むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

知日派謝長廷総統候補が12月16日から訪日決定

2007-11-25 22:43:18 | 台湾政治
来年3月22日の台湾総統(大統領)選挙で、民主進歩党公認候補として出馬予定で、京大大学院法学研究科に留学経験のある謝長廷氏が、12月16日から4日間の日程で日本を訪問する。
本人によると、16日に京大で講演するほか、京大留学時代の恩師、同期生らと懇談したり、当時の下宿先があった場所や、哲学の道を散策する。それから17日か18日に東京の外国人記者クラブで講演したり(本人はかなり大雑把な性格なので、あまり詳しい日程を把握していない)、従来から面識のある主要政治家と会う。
京大とクラブの講演では、謝長廷氏が従来から掲げている「和解と共生」をテーマに、留学時代の思い出、日本との関係の重要性、それから対中対話、アジアと世界の平和などを日本語で訴える。謝氏得意の冗談を交えながら、それでいて内容的に深いことを話したいという。
謝氏は京大大学院法学研究科で、故・加藤新平教授と田中成明・現名誉教授について法哲学を専攻した。当時アジアからの留学生が日本留学で反日になることも少なくなかったが、謝氏は恩師と学友に恵まれたこともあって、自ら親日であることを隠さないし、日本から取り入れた知識や情報にもとづく政策やビジョンを発表している。
たとえば、20日の民視テレビの対談番組でも「今、台湾中部を回っているが、中部の台湾鉄道の路線がちょうど海線と山線に分かれていて、環状になっていることを利用して、東京の山手線のように通勤環状線として発展させる。さらに中興新村をアジアのNGOセンターとして、中部の地域活性化を図る」とさりげなく「山手線」を持ち出すなど、常に日本を引き合いに出して、台湾社会の親日感情をくすぐっている。
実際、台湾は韓国と違って、世論は親日的で、日本への好感度が最近では米国を抜いてトップになっており、選挙でも、親日であるほうがプラスとなる。反日が信条だった馬英九氏も最近になって慌てて日本に行って「実は親日」などとアピールせざるを得ない事態に追い込まれている。

しかし謝長廷氏は余裕だ。馬英九氏の「親日」は付け焼刃で、選挙向けのポーズに過ぎないと見る。
ただ、12月16日からは国会も休会し、年末に向けて日本は何かとあわただしく、同19日には韓国大統領選挙投開票も迫っているため、メディアにどれだけ注目されるかは今のところ不安要素ではある。
それはともかく、明らかに「俄か仕立て」の目立つ馬英九の「親日ポーズ」と比べて、京都に4年半住んだことがあり、日本に愛着を感じていて、そもそも性格的にも日本人に近いものを持っており、しかも話題豊富でウイット・頓智にも富んでいる謝長廷氏が、日本社会で好感を持たれることは間違いないだろう。

馬英九訪日で、台湾のテレビ局は抗議運動にクローズアップ

2007-11-25 22:41:49 | 台湾政治
感情的な「反日」で知られる馬英九・中国国民党公認総統候補が11月21日から23日まで日本を訪問した。日本の報道や随行記者の話では、「反日」に対する印象が少しは和らぐことに成功したようだが、台湾の報道や世論の雰囲気では依然「反日」に対する疑念は解けていない。しかもどういうわけか、「統一派」と見られ馬英九に好意的なはずのTVBSや中天も含めた台湾各テレビ局の報道もかなり冷淡。逆に「日本の右翼団体による抗議活動」に焦点を当てていたのが笑えた。民進党寄りの三立や民視も含めて各局は、抗議運動を「右翼団体によるもの」と紹介していたが、特に批判的な調子ではなかった。
特にテレビが興味を持ったのは、抗議活動でのぼりに「支那の男妾」とあったこと、頭にすっぽり「馬」の着ぐるみを被った「馬頭人」が北京語でインタビューに答えている模様だったりした。
(参照:馬英九訪日遭嗆,走到哪嗆到哪!!!
23日夜の民視や三立の討論でも、多くの論者が「支那の男妾」を大々的に取り上げ、「これは日本人の潜在意識として、中国に対する反感と、中国に追随する馬英九への批判を示すもの」と論評していた。

結局、台湾のテレビ局は「面白ければ良い」ということなのか?

逆に言えば、馬英九がそれだけ「つまらない人間」だということだろう。確かに馬英九の日本での発言は、事前の20日に台北市で発表した外交政策綱領とまったく同じで、それを機械のように繰り返していただけだからだ。

台湾マスコミの政治傾向(11・16一部修正)

2007-11-15 05:22:27 | 台湾その他の話題
台湾マスコミの政治傾向
中国時報がアホな報道を紹介したついでに、ここで最近の台湾マスコミの政治傾向について紹介しておこう。
緑(独立派あるいはリベラル派)寄り (新聞)自由時報、台湾時報;(テレビ)民視、三立、台視?
中立系:華視、客家テレビ、原住民族テレビ
青(統一派あるいは反動派)寄り (新聞)聯合報、中国時報、リンゴ日報;(テレビ)中視、年代、東森、中天、TVBS

ただし、それぞれ若干微妙に違うし、それぞれの新聞やテレビ局が完全に論調が統一されているわけではない。

個別に見てみると、

自由時報:80年代まではわりと保守的な地方紙だったが、90年代に台北県三重市の李登輝支持の土建屋集団に買収されてからは、本土派色が徐々に強まった。90年代末期は李登輝を熱烈に支持。2000年総統選挙では李登輝の後継者の連戦を支持したが、陳水扁が当選すると、すぐに陳水扁支持になった。ただし、独立派の正統というよりは、対中投資している他の業種への敵愾心から「反統一」というべきだ。年号は西暦を使い、中国を大陸とはせずに中国と呼称している。土建屋が裏についているだけに、本質はきわめて保守的、右派的、時には反動的ですらある。2003年のイラク戦争も米軍の活動を大絶賛していたのをはじめ、2005年ごろに、身分証受領について指紋押捺が強制される問題に対して、自由時報は熱烈に指紋押捺を鼓吹して、民進党系のリベラルな人権団体や法学者からは批判を浴びた。その後も民進党政権の大枠は支持しているわりには、記事や投書欄でも、反原発や楽生院保存などの市民運動には敵対的、ないしは冷淡な態度を取っている。また、2007年の民進党総統選挙予備選挙では、新潮流が嫌いなはずなのに、台北県の土建屋だけに、元台北県長の蘇貞昌を支持、今でも謝長廷には批判を加えている。
だから、はっきりいって、私は好きになれない。反統一の唯一の有力紙だから、他よりマシというだけで、時々買うこともあるが、はっきりいって困った新聞である。
その意味では2006年に倒産して廃刊になってしまった「台湾日報」が惜しまれる。同紙は最初は台湾プラスチック資本だったが、2004年ごろから台湾本土派資本の共同出資および社員持ち株で、台湾独立もはっきりしていて、なおかつリベラルで、市民運動の動向や投書もよく載せていた。

台湾時報:高雄市を中心とした地方紙だが、最近台北でもよく見かける。今年1月まで台聯主席だった蘇進強が社長を務め、台湾独立派の学者もよく寄稿しており、紙面も緑を主体にするなど、緑寄りなのは間違いなく、今は亡き「台湾日報」を継ぐものかと期待したが、蘇進強は2006年に陳水扁罷免の動きを示すなど、緑派としての立場に疑問な点も多い。年号も中華民国暦を主体にして、一面だけ西暦を括弧にしているだけで、市民運動にも冷淡なので、台湾日報ほどのリベラル性は見出せない。そういう意味で、「台湾日報」がなくなったことは、返す返すも非常に残念である。

民視(全民民間テレビ):蔡同栄ら民進党系が主体となって1996年に開局したもので、当初から台湾語ニュースを行ったり、ニュースの伝え方も基本的には民進党寄り。しかし社長クラスには陳剛信という国民党員を使っており、さらに記者など現場レベルでは8割が国民党・青陣営寄りだと言われている。ニュース処理も、明らかにTVBSに引きずられている部分もある。もっとも、2006年の陳水扁打倒運動の際には、この局だけが、ほとんど同運動の動きは伝えず、冷静さを保っていた点はよかった。ただ、全般的にニュースの質はまだまだ。討論番組「頭家来開講」はかつて国民党寄りの胡婉玲がやっていて緑支持層から不評だったが、昨年になって童仲生という深緑に交代して若干持ち直したが、童の司会があまりうまくないことと、民進党の公式見解に引きずられていることもあって、「大話新聞」の後塵を拝している。

三立テレビ:経営者は本来カラオケビデオの配給会社だったが、有線テレビ時代になってテレビに投資した。台湾語専門チャンネルの「三立台湾台」は人気。しかしニュースチャンネルは経営者の外省人妻が管理していたこともあって、長い間宋楚瑜寄りだった。しかし2006年秋の陳水扁打倒運動を契機として、突如緑寄りに転向した。ただし同運動をほとんど無視した民視とは違って、同運動のニュースばかりを流していたが、マイナス面を探して流すという手法だった。ニュースの質はあまり高くなく誤報もはっきりいって多いが、躍動的なつくりで、人気がある。台湾現代史に関するドキュメンタリはわりと良くできている。民進党関係者や支持層も今や主に三立を見ている。ただし、まだまだ青寄りだったころの尻尾は残っており、特に昼間から夕方についてはその傾向が強く、中国のことを「大陸」ということも多い。中正記念堂については民進党政府の方針に沿って「台湾民主記念館・民主公園」と伝えている。

台視(台湾テレビ):台湾で最も古いテレビ局で、60年代に米国情報機関などの肝いりでできた。その関係で、韓国の独裁政権の御用局・文化放送(MBC)、日本のフジテレビなどと姉妹提携関係があり、日本企業も20%ほど持ち株があり、大株主は台湾省政府だった。90年代には伝統局の中では比較的報道は公平なほうだった。また、韓国のMBCが進歩政権成立でむしろ最も進歩的になったように、2000年の民進党政権成立で、伝統的な3局の中では最もリベラルになった。とはいえスタッフレベルでは9割が国民党系。2006年に政府持ち株の民間払い下げの過程で李登輝系が取得。今のところまだまだ本土派だが、今後李登輝の統一派傾斜につれてどうなるかは要注意。

華視(中華テレビ):もともとは軍と教育部が株をもつ保守的な局だった。しかし民進党政権下で徐々にリベラルなものとなった。とはいえまだまだ保守的な軍や教育部の人脈があるので、同じ伝統局の中では台湾テレビほどリベラル化は進んでいない。2007年に公共放送網の一つになった。

公共テレビ・客家テレビ・原住民テレビ:政府機関傘下のテレビ局で、2007年1月から公共放送網(TBS)に所属している。民進党政権になってからできた少数エスニシティのためのテレビ局なので、基本的には中立もしくはリベラルである。しかし、原住民族テレビは一部に統一派原住民団体の系統がもぐりこんでいる。ちなみにNHKにあたる公共テレビはニュースについてはリベラル寄りだが、ドラマ部門などは国民党系が多い。

蘋果日報(リンゴ日報):ジョルダノなどももつ香港のリバタリアンな資本家黎智英の出資で2003年に創刊。カラーや写真を多用した派手な紙面で一躍自由時報と対抗する有力紙に躍り出た。当初は宋楚瑜寄りの傾向が目立ったが、編集局には緑系も青系もそれぞれ拮抗していることから、現在はそれほど強い政治傾向は見られない。中国を大陸などと呼ばず中国と呼び、中華民国年号を使わず西暦を使っていたり、「蘋論」という社説はやや緑寄りの陳裕[金*3]や卜大中が書いている。しかし、並んで載っている評論「司馬観点」は一時民進党政権にもいたが今は反陳水扁色が強い論調。バランスを取ったつもりなのかも知れないが、やっぱり若干青寄りだと思う。ただし、2006年の陳水扁打倒運動のときは、かなり抑制された報道をしていた。

中国時報:90年代までの伝統紙。創業者の余紀忠は国民党幹部ながら80年代までは比較的開明派で知られたこともあって、比較的高級感のある中立的な紙面づくりだった。日本の読売新聞を模範にしていたという。しかし2002年ごろから宋楚瑜など青系保守派に大きく傾斜。2006年には統一派系週刊誌「新新聞」編集長の王健壮になってからは常軌を逸した国民党保守派系煽動新聞となり、同年の陳水扁打倒運動ではその機関紙の様相を呈して、毎日この運動に7-8面を割く異常ぶりだった。その後も国民党機関紙と目されるほど偏っているが、しかし意外に謝長廷にはそれほど悪くはない(謝長廷の当選を予想していて、保険をかけているのか?)。90年代までに日本人で台湾に携わった人の間では、そのころの「中立高級」イメージから中国時報をとる傾向が残っているが、それは過去のものであって、現在の中国時報ははっきりいって読む価値はない。中国資本が流入している。

聯合報:90年代までの伝統紙。創業者の王吾は国民党幹部で、中国時報よりも保守的。その立場は一貫して変わらず、現在でも深藍・大中国・反動主義の立場を頑固に堅持している。しかし中国時報が何かと策略を用いた意図的な誤報や情報操作が多いのと比べると、素直に保守反動的であまり策略はない。その素直の姿勢から意外に緑陣営からの評価は高い。年表や一覧表など使える資料づくりもうまい。そういう意味では今や下手に中国時報を読むくらいなら、聯合報のほうが良い。中国資本が入っていると見られる。

中視(中国テレビ):伝統的3局の一つだが、これだけは政府機関ではなく、国民党本部直系だった。今も国民党系メディア事業者が経営しており、国民党反動派の立場を露骨に代弁している。TVBSや中天よりもさらに偏っている。しかも、夜8時台のドラマは2000年以降に多くの局が視聴者に人気がある台湾語になったのに、この局だけは北京語ドラマを流し続けて、視聴者を呆れさせた。そのため一番人気も低い。中国資本が入っていると見られる。

TVBS:90年代前半の有線テレビ開放の火付け役の一つとなった香港TVB系のテレビ局。当初は国民党政権批判で人気を高めたが、2000年の民進党政権以降は反台湾独立の反動的な立場を鮮明にした。特に夜の一連の討論番組。しかし当初のリベラルな気風で集まった若手の現場スタッフの中には意外と緑寄りの人間も少なくないとされ、一時期昼夕には台湾語ニュースなどもやっていた。蘇宗怡は個人的には好みだ。

中天:経歴は複雑で、開局当初は局名通りに「中国」系香港資本が介在し、その後李登輝寄りの財閥辜家の「和信」グループの傘下となったことで民進党などにも好意的となった。しかし2000年前後には国民党系企業が買収し、スタッフには宋楚瑜シンパが多くなった。その後中国時報が買収したので、立場的には中国時報と同じ反動的。いまだにニュースでは桃園空港のことを「中正」空港と称しているくらい。ただし英BBCやアルジャジーラなどと提携していることもあって、海外ニュースはけっこう良い。中国資本が入っている。

年代:TVBSに関わっていた親中派台湾人資本家・邱復生が作った局。台湾人とはいえ親中派なので、立場は当然反動的。ただし、スタッフには緑系もかなりいるし、時々立場がブレる。中国資本が入っていると見られる。

東森:外省人財閥王一族の「力覇」グループ系だが、王一族の中では最も台湾人に理解がある王令麟が所有する。青系テレビ局の中では、唯一台湾資本とはいえる。ただし、立場のブレは激しく、ほぼ一ヶ月くらいのスパンで、陳水扁寄りになったかと思えば、陳政権罵倒が最も激しくなったりしている。何が原因なのかわからない。2006年の陳打倒運動の時には一番積極的に運動に肩入れしていた。

国民党が「政敵」評論家の入党資料を勝手に公表 その調子で白色テロ、裁判官の党員資料を公表したらよい

2007-11-15 05:19:45 | 台湾政治
いまや国民党の機関紙と化している中国時報が14日付け一面トップに「名評論家の入党資料を公表 国民党が「大話」に宣戦布告」という見出しで、三立テレビの超人気政治討論番組「大話新聞」の司会・鄭弘儀が1987年7月10日、常連出演者の陳立宏が1984年7月5日にそれぞれ国民党に入党申請したときの個人データを公表したことを伝えた。
「大話新聞」は現在、緑系の庶民の声を反映する番組として、特に中南部で圧倒的な人気を誇っており、世論への影響力も強まっていて、逆に国民党にとって目の上のタンコブになっている。

今回公表された入党データには、鄭、陳両人の当時の住所、父母の姓名、生年月日も見えるようになっており、明らかにプライバシーに関する法令に反するものだが、国民党側は「史料を公表したもので、蒋介石総統の文書を公開しているのと同じこと。また、大衆の知る権利を満足するものだ」などといって開き直り、関係者をさらに呆れさせている。
しかもここで鄭と陳が標的になったのは、鄭が番組の司会者であり、陳が高雄市の外省人有力者家庭出身ながら緑陣営になったいわば「外省人の中の裏切りもの」なので、「制裁」を加えようという意図と、それだけ国民党がいかに「大話新聞」の影響力と内容を恐れているかを計らずも示すことになった。これで、ますます「大話新聞」は人気を高めるだろう。

実際、私もほぼ毎日噛り付きで見ている。もちろん、台湾メディア環境全般の質が低いこともあって、「大話新聞」がBBCの「ハードトーク」ほどの質の高さは期待できない。その日のテーマによっては、同じ緑系だが、より民進党に忠実な民視の討論番組「頭家来開講」を見ることもある。しかし、「頭家」や他の討論番組に比べれば、まだしも分析が深いほうで、また活気もあることもあって、やっぱり気になる番組なのである。

しかし、それにしても、国民党はアホすぎる。現存する人間の過去の個人データが蒋介石の公文書と同等の「史料」というのは、いくら国民党が人権観念が欠落しているにしても、あまりにもレベルが低いやり方だ。
しかも、9月ごろに、新聞局長が司法が国民党員に占拠されている問題を指摘して、「国民党は裁判官や検察官の誰が国民党員かをすべて公表すべきだ」と要求したときに、国民党は「プライバシーに触れる」として公表を拒否したことがある。それなのに、今回は当人の了解もなく、明らかに個人情報に属する部分も含めて公表している支離滅裂ぶりだ。実際、14日夜の「大話新聞」では早速その点を槍玉にあげていた。
さらに、番組でも指摘されていたが、20年前の資料を保存しているなら、228事件、白色テロ、蒋介石が1950年に「中華民国はすでに滅亡した」発言、林義雄一家殺傷事件、陳文成教授謀殺事件などの資料はすべて保存しているはずで、すべて公表したらよい。
また、笑えるのは、公表した党史館主任邵銘煌が「鄭が入党した1987年はすでに民進党が成立した後で、本当に鄭がそんなに本土、民主化を支持しているなら、どうして当時から民進党に入党しなかったのか?」「陳は1984年に入党したときは、台湾大学はすでに民主化運動が起こっていた。どうして国民党を選択したのか、そしてどうして現在こんなに変わってしまったのか?」といっていることだ。だとしたら国民党自身は民主化や本土化の政党ではないことを自ら認めたということなのか?(笑)

そもそも、鄭も陳も、最近では13日の番組でも、「かつては国民党員だった。それが最近になって目覚めた。遅かったことは事実だが、目覚めたこと自体は誇りに思う」といっている。わざわざ「公表」しなくても本人も認めていることなのだ。しかも、1980年代までの学生は、国民党に入党を強要されていたのである。実際、これまで国民党は陳水扁、謝長廷らの入党時期の資料も公表している。しかし、過去は過去である。陳立宏は「かつて入党していたのは事実だが、それが何か?」wと2ちゃんねる式の反応をしている。
これが、2000年以降に入党していて、いまでも党員だというなら、鄭と陳が「二枚舌」だという攻撃がなりたつだろう。しかし、20年も前の話は、時代環境が違いすぎて、どこが「攻撃材料」になるのかわからない。

国民党のどうしょうもなさが、改めて証明されてしまった事件だ。


中國時報 2007.11.14 
公開名嘴入黨資料 國民黨對「大話」宣戰
何博文/台北報導

中國時報 2007.11.14 
曾入國民黨 鄭弘儀:不回應 陳立宏:那又怎樣?
朱梅芳、羅?智/台北報導

馬英九はいっそのこと上達しない台湾語を諦めて、客家語に特化すべきだ

2007-11-14 01:14:18 | 台湾言語・族群
客家テレビといえば、馬英九・国民党総統候補が11日客家テレビの対談番組に出たようで、番組は見なかったが、それを報じたニュースを見たところ、馬が客家語を話している場面があって、これがなんと発音は上々で、理解しやすかった。
馬の客家語は5年くらい前に「客家雑誌」のウン周年記念イベントで5分間くらい挨拶したのを生で聞いたこともあるが、そのときもうまかったことを覚えている。

これが台湾語になると、声調は間違っていることが多くて、はっきりいって聴き取りが困難なのだがw、客家語だとそういう問題はない。
台湾語だと、断然私よりも下手なくらいだが、客家語だとどっこいどっこいか、むしろ馬英九のほうが上手いかも知れない。
番組でもいっていたが、馬英九自身が客家人の系統だからかも知れない。どうみても客家語のほうがセンスがある。

であれば、いつまでたっても上達しないで、台湾人の多くから「何をいっているのかわからない」と指摘されている台湾語を無理してしゃべるよりも、今後いっそのこと客家語に特化したら、どうか?

「外省人」という族群は本土化してあと10年もすればどうせ、本土族群のいずれか(ホーロー、、客家、原住民)に同化せざるを得ないのだから、馬英九の場合はいつまでたっても上達しないホーロー語で、エセ本土化のポーズをとるのではなくて、ホーロー語はあきらめて、客家語に特化して、客家化したほうが良い。
それが香港生まれの外省人が、本当の意味で本土化する最善の方法だろう。

客家語も本土言語の一つ。客家語が流暢になることもまた本土化である。

国民党は民進党に対して二言目には「台湾語だけが本土化ではない」といっているくせに、外省人が本土化のポーズをとるときには、決まって台湾語しか使わないし、客家語はほとんどできない。たとえば、呉育昇、士葆らは、台湾語もかなり流暢だが、客家語はできないはず。もっとも、外省といってもかなり本土派色が強い朱立倫は台湾語も上手で客家語もそこそこできるが、そういうのは外省人では少数。明らかに「本土化」というときに台湾語だけを重視して、客家語を無視しているのは国民党のほうである!

馬英九は2008年に総統になれる見込みがなく、台湾語があれほど下手だったら、平民として生き残ることも難しいだろう。まあ、そうなったら彼の大好きな「祖国」米国に移住すればいいだけだろうが、もし台湾で平民として生き残りたいなら道はある。客家人として生き残ることだ。彼の客家語のセンスのよさを見て、そう思った。

かくいう私も客家語は一向に上達しない。しかし、馬英九ごとき輩に凌駕されないためにも、もっと客家語も勉強しなくては、と思う。ちなみに、数年内には客家語の入門教材も出版する予定。

14日は北埔事件100周年記念

2007-11-14 01:12:37 | 台湾言語・族群
またまたご無沙汰していた。本の執筆に打ち込んでいたのと、李登輝の統一派傾斜の後付調査などで忙しかったため。李登輝についてはまた後日書くことになろう。それから、足のしびれは最近はかなり収まって、しびれない日も多い。おそらく睡眠時間が一定していないことから自律神経が不安定になっているためだと思われる。

先ほど客家テレビを見ていたら、14日に迎える北埔事件100周年関連活動について報道していた。
北埔事件は日本統治が始まって13年目の1907年11月14日に新竹北埔で発生した抗日事件で、蔡清琳をはじめとした客家人がサイシャット族と糾合し、清朝と結合して台湾から日本人を追い出すことを目的として、日本人57人を殺害した。しかし、サイシャット族は清朝が助けてくれるという蔡清琳の発言がペテンだとわかって蔡を殺害した。その後、総督府は関係者100人あまりを逮捕、9人を処刑、さらに秘密裏に多くの客家人を殺害した。
この事件は、総督府が客家人(当時は広東人と呼ばれた)の団結力に注目し、また理蕃政策を強化、原住民直接管理に乗り出すきっかけともなった。
行政院客家委員会は台湾人の独自性と、事件のような悲劇を二度と繰り返さないという視点から、北埔事件に注目し、新竹県の地方自治体などと協力して100周年記念活動を展開することにしている。

北埔事件はまだまだ近代的意識が浸透していなかった時代の話であるとはいえ、日本支配への台湾人の不満と抵抗を示すものである。もちろん台湾人はこのことを反日運動に利用することはない。しかし、だからといって日本統治時代にこうした弾圧や高圧的統治があったことも忘れていないということである。

台湾が単純に親日だからといって過度に甘えたがるウヨクチックな日本人は肝に銘じてもらいたいものだ。かといって、過度に「抗日」を強調しつつ戦後の国民党政権の白色テロ、国民党もまた外来植民地政権に過ぎなかったことに目をつぶろうとする一部のサヨクな日本人もこうした台湾の抗日事件を台湾史の視点でとらえなおして反省してもらいたいものである。

国民党出身李登輝の古巣回帰志向で、台連泡沫化へ

2007-11-04 02:42:41 | 台湾政治
台湾団結聯盟は10月29日、黄宗源、廖本煙の二立法委員を「党の決定に従わず、民進党に寄りすぎた」との理由で除名処分にした。この言いがかりともいえるおかしな決定に、台連には動揺が広がり、今後離党者が出る模様で、台連は来年初めの立法委員選挙を待つまでもなく一気に泡沫化、崩壊の危機に直面することになった。

■「新潮流に近い」という嘘
この処分は、29日、秘書長の林志嘉が突然、中央執行委員会を開いて強引に採択してしまったという。台連には中央執行委員が25人いて、そのうち当日開会時には13人がいたが、処分提案に不服の委員が退場したことから、決定が行われたときには10人あまりしか残っておらず、規定によらない強引な決定だった。
表向きの理由は「二人は新潮流に近づいていた」と、台連に多い「反新潮流感情」を利用したものであったが、ところが実際には二人は台連の中では謝長廷に近いものの新潮流から最も遠く、むしろ除名処分を提案した林志嘉自身が新潮流に近いという茶番だった。
実際には、台連の精神的領袖である李登輝が、さらに陳水扁嫌いを加速させて、「坊主にくけりゃ袈裟まで」式に、アンチ民進党の色彩を強めているため、民進党と一線を画したい李登輝の意向が強く働いたものとみられる。
この不当な提案に対して、中央執行委員会では、陳建銘が強い反対の声を上げたという。私は陳建銘は以前から台連ではもっともまともな政治家だと思っていたが、やはり思ったとおりだった。陳は怒りのあまり怒って途中退席したようだ。
また、民進党に協力的な何敏豪も反対したという。
それにたいして幸媛は林志嘉の提案に同調、さらに主席の黄昆輝が事実上独断的に決定してしまった。

■離党者続出、自己崩壊へ
翌日30日の夜の討論番組では、緑系テレビがいずれもこの問題をトップテーマで議論した。三立の人気番組「大話新聞」は、除名されたうち黄宗源を招き、「李登輝はやはり変わったのか?陳水扁に近いとして除名?台連はどちらの立場に立っているのか?」というテロップを流して除名の不当性を糾弾。司会者の鄭弘儀は「台連が台湾主体性を重視するというなら、民進党に近いことがどうして罪なのか?陳水扁を弁護することがどうして悪いのか?それに民進党に近いというなら、謝長廷選対本部のスポークスパースンの趙天麟、民進党と協力している黄適卓や何敏豪はどうなる?」と疑問を提起していた。
民視の「頭家来開講」は廖本煙を招いて同じように李登輝と台連の変質を糾弾した。
しかも除名された二人は、次期小選挙区制でも台連でただ二人勝ち残れるとみられている有力議員。民進党立法委員の郭正亮は「最も強い議員を除名にする勇気に敬意を表する」と皮肉ったw。
その後、11月3日には、黄宗源、廖本煙が、尹伶瑛とともに記者会見を開き、環境運動に従事してきた尹伶瑛は、「もし自分の選挙区における選挙協力で、世論調査で民進党候補が勝ったら民進党候補の選対本部長になるし、私が勝ったら私は民進党に入党する」と宣言した。
ほかにも黄適卓、何敏豪、陳建銘らも離党するのではないかとささやかれている。

■環境中道左派が離党して残る「中道左派」路線とは?
環境運動に従事してきた尹伶瑛が離党して民進党に転身するなら、李登輝や台連が最近かげてきた「中道左派」路線は、やはり偽者であったことが明らかとなる。今の台連で中道左派路線を体現する人物は実は尹伶瑛しかいない。反民進党の立場が強い幸媛は「左派」として有名だが、この人の場合はどちらかというと統一派の疑念もあり、しかもその「左派」理念といっても、階級闘争論に立脚した古いタイプのサヨクであって、21世紀の台湾に必要な、人権と環境に立脚した左派ではない。
そういう意味では、もっともまともで唯一の中道左派(だからこそ台連をやめたら中道左派の民進党に行くのだ)である尹伶瑛が離党するとしたら、台連のいう「中道左派」とは何なのかが問題になる。
うがった見かたをすれば尹伶瑛が出て行って、幸媛しか左派が残らないとすれば、台連のいう「左派」とは「統一左派」「マルクス主義左翼」のことであって、およそ台湾の主流には反した時代錯誤の論理である。これでは台連は国民党よりも反動的だということになり、消滅するしかないし、消滅したほうが良いだろう。それを進めようとしているのは、ほかでもない李登輝である。

■赤シャツ部隊幹部も党本部に出入り
さらに、問題になっているのは、自由時報が11月2日付けで報じたように、昨年の陳水扁打倒運動で活躍した「紅衫軍」(赤シャツ隊)の幹部もつとめた劉坤鱧が台連党本部に出入りしているという問題である。劉坤鱧はもともと民進党員だったが99年に中国に留学し博士学位を中国で取得したような人間。
一部の台連議員が問題にしたが、文宣部執行長(広報局事務長)の周美里が「単に手伝ってもらっているだけ、問題ない」などと開き直っている(しかもこの周美里は台連に入党していないという)。

■台連はいまだに謝長廷支持を表明せず
しかも、台連はいまにいたるまで党の総意として謝長廷支持を表明していない。それどころか、李登輝は10月上旬以来「国民党も民進党もダメだ」として、謝長廷をも否定する発言をしている。謝長廷と李登輝は2000年以降蜜月関係にあったが、今年2月に李登輝が台湾独立を否定する発言をした以降、齟齬が出てきたのか?それとも、馬英九が李登輝と対立しないように、蕭萬長を副総統候補にしたことが李登輝に謝長廷への傾斜をためらわせているのか?いずれにしても、本土派を自任するなら、トンデモ反日大中国主義の馬英九が絶対に当選させてはならないはずで、謝長廷支持を表明するしかないのに、謝長廷支持をしないということ、また赤シャツ隊を出入りさせているということは、李登輝と台連はもはや本土派とはいえず、限りなく国民党に近いというべきだろう。

■私の予言が的中
つまり、私が今年3月号の「諸君!」で懸念を表明していた「李登輝の転向」がいよいよ明らかになり、台連の泡沫化、崩壊が現実のものとなりつつあるようだ。私は一方では自分の判断と予測の正しさを誇らしく思うと同時に、もう一方では台湾独立派政党が一つ消えることに失望を禁じえない。

■李登輝はしょせん元国民党主席
台湾では、台連の転向について「小選挙区制をにらんで生き残りを図るために、台湾農民党、第三社会党、紅党などとともに青と緑の中間派の第三勢力を糾合しようとしているためだ」という見方もあるが、それは理念軸というものがわかっていない見方だと思う。私は30日の「大話新聞」で「台連と李登輝の今の路線は、明らかに国民党、中国に接近しようとするものだ」というジャーナリストの陳立宏の指摘が当たっていると思う。
もし、台湾農民党のような本土派第三勢力を本当に志向するのであれば、民進党と敵対する必要はないし、また現在考えられる「本土派第三勢力」といえば、中道左派リベラルの民進党に対抗して理念的には中道右派、保守でなければならない。民進党が日本の民主党や韓国の民主新党とすれば、いわば日本の自民党や韓国のハンナラ党のような「保守政党」を目指すべきなのである。これは何度も指摘している。
ところが、李登輝と台連は何を勘違いしたか、すでに中道左派が存在しているのに「中道左派を目指す」とぶち上げ、しかも尹伶瑛が居心地が悪くなって出て行って、幸媛が残るとすれば、台連の目指すものは、すでに「本土派」ですらなくて、統独では国民党に近く、左派としては極左に近い「統一左派」路線しかない。それは間違いなく泡沫化の道であり、また農会と台湾プラスチックが基盤となっている保守的な台湾農民党とは絶対に一緒になれない。
もともと国民党に長くいて主席まで務めた李登輝には、国民党への愛着を捨てられなかったのだろう。最晩年になって「古巣」が恋しくなったのだろう。完全に晩節を汚してしまった。

■本土派の第三勢力としては台湾農民党が浮上か?
しかし、与党民進党の対抗軸として、大中国思想を残している国民党だけが存在している現在の台湾の政党構図は、歪もいいところであり、早晩「本土派第三勢力」が浮上するだろう。
しかしそれはすでに迷走する李登輝とその下僕であり同じく迷走する台連ではないだろう。
おそらく、民進党への対抗軸となる本土派第三勢力の中心としては、国民党本土派の王金平らの息がかかり、最近台湾プラスチックの二代目の王文洋が参加した台湾農民党が浮上することになるだろう。
台湾農民党は、その成立大会や主張を見る限り、間違いなく「本土派」である。しかし、以前の台連ほど台湾独立度は強くなく、大中国思想とは一線を画していて、素朴に台湾土着という意味で「本土」なのである。
と同時に農会や台プラのような大企業がバックについているという意味では、社会政策などではきわめて保守的なものとなろう。そういう意味では農民党こそが民進党の本土リベラルに対抗する本土保守党ということができる。
もっとも、台連が台湾独立右派政党だったのに比べて、農民党の独立派色は強くはない。そのため、以前は大挙して台連支持に回った独立派運動団体や知識人は、農民党には流れないだろう。
しかし、その半面では、とかく上滑りで大衆基盤のない「独立派知識人」には求めるべくもない確固とした社会基盤が、農民党にはある。
台連が自滅へと向い、国民党内にも馬英九の統一色と迷走に不安を抱く層の動揺が強まっている今、農民党の価値は高まっていくだろうし、そうなれば、農民党は国民党本土派を吸収して、第三ではなくて、「第二勢力」になるだろう。
しかし、その他の「第三勢力」である第三社会党や紅党については意味がないと思う。大三社会党は新潮流の別働部隊で、陳水扁と謝長廷に一線を画したい一派、理念が明確ではなく大衆基盤もない。紅党は倒扁運動に走った呂秀蓮の主治医が発起したものでこれも単なる反陳水扁というだけで何の理念もなく基盤もない。しかもいずれも民進党から政治闘争にやぶれて分かれただけで、国民党から分かれた農民党と体質的に合うわけがない。
そういう点では、今後発展の可能性があるのは、農民党だけだろう。ただ、農民党が今の形のまま発展するという意味ではなくて、さらに何度か波乱と離合集散があって、徐々に大きな本土保守政党になっていくだろうと思う。