政治家)が主で単なる「陳水扁および民進党実権派」へのやっかみとルサンチマン以外の何者でもないといえる。
特に呆れたのが、「親緑学者」の二回目の声明で、「1回目の声明にもかかわらず、陳水扁は進んで辞めようとしないから、再度辞任を迫る」といっていたが、陳水扁を選んだ選挙民は650万人もいるのに、たかだか2万人あまりの署名が集まり、しかも学者が声を上げているからといって、陳水扁が辞めなければならない義理などどこにあるのだろうか?学者が庶民よりも偉いとでも思っているのだろうか?だとしたら噴飯ものである。
しかも学者の声明では二度にわたり「道徳」という言葉を多用していた。中国語で「道徳」といった場合、封建的な儒教道徳の含意がある。そして中国的な「道徳」とはまさに蒋介石が愛用したように、「絶対権力者なり自分こそが道徳があって、それが欠けている他人を支配できる」という意図があるのだ。
西洋や中東で発達したethics倫理という概念には、そんな大それた発想はない。キリスト教を奉じる私から見ても、学者の声明のように人間が別の人間を「道徳」を挙げて非難する様は異常に見える。他人を「道徳」で非難するからには、自分はさぞかし「道徳」的に高邁かつ高潔だと自認しているのだろうが、それは傲慢というものだろう。
そもそも、道徳や倫理は、あくまでも神のような人間から超越した存在が命じる規範であり、それは神と己との間の契約関係を通じて、人間が神の命令によってあくまでも自分を律するために使うべきものであって、神でもない人間が他人に優越するかのように勘違いして他人を罵倒するために使うべきものではない。
欧米日などに留学して研鑽を積んだはずの学者たちが、そんな簡単な理屈を無視して、人間が他人を罵倒するための理屈として、いとも簡単に蒋介石が愛用した「道徳」を振り回す。しかも自分たちの一票が他者や庶民の一票よりもより価値が高いかのように勘違いした主張。これで何が台湾人で「親緑学者」か?国民党教育に洗脳された悪しき中国人そのものではないか!
付け加えると、署名の集め方も、ネットに適当に書き込んでくださいというもので、これでは偽名や重複署名はいくらでも可能である。ネット社会の恐ろしさやネットを使う場合の基本的なルールも知らない学者が陳水扁を「道徳」を批判する資格などないといえる。

また、施明徳は「陳水扁は憲法制度を持ち出して辞めないつもりでいるが、大統領の辞任は憲法によらないことはよくある」として、ニクソンやフィリピンのエストラダらの例を挙げた。だが、陳水扁本人はニクソンやエストラダのような違法行為を犯したわけではない。エストラダを引きずりおろした民衆デモは、民主主義の逸脱だと国際的に見られている悪例である。そんなものをモデルのようにあがめる施明徳は、民主的に選ばれた大統領をいつでもひっくりかえしてもいいという無法論者ではないか?
そもそも学者も施明徳も、民主国家では基本常識である「罪刑法定主義と無罪推定原則」すら逸脱している。陳水扁はこの間、本人が収賄などの違法行為が見つかっていない。インサイダー疑惑という違法行為が問われているのは娘婿の趙建銘であり、しかもこれもろくに物証もなく本人認否も否認なので、まともな法治国家なら起訴はもちろん逮捕もされないケースだ。どうみても趙建銘が有罪になる可能性は少ない。それなのに、学者や施明徳は、趙をあたかも有罪だと決め付けて、「趙が罪を認めないのはおかしい。さらに陳も親族の誤りの責任を負うべきだ」などと決め付けているが、基本的な人権と法律の観念もないらしい。呆れて物が言えない。だったら、施明徳はかつて美麗島事件の軍法会議が正当だったとでもいうのか?
そういう意味では、世間知らずの「親緑学者」や歴史の表舞台から去った政治家からの雑音は、マスコミ的には騒がれたが、実効性はないし、これで陳水扁が辞めることはないから、はっきりいってどうでもいい。しかし、問題は、全体状況としては陳水扁が良い状態にないことは確かであるのに、この間の陳水扁の政局に対する対処の仕方には明らかに稚拙で、自ら状況悪化の種を蒔いている点である。


■検察やメディアの不正

台湾のメディアや検察機構が統一派や国民党によってコントロールされていて、一部頭の足りない学者や政治家が親民進党陣営といえどもそれに踊らされるという事態は、別に今にはじまったことではない。李登輝時代だって、李登輝はいわば権力層の中では孤立していたし、身内や側近の「疑惑」をでっち上げられて追い落としの対象となってきたのであり、また民進党でも謝長廷などは昔からしつこく国民党メディアによるネガティブキャンペーンの対象や犠牲者になってきた。
国民党系のメディアや検察の横暴、脱法行為、没義道さは、憤懣あまりある。特に検察は法治国家の組織とは思えない。総統の娘婿・趙建銘のインサイダー疑惑について、具体的な物証もなく、本人否認にもかかわらず、2ヶ月も勾留したうえ(台湾の刑訴法は起訴前勾留が2ヶ月できることになっているとしても、こうした規定自身が普通の法治国家ではない)起訴してしまう。しかも起訴時点の会見で検事いわく「私は容疑があるという可能性を考えている」。起訴するからには、それ相応の証拠固めが必要なのに、「可能性」と検事の主観だけで起訴してしまうのは、まったく検察が国民党独裁時代の発想そのままだということを示している。

しかし、そうした国民党側の横暴は、いわば民進党側や台湾民主化の過程において、織り込み済みの不正要因である。それらを克服してこそ、本当の意味での政治家であり、本当の意味で台湾の民主主義が定着するといえる。まして民進党や国民党本土派はその出発時点から圧倒的にハンデがあった。いま陳水扁が国民党のメディアや検察などから迫害を受けているからといって、それでも白色テロ時代や、名誉毀損で陳水扁自身が投獄されたこともある80年代に比べれば、障害が大きいとはいえないし、党外や民進党は今よりもさらに大きな障害を克服して今日があるのである。

■陳水扁の器にも問題

そこで浮かびあがるのは、陳水扁の政治家、とくに総統としての器の問題だろう。

メディアのキャンペーンは明らかに違法行為なので、弁護士出身の陳水扁や、法治国家建設が党是の民進党は、あくまでも法治、法律、正義を押し立てて、無罪推定、罪刑法定主義を強調するべきだった。実際、圧倒的多数の「声なき声」は、メディアや検察のやり方に批判を持っていて、陳水扁に効果的な反論を期待していたのである。
ところが、自身が与党となってメディアばかり読みすぎて、メディアのキャンペーンに幻惑されたのか、効果的な反論、法的手続きを見守るべきだという姿勢を打ち出すことはなかった。

■稚拙なお涙頂戴作戦

6月20日の「人民への報告」でも、台湾語を使ったまでは良かったが、「疑惑キャンペーン」に対する効果的な反撃というには至らなかった。
さらにキャンペーンが収まらないと見た陳水扁は、7月中旬「今回の騒ぎのせいで、妻の体重は激減し、自殺や離婚を考えたこともある」と「お涙頂戴」作戦に出るにいたった。
これはさすがに台連や民進党の一部も呆れた。李登輝や台連も「総統は国家の問題について語るべきで、家庭事情を話すのはおかしい」と批判した。
もっとも、この「家庭事情を言い訳に持ち出す」のは、批判している李登輝をはじめ台湾人が責任逃れをしたいために、よく持ち出す常套手段である(しかし現実にはあまり効果がない。単なる自分への気休めとメンツなのだろうか)。だから私はまた台湾人論のネタに使えるなと思って、最初はワラってしまったのだが、これはお粗末だと思った。

ただ、7月下旬に入ると、一連の陳水扁一族「疑惑」キャンペーンも、一向に具体的証拠が出てこず、単なる風聞も材料が出尽くしたような状態になった。

■焦点がずれた反論

そこで大中国派陣営が持ち出したのが、総統府の機密費問題と総統府職員政治的任用問題だった。機密費については外交や諜報活動で自由に使える予算だが、これを個人に流用したという、日本でも日本共産党などが言い立てたのと同じ問題。それから政治的任用問題とは、総統府には政治的に任命できるいくつかのポストがあって、それは法的に規定されたものではなく裁量で任命できるが、それをリンゴ日報などが問題にしたものである。
さらに審計部という予算審査機関にいる外省人保守派幹部が機密費問題などで民進党政府を攻め立てた。
機密費や政治的裁量による職員任用なんてのは、別に台湾だけでなく、欧米日などの民主国家はいずれもやっているし、外交、国防や行政上必要なことでもある。
民進党の一部もそういう反論をしていた。
ところが、総統府側の反論がまた脱線していた。政治的任用について「かつての政府もそうしていた」といって、蒋介石時代の例を持ち出し、また機密費についても民進党議員の一部も同じように蒋介石時代の例を持ち出した。
これはおかしい。台湾で政権交代し、民進党が政権を獲得したのは、蒋介石時代から続く国家のヤミの部分を排除し、透明性の高い政府にすべく改革を行うことへの国民の期待によるものだった。それを「蒋介石時代もやっていた」というなら、民進党の存在意義はなくなる。
しかも、機密費や政治任用は、国家であればどこでも必要なことであって、何も「蒋介石時代にもあったから」という話ではない。むしろこれを蒋介石時代を持ち出して正当化することは、国家としての必要性を矮小化させる論理であって、言語道断である。民進党や総統府にも実はたくさんの国民党側のトロイの馬がいるのではないか?
(もし総統府に絡んで、改めなければならないものがあるとすれば、それは機密費や政治任用ではない。資政だの国策顧問だのが、合計で100人前後もいて、中には無給の人もいるが、高額の給与が払われている制度をこそ改めるべきだろう。これは、かつて軍閥を追討した後に軍閥の親分を慰撫するために作った制度で、単なる税金の無駄である。ところがこれを民進党政権になっても継承している。これは国民党側が文句を言うはずがないが、民進党が率先して規模を縮小するなりなくすなりすべきであった。)

■窮地に陥ったときだけ持ち出す台湾独立

さらに呆れたのが、8月12日に行った演説で、新憲法を推進し、台湾の名前で国連への加盟申請をし、中正空港の名前を「台北国際空港」とすべきだとぶち上げたことだ。
これらの主張そのものは確かに尤もである。ではなぜ、二回目に再選を果たしたときから、そして今回の統一派の疑惑キャンペーンが始まる前にも、さらに始まってからずっと言い続けなかったのか?
大中国派の聯合報や中国時報が「窮地に陥ったときの独立色の主張」と揶揄していた。両紙のスタンスや底意には賛同できないが、この揶揄については私なりの立場からその通りだと思う。
どうもこのタイミングで思い出したように言い出すのは、陳水扁自身が日頃真面目にこうした問題を考えておらず、窮地に陥ったときだけ急進独立派=建国派の「基本盤」固めを当てにして口先だけ主張していると思われても仕方がないだろう。

■陳水扁は辞めるべきではない

そういう意味では、陳水扁は政治家としてはどうも稚拙この上ない。
しかしだからといって、一部の学者や政治家が「辞めろ」というのは筋違いというものだ。
なぜなら大統領制や大統領を直接選挙で選ぶ半大統領制の国では、単に大統領が稚拙だからといって、任期途中で引きずり降ろすことは制度的にあってはならないからである。
陳水扁は04年の再選では650万票を獲得して再選されている。今回、学者の声明への賛同者は2万人、施明徳の運動がもしいっている通り成功しても100万人である。
陳水扁を選んだ人間全体からしたら一部に過ぎない。

確かに陳水扁は大統領の器ではない。これは私も、多くの民進党支持者も同意するだろう。
だが、それは大統領を任期途中で引き摺り下ろす理由にならない。
民主国家において大統領の多くはアホに決まっている。民主主義とはしょせんはそういうものだ。
米国の歴代大統領で本当に偉大で能力があったのは何人いるだろうか?台北の道の名前になっていて当時は評価が高かったであろうF.ルーズベルトもソ連のスパイを放縦させたとして現在では評価が落とされている。
大統領がアホだったら、引きずりおろしてもいいというなら、現在の米国のブッシュだって、韓国のノムヒョンだって、陳水扁に輪をかけて無能なのだから、即刻引きずりおろされなければならないが、そんな話はほとんど出ていない。台湾が異常なのである。
しかも陳水扁がアホだというなら、そんなことは台湾人はとっくの昔からわかっていたことだから(だから1990年ごろまでは、陳水扁は民進党の政治家として評判はそれほど高くなかったくらいだ)、わざわざそんなアホを選んだ選挙民全体がアホだということにもなる。
辞任要求声明を発表した学者や施明徳らは、つまり台湾の選挙民をすべてアホだと侮辱し、自分を高みにおいているわけだが、そんなに自分自身は偉いのか?自惚れるのもいい加減にして欲しいものだ。

ひょっとして陳水扁本人は現在辞任したほうがどんなに気が楽だろうと思っているかもしれない。しかし、これは陳水扁個人の心理や能力の問題ではなくて、あくまでも制度の問題なのだ。陳水扁が「無能」だからといって任期途中で政権を投げ出すのは、制度的に許されない。それはさらなる混乱を招くし、そんなことをしたら、台湾の憲法体制や民主主義は崩壊してしまう。
もし陳水扁がイカンというなら、憲法の仕組みを変えて、内閣制にするとか、別の方策を提示して、それを進めればよい。しかし内閣制に改憲しても、すでに任期にある陳水扁が辞任するわけではなく、任期を全うするべきことには変わりがない。いずれにしても、今、陳水扁を辞めろといっているほうが頭が悪いのだ。彼らは民主主義や法治国家の原則や制度というものを理解していないのだろう。

若者の間では「台湾主体性」は常識、民進党に必要なのはそれを深化させること(記事を分離独立)

2006-08-09 21:43:46 | 台湾政治
先に述べた「日台学生会議」で講師として呼ばれて学生たちと議論して感じたところでは、現在の台湾人の若い世代の台湾に関する認識が、台湾主体性意識でほぼ固まっていることであった。
先に「日台学生会議で垣間見られた現代台湾・日本の学生の意識」の記事で紹介したように、「台湾と中国は別の国か」という調査で、「別の国」と答えたのが9割前後に上ったこともそうだが、私が衝撃を受けたのは、若者の台湾史に関する論述であった。私が同会議の講師として、歴史と文化に関するテーマを出題して討論してもらったところ、なんと、台湾人学生のほとんどが台湾の歴史を説明する場合「外来政権による侵略の連続で、その中で多民族、多様な文化が混交して、独自の開放的な国となった」という説明を普通に(つまり何の気負いも衒いもなしに)述べたのである。
これは衝撃であり、驚きであり、うれしくもあった。

要するに、この間台湾本土派が主張してきた台湾主体性の歴史観が、若者の間で常識として受け入れられているということなのである。
それは民進党が洗脳したからではない。いまだに学校の教師は大学も含めて国民党系が多い。
それよりも、台湾が民主化し情報流通も自由になったことで、学生たちが冷静に主体的に考えた結果、民進党の主張が合理的で正当だからこそ受け入れられたといえる。
その意味では、馬英九国民党主席がいまだに「最終的な目標は統一」「ひとつの中国は中華民国」などといって、大中国意識を振り回しているのは、明らかに時代遅れであり、これでは国民党が学生に人気がないのは当たり前だろう。

ただし、問題はここからだ。
というのも、実際議論を聞いてみると、学生たちは国民党は時代遅れだとみなしているが、民進党を熱烈に支持しているわけでもないし、民進党の上の世代の対中認識とは微妙なズレがあることがわかる。
この微妙なズレこそが、実は最近の民進党の混迷の原因ではないかと思った。

というのも、若者は中国に政治的な警戒感と批判を強く持っている一方で、ビジネスや文化的な興味を示している。でも、その中身も実際に突き詰めていくと、それは「台湾主体意識が弱いから」ではなくて、逆に、中国を完全に外国だと突き放して見ているからこそ、日本や米国とのビジネスや文化に魅力を感じるのと同じように興味を持っているというからくりがわかる。
この点では、民進党の上層部や台湾独立建国派団体には、逆に中国を突き放して見ることができない一種の「二つの中国」意識があって、過剰に心理的防衛をしないといけなくなっているように見える。

若者はビジネスや文化に興味があっても、中国そのものはぜんぜん信用していない。ただし、現時点では短期的にはビジネスチャンスがあるのは事実なので、そこに限定して興味を持ち、また客観的に見て中国の文化や歴史は世界的にも面白いのは事実だから、そういう意味で関心を抱いているだけなのだ。

ところが、古い世代の民進党や建国派は、中国とビジネスや文化的な興味もいっさい断ち切ろうとする。だが、これこそが台湾を中国から切り離しておらず「飲み込まれる」という不安を抱いているからであって、本当に外国だと割り切れば、クールに付き合うことはできるはずなのだ。それを若者はやろうとしている。

台湾の若者世代は、台湾の価値や存在や尊厳については、実は民進党よりもしっかりとして、明確なイメージがあるのである。
つまり、民進党の台湾意識は、若者のクールで明瞭な台湾主体意識によって先を越されてしまっているのではないか?それが、若者が国民党や中国の政治的主張を嘲笑しても、そのまま民進党に包摂されない現状につながっているのではないだろうか?

現在の民進党および建国派の在野団体の中枢を占める50代に欠けているのは、中国を本当に外国と見て割り切るというクールな感情ではないのか?
今の若者は国民党教育を受けていない。いや学校では受けてきたが、ほかにもインターネットやほかの媒体でいくらでも多元的な思想に接することができ、そして自らの考えかたを切磋琢磨できている。
残念ながら、今の民進党や建国派の50代のほうが、国民党が注入した「中国大陸は共産党が占拠した匪賊の地域」という思考様式から抜けきれないのではないだろうか。匪賊である点は確かにその通りだが、だから徹底して悪口をいって排除しようというのは、逆にいえば自信の無さの現われだろう。台湾は中国と比べて劣るとはとても思えない。
その点では、今の台湾の若者はもっとクールかつ堅固な台湾主体意識を持っている。

民進党政権になって、台湾本土化教育はあまり進んでいないのが実情だ。確かに本土化と民主主義は民進党になって進展した。しかしそれはいわば若者を中心とした台湾人が自発的に覚醒して、自発的に学習してきた成果であって、民進党の働きかけではない。
そもそも働きかけようにも、民進党の政治的指導層自身が、実は台湾自体の価値が何かをよくわかっておらず、「台湾主体意識」と叫んでいるわりにはその中身が伴っていないのが原因ではないのか?04年立法委員選挙と05年県市長選挙で「本土を守れ」のスローガンが奏功しなかったのも、スローガンを叫ぶだけで終わり、具体的に本土のどうした価値を守るのか、発展させる方向性や青写真は何かが当人がわかっていないからではないのか?
民進党および台湾建国運動の危機は、中国による圧迫、馬英九「人気」、国民党組織も、要因として無視できるものではないが、実は最大の原因は自らの思考不足にある。
そもそも学生では9割以上が「台湾と中国は別の国」とさらっと言ってのけ、しかも一番意識が駄目な50代なども含めた台湾住民全体の意識調査でも「中国人ではなくて台湾人」と答える人が6割を超えて、どんどん増えているのが現状である。つまり、もはや「台湾か中国か」は台湾側に軍配が上がっており、決着がついているのだ。
国民党の「最終的統一論」など、時代の流れから取り残された遺物であり、その申し子である馬英九などゾンビに過ぎないのだ。

民進党が飽きられているのは、相変わらず「台湾か中国か」のスローガンのレベルにとどまり、一向に「台湾」の具体的な中身の議論に入らないから、飽きられているのである。
逆にいえば、民進党の従来の主張はもはや台湾の圧倒的な主流となった。もはや大中国意識など意味はない。民進党は勝利し、成功したのだ。その点民進党はなぜか自信をもてないのが不思議だ。
成功したという自信がもてないからこそ、次の一歩に踏み出せないでいる。
民進党が飽きられているのが、国民の意識レベルが民進党を追い越していることが本当の理由であるにもかかわらず、逆に「これは台湾意識が足りないためだ」などと勝手に勘違いして、さらに「台湾か中国か」に固執してしまう。これでは重症だ。

民進党および各種建国派団体が、台湾人の意識について正しく認識し、自らの成果について自信を持ち、次の一歩に踏み出す日が来るのを願ってやまない(一部には確かにその兆候はでているのだが)。

台湾語でギリシャ古典劇「女の平和」を上演

2006-08-09 02:19:36 | 台湾言語・族群
台南人劇團というところが、10月に台南市において、ギリシャ古典喜劇でアリストファネスのLysistrata(女の平和、中国語表記で希臘喜劇《利西翠妲》)を台湾語に訳したものを上演するという。同劇団の公式HPによる案内は:
http://www.tainanjen.org.tw/2006_Lysistrata.htm
公演時間は、10/12 (四) 8:00pm、10/13 (五) 8:00pm、10/14 (六) 8:00pm、10/15 (日) 8:00pm
場所は、台南億載金城(台南市安平區光州路3號)
長さは100分

これまで気がつかなかったが、公式HPを見ると同劇団の台湾語劇公演は、2001年から「西方經典劇作台語翻譯演出」というプロジェクト名で始まり、2001年にギリシャ悲劇ソポクレスの「アンティゴネー」、2003年にシェークスピアのマクベスを翻案した「女巫奏鳴曲 -馬克白詩篇」、2004年にベケットの「勝負の終わり」、今年4月に今回と同じ「女の平和」についで、どうも10月の公演で5演目になるらしい。

私の友人の台湾語ブログでの紹介記事は
雙倒水別莊June 26,2006台北 khiā 頭?好退時--ah-lah!


日台学生会議で垣間見られた現代台湾・日本の学生の意識

2006-08-09 02:18:52 | 台湾その他の話題
第一回台湾・日本学生会議(日本側からすれば日本・台湾学生会議)が8月5日から10日までの日程で、台北市で開かれている。
台湾側のHPは http://homepage.ntu.edu.tw/~b94701203/tjsc.htm
日本側は http://www.jt-sc.com/

私も「文化認識」をテーマにした講演を頼まれて出席、その後の分科会討論も傍聴してきた。
実はこれは私自身も懐かしい。というのも、こうした日本・**学生会議の類は老舗の米国をはじめ、韓国、中国、フランス、インド、中東、イスラエル・パレスチナ、ロシア、トルコなど次々とできているが(なんとキルギスの話も出ているらしい)、米国に次ぐ歴史を誇る日韓学生会議は、実は私が学生時代に始めたものだからである(私だけで始めたわけではないが、少なくとも創立メンバーで、86年の第一回と87年の第二回は参加した)。
日米は宮沢喜一やキッシンジャーがOBということで非常に有名だが、私が創立時に参加した日韓はその後途切れることなく今年で21回目だという。私も歳をとってしまった(^^;)。
台湾側参加者は台湾大学が一番多いが、日本側はなんと秋田にある新設の公立で中島嶺雄学長の下ユニークな課程を採用している国際教養大学が一番多い。

まあそういう意味では「勉強のできる学生層」なので、すべての学生や若者に一般化することはできないが、それでも最近の若者の中の典型的な歴史認識とか対中観などがわかって面白かった。

対中認識を議論する分科会もあって、事前に双方で大学生にアンケート調査したものがあった。台湾は台湾大学、政治大学、淡江大学、長庚大学で回答数は80前後、日本は東京女子大学(でも参加者はいない)、ICU、一橋大学、国際教養大学(AIU)、立教大学が対象で回答数は140弱。まあ標本数が少ないのだが、こちらの想像したイメージもしくは実感として感じていることと結果はそんなに大きな狂いはないので参考になる。

中国への好感については、台湾が好感を持たないのが、「やや」と「非常に」をあわせて6割で、好感の38%を上回った。日本は好感持たないのが42%、持つが43%とほぼ拮抗でやや意外だが、どうも文化や歴史的なイメージも加味されているようだ。
また、台湾側は、中国が脅威かどうかについては、脅威と思うのが圧倒的で7割近く、中国の独裁政治を変えるべきかについては、圧倒的に「変えるべき」が多くて75%、靖国問題での中国の干渉についても「干渉すべきでない」が6割強と多く、理由としては「自分の国内をちゃんとするのが先決で他人のことに構っている資格などない」という手厳しいものが多い。
ただ、日本側は脅威と思うかについては5割ちょっと、独裁政治の変更については5割が「しょせん外国のことだから必要ない」と台湾よりも厳しくはないが、靖国の干渉については5割以上が反対で、賛成は3割弱だった。
面白いのは、台湾側は中国政治に厳しい見方をする一方で、対中ビジネスについて興味がある、ないがそれぞれ4割ずつと拮抗、文化的な関心があると答えたのは、6割強と多かった。日本側はビジネスに関心が7割以上で、文化も6割を超えた。
ただ、台湾側は中国の反日デモや日中の資源衝突については「他人事」であまり関心がないが、日本側では反日デモへの関心や反発は多かった。
ただ不思議なのは、「両岸危機への関心」は、台湾側は当事者なのに「関心がない」が4割強、「関心がある」が4割強にとどまった。理由は「どうせ関心を持っても変わるわけではない」という。日本人は心配性なのか関心があるのが5割を超えた。
今の学生の意識にとって鍵となる「台湾と中国を同じ国と思うか」については、台湾側は「同じ」がわずか5%だったのに対して、「違う」が87%を占めた。これは政治大学が同大学生1000人以上を対象に実施した調査でも9割前後で、今の台湾人の若い世代の傾向だといえる。
一方日本側では「違う」が70%だったが、「同じ」も18%にのぼった。

ここから総合的に考えられることは、台湾人も日本人も、中国に対しては政治的には警戒を持っているが、日本人については思ったほど強くもなく、かといってべったりでもなく、意外に醒めた目で見ているということだ(いわゆる有名大学生だからかもしれないが)。
台湾の若者の間で、中国への政治的な意味での反感が強まっていることは大方の調査と合致する。これは、「中国とは違う国」が9割前後に上ったこととあわせて見て、やはり台湾の若者の間では、台湾本土・主体意識が支配的になったことを示すものである。

アイヌウタリ青少年と台湾原住民との交流

2006-08-09 02:17:53 | 台湾言語・族群
7月26日から31日まで、ウタリ協会などの付き添いで、アイヌウタリ青少年国際交流団が台湾を訪れた。参加した青年は高校生4人と大学生1人。主に台湾基督長老教会の案内で、原住民テレビ、行政院原住民族委員会、東部のプユマ族、パイワン族、ブヌン族の村などを訪問して交流した。
原住民テレビに行ったらたまたま話を聞いたので(これが台湾らしい)テレビ局見学と最終夜の教会での交流会に参加した。
最初はアイヌ青年も台湾原住民のあまりにもあっけらかんとしたいい加減さというか、ぶしつけさに戸惑いがちだったようだが、最終的には台湾原住民のホスピタリティと心と元気さにほだされたのか、参加した若者は5人とも感動で泣き出していた。
付き添いの人は、台湾原住民の元気さは、先住民族の復興状況や発言力が格段に大きいからだといっていたが、それは当たっているともいないともいえる。それよりも北方系と南方系の性格の違いも大きいと思う。
ここで思ったのは、最近の日本の若者は、台湾に来るとほぼすべての人が感動して好きになることである。いや若者だけではない。特にもともと左系の人ほど好きになるようである。台湾の気さくさ、あっけらかんさが、今の若者のセンス、本来の左派の民衆志向にぴったりとハマるからだろうか。
それに比べて現在、日本でも韓国でも台湾でも、若い世代には中国の評判はどんどん悪くなっている。それはやっぱりセンスがずれているからではないのだろうか。
とにかくアイヌの青年が感動のあまり泣いていたのを見て、改めて台湾の良さがわかった。

台湾語ができる日本人タレント出現か?と思いきや

2006-08-09 02:17:16 | 台湾その他の話題
たまたま日本語番組専門チャンネルの一つ「國興TV」を見ていたら、「WUMAI亞洲No.1」という独自制作のグルメ番組で、日本人名の女性タレントが、田舎でスモモ酒の取材で台湾語をしゃべっているのを発見した!
台湾語は大体聞いてわかっているようだが、話すのはあまりうまくなくて、日本語訛りがあって、日本語を聞いたところネーティブの日本語で、しかも名前が「田代加愛子」というから、「ついに、台湾語もわかる日本人タレント出現か!」と喜んだが、検索したところ、どうやら日本人父と台湾人母のハーフで台湾育ちらしい。
日本人学校に通ったらしいが、母親の親戚などとの会話で北京語や台湾語が熟練しているはずだが、それにしては北京語も若干日本語訛りがあるのも変な感じだが。
でも、ハーフで台湾育ちなら台湾語ができて当然か。
そういう意味では、まだ日本人テレビタレントで台湾語ができるのは登場していないことになる。
タレントではないが、JETで番組をもっている瀬上剛にしても、タレントの小林優美にしても、WUMAI亞洲No.1で田代と出ている谷にしても、北京語しかできないみたいだからな。でも、瀬上の番組ではよく南部や客家地区も行っているんだから、台湾語と欲をいえば客家語も理解できるくらいにしておいて欲しいと思うが。
私的にはドラマで共演したこともある佐藤麻衣あたりはまだ若いし、台湾語がある程度できてくれればいいと思うが、どうなんだろう。

台湾がチャドと断交

2006-08-09 02:16:39 | 台湾政治
レバノンのヒズボッラーとは一定のパイプができたという収穫があったものの、アフリカで台湾と国交を維持していた国の中では面積最大だったチャドが6日、台湾との断交、中国との国交を台湾側に通告した。昨年10月のセネガルとの断交に続くもの。
これで台湾との国交国は24カ国で、アフリカでは5カ国、そのうちチャドと同じフランス語公用語国はブルキナファソだけとなった。

ただ、私自身は今回の断交は、昨年のセネガルのときほどは気にしていないし、セネガルと比べてたいした損害ではないと思う。

確かにチャドにはチャドのメリットはあった。台湾はチャドにおいて「中国石油」公司がチャドの原油採掘権を取得、油田を開発していたところだった。チャドは原油以外に地下埋蔵資源が豊富、そして台湾は昔から十八番の熱帯農業・医療技術支援を提供でき、いわばギブアンドテイクの関係にあった。この点では台湾にはプラスはあったが、しかしチャドの場合は東の隣国がダルフール問題で悪名高く中国の同盟国スーダンで、しかもスーダンが中国と結託してチャドの反政府ゲリラを支援し、政情がきわめて不安定。地理的にも内陸国で発展が限られている。おまけに、大統領についていっても独裁的という評判で、まあ単に独裁的だというだけなら第三世界によくあるタイプだから別にいいのだが、経済運営がめちゃくちゃで世界銀行などからもつまはじきにされていた。

この点では、同じブラックアフリカであっても、セネガルとは大違いであった。セネガルの場合、フランス植民地時代からフランスが西アフリカの中心地とみなし、また海に面していたこともあってダカール港という良港を中心として産業が発展してきた(レバノン人も多い)。初代サンゴール大統領は独裁的ではあったが、穏健な社会主義路線を志向して社会基盤の充実に力を尽くしてきたこともあって、市民社会が形成され、それが80年代以降の順調な自由化・民主化につながり、現在アフリカの中では最も安定した民主国家のひとつとなっている。一部で内戦はあるが、全般的に国内に政情不安要因はない。西アフリカの優等生といわれている。そこには日本が多大な援助を提供してきたことも寄与している。
さらに、言語オタクの趣味の観点からもいわせてもらうなら、サハラ以南では珍しく、土着言語であるウォロフ語が国内で広く超民族語として通用し、そうした言語的共通基盤もあって、民主主義や市民社会が発展したという経緯もある。他のアフリカでは土着言語が部族ごとに大きく違い、言語的に分断状態にあった。そこで公用語・共通語としては旧宗主国の言語である英語やフランス語などと採用してきたが、それらはエリート層しか通じず一般民衆は疎外されていた。まさに言語的に断裂分断社会になっている。セネガルはその点で恵まれていた。
そうしてセネガルはまさに西アフリカの優等生であり、西アフリカで最も影響力が強い国だった。

(私自身も実は昨年の段階で、今年春にでも旅行してみたい場所でもあった。台湾にも大使館があるから情報収集にも便利だ。と思った矢先、断交になってしまった。日本人はノービザでいけるのだが、台湾と断交になってしまい、中国がさっそく大きなプレゼンスを示しているようだから、行く気はなくなった。わざわざセネガルまでいって中国人なんか見たくないから)

だからこそ昨年のセネガルとの断交は台湾としても(前述の理由から個人的にも)衝撃が大きかった。それに比べたら、今回の断交は、チャドの大統領の三期目の就任式に蘇貞昌行政院長が出席するべく台北を出発する直前になってわかったという、ひどい「面当て」があったものの、台湾の外交としては単に数が一つ減ったというだけであって、大した損失はないといえる。

ただ、台湾の国交国の数も前途多難ではある。
中国が経済的にも台頭してきたために、これまで経済的な優位性から何とかアフリカ・中南米・太平洋で維持してきた国交国が、次々に切り崩されそうである。
8日付けの自由時報が2面で伝えたところでは、国交のある24か国のうち、危険な状態にあるのは、中南米12カ国のうちハイチ(中国も含めたPKOが駐留、蘇行政院長が訪問できなくなった)、ドミニカ共和国(ハイチの隣、ハイチが転ぶとドミノ式で転びそう)、ニカラグア(左翼サンディニスタがまもなくある大統領選挙で勝利しそうで、台湾と断交を宣言している)、パナマ(中国がパナマ運河に大規模投資し、転びかけている)、パラグアイ(周辺がすべて中国との友好国に囲まれて、ブラジルなどからの対中国交への圧力が強い)、欧州ただ一つのバチカン(中国と国交回復に合意しているが、信教自由問題でなお対立)、太平洋6カ国のうちソロモン諸島(暴動が起こり政情不安に中国が付け込んでいる)、アフリカ5カ国のうちガンビア(セネガルに囲まれた小さな国で、中国が猛攻勢をかけている)、ブルキナファソ(フランス語国で唯一)。比較的安定しているとみられるのは、一貫して国交があるアフリカのマラウィとスワジランドしかない模様。長年の関係がある中米のベリーズ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、コスタリカ、セントクリストファー、セントビンセントなども中国の経済攻勢があって、油断できない。太平洋のキリバス、マーシャル諸島、ナウル、ツバル、パラオも安定していると見られるが、親日でもあるパラオがなぜか台湾には代理大使しか送っていないし、その他の駐台湾大使館もあまり活動に熱心ではない。アフリカのサントメプリンシペは安定しているほうのようだが私自身はよくわからない。
ただし、これは7日付けのリンゴ日報で民進党に近い江春男がコラムで指摘していたが、中国が台湾から国交を奪うことで、中華民国が無用になり、台湾独立と台湾国への改名の必然性が生まれて、いいことかも知れないといっていた。
セネガルとの断交の際にも台湾日報には同様の趣旨の投書が見られた。
ただ、それは理屈としてはその通りであっても、現実の外交事務としては理屈だけで成り立たない。やはり「中華民国としての国交」であったとしても、あるに越したことはない。

台湾のメディアではよく「あまり影響力がない小国に金をつかって国交を維持するよりも、欧米日など主要国との実質関係強化に振り向けたほうがいい」という議論があるが、国によって国情はさまざまで、言語も違うわけだから、たとえブルキナファソに振り向ける人的物的資源をたとえばフランスに振り向けたとして効果が上がるとは限らない。
しかも相手が大国であるほど、台湾のような小国が発揮できる力は限られているし、中国が台湾封鎖にかけるエネルギーと阻力はもっと大きくなるだろう。
「アフリカを切り捨てて、欧米を」というのは、現実の外交実務を知らない素人の暴論というべきだろう。

しかも台湾は熱帯農業や医療の技術は、日本統治の遺産もあって、世界有数の水準にある。だからこそこれまでアフリカや太平洋や中米といった熱帯地域と国交が維持できたのであって、必ずしも「金銭外交」によるものではない。
問題は中国意識のある国民党の政治家やメディアが台湾のアドバンテージを知らないのは仕方がないが、台湾独立派ともあろう人たちが、台湾のアドバンテージを知らず、さらに台湾自身が小国であることも棚にあげて(「アフリカなどの小国は意味がない」という暴論)、しかもアフリカなどを野蛮国だと蔑視する差別意識丸出しで、「外交」を議論する傾向があるのは、何をかいわんやというべきだろう。

前述のナスラッラー師と外交部長が会ったことに民進党の議員や学者までが「テロリストと会うのは良くない」などといっているのも、そうした差別意識に原因がある。
でもちょっと待ってほしい。台湾が他国を差別する資格や余裕などあるのか?台湾に必要なのは小国として持つべき人道精神と謙虚さだろう。

台湾外相4月に密かにレバノン訪問、ナスラッラー師と会見

2006-08-09 02:15:51 | 台湾その他の話題
8日付けの台湾リンゴ日報が6面(政治)で伝えたところでは、台湾の黄志芳外交部長(外相)が4月中旬に密かにレバノンを訪れ、シーア派抵抗運動組織ヒズボッラーの指導者ハッサン・ナスラッラー師と会見していたことがわかった。ヒズボッラーのHPが4月13日にニュースリリースで「ナスラッラー師が自身の暗殺を企む動きに反対する人たちと会った」とした中に黄部長の名前も含まれていたという(外長密訪恐怖頭子 曝光4月拜會真主黨首領 學者:外交應謹慎)。
ほかに台湾の各メディアも後追いしているが、リンゴ日報も後追いした連合報なども、立法委員たちも例によって例のごとく「ナスラッラーとヒズボッラーは米国がテロリストに指定しており、こんなところと接触するのは台湾のイメージを落とす」と攻撃している(黃志芳密訪真主黨 立院朝野質疑不適當 中廣新聞/蔡佩芳 ; 國民黨團:外交部長密訪恐怖頭子 丟光台灣臉
【中時電子報蘇聖怡/台北報導】)。毎度のことながら、台湾のメディアと国会議員のレベルの低さ、無知さには呆れる。

米国がテロリストだといっているからといって、それがどうしたのか?

ナスラッラー師とヒズボッラーはイスラエルに果敢に抵抗する勢力として、つとにアラブおよびイスラーム世界では高く評価されており、今回の戦争の過程で当初は批判もあったが、カーナー虐殺前後からはさらに声望を高めているのは事実であり、これは米国メディアでイスラエルべったりのニューヨークタイムズまでが7日付けで「ヒズボッラーの指導者が(アラブ世界で)新たな偶像になっている(Hezbollah’s leader becomes a new icon)」と指摘しているくらいである。
台湾にとって中東は重要ではないのか?石油、天然ガスなどのエネルギーはどこから来ているのか?また台湾から距離的にも近く重要な国であるマレーシアとインドネシアはイスラーム教が主流で、この両国でもヒズボッラーの評価は高い。

まして、私がレバノンであったヒズボッラーの党員や支持者は、ヒズボッラーがイラン経由で中国製の兵器を使っているにも関わらず、「中国はイスラームを弾圧しているから嫌いだ。ヒズボッラーには将来的に東トルキスタンのイスラーム同胞支援のために動いてほしい。台湾にも同情する」といっていた。
そうした基盤に支えられたのか知らないが、ナスラッラー師が台湾の外相と会ったことは、さすがにナスラッラー師らしい、したたかさだと思う。

(さらに下世話な話になるが、馬英九を「ハンサム」などと持ち上げている国民党の政治家やメディアはダブスタである。ハンサムだというならナスラッラーのほうがよっぽどハンサムではないか?おまけに馬にはない政治力や指導力もあるし、締りに欠ける馬の顔に比べたらよっぽどきりっとしている)

台湾にとっていくら米国との関係が重要だといっても、米国の顔色を伺い、米国が指定する基準や見方にすべて従わなければならないということはない。台湾には台湾の国益がある。
実際、日本も小泉政権になってからは、台湾以上に米国追従国家になっているが、それでもイラン、リビア、シリア、キューバとの関係に関しては、米国が嫌っているのとは別途、独自のパイプを築いている。もちろん台湾は日本よりも小国なので、日本ほどの強みがないといえるかも知れないが、そうではないだろう。しかもただ米国の顔色を伺えば中国が侵略してきたときに米国が必ず助けてくれるという保証はどこにもない。外交はパイプが多ければ多いほどよい。それが大国に対する交渉力にもつながる。

ヒズボッラー自身、確かにレバノン内戦最盛期の1982年の成立時点では紛れもないテロリスト団体で、欧米人の誘拐や自爆テロをよく起こしていた。しかしレバノン内戦が終わってからは、レバノンで合法政党として活動しているだけでなく、シーア派に多い弱者に対する病院、慈善事業にも熱心で、さらに国内の他の政党のいずれとも友好関係を保ってきた。さらに、内戦以降はテロ活動を行うことなく、すべての戦闘力を対イスラエルレジスタンスに傾け、実際2000年には激しい戦闘のすえ、レバノン南部を占領していたイスラエルを追い出すことに成功した。このため、レバノンではシーア派だけでなく、かつては敵対してきたキリスト教徒各勢力からも尊敬と評価を受けている。さらに、昨今のレバノン政界では、暗殺されたハリーリーの息子とともに、最も影響力がある人物になっている。

レバノンはじめアラブ・イスラーム世界ではヒズボッラーは「テロリスト」などではない。
ヒズボッラーがいかにアラブ・イスラーム世界で尊敬を得ているか、その世界に行ったことがない、「米国一辺倒」で国際感覚ゼロの台湾人記者・学者・政治家にはわからないのだろう。

世界は米国とその価値観だけで動いているわけではない。
レバノン国内では事実上最大の影響力をもち、同時にイスラーム世界で広く評価されているヒズボッラーとナスラッラー師を米国の色眼鏡で「テロリスト」としか見られないからこそ、台湾は孤立しているのではないか?「あれは駄目、これも駄目」なんていっていたら、外交的な力を失う。外交は好き嫌いではない。利害が一致すれば付き合うべきである。

レバノンにあるルナンの故居(写真2枚)

2006-08-01 04:18:51 | 中東
エルネスト・ルナン Ernest Renan(1823-1892)といえば、「国民とは何か Qu'est-ce qu'une nation ?」「イエスの生涯 Vie de Jésus」をはじめ、社会学・神学関係の著作で知られるフランスの思想家である。そのルナンは一時期、姉のアンリエットHenrietteとともにレバノンに住んでいたことがある。
それはベイルートから北に36kmに位置する世界最古の都市Jbeilジュベイル(フェニキア名ゲバルGebal、西欧名ビブロスByblos)からさらに北に3kmあまり行ったところにあるアムシートAmchit(3amshiit)という村に、ルナンとその姉が1860-61年に住んだ故居と、姉の墓がある。アムシートは19世紀の商人の家が立ち並ぶことでも一種の観光スポットである。実際、瀟洒な感じの家が多い。

最近のレバノン行きで(6月3日)ルナンの故居を訪ねた。
ジュベイルからタクシーを1万レバノンリラ(700円)でハイヤして往復した。最初はアンリエットの墓があるノートルダム教会(Eglise Notre-Dame)に向かった。教会の裏側の木陰に墓がひっそりとあった。
ところが、ルナンの故居がどこかわからない。教会の近所には家がなくて、人に聞けない。と思ったら、レバノン人の青年二人が近くを歩いていた。訊ねたところ彼らもそれを探しているという。教会から小道を下がったところに、人が住んでいる家があり、そこで青年たちが場所を聞いていた。どうやら知っているらしい。それにしたがって、タクシーの運転手に行ってもらった。青年は別に自家用車で向かった。
わりと大きめでやはり瀟洒で教会風の建物だった。今はレバノン人が住んでいるようだったが、壁にルナンの故居であることを示すフランス語の標識が埋め込まれていた。周囲も木々にあふれ、閑静な高級住宅街という趣きだった。

ところで、アムシートもジュベイルも今回の戦争で、レバノンの軍事関係施設があるという理由で攻撃が加えられたらしい。よもやジュベイルの遺跡群やルナンの故居は攻撃対象になっていないだろうが、それにしてもイスラエルは狂っている。

写真上:ルナン故居、下:ルナン故居を示す標識


国連の無力ぶり、「国防力=軍事力」に非ず

2006-08-01 04:09:55 | 世界の政治・社会情勢
それにしても、今回のカーナー虐殺にみられるイスラエルによるレバノン侵略破壊で、国連の無力さと無意味さをまざまざと見せ付けられた。
レバノンのベイルートでも、カーナー虐殺に抗議して国連関連ビル前で開かれた集会が暴徒化したが、それも当然であろう。
国際政治舞台でとかく疎外されがちな台湾は国連加盟を求めているが、こんな国連に加盟して何か意味があるのだろうか?
そもそも今回の戦争は、「国家」間紛争ではなくて、イスラエルに対して、民兵組織に過ぎないヒズボッラーが戦っている。さらにもともとは主権国家としてまだ認められていないパレスチナ自治政府に対するイスラエルの攻撃に端を発している。
国連が無力なのは、「主権国家」性にこだわり、中国のような覇権国家が常任理事国となって台湾を排除している、その「国家」原理にあるのではないか?
そういう点では、国連に代わる新たな国際組織・安保組織の設立を考えるべきときかもしれない。新たな国際組織は、「国家」だけを主体、前提にしたものではなく、NGO・NPOや少数民族集団や特殊な歴史的背景から独自性を持った地方政府を含む、さまざまな「主体」を構成要素として、「国家」中心主義がもたらしている虚妄や蛮行を監督するべきではないだろうか。

また、米国から日本と台湾が売りつけられているパトリオットミサイルも、今回の戦争であまり役にたたないこともわかった。21世紀に入り、実は軍備や兵器が「国」を守っているわけではないことがだんだん明らかになりつつあるが、パトリオットミサイルの無効性もそれを際立たせている。台湾はパトリオットミサイルを買う意味があるのか?
もちろん、だからといって、世界から軍備や戦争なるものがなくならず、しかも台湾や日本に対する中国の野心が存在する以上は、一定の国防能力は必要である。しかし、国防といえば即軍備しかないという単純な発想はもはや通用しないことが、今回の戦争によって示されているのではないか。
国防は単なる「国家」防衛ではなく、社会全体の防衛ととらえるべきであろう。社会の中でも特に戦争で犠牲になりがちな弱者の生存権、幸福追求権を強く意識したものとしなければならない。そのためには、相手の邪悪な戦争欲を事前に察知し、それを多国間で封じ込めることが必要となる。つまり、情報収集・分析にこそ資源と力を振り向けなければならない。
軍隊や兵器だけでは実は「国」は守れない。チベットには軍隊がなかったから中国に侵略されたのではない。軍隊があろうがなかろうが、国際的に多くの利害関係を持たず、孤立していれば、易々と邪な大国によって侵略されるのである。
チベットの経験から逆に考えられることは、日本と台湾が戦後侵略されなかったのは、「米国の核の傘」などではなくて、実は国際性と市民社会の力の強さから来る総合国力・社会力にあったといえる。その国際性と市民社会の力を強化するためにも、国家安保は社会安保という視点から考えるべきであり、したがって戦争を未然に防止するための情報こそがポイントである。高価なくせに役立たずの兵器に資源を浪費するよりは、情報収集という知恵や頭脳のほうに資源を重点投資すべきだろう。

さらに、中国のような独裁集権国家に対しては、日本・台湾・韓国・モンゴルなど多元的民主主義社会の市民レベルから積極的平和攻勢をかけることが必要である。
日本国憲法第9条は21世紀になって意味を持っていると思う。だが問題は日本の「9条の会」をはじめとした「平和市民勢力」が相も変わらずそれを日本一国の問題で考え、自民党の右傾化を批判するという視点でしか9条問題を見ていない点である。それこそまさに9条改憲勢力の思う壺ではないのか?
9条を遵守すべきだというなら、9条は世界に普遍的な原理のはずだから、まさに韓国や台湾にもその採用を求め、さらに中国や北朝鮮にも採用を強く要求するのが筋だろう。中国や韓国が靖国神社参拝を非難するなら、9条採用を拒む理由はないのだから。
それをしない日本の「平和勢力」は似非平和勢力でしかない。かつて社会主義協会が自民党のタカ派志向を非難しつつも、ソ連や中国の軍拡をむしろ賞賛した戦後似非左翼勢力の臍の緒を捨てられないのだろうか?

レバノン人の国連に対する怒り、参考記事:
The Daily Star 0731- Politics - Furious mob damages United Nations headquarters in Beirut to protest Qana
 http://www.dailystar.com.lb/article.asp?edition_id=1&categ_id=2&article_id=74383


Slogans pro-Hezbollah et anti-US
Des manifestants en colere attaquent la Maison des Nations unies, place Riad el-Solh
 http://www.lorient-lejour.com.lb/page.aspx?page=article&id=318894

カーナー第二の虐殺、イスラエルはさらに罪を重ねた(写真4枚)

2006-08-01 04:01:44 | 中東
悲しいニュースである。ヒズボッラーによるイスラエル兵士拉致を口実にレバノン侵略・破壊活動を行っているイスラエル空軍がついに30日、レバノン南部の町、カーナーQana(レバノン方言だとアーナーになる、日本の新聞はカナと表記)を空爆、37人の子供を含む57人あまりが死亡した。さらに子供のうち15人が知的・身体的障害者だったという。

カーナーとはレバノン南部の都市スールSour(欧名ティール、ティルス、英Tyre、仏Tyr、ラテンTyrus)から17キロあまり東南方の山側に入った村。一説では新約聖書ヨハネ福音書2章1-11節に出てくるイエス最初の奇蹟の場所カナだとされている(異論のほうが多い)。現在はイスラーム教シーア派が多数を占める村だ。
日本など東アジアでは、今回の戦争と蛮行に対して「遠い国の出来事」として関心が薄い観があるが、戦争とは人類そのものへの挑戦であり、国籍や文化の違いを問わない。特にカーナーに隣接する都市スールも3000年前からフェニキア人の町として発展したところで、旧約聖書エゼキエル記で「ツロ」として言及されている。いわば、カーナーもスールも、人類文明の淵源の地のひとつなのであって、ここに対する破壊行為は、まさに人類全体に対する挑戦だといえる。

当ブログでは今回の戦争開始後当初は、ヒズボッラーの挑発と反撃も一般市民を巻き込んだ破壊行為であると批判してきたが、その後の展開を鑑みると、責任・問題の9割以上はイスラエルに帰すると考えざるを得ない。イスラエルの蛮行を糾弾し、即時停戦とレバノンへの賠償を主張する。
イスラエルは建国以来、数々の蛮行を行ってきたが、人の命と平和への希求がこれまでになく高まっている21世紀になって、こうした蛮行を行い、さらに「隣にあったヒズボッラーのミサイル発射施設と誤っての誤爆」などと白々しい言い訳をしていることを見るにつけ、イスラエルはかつてのナチスによるホロコーストのつけを完全に払い、むしろナチスドイツ以上の凶悪国家となったといっても過言ではない。
イスラエルおよびそれを支援する英米は「ヒズボッラーがレバノン国軍に編入されず独自の民兵をもってイスラエルを脅かしているのが問題。ヒズボッラーが武装解除されない限り、イスラエルの安全はない」として、ヒズボッラーの武装解除を条件として持ち出している。しかし、ヒズボッラー武装解除はレバノンの国内問題であり、イスラエルや米英が容喙すべき話ではない。しかも、こうした蛮行を見るにつけ、まさにイスラエルの存在こそが問題の根源であって、ヒズボッラーではない。イスラエルがこれほどの凶悪国家だからこそ、レバノンはヒズボッラーを必要としているのであり、先に解体されるべきはイスラエルであって、ヒズボッラーの武装解除はイスラエル解体と多宗教・民族共存のパレスチナ国家の建設以降とするべきである。ヒズボッラーにもイスラエル市民を犠牲にしているという罪はあるとしても、根源的にはイスラエルの存在にこそ問題がある。
また、今回の蛮行に対して、中国がイスラエルを非難しているのも白々しい。中国こそが90年後半以降、イスラエルと密接な軍事関係を持ち、レーダーをイスラエルから購入することによってイスラエルの兵器開発に協力してきたという意味で、今回の虐殺行為を間接的に支援した元凶の一つである。しかも東トルキスタンではムスリムをムスリムというだけで大量に殺害している。そんな中国がいまさらながらイスラエルを非難する資格などあるのか?

ところで、カーナーに対するイスラエルの蛮行はこれが初めてではない。レバノンではよく知られているが、10年前の1996年4月18日にも起こっている。
イスラエル国防軍(IDF)が「怒りの葡萄作戦」と称するヒズボッラーとの戦闘を展開中、国連レバノン暫定駐留軍(UNIFIL)フィジー部隊駐留施設に砲撃した。施設には住民約800人が避難しており、砲撃によってそのうち106人の避難民が殺害された。殺害された人のほとんどは今回と同じく女性と子供だった。イスラエルはこのときもやはり「ヒズボッラーの基地が隣にあって誤爆した」と主張したが、イスラエルが攻撃した施設には国連旗が翻っており、誤認するはずがなかった。これをカーナー虐殺事件という。今回二度目が起こってしまったので、これを第一虐殺事件と呼ぶことにする。

私自身も昨年9月の一回目のレバノン訪問の際、スールからタクシーをハイヤーして立ち寄り、第一虐殺犠牲者に祈りを捧げた。
私が第一虐殺を知ることになったきっかけは、レバノンを代表する歌手マージダ・ルーミー8番目(1996年リリース)のアルバムRasaa'il(手紙)の中の11番目(最後)の曲Qanaからだった。歌詞は:http://www.majidafans.com/en/lyrics.asp?CDID=12&SID=95曲の視聴は:http://songs1.6arab.com/majda-alroomi..qana.ram
イスラエルの再度の蛮行、また、イスラエルおよびそれと結託してきた米英独中も共犯として糾弾する。
今回の蛮行による罪なき犠牲者に哀悼を捧げるとともに、一日も早くレバノンに平和が訪れることを願ってやまない。

ニュース参考URL:

レバノン議員、「死者のうち15人は障害児」 カナ空爆
2006年07月31日10時00分
http://www.asahi.com/special/MiddleEast/TKY200607310078.html

レバノン、戦闘長期化 避難者らに募る疲労
2006年07月28日21時40分
http://www.asahi.com/special/MiddleEast/TKY200607280642.html

Qana
http://en.wikipedia.org/wiki/Qana

カーナー第一の虐殺:1996年4月18日
http://en.wikipedia.org/wiki/1996_shelling_of_Qana

カーナー第二の虐殺:2006年7月30日
http://en.wikipedia.org/wiki/2006_Qana_airstrike


英国の著名な進歩的ジャーナリスト、フィスク氏による第一の虐殺のルポ
Robert Fisk: QANA Massacre in Sanctuary; Eyewitness
The Independent, 19 April 1996
http://www.bintjbeil.com/E/occupation/robert_fisk_qana.html

レバノンに関するあらゆる情報を集めたサイト「アル・マシュリク」のカーナー
al-mashriq QANA
http://almashriq.hiof.no/lebanon/900/910/919/qana/index.html

カーナー第一の虐殺記念写真
QANA photos
http://members.virtualtourist.com/vt/s/?m=6&l.q=1b7afc

レバノン英字紙デイリー・スター記事(7月31日):
Timeline of the July War 2006
 http://www.dailystar.com.lb/July_War06.asp
The Daily Star - Politics - Qana relives 1996 massacre as air strike kills at least 60 civilians
 http://www.dailystar.com.lb/article.asp?edition_id=1&categ_id=2&article_id=74379
The Daily Star - Politics - New massacre at Qana propels region into uncharted diplomatic terrain
 http://www.dailystar.com.lb/article.asp?edition_id=1&categ_id=2&article_id=74377
The Daily Star - Politics - Global condemnation for latest Qana massacre
 http://www.dailystar.com.lb/article.asp?edition_id=1&categ_id=2&article_id=74369
The Daily Star - Editorial - How can the children of the holocaust mete out the same racist rage
 http://www.dailystar.com.lb/article.asp?edition_id=10&article_id=74375&categ_id=17

レバノン仏字紙ロリアン&ルジュールの記事:
Cana : l’innommable
 http://www.lorient-lejour.com.lb/page.aspx?page=article&id=318912
Les mots et les condamnations ne suffisent plus, un cessez-le-feu est indispensable, affirme
 http://www.lorient-lejour.com.lb/page.aspx?page=article&id=318878
Le Hezbollah promet de ≪ punir ≫ Israel apres Cana
Reactions en serie sur la scene locale : condamnation du ≪ massacre barbare ≫ et soutien au gouvernement
 http://www.lorient-lejour.com.lb/page.aspx?page=article&id=318879
Bilan provisoire du bombardement : 60 morts au moins dont 15 enfants handicapes
A Cana, des femmes ont enlace leurs enfants pour les proteger de la mort
 http://www.lorient-lejour.com.lb/page.aspx?page=article&id=318892


アルジャジーラ英語サイト:
Timeline: Crisis in Lebanon
 http://english.aljazeera.net/NR/exeres/35772526-C1A8-4599-868C-E513C4F29C9B.htm

アルジャジーラ、アラビア語記事:
 http://www.aljazeera.net/NR/exeres/AF1CC070-9BC0-4A0B-828D-651737C03B9E.htm
 http://www.aljazeera.net/NR/exeres/CE46DA60-0E61-464C-A64D-BA7CE6B38A1D.htm

レバノン最大日刊紙アンナハールの特集:
mujzarah qaanaa
 http://www.annaharonline.com/HTD/SEYA060731-19.HTM

レバノン、ヒズボラ寄り日刊紙アッサフィール:
 http://www.assafir.com/iso/today/front/3597.html
 http://www.assafir.com/iso/today/local/3504.html

写真は上から
レバノン紙アッサフィール7月31日より、今回の第二虐殺で悲しむ地元の男性http://www.assafir.com/iso/today/local/L_3505b.JPEG(ほかにもたくさん悲惨な写真が載っているhttp://www.assafir.com/iso/today/local/3504.html;3504の部分の末尾を5,6,7,8,9とすると多数の画像が見られる)

第一虐殺現場の標識

第一虐殺記念塔

第一虐殺犠牲者の墓