むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

法輪功もしょせんは大中華帝国主義 それに同調する「台湾の声」も大中国派

2007-03-31 17:20:28 | 中国
先日、台湾でのメディア批判の座談会に呼ばれて話してきた。その後、「新唐人電視」という法輪功系のテレビ局に取材を申し込まれて、あまり気が進まなかったが、断るほどでもなかったので受けた。ところが、呆れたことにそれは取材というよりは、もろ誘導尋問と法輪功の折伏のような感じで、終わりがけに「美國神韻藝術團」とかいう怪しげなグループの台湾巡回公演のパンフレットをくれた。それが写真のものだが、デザインセンスが共和国(北朝鮮)や毛沢東時代の中国(「白毛女」とか)と同じで笑ってしまった。しかもインクのにおいが独特のやたら臭い、嫌な臭いがするのも特徴だ。
またパンフの内容といえば、「中華文化が人々を魅了」「真の華人電伝統文化を舞台に」「中華文化の新たな意義付け」「中国人の人生哲学」などの大中華主義の文字が躍り、しかも現在の中華帝国主義の植民地になっている「少数民族」の文化までも「中華文化」の中に含めている。また、台湾人も中国人の中に含められている。
これでは、まさに大中華帝国主義そのものではないのか?

だからこそ、以前は法輪功が実はトロイの馬ではないかと疑っていたこともある。しかし、今回記者と話した感じでは中国共産党のトロイの馬ではなく、中国共産党批判の部分は一応本心ではないかと感じた。
ただ、私は取材で「中国共産党は10年もせずにつぶれるだろう」という点では彼らに同調したものの、
「しかし、中国共産党に取って代わる政権が、今より良いとは思えない」
「中国社会は現在道徳喪失で、とんでもない拝金主義と自己中心主義に冒されている。悪いのは中国人一人一人の心であって、それを共産党だけのせいにしているようでは、共産党がつぶれても、共産党と同じ政権ができるだけだ。西欧市民社会や台湾などの民主主義は、自己検証・反省の基盤に立って、一人一人が改善したから成り立った。それができない中国人は民主主義とは無縁である」
「共産党が悪いというなら、次に生まれる政権はチベットや台湾の独立を認めるのか、それも疑問だ」
「むしろある意味では毛沢東時代のほうが、共産主義とはいえ一定のモラルが社会にあった点ではまだマシだったといえる」
と、彼らの気に障るようなことを言ってやった。
彼らはそれに対して「共産党さえつぶれればよい」というばかりで、「今の道徳が乱れているのは指導者がそうだからだ」と言うばかり。しかし、いかなる体制も、それが独裁体制だろうが、人民や社会のレベルを超越するものではない(だから日本の安倍政権や石原知事も日本人や東京都民の低劣さの反映である)。今の中国共産党政権が悪いのは、人民や社会が腐っていることの反映でしかない。
それがわからないなら、そんな人たちが「共産党批判」を展開する資格などない。

考えてみると、法輪功は台湾独立支持を明言した例はない。チベット、ウイグルについても独立を支持したことはない。
法輪功の中国観は、中華民国、中華人民共和国と変わらない。それは「新唐人」テレビとその英語名「Tang Dynasty」が示すとおりである。彼らは単に中国共産党にとってかわって、大中国の覇者となり、「偉大な唐代の大中国」を復活させたいだけだろう。
法輪功には現在の中国共産党の問題を批判しても、「中国」社会や「中国人」一人一人の心に内在する問題を検討し、見直そうという姿勢はない。共産主義を批判している分、反共といううたい文句には弱いアホな米国人どもをたぶらかすことができる分だけ、余計タチが悪いといえるかも知れない。

もっとも幸いなことに台湾人で騙される人は少ないようだ。もちろん台湾人はあまり排他的なことはしないため、彼らが来ることは拒まないが、後で聞くとやっぱり内心はウザがっているし「台湾独立を支持しないからやっぱり大中国主義だ」ということはわかっている。騙されるのは、「知識人」などと気取っている世間知らずの学者風情にはいるが、一般への広がりはない。大体、今どきの台湾人は賢くなっているからだ。

ところが、台湾独立を主張しているはずの「台湾の声」は、愚かなことに、よく法輪功のソースを用いている。趙紫陽が死んだときにもそれを追悼する記事を流したこともある。李登輝も法輪功の「九評」を絶賛したことがある。しかし九評は国民党右派学者が書いたものであり、古い反共意識による共産党批判に過ぎないものだ。
「台湾の声」の「台湾独立」はまやかしである。「台湾の声」は法輪功と結託することによって、大中華主義の片棒を担いでいるだけである。法輪功は台湾人を中国人と見做している。たんに「反共」だからといって同調しているようでは、国民党や馬英九のような反動ファッショ反共主義と変わらない。

フランス大統領有力候補が北京五輪ボイコットを呼びかけ ダルフール問題に関連し

2007-03-31 16:41:09 | 中国
フランス大統領選挙は4月22日の第一回投票に向けて、左派を代表する社会党PSのセゴレーヌ・ロワイヤル候補、中道やや右寄りUDFのフランソワ・バイル候補、現与党で保守・右派のUMPのニコラ・サルコジ候補の有力三人の間で現在三つ巴の熾烈な選挙戦が展開されている。そのうち中道のバイルと左派のロワイヤルの有力候補二人が3月20日夜に「Urgence Darfour(ダルフール問題のための緊急行動グループ)」主催の集会に出席、スーダン政権によるダルフール虐殺問題に関連して、スーダン独裁政権を支援している中国を名指しで批判した。特にバイル候補は「中国が姿勢を改めないならば、2008年の北京五輪をフランスは尊厳をもってボイコットすべきだ」と主張し、注目されている。
ロワイヤル候補も「2008年五輪以前こそが、中国に圧力をかけるチャンスだ。今のままで五輪に喜んで参加するのは疑問」として、ボイコットにも含みを持たせた。

▼右派陣営は中国批判を明言せず、親中国姿勢
一方、もう一人の有力候補で現在世論調査トップにつけていることが多い右派与党のニコラ・サルコジ候補は集会にメッセージだけは寄せたが、中国については触れず、ダルフール問題への緊急対処を訴えただけだった。
しかも、呆れたことに右派与党UMP所属の体育省大臣ジャンーフランソワ・ラムール氏は「スポーツを人質にすることは許されない」などとバイル氏らを批判、中国を弁護することまでやってのけた。
右派与党UMPのシラク現大統領をはじめ、現在与党の関係者はスーダンや中国の独裁政権と親しいものが多く、サルコジ氏自身も極めて媚中派である。だから中国の犯罪的関与を名指しで非難できない。
フランス右派は腐っている。絶対、サルコジには当選してもらいたいくない。現大統領のシラクはそれでも親日だからまだいいが、サルコジは反日と来ている。しかもサルコジ自身は名前からしてもハンガリー移民の子孫のくせに、移民流入を規制しようとしている。頭がおかしいのではないか。
もっとも、反日といえば、ロワイヤル氏もわりと反日的だが、今回中国を批判したし、同じ反日なら左派のほうが良いのは当然だ(これは韓国についてもいえる。日本の右派は韓国で次はハンナラ党になればいいなどといっているが、ハンナラ党も反日だし、政党レベルでは中国共産党だけと交流していることを知らないのか?)。バイル氏の対日姿勢は知らない。

▼フランスの中道派と左派の人権感覚はまとも
もっとも、フランスでは伝統的に、中道から左寄りほど中国独裁体制に批判的で、右ほど甘い傾向があるが、今回もそれが現れた格好だ。
フランスでは左派ほど中国に批判的なのは当然で、中国が人権を蹂躙し環境を破壊する独裁体制で軍拡に狂奔しているからだ。右派が中国に甘いのは人権よりも経済利益を重視するからだ。そういう点では、フランスの左右対立は、本来の意味での左右対立だといえる(もっともフランスが左翼・右翼の用語の起源だから当たり前なんだが。とはいえ、18世紀末起源の話だから、その後の発展でもちゃんと左右対立の軸が押さえられている点はすごい)。
私自身もそういう意味でのまともな左派でありたいと思っている。

▼中国の野蛮な資源漁り外交
この緊急行動が行われたのは、中国が国連安保理でダルフール問題に関するスーダン政権非難決議案に反対していることへの危機感の現れだ。
中国自身が独裁政権で、最近「資源外交」からアフリカで資源を持つ独裁政権と癒着結託して、資源をあさりまくっているが、これがアフリカの庶民層はもちろん、欧米でも反発を生んでいる。
しかも注目すべきことに、ロワイヤル候補は1月に中国を訪問して、割と中国に甘い姿勢を見せていたのだが、今回ダルフール問題でようやく目覚めた(?)ようだ。

▼フランスの帝国主義的遺産も問題だが
ただ、ここに、フランス人の傲慢さを感じないではない。
フランスの報道では、ロワイヤル氏が今回ダルフール問題に関連して、反中に転じたのは、どうやら「私も生まれたアフリカの土地で人権が抑圧されているのは、無関心ではいられない」と述べている。ロワイヤル氏は父親が軍の幹部だった関係で、セネガルのダカールで生まれているのだが、フランスがセネガルなど西アフリカにコミットメントしているのはまさに帝国主義時代の産物である。
この部分はまたまたロワイヤル氏の外交感覚の無さ、お馬鹿さを露呈したものといえそうだ(とはいえ私は基本的にはロワイヤル氏に勝って欲しいと思っている)。

▼中国の帝国主義は現在進行形
ただし、だからといって今回、バイル氏やロワイヤル氏の発言に、中国が早速噛み付いたのは中国のお粗末さを露呈させただけだった。
また、中国国内にはダルフールへの関与や国内人権問題を取り上げる欧米世論に対して「帝国主義」という批判を展開する向きが多いようだ。しかし、現に野蛮な行動を行っている現在進行形の帝国主義者・中国には、欧米の過去完了形の帝国主義を非難する資格などない。
中国はやたら過去の他人の行為ばかり批判するが、自分が同じことを現在まさに行っていることには鈍感なようだ。

▼日本は鈍感すぎ
もっとも、日本もあまりにも鈍感である。「遠いアフリカの出来事で関係ない」という認識なのか、あるいは中国を恐れているのか、ダルフール問題についてはほとんど報道も問題提起もされず、反応も鈍い。
北朝鮮(共和国)の「拉致」に関しては、あれほど人権関連概念も総動員して口をきわめて非難するくせに、日本人が関係しない問題については何も言わないのは、人権という概念の意味をわかっていない証拠である。人権はまさに普遍的人権なのであって、国籍や民族や性別には関係しない。しかし日本人は目くじらを立てている相手である朝鮮人と同じような偏狭さで、国籍や民族や性別を限定して「人権」を論じようとする。
その急先鋒だった安倍晋三が、従軍慰安婦=軍の性奴隷制度で反動的な発言をして、米国までも含む国際社会から非難されたのは、日本の特に右派・右翼の人権感覚、国際感覚の欠如として、それが中国や北朝鮮と同レベルであるという事実をあらわにしたものといえるだろう。
「女性は産み機械」「水道水は飲み水ではない」「慰安婦の強制性はなかった」。これでは拉致拉致と騒いでも、世界の誰も相手にしてくれないのは当然である。

▼今回のフランス大統領は面白い
フランス大統領選挙に戻すと、前回5年前の選挙はあまり争点もなく、しかも第一回投票で極右排外主義者ルペン候補が2位浮上、社会党のジョスパン候補敗退を許し、決戦投票では社会党から共産党、その他左翼諸派に至るまでも保守のシラク氏に「鼻をつまみながら」入れるという屈辱の事態を招いてしまった。
ところが、今回は争点がたくさんはっきりしている。雇用、移民流入、国際関係なども争点となって、いかに極右ルペンを追い落とすかも課題になっている。さらに以前までは右派・保守のUMPと協力してきたやや右寄りの中道派UDFが、独自候補のバイル氏を出していることも特徴だ。右派、中道、左派の有力候補三つ巴の効果から、懸案だったルペンの陰は薄くなっている。
改めて、フランス大統領には、ロワイヤル氏か、バイル氏がなればいい。サルコジだけは駄目だ。サルコジはルペンと変わらない。

(ところでこの問題は例の台湾関係の右翼メルマガ「台湾の声」も流しているが、「台湾の声」は大中国反共集団法輪功系の「大紀元」をソースにして鵜呑みにしているため、ロワイヤル氏もボイコットを主張したかのようになっているが、それはニュアンスとしては異なる。ちゃんとフランスのソースで確認すればいいものを、なぜしょせんは中国人が作っている大紀元なんか信用するのだろうか(嘲笑)。

フランス語の新聞記事やブログ
http://www.boursorama.com/pratique/actu/detail_actu_flash.phtml?&news=4036741
JO 2008: émoi olympique après une flèche de Bayrou contre Pékin
Reuters par Kerstin Gehmlich

http://www.comlive.net/sujet-128862.html#entry7759840
Partagez-vous l'opinion de Francois Bayrou ?
Oui, il faudrait boycotter les JO les cas echéant [ 9 ] [28.13%]
Non, c'est une mauvaise idée [ 23 ] [71.88%]
Total des votes: 32

http://www.lemonde.fr/web/depeches/0,14-0,. ..95@7-354,0.html
Francois Bayrou a t-il parlé trop vite, gaffé ?
Ou au contraire, soutiendriez-vous une telle démarche de boycott ?

http://www.20minutes.fr/article/147616/20070323-Monde-Bayrou-et-Royal-nouvelles-betes-noires-de-Pekin.php
Bayrou et Royal, nouvelles bêtes noires de Pékin?


http://www.lefigaro.fr/election-presidentielle-2007/20070323.FIG000000226_pour_pekin_bayrou_et_royal_ne_sont_pas_tres_au_courant_des_subtilites_diplomatiques.html
La Chine n'apprécie pas la menace d'un boycott des JO agitée par Bayrou et Royal
JEAN-JACQUES MÉVEL (à Pékin).
Publié le 23 mars 2007
Actualisé le 23 mars 2007 : 09h29

http://tempsreel.nouvelobs.com/speciales/elysee_2007/20070321.OBS8147/les_candidats_prennentdes_engagements.html
Les candidats prennent
des engagements
NOUVELOBS.COM | 21.03.2007 | 10:52


http://fr.answers.yahoo.com/question/index?qid=20070324055754AA00itA
Royal est-elle contre la participation de la France aux Jeux Olympiques ?


http://www.francematin.info/La-bourde-de-Bayrou_a10644.html
Politique
La bourde de Bayrou
(フランス・マタンは右派紙か?それだけあって、バイル発言を「へま」と捉えているのがずれている)


英語のソース

http://www.iht.com/articles/ap/2007/03/21/europe/EU-GEN-France-Darfur-Olympics.php
China faces Olympic boycott call, tough French stance, over Darfur
The Associated Press
Published: March 21, 2007

http://slam.canoe.ca/CPSportsTicker/CANOE-wire.France-Darfur-Olympics.html
March 21, 2007 French presidential candidate suggests Beijing Olympics boycott over Darfur

英語ソースでは、さすがにチベット関係者が敏感に反応している。
http://www.tibet.ca/en/wtnarchive/2007/3/23_2.html
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=16063
Boycott Beijing Olympics - French Presidential candidate
By Tenam
World Tibet Network News
Published by the Canada Tibet Committee
Friday, March 23, 2007

SAPIOインタビューこそ李登輝氏の対中傾斜を証明するもの

2007-03-29 17:36:57 | 台湾政治
李登輝氏の親中派への転向は、SAPIOインタビューを読めば明らかなのだが、むしろ読んでもそれに気がつかない人が意外に多くて驚いている。

李登輝氏とともに親中への傾斜の気配が出てきている日本右翼系「台湾の声」
でも

>>2007/03/26-22:24 8400 「台湾の声」:李登輝氏は転向していない!ー黄昭堂・台独聯盟主席

>『SAPIO』(二月二十八日号)を読もう。李登輝氏の「転向」など、根も葉もないことであることがわかるはずだ。
>(永山英樹記)

それから本ブログに対するコメントでも

>Unknown (通りすがり)
>2007-03-27 19:55:35
>李登輝は転向したのだろうか?
>少なくとも、SAPIOを読む限りではそう思えないが。

何を寝ぼけたことをいっているのだろう?
壱週刊やTVBSはともかく、SAPIOを読めば、李登輝氏への対中傾斜は明らかだというのに、李登輝信者は李登輝崇拝のあまり目が曇りすぎて、正常な判断力もないようだ。

まさに、SAPIOを読めば転向は明らかである。

大体李登輝氏は「三通どころか、メディアも宗教も文化も含めて四通も五通のやればいい」と主張しているではないか?
この主張は、台湾主体性意識と反中感情がどんどん高まっている台湾においては「統一派の手先」と認定されるような暴言である。
ほかならぬ台湾の独立派の間では、この部分に対する違和感と反発が多いのである。
それとも、李登輝氏を「転向していない」などとする信者たちは、台湾も日本も中国からの観光客や資本や宗教や文化もどんどん受け入れてもいいとでも主張するのだろうか?
それこそ中国の膨張と覇権に手を貸す無謀な企てであることも分からないのか?

SAPIOの話に戻すと、李登輝氏は世界中が中国を非難した衛星破壊実験についても「それは中国が世界に誇る、威張るための手段の一つ」などとして弁護しているような口ぶりだし、ほかでも井沢が一所懸命中国批判の水を向けているのに、ぜんぜん乗ってこないどころか、今ひとつ歯切れが悪い。
以前なら井沢氏が水を向けなくても、率先して中国批判を展開していたはずである。

また、呉淑珍については、下半身不随で健康状態も良くないことはよく知られていることなのに、わざと仮病を言い立てて、法廷に出てこないかのような言い方をしている。
これは身障者を侮辱した言い草。キリスト者として信仰があるというのは聞いてあきれる。人間としても失格。
しかも呉氏が下半身不随になったのは、李登輝自身が副総統だった時代の出来事だというのに。
李登輝は総統時代に白色テロ事件の解明をしてきたのか?

しかも自分はキリスト者だから、信仰のない陳水扁よりマシだと自画自賛の主張を行っているが、新約聖書のいたるところに、聖書や信仰を持ち出しておごり高ぶってはならない、と指摘されている。
李登輝は聖書もまともに読んでいないらしい。キリスト者として失格。信仰は他人を攻撃するためにあるものではない。自らの修養と鍛錬のためのもの。信仰があるからといって他人の無信仰や異なる信仰を非難するのは、十字軍と同じ野蛮な発想だ。

それにもかかわらず、李登輝信者には、李登輝氏の明らかな転向発言、人格的にも問題がある部分にも、気がつかない。
「国家の正常化と正名、制憲を主張されているから、お変わりがない」などと強弁するが、だったら聞きたいが、李登輝氏が正名や制憲を主張しているというが、だったらどうして民進党政府が最近進めている正名を「選挙目的」などとして非難する発言をしたのか?(しかも今の時期は選挙とは最も関係がない)
しかも李登輝氏は正名や制憲も具体的なタイムテーブルや方法を提示していない。
具体論、戦略論がなければ、正名や制憲に関する李登輝氏の主張は単なる空論、空言に過ぎない。
口先だけ正名や制憲といったところで、一方では「台湾独立は意味がない」といっているのだから、うがった見方をすれば李登輝氏のいう正名とは「台湾」ではなく「大中華」、制憲は台湾国憲法ではなくて、「中華連邦憲法」のことかも知れないのだ。
台湾独立という目標を示さない「正名・制憲」は、中国からみれば忌避すべき話ではない。

これでは「口先だけでは独立よりのことをまだ言って信者をたぶらかしておいて、具体論では孔子の道訪問や中国観光客や資本の台湾誘致を主張し、中国に媚を売っている」と言われても反論できないだろう。

こうした李登輝信者の催眠状態、「李登輝先生がおっしゃることはすべて正しい」という心境は、まるでハンメルンの笛吹きが象徴している少年十字軍と同じ盲目、盲従である。

まあ、結果はどうせ今年中には分かるだろう。
李登輝が訪中するか、あるいは馬英九応援に立つか、いずれか、いずれもの現実に直面して、信者たちはどう釈明するのだろうか?

すでに「台湾の声」では、李登輝が訪中しても何も問題がないことのように「孔子諸国周遊の道と奥の細道は同じこと」と弁護しはじめているし、馬英九についてもこのブログで指摘したように、「台湾の声」ではすでに馬英九を「李登輝の台湾路線に最も近い人物」などと事実を歪曲して馬英九を賞賛するような記事も載せられている。

要するに、李登輝氏とその信者集団は、面子をつぶされてパニック状態となって、台湾の民意からますます遠ざかっているのである。
つまり、第二の許信良、あるいは古い譬えをすれば第二の馬璧というべきである。

また、一部国民党シンパの日本人は、「李登輝氏が馬英九氏に近づいているのは、台湾の民意が国民党優位、統一志向になっているからだ」などと主張しているが、それは台湾の最近の民意の趨勢をまったくわかっていないだけだろう。

台湾では若者を中心に、台湾の国名は中華民国ではなく台湾、台湾人は中国人とは違い、統一は将来的にも拒否、新憲法を制定すべきだという台湾主体意識がどんどん強まっているのである。

しかも馬英九氏と国民党の気勢は2月の汚職容疑での起訴をきっかけに大きく低迷しはじめている。国民党内部は王金平派と馬英九派の対立と矛盾が激しく、まとまらないだろう。
世論も国民党が最近の蒋介石擁護など古臭い思想に固執しているのを見て、国民党にあきれ返っている。
さらに、これは後で別項にしたいが、国民党統一派支持で香港・中国資本のTVBSがこのほど「独自ダネ」として放映した「ヤクザの脅迫」場面が、実は自社クルーが自作自演をしていたことが明らかになって大問題になっている。国民党や統一派の勢いは失速する一方だ。

それに対して、民進党は陳水扁総統のレームダック化は確定だが、2008年に向けた新たなリーダーが台頭してきて、先週土曜日24日には予備選挙候補者の公開弁論会も実施され、党勢は再び上向きになっている。

台湾世論の台湾独立傾斜、国民党の内部抗争と独裁時代賛美、統一派メディアの自爆などを見れば、2008年も民進党で間違いないといえるだろう。
そういえば、広告で見たところSAPIOはいまだに馬英九が本命だとにらんでいるようだが、SAPIOは李登輝信者と同じで、状況を的確に判断できないのだろう。

「台湾の声」こそマレー人を差別している 「台湾人=マレー系」で何が困るのか?

2007-03-27 01:47:35 | 台湾その他の話題
「諸君!」4月号で李登輝氏の転向について指摘したところ、その信者団体である「台湾の声」一派がそのメルマガで執拗に酒井論文批判キャンペーンを行っている。
ほとんどが、酒井の背景に対する誤認や憶測に基づいた単なる罵倒の類だ。
その中で唯一まともな反論といえるのは
http://www.emaga.com/bn/?2007030045568193016047.3407 件名:「台湾の声」【寄稿】酒井亨論文に駁す 李登輝氏のイメージダウンが狙いか 酒井亨論文(『諸君!』四月号)に駁す(台湾研究フォーラム会長 永山英樹)くらいのものだ。
だが、その永山氏の反論にしてすら、ちゃんと台湾で取材もせずに、日本で入手できる断片的な情報だけで、あれこれ言っているところがお粗末である。
それにしても、私は悲しい。
「台湾の声」一派については、私とは思想的には違うとはいえ、日台関係の増進という立場から、それなりに応援もしてきたし、期待もしてきたが、今回の悪質かつ低劣なキャンペーンを見て、あまりの低劣さに驚きを通り越して、哀れに思う。
しょせん、彼・彼女らには「日台関係」や「台湾の前途」そのものへの関心がなく、単に日本の右翼が「親日政治家李登輝」をおかずにして、自らの右翼思想を満足させたかっただけであることが、この間の言動で明らかになった。

では日本に親台湾派はいないかというと、それが増えているのだ。若者は純粋に台湾を好きになるものが増えている。これは心強いことだ。
そういう現実を見れば、いかに「台湾の声」が失格であり、時代遅れであるかがわかる。これ以上、台湾および日台関係に危害を加えないで欲しいものだ。

それにしても、「台湾の声」一派は、気が小さいらしく、私に直接何も言ってこない。直接言ってくることを手薬煉ひいて待っていたのだが、空振りに終わっている。そのかわり、私が直接受け取っていないメルマガでわあわあ騒いだり、諸君編集部に威力業務妨害まがいの下劣な脅迫を行ったりしているようだ。
あまりにも低レベルでお粗末すぎるので、無視するつもりだったのだが、ここ最近になって片言隻語をとらえて、「人種差別」だと攻撃するキャンペーンを張り出したので、これについてはちゃんと反論しておかねばなるまい。

まず、「台湾の声」は3月25日付けで
件名:「台湾の声」【酒井論文】人種差別論文を掲載した『諸君!』 台湾人への侮辱を許さない! 人種差別の酒井論文を掲載した『諸君!』(台湾の声編集部)
http://www.emaga.com/bn/?2007030073735287003185.3407
という文章を配信した。
これは文体や語気や攻撃の方向性から見て、東大院生のT氏が執筆したものと見られる。
つまり、「諸君!」で「これはレイシズムではなく文化人類学的な話として理解してほしいが、台湾人の多くは血統的にはマレー系平埔族を受け継いでおり、事実台湾で生活していると、中国よりもフィリピンやマレーシアなどと社会や人間の関係性が似ていることに「李登輝が懸命に推していた候補が惨敗し、しかも李登輝が最近罵ってきた民進党が勝ったことで、李登輝自身は大きく面子をつぶされたことになる」
「(文化人類学的に)マレー系や台湾人の場合、面子がつぶれると一種のパニック状態になり、自分は間違っていないと言い聞かせながら、面子がつぶれた状況からの当否を図ろうとする。往々にしてそれまで言ってきた立場や主張をかなぐり捨てることも多い」
と書いたことを取り上げて、

>『諸君!』(4月号)が掲載した酒井亨論文「李登輝は『転向』したのか」は、
>話がいいかげんなだけでなく、台湾人を侮辱する人種差別の内容だ。

と攻撃している。

まず、「台湾の声編集部」およびT氏に聞きたいことは、そもそもこれのどこが「差別」なのか、ということである。これが差別だというのは実に面妖な主張だからだ。

台湾人が中国人特に福建人よりも、マレー系の血統と気質を色濃く持っていることは、台湾人社会で生活し、中国福建、フィリピン、マレーシアなどにも足を運べば、容易にわかる現象であって、これを「差別」などというなら、あらゆる民族性の指摘や比較などできないことになる。

まして、台湾人がマレー系だということは、中国人、福建人とは違うということを指摘していることになるわけで、「脱中国」という観点で見るならば、台湾独立支持勢力ならば賛同して感激するべきことであっても、批判すべき話ではない。
それとも、「台湾の声」は、台湾人が「偉大なる漢民族であって、汚らわしい東南アジアの蕃人と一緒にするな」とでも言いたいのだろうか?

確かに台湾人の中でも、いまだに国民党教育やかつての漢人思想の影響で「台湾人は漢民族だ」と信じ込んでいる人間が多いが、まさか「台湾の声」も漢民族主義に立って東南アジアを夷戎視するとは思わなかった。

しかもこれは「諸君!」昨年11月号の台湾新幹線についての論文でも指摘していることであって、別に今回になって初めて出てきた話ではない。この部分については昨年10月に反論するならともかく、今ごろになって噛み付くのはどうかしている。

また、ここで「台湾人はマレー系だから駄目だ」などと誰も書いていない。
台湾人を含めたマレー系は、面子がつぶされるとその状況から逃避して、往々にして前言を翻すことがよくある。それは生活経験があれば容易にわかることであって、それは善悪の問題ではなくて、ただ、日本人にも中国人にもない、そうした気質や特徴があることを指摘したに過ぎない。
それを逆に「悪いこと」だと解釈して、「差別」だと騒ぐとしたら、そう主張している人がマレー系を差別していることになる。

「台湾の声」はどうも李登輝氏が「転向したこと」を「悪いこと」だと考えているからか、「転向などしていない」と強調し、「意見をころころ変える」台湾人の民族性も「悪いこと」だと思っているようだ。
しかし、意見や立場をころころ変えることが「悪いこと」だと言う思想は、日本人には根強いが、それが世界に普遍的な基準ではないことを知るべきだ。
少なくとも現在の台湾で李登輝氏が意見を変えたことそのものを誰も非難していない。問題は変わった方向性と内容そのものなのであって、「変節が悪いこと」だという台湾の声や日本人の認識は、台湾から見てずれているのである。

実際台湾では変節や転向そのものは悪いことだとは見做されない。私自身も台湾在住6年にして、やっぱり日常的にころころ意見を変えてきている。
それは冬でも零下にならず、従って地面が凍結することがなくて、植物が育つところで、別に「歴史的経験の蓄積」というものが重視されないし、暑い夏が長いので、「そんな昔のことなど固執していられない。その場しのぎでいいじゃないか」という発想が強くなるのは当たり前のことである。
それをあたかも「悪いこと」だと決め付けている「台湾の声」特にT氏の発想こそが、日本人に特有の感覚にとらわれて、台湾やマレー系アジアの発想やルールを否定する差別主義者だと言える。

>冗談ではない! 明らかにレイシズムではないか。いつから台湾人がそのような
>民族性になったというのか。

いつからも、昔から台湾人はそういう民族性です。
「冗談じゃない」ということは、そういう民族性を「悪い」と決め付けていることになって、それこそ傲慢で横暴な偏見というべきである。

あらゆる民族性には一長一短があるし、欠点に見えることも長所になることがある。
台湾人が意見や立場をころころ変えることは、日本人から見れば、節操がないと見えるかも知れないが、逆に日本人にはない柔軟性やフレキシビリティが生まれる。
台湾の中小企業の柔軟性と縦横無尽の活躍は、「意見や立場をころころ変える」からこそ生まれるのである。
たとえば、独立派の後援者として知られる蔡コン燦氏も、かつてはウナギ養殖業だったのが、後でIT部品メーカーに転身している。こうした転身は頭の固い日本人ではなかなかできない。

だから、「冗談じゃない」という感情的な一言は、台湾人がころころ立場を変えることのプラスの側面を見ないで、日本人的な偏見で一概に「悪いこと」だと決め付けているからこそ出てくる言葉なのである。T氏こそ台湾人を否定しているのである。

>面子をつぶされてパニックになる人は台湾に多いだろうが、日本でも、どこの国でも、そのような人間は普通に見かけることができるはずだ。

どうもこのT氏は読解力というものがないようだが、問題はその後。「その場から逃避しようとして、往々にして前言を翻す」ことが、特徴だといっているのである。
日本人の場合は(中国北方や朝鮮人もそうだが)、面子をつぶされてパニックになるが、その場合は前言に固執して、他人を変節していると罵倒することで、逆に自己の正当化を図ろうとする。これがマレー系と日本人との違いである。
「面子をつぶされてパニックになる」だけを読んで、後段を見落として噛み付いても意味がない。

>李登輝氏が台湾人の血を持っているために、パニック状態になって、立場や主張
>を変えて、中国に工作されたという証拠を示してほしい。

であれば、李登輝氏が中国の工作を受けていないという証拠はあるのか?

こちらの証拠はきちんと挙げている。
パニック状態になったのは、羅志明が6000票しか取れずに惨敗したことで面子がつぶれたと具体的に指摘している。
また、中国に工作されたことも、南方快報や李登輝の個人顧問の話を紹介している。
多少ぼかしているのは、情報源の秘匿という記者として当然の行為であって、ぼかされているから証拠として不十分だというのは言いがかりである。
まして、南方快報は台湾独立派のネットニュース広場である。そこで指摘されたことを否定するなら、「台湾の声」はもはや台湾独立も否定するということなのか?

>このような「文化人類学」の学説がどこにあるのか。酒井氏一人の学説だ。李登輝
>氏が転向したという考えを正当化するため、好き勝手に作った人種差別の学説だ。

学説も何も台湾やマレー社会で生活していれば、誰でも気づく、「日本人とも中国人とも違う特徴」である。
台湾に生活者として住んで、台湾人の集団の間で格闘した経験がない青二才にはわかっていないだけである。

>何も知らない『諸君!』の日本人読者は、このような悪意の「学説」を信用してしまうに違いない。

台湾に住んで台湾人の組織で働いたことがない日本人のT氏こそ何も知らない。
しかもT氏は福建にもフィリピンにも行ったことがなく、日本で組織に勤務した経験もない。

>台湾人にとっては、とても不愉快なことだ。訂正を拒む『諸君!』は台湾人が中国人や韓国人と違って大人しい民族だからとなめるのは傲慢である。

現在台湾に住んでいない人は台湾人とは言えない。
もし、この部分を台湾出身のL氏が書いたとしても、台湾出身であることは、台湾人として主張できることにはつながらない。
もし台湾人として生まれたことが台湾人の資格だというなら、それこそ国民党と同じ血統主義でしかない。
現在の台湾においては、台湾人の定義は、「台湾にアイデンティティを持ち、現に台湾に住んでいる人」である。
台湾に住んでいない人、高給を棄ててまで戻る気のない人は、台湾にアイデンティティを持たない馬英九氏と、実は同列でしかないのである。

>『諸君!』に良識があるなら、即刻に訂正するべきだ! 

良識があるからこそ、威力業務妨害や脅迫まがいの圧力は通用しない。


===============================

さらに呆れたのは、26日に配信された慶応大学教授野村亨氏の文章。

>件名:「台湾の声」【読者便り】台湾人の名誉のために申し述べます
http://www.emaga.com/bn/?2007030079128670001927.3407

と、まるで台湾人社会の現象指摘が、台湾人の名誉を侵害していると言わんばかりの標題である。

>「文化人類学的」に「マレー系や台湾人の場合、面子がつぶれると一種
のパニック状態になり、自分は間違っていないと言い聞かせながら、面子がつ
ぶれた状況からの当否を図ろうとする。往々にしてそれまで言ってきた立場や主
張をかなぐり捨てることも多い」と書いているそうですが、文化人類学からみて
まったく誤りです。
>

> 私の専門フィールドであるマレーシアでは、英領マラヤ時代に、マレー人がパニ
ック状態に陥るとマレー語で「アモック」と呼ばれる一種の錯乱状態になって親族や
村人を誰彼の見境なく殺してしまうという現象が見られ、ここを統治したイギリス人
はこれを一種の民族的な形質に由来するもの、あるいは一種の風土病と考えていまし
た。
>

「面子がつぶれる」こととその後の行為について述べているのであって、それが必ずしもアモックのことだとは誰も書いていない。勝手にアモックのことを連想したとしたら、それこそ的外れである。

>まして、台湾人がマレー系の血筋を引くからと云ってこれを直ちにマレー半島のマレー人と関係づけることはまったく論理的に成り立ちません。

などと言っているが、この教授は台湾のことを知らないで、専門外のことに首を突っ込もうとするからヤケドをする。
そもそも民族性の現象説明に論理的に成り立つかどうかなど関係がない。
また、文化人類学に論理を持ち込んで説明しようとしたら、それこそスチュアート・ホールらに批判されたような「帝国主義者の学問」そのものではないのか?

しかもこの教授、論理にこだわる割りには、自らの論理は破綻している。

>ここを統治したイギリス人はこれを一種の民族的な形質に由来するもの、あるいは一種の風土病と考えていました。
>しかし現在では、これは追い詰められた状況に陥った個人が起こす行動の一種と捉えられており、人種や社会に由来するという学説はまったく否定されております。

として、アモックがマレーシアの社会に由来することを否定しておきながら、

> 私の知る限り、台湾の原住民はフィリピン群島のマレー系人種と近い関係にあるこ
とは知られておりますが、フィリピン社会に上記のようなアモックに類似した現象が
あるという研究報告は寡聞にして聞いたことがありません。また日本領時代に行われ
た台湾原住民の調査などでもこのような学説が示されたとは聞いたことがありません。
>

とアモックがやはりマレーシアに特有の現象、つまり社会に特有の現象だと指摘する始末。
他人の言説を否定しようとすることに汲々として、自分の論理の破綻を招いたお粗末さ。

> 結論として、このような学問的な基本常識を欠く酒井論文は単なる強牽付会に基づ
くものに過ぎず、したがってなんらの学問的根拠があるとは到底思えません。台湾人
の名誉のために以上申し述べます。

「強牽付会」なる日本語はそれこそ「聞いたことがありません」。
他人の言説を否定したいなら、それ以前にまともな日本語を使ってほしいもの。

>慶応義塾大学教授      野村 亨

「大学教授が言うことだから、偉いのだ」とでも言いたいのか?

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そもそも「台湾の声」は最近中国人に秋波を送るようになっている。

たとえば、

>件名:「台湾の声」【訃報】張 超英氏死去
http://www.emaga.com/bn/?2007030027501540000338.3407

だが、張超英氏は私もよく知っているが、宋楚瑜の手先のような存在。確かに台湾意識も強いのだが、宋楚瑜との関係の深さはよく知られていた。

>件名:「台湾の声」【案内】21日に阮銘先生の講演会
http://www.emaga.com/bn/?2007030059110654002229.3407

阮銘氏は昔は中国共産党幹部として、胡耀邦に仕えた人。確かに現在は台湾に住み、台湾独立を支持しているが、依然として台湾語はできず、表現スタイルが中国共産党そのものの大げさな北京語の長広舌で、聞いていると閉口する。

「諸君!」論文は民進党と無関係! アンディ・チャンこそ米帝右翼の手先!

2007-03-27 01:46:32 | 台湾その他の話題
アンディ・チャンなる米国籍の在米台湾人が、酒井亨を執拗に攻撃している。
特にひどいのが、
件名:「台湾の声」【論説】台湾は独立した民主国家か? 【論説】台湾は独立した民主国家か?
http://www.emaga.com/bn/?2007030065293090014092.3407

この中で、

>●危機感と独裁的言論
>酒井亨は李登輝の言論を歪曲批判して李登輝の影響力を低下させよ
>うとしたが、これは民進党の差し金ではないかと私は疑っている。

などと根拠もなく書いている。

そもそも酒井亨は民進党職員ではない。

嘘だと思うなら民進党幹部に問い合わせたらいい。
外国人は民進党に入党できない、入党しなければ正式職員になれない。また、酒井は民進党からの金をもらっているわけではない。
確かに酒井は民進党に協力している。しかしそれをいうなら、かつては台連にも協力したこともあったし、独立建国連盟にも、新潮流にも、福利国にも、林義雄の慈林基金会にも、各種環境運動・労働運動・人権運動にも協力してきている。

そもそも、酒井は現在の民進党主流よりも左寄りの、独自の台湾本土左派思想を持っていることはよく知られていることである。
酒井にとっては、台湾の独自性の発展だけに関心があるのであって、極論すれば、民進党そのものは関心がない。無論、現在の台湾では、民進党に代わりうる、あるいは匹敵するだけの台湾本土派勢力が存在しないのは事実だから、台湾独自性と国際的な発展のためには民進党に協力することが最も有効であるが、酒井が台湾において参加・参与してきた環境運動その他の様々な活動の実績、それから民進党から金をもらっていない事実を考えれば、酒井が民進党のために動いているなどと考えるのは、単なる下衆の勘繰りである。

そもそも酒井を攻撃しているアンディ・チャンこそ、身分や背景はきわめて怪しいではないか?そもそもなぜ台湾人のくせにティウではなく、チャンなどと中国語で名乗るのか?チャンは台湾人ではなくて、チャンなのか?
またどうして「アンディ」などという毛唐の名前を恥ずかしげもなく名乗るのか?
(しかも米国はヒスパニックも増えているのだから、アングロサクソン式のアンディを名乗ることは米国社会の多様性を無視していることにもなる)
しかも聞くところによると、アンディ・チャンは米国籍を持ち、米国の軍需産業に勤めてきたそうである。
台湾独立を主張するなら、祖国は台湾だけにすべきであろう。なぜ、米国籍を持るのか?まして、外国である米国軍需産業の歯車として働いたというのは、それこそ売国奴ではないのか?
まして911以降、米国の立場や路線は、台湾の主体性を抑圧し、台湾の国益と対立することが増えてきている。
もし台湾と米国が決定的に衝突した場合、アンディ・チャンが忠誠を尽くす対象は、台湾ではなくて、米国であろう。
実際、アンディ・チャンは台湾に戻って定住しようとせずに、今だに米国に滞在している。以前ならブラックリストがあったという口実はできただろうが、今の台湾にはブラックリストはない。それならなぜ台湾に戻らないのか?
アンディが非難する酒井は、日本における高給を棄てて、台湾の独自性の発展のため身をなげうって台湾に住んでいる。台湾人としてそれを見て恥じるべきであっても、非難するのは筋違いである。いったい、酒井が台湾に住んでいるのは、台湾人自身の不甲斐無さでもあるのだから。
(もっとも、日本でも民主党に英国人が、小沢一郎の昔の秘書に台湾人がいたりしたように、グローバル化の中で、政治の世界でも外国人が参加しているケースは珍しくはないが)

米国人と中国人の混交のような妙な名前を名乗り、国籍を台湾に一本化できず、米国に住み、米国軍需産業のために働いているアンディに、酒井亨を非難する資格などない。

大阪では見つからなかった「東方台湾語辞典」(; ;)

2007-03-23 04:34:03 | 台湾言語・族群
大阪では見つからなかった「東方台湾語辞典」(; ;)
長らく絶版になっていた村上嘉英編著「現代ビン南語辞典」が、東方書店から「東方台湾語辞典」として20日発売だということで、当日大阪に滞在していた私は購入できることを楽しみにしていた。
ところが、東方書店の関西支店、大型のジュンク堂の堂島本店、東梅田の新阪急ビルにあるブックファースト、旭屋書店東梅田本店、京都の中文出版社などを駈けずり回ったが、どこも空振り。
東方書店支店も22日以降入荷といっていたし、旭屋も「あまり売れ行きが期待できないので取り寄せになります」。ジュンクやファーストも店内検索で書名が引っかからなかった。
うーむ、関西のほうが好きなのだが、もはや情報では東京のほうが圧倒的なのだな。まあもともと関西は書店という意味では東京よりも見劣りがしたが(京都の丸善がそこそこ良かっただけ)、最近はジュンクができて、東京池袋よりは小さいとはいえ、それでも新約聖書のネストレ各版をそろえるなど、やたらオタッキーな品揃えで期待したのだが、駄目だった。
それにしても旭屋が「売れ行きが期待できないので」という台詞を吐くとは思わなかった。電灯焼けした、やたら古くなった本を置いているくせにねw。
そういえば京都の百万遍にある中文出版社は婆がぽつんと店番していてさびれた感じだったな。かつては有名な中文関係の書店だったんだけど、最近はネット通販や中国語圏に行きやすくなったからなのか。

私は絶版になった前の版を2冊持っていて、1冊は保存用、もう1冊を常に手元において使い倒していて、新版に期待しているんだが、今回はお目にかかれなくて残念だった。(そいえば、台湾総督府の「台日大辞典」、実は私は原本を持っている。20年近く前に台湾の古本屋で購入したが、ほとんど最後に残った保存状態の良い美品で、掘り出しものだった。しかもすごいことに、後で武陵の復刻版を常用するまでは、なんと、その骨董品の原本を実際に単語調べに使うという恐ろしいことをやっていた(T T)(^^;))。

そういうわけで折角発売日に日本にいたにもかかわらず、買うことはできなかった、という次第(^^;)。
しかも、アマゾンやヤフーでは、在庫がない状態だし。これは、次回日本に行くときまで待つしかないか?まあ知り合いに送ってもらうのも手だが、すでに旧版も持っているし、今すぐに必要なわけではないからな。

何でも事前に聞いた話では語彙数は減って(あれ以上減らしてどうするんだという気も)、台南音ではなく台北音を主にする(実用的ではないような気も)、ということだった。もっとも、語彙数は減ったとしても、kong3-kuとか現代の常用語を補充したり、thiam2とsian7の訳語の間違いなどは改善されて欲しいとは思うが。
東方書店のホムペにあった見本ページを見る限りでは、さすが時代の進歩で印刷は見やすくなった感じだが、今挙げた点を含めてどうなったのだろう。
それだけは特に確かめたい気もする。
購入した人、旧版と比較してどうでしたか?

石原都政は横暴だ!

2007-03-23 01:14:42 | 世界の政治・社会情勢
都知事選まであと2週間あまり。石原慎太郎があまりにも傲慢横暴で老害をさらして醜悪だ。しかし、浅野史郎の勢いがいまひとつ弱いのが、頭の痛いところだ。浅野史郎本人は注目を集めるための作戦だったつもりかも知れないが、逡巡しすぎたうえで、あまりにも遅くなって出馬宣言したので、せっかくの「反石原勢力の結集」という気勢がずいぶん殺がれてしまった格好だ。
浅野については私も批判がないわけではないが、それでも石原や黒川あたりと比べたら、リベラルでしかも現実的である点は疑いようがない。
まして石原は2016年東京五輪誘致などという実現不可能な目標を掲げて、そのために中国の支持が必要なため、これまでの中国批判の姿勢をかなぐり棄てて中国にすりよろうともしている(もともと石原のお友達だった黒川紀章に至っては何をとり狂ったか「中国とロシアとの友好」を主張している)。これは最悪だ。

ただ、例によって共産党が独自に候補を出して、さらに浅野の足を引っ張っているのが困ったものだ。
これは左翼系掲示板を見ているとわかるのだが、共産党やその他旧左翼の支持層が「浅野は本当の弱者の味方ではない」などと頭の固い言いがかりをつけているのだが、これが共産党支持層の「気分」なのだろう。しかし、こういう頭の固い旧左翼がいるから、日本は相変わらず保守右派独裁になっているのである。
確かに旧左翼から見たら、官僚出身で現実主義者の浅野や、自民党の一部も合流している民主党は、リベラルとはいえ満足できないだろう。しかし、政治というのはあくまでも現実であり、最善ではなくて「次善」を目指さなければならない。
皮肉な言い方をすれば、共産党は官僚や自民党とともに東大エリート独裁原理があって、思考パターンが似ているから、「リベラルよりもむしろ自民党のほうがいい」とでも思っているのかも知れない。それが共産党をして、総選挙でも無駄に出馬させてみすみす自民党候補を通してしまう事態を招いているのではないか?共産党とそのシンパは結果的には石原や自民党右派の第五列ではないのか?(とはいえ、石原の不正を共産党が暴いた点は評価している)

とはいえ、浅野の出遅れと戦術ミスもあって、今回はやはり石原が3選されてしまいそうだ。しかし、どうして台湾と日本は揃いも揃って(実は韓国もそうだといいたいが)首都の首長はどうしょうもないのばかりが選ばれ、こうも選挙民のレベルが低いのだろうか?
考えてみれば、東京市時代も含めて、東京の首長で比較的まともだったのは後藤新平と美濃部亮吉だけだったのではないか?その後の鈴木はハコ物に無駄遣いして、青島は「革新」を気取ったが都市博をやめさせただけで、馬鹿娘を芸能界に入れるなど親馬鹿ぶりをさらけ出した。
美濃部については「福祉ばら撒き」などと保守から非難されてきたが、ドラ息子の情実人事とカラ出張やハコ物に税金を無駄遣いすることに比べたら(比べなくても)、はるかに健全だ。それに美濃部には良いブレーンがいた。

安倍首相は、年齢の割りに思考パターンが古くて観念的すぎる

2007-03-23 01:11:11 | 世界の政治・社会情勢
今回日本に戻ってびっくりしたのが、安倍首相のあまりのお馬鹿ぶりだ。年齢的に若手に属する割には思考様式が古く、あまりにも観念論で突っ走って失敗しているという印象だ。私とは思想的には違う右派ではあるものの、年齢的な若さやブレーンの清新さを見て、一時期は多少は期待する部分はないわけではなかったが、あまりにもひどすぎて目も当てられない。これは長くはもつまい。
特に日本に戻る直前にあった「従軍慰安婦の強制性否定」発言は、その後修正を迫られたものの、あんぐり。これは、その前の柳沢伯男が「女性は産む機械」などの女性蔑視発言などと合わせると、安倍晋三という人間のあまりにも反動的な体質と思考様式を示すものだといえる。

しかも、アホなことに、首相周辺は台湾政府外交部などすら抗議声明を発したことに「驚いた」らしいことだ(政府筋から聞いた話)。台湾の現政権与党民進党がリベラル左派政党で、人権・環境・女性問題にうるさいことを知らないで、「台湾は抗議するはずがない」とタカをくくっていたとしたら、それこそ馬鹿すぎる。首相周辺にはろくなブレーンもいないらしい。
台湾は確かに親日だ。これは疑いようがない。しかし、それはあくまでも台湾の主体性をもって、台湾の都合による「親日」なのであって、日本人右翼の基準に都合に合わせてくれる「親日」ではない。これは、実は韓国人の「反日」が単なる日本人右翼の「親日か反日か」の基準で決め付けられているが、韓国人は決して反日とはいえないことと通底する思い込みなのだが、日本の右翼の心の貧しさを示している(しかし右翼というのは心を重視するものなのだが)。要するに日本の右翼は、台湾が「親日」だから、日本がどんなに時代錯誤な主張をしても目をつむってくれると勘違いしているのである。
そういえば以前、日本人右翼学者のグループが民進党を訪れたとき、民進党の日本語パンフレットに「日本植民地統治によって台湾人は多くの苦痛を経験した」みたいな記述があったのに目くじらを立てたが、民進党の議員らが「日本も外来植民地政権であって、その点では台湾人にとっては苦痛だったことは間違いない」と反論して、かなり険悪になったことがあった。
これは民進党が西欧基準でいえば明らかに中道左派、日本でいえば民主党左派くらいのリベラル左派政党である点を考えれば、わかりきったことなのだが、どうも日本の右翼勢力はそれが理解できないらしい。どういうわけか台湾というクニについては、それに強く関係する大国である日本、米国、中国の権力者や右翼は、自分たちに都合の良い部分だけを見て、都合よく解釈して、都合の悪いことは見ないか抑圧しようとする傾向がある点ではよく似ている。困ったものである。

だから、今回安倍首相の「慰安婦強制性否定発言」が台湾の政権与党レベルで問題視されたのは当然のことである。もっとも民進党がリベラル左派だといっても、「反日民族主義」ではないから、慰安婦問題を「日本民族の残虐性の問題」などとするどこかの反日民族主義集団とは違って、それを普遍的な女性の尊厳に対する抑圧ととらえて、日本軍の性奴隷制度だけでなく、中華民国によるいわゆる831(パーサンヤオ)問題、戦後シナ人植民者による原住民強姦などついても同様の視点から追及しているのである(この点では、「反日」だけを眼目とした中国右翼や日本の旧左翼とも違う)。
そういう意味では、台湾のリベラル派の立場は、日本人の旧態依然とした「左右」両方から理解されないが、実はもっともまともだといえるのである。

ところで、慰安婦問題については、米国までが噛み付いた。これも安倍首相周辺にとっては想定外だったようだが、あまりにも愚かである。統治能力がないとしかいいようがない。そもそも安倍首相は右翼の癖して、新右翼の一水会などが問題にしてきた「ヤルタ・ポツダム体制」の問題について考えたこともないらしい。そもそも先の大戦における日本の罪について、これを追及してきたのは米国なのであって、その琴線に触れるようなことをして、米国が反発しないはずがない。
だからこそ、マイケル・グリーン、シーファーのような知日・親日派の重鎮ですら、慰安婦問題における安倍首相の軽率な発言を批判したのである。
ましてや、米国では昨年の中間選挙で民主党が勝利し、下院議長にはリベラル・人権派のナンシー・ペロシが選出されている。ペロシは昔から慰安婦問題にうるさかった。
しかも右派は愚かなことに、ペロシのような日本に批判的なリベラル派を「中国の手先」だと宣伝したがっている(たとえば産経新聞の3月15日付け朝刊一面の報道など)が、それは一部にそういうのがいるかも知れないが全体がそうだというのは誤りだ。なぜならペロシは同時に台湾やチベットの問題については、きわめて強硬な反中国派でもあるからだ。つまり、米国のリベラル人権左派は日本のそれとは違って、あくまでも人権については一貫しているのである。産経新聞はそうした側面を見誤って、日本の右翼を誤導させている。
そうした産経など右派メディアの誤った宣伝を鵜呑みにしているのか、安倍首相らは一方では「日米同盟」という実はかつては自民党ハト派が決定した路線を継承しながら、その一方では岸信介譲りの復古主義右翼思想を純化して進めようとしている。だからこんなトンチンカンな醜態をさらすことになるのである。
本気で「慰安婦強制性否定」「河野談話否定」をしたいのであれば、新右翼が言っているように「YP体制打破」つまり反米民族主義に突っ走る覚悟がなければならない。しかし現実にはそんなことは不可能だし、まして安倍首相は「日米同盟強化」も謳っているのだから、自家撞着もいいところだ。

確かに従軍慰安婦は、「軍による直接的な強制徴用」を示す物的証拠はまだ出ていない。だから(理由はこれだけではないが)慰安婦補償の訴訟では原告・慰安婦側は勝てないし、現時点では国家賠償はできないことは事実である(日韓協定などで請求権が放棄されている点はあえて捨象するとしても)。しかし、だからといって今後動かぬ証拠が出てこないのだから、一国の首相が「強制性はなかった」などと断言することは、「もし出てきたら嘘を言っていたことになる」のだから、政治的に明確に誤りだと言わざるを得ない。

今の自民党が右よりの天下になっているからといって、しかし若手議員と話している限りでは、ここまでの現実感覚の欠如と時代錯誤性は感じない。若手右派は基本的には戦後民主主義は否定しないし、北朝鮮や中国を語るときも人権を軸にして論じるからである。
ところが、安倍首相の場合、生まれ育った環境が岸と安倍という極右家族だったこともあってか、年齢から信じられないほど思考様式が古くさい。昔ながらの軍国主義・復古主義右翼である。しかも岸信介ほどの「ずる」がつく賢さもなく、政策論争ができないから、抽象的で短絡的なイデオロギーにばかり突っ走っている。だから、台湾からも米国からも評価されない。これが同じ右寄りといっても漫画をたくさん読みこなし経営にタッチした経験もある麻生太郎あたりとの違いか。

まあ、左翼も左翼で、旧左翼がまだまだ存在していて、こないだ東京で会った旧左翼学者はしきりに「知識人が大衆を導く役割」を強調していて、閉口した(笑)。ネット時代にネットをやれば誰でも簡単に知識が手に入れられる時代に「知識人の役割」とは恐れ入ったが(「おまえは丸山真男か?」)、それと同じくらいの古さが、安倍晋三にもあるのだ。だから、安倍晋三は駄目である。

本当はここで民主党に交代してもらうのが筋なんだけど、民主党も小沢一郎が代表になって精彩を欠いているのも事実だな。小沢って頭は良いことは認めるが、はっきりいって根暗でどうしょうもない(といっても岡田克也よりはマシだが)。前原誠司もちょっと「あんちゃん」という感じで頼りない。本当は菅直人がなればベストなんだが、菅はちょっと脇が甘くて女性とか年金とかで自民党に足をすくわれやすいところが惜しい。40代前半にはそれなりに人材もいるんだが、若すぎるからなあ。そういう意味でも、今すぐ民主党にというのも、さすがに私が民主党びいきといえども躊躇われる。

台湾の言語状況とその展望

2007-03-05 04:22:52 | 台湾言語・族群
台湾語の漫画に関連して、台湾の言語状況とあるべき姿について、ここで改めて私の考えを書いておきたい。
台湾の言語状況に疎く、北京語も満足にできない日本人の中には、台湾語はホーロー人にしかできず、客家語は客家人にしかできないと決め付け、そのため共通語である北京語が必要だという考えている人がいる(たとえば、台中に在住という日本人日本文学研究の教員という川口隆行氏のブログ記事http://ameblo.jp/kawataka/entry-10014146905.html)。
これは、アイヌや琉球やボニンなどの異言語をすりつぶしてきて、外国語も下手な恐怖のモノリンガルである日本人にありがちなトンでもない誤解というべきだろう。
しかし、交通が不便で分類械闘も日常茶飯だった150年前ならいざ知らず族群間の通婚、融合、交流が進んでいる現在の台湾で台湾語がホーロー人しかできないと思い込んでいるとしたら、あまりにも無知というべきだ。

おまけに、この川口氏という人はとんでもないことに、台湾語も客家語も知らないなら憶測で首を突っ込まなければいいものを、

>マイノリティに対する社会(私もそのなかである利益を享受している)の暴力。この暴力の存在を問題化することなしに、「閩南語」を理解できる外労という話をしても、それはつまるところ、「閩南語」を圧倒的な力をもって使用「させる」側(主流のひとたち)を正当化する言説にしかならないし、少数派への暴力の行使を(結果的に)追認してしまうだけである。 国家の論理、そして資本の論理による言語「選択」といったことに対する、「自由」や「抵抗」といったお話も畢竟難しい。
>

などと、台湾語の族群を超えた普及をまるで「暴力」であるかのように書いている始末だ(だったら、北京語はどうなるの?)。無知とはいえ、それこそ暴論である。
その台湾語が北京語唯一主義のせいで、若い世代では下手になっているという事実も無視して、台湾語にどんな暴力があるというのだろう?
暴力というなら、戦前の日本語であり、戦後の北京語である。
しかも「国家の論理」というなら、現在の台湾語も客家語も国家権力によって制度的に保障されたものではない。「資本の論理」というなら、一部中産層に見られる英語への傾きはどうなるのだろうか?

そもそも台湾語が族群を超えて通じるようになったのは、川口氏が憎悪しているような国家や資本の論理ではなくて、それが単純に70%以上の母語だという現実によるものだ。
また台湾の歴史をひもとけばわかることだが、18世紀ごろの時点ではホーロー語(当時はいくつもの変種に分かれていた)と客家語の比率は、2対1だったのが、現在では5対1にまで広がっている。これは別に「資本の論理」などというマルクス主義用語にまみれた大層なものではなくて、単にそれが便利だったからだ。
多数派の母語が全国で通用するのは、スイスのドイツ語もそうだが、自然のことである。それをわざわざ「国家や資本の論理や暴力」などひねくれた見方をするのは、あまりにもイデオロギーにかぶれて現実の生活を観ていない固陋なマルクス主義者の戯言である。
いや、「国家と資本の論理」というならば、圧倒的多数の労働者や農民が日常的に最も使っている言語が台湾語である事実、国家や資本やメディアなど暴力装置が北京語を多用している現実を直視すべきだろう。川口氏が台湾で関係していると見られる大学やメディアは、まさに国家と資本の論理で動いている。そこは台湾語ではなく、北京語ではないのか?

とはいえ、現在の私は北京語を排斥して、無理やり台湾語が取って代わるべきだとは思っていない。
かつてはそう考えていたのは事実だが、人間の思想というのは変わるものである。それはこのブログでもたびたび披瀝している。
現在の私は、台湾語や客家語などの母語もちゃんと保存するべきで、外国人もそれをちゃんと学ぶべきだと思うが、だからといって、もはや北京語が優勢な流れは否定できないし、その北京語も台湾独自の特色を持ったピジン語である以上は、むしろ「台湾ピジン華語」に積極的な意義と役割を認めようと考えている。

しかしながら、頭の固い人が世の中に多いようで、昨年、ある統一派論者が私を名指しで罵倒した文章でも私の思想を歪曲したうえで、以前の主張を固持していると決め付けていたほか、一部でいまでに私のことを「ホーロー主義者」などと誤解している人がいる。
李登輝みたいな変わり方は良くないが、ここ2年くらいの私は「台湾独立」「台湾語の地位向上」「北京語および漢字の廃止の是非」などに関して、180度ではないにしても、かなり大きな思想的変化を遂げている。そんなことは、このブログを観ていればわかることだろう。

つまり、現在の私はすでに「台湾語至上主義者」ではない。いや、そもそも私はホーロー語の公用語化を強く主張していた時期から、すでに客家語もできたし、客家語や原住民族諸語もホーロー語と同様に、国語および公用語にすべきだと主張してきた(ところが、私を「ホーロー・ショービニスト」などと非難する外省人や日本人は、客家語がまったくできないし、ホーロー語もできない輩が多い)。
大体、現在の私は台北で若い世代と話すときは台湾華語を主に使うし、特に女性に対してはそうだ。以前は親友が北京語をしゃべろうものなら、嫌がったものだが、最近は平気である。

というのも、北京語およびそれに関連する言語的、および社会言語的ないくつかの事実に気づいたからだ。

それはまず、北京語の使用が決して台湾主体性意識を阻害していない事実が判明したためである。
確かにかつての私は、将来的には北京語と漢字を廃止して、台湾語や客家語などもローマ字で表記して(もともとローマ字表記の原住民族諸語とともに)国語にするという遠大な理想を抱いていた。それは、台湾における外来政権の日本や国民党がまさに台湾人から母語を奪うことで国家統合を企図してきたこと、またバルト三国などほかの外来政権に支配されてきた地域でも同様の企図があったことを考えて、土着言語の民族言語としての復興こそが独立の基盤になると考えたからであった。
実際、それは私の夢想ではなくて、国民党政権が続いていた1990年代までの台湾の民主化抵抗勢力に共通する心情でもあった。
しかし、2000年に民進党政権になってからは、90年代までの言語と政治意識をめぐる状況は変容を見せてきた。
特に2004年に陳水扁が再選されると、台湾社会における台湾主体性意識、つまり台湾は台湾であって、中国ではないという意識が急速に定着した。それ以前から、若い世代を中心にこうした意識は広まっていたが、04年以降はそれが国民党教育の洗脳を受けてきた中年層にも拡大したことが特色である。
だから、現在台湾社会ではめっきり「われわれ中国人」という言葉は聞かれなくなった。国民党系のメディアですら、「われわれ」という枕詞の後に続くのは「台湾」や「台湾人」になり、国民党系のメディアですら中国をかつてのように「大陸」と呼ぶよりも、「中国」と正しく呼ぶことが増えてきた。
今の台湾では「われわれ中国人」という表現は、違和感を感じられるものになっている。この現象は、明らかに04年の陳水扁再選とその夏のアテネ五輪における金メダル獲得を境に急速に定着したというのが、私の分析だ。

第二に、台湾において現実に使われている北京語は、もはや中国の普通話や国府が押し付けてきた標準国語とは異なり、台湾語などの表現が混入して、さらに語彙表現語法ともきわめて単純化したピジン・クレオールになっているという事実である。
これは、聯合報や学術論文のように標準国語の教育をみっちり受けた外省人やインテリ層が書いた文章しか読んでいない日本の学者には気がつかないことだろう。だから、日本の研究者が書いたものでは「台湾の国語は中国の普通話とは、ほとんど変わらないものである」などと書かれていることが多い。
しかし、それは現実に市井で使われている口頭言語、およびインテリ層とはいえない普通の若者や庶民が書いているような文体、文章語の現実を知らないという無知から来る非科学的な断定である。
言語はインテリ層だけが使うものではない。まして、北京語が若い世代でここまで普及している現在、それが独自の「崩れ方」や発展を見せておらず、従って変化もたいしたものではないと考えているとしたら、それこそ愚かである。
現在の台湾人の書く台湾ピジン華語の表現は、概しておおざっぱで、細かな表現、あるいはどぎつい表現が乏しい。語法や語彙にも台湾語の影響が見られる。昨年聯合報あたりが問題にした学生の「火星文」(記号なども多用した文体)はその究極の姿であるが、しかし聯合報的な「標準国語」に固執していれば「火星文」としかいいようがない文章語や口頭言語が、今の台湾社会の主流なのだ。
そして、実際、台湾ピジン華語を多用している若者や庶民自身が、「中国の北京語とは違う」と認識しているのであり、この認識こそが重要なのである。
同じように、台湾ピジン華語は、なるほど北京語の数ある変種の一つかも知れない。しかし、すでに中国普通話の各地のバリエーションとは通じにくくなっている部分があり、それを「中国とは違う、われわれの言葉だ」と認識している台湾人がいる。
ということは、これはまさしく違う言葉なのである。
そもそも言語が同じか違うかは認識によるものが大きい。
オランダ語は低地ドイツ語の一部を切り取ったものに過ぎないのに、オランダ人自身がそれを「低地ドイツ語とは異なる言語」だと認識しているからこそ、それをオランダ語と呼ぶのである。
逆に日本語は、これは文部省による洗脳の結果でもあるのだが、津軽と薩摩で大きく異なり、意思疎通ができなくても、やはり日本語だと思っている。思わなくてもいいはずなのに、そう思っている。

しかも、第一の事実と第二の事実は同時に並行して発展しているのである。つまり、台湾で北京語が普及したが、それが台湾ピジン華語という独自の発展を遂げており、またその言語を使うことで台湾主体性意識もはぐくまれ、さらにそれが台湾ピジン華語のさらなる独自の発展を促しているのである。
台湾ピジン華語のピジンゆえの簡略化された文体や表現は、まさに普通話との違いを証明している。文体というのも重要な要素である。

ということで、現在の私は台湾の特色あふれた北京語を認め、評価する立場にある。

ただし、北京語が普及したからといって、北京語が歴史的に無理やり強制された言葉であるという史的事実を隠蔽したり糊塗したりするべきではない。しかしだからといって、過去に強制された事実があったとしても、それを排除すべき理由にもまたならない。
それはたとえば、カリブ海諸国などに典型的に見出される英語あるいはフランス語クレオールの状況を考えれば納得できるはずである。
ここでは例として、反植民地論の父フランツ・ファノンの母語であったマルチニーク諸島のフランス語クレオールに沿ってみよう。あれほどフランスに対する反植民地闘争を強く意識していたファノンにとってすら、クレオールは母語であった。
しかしだからといって、マルチニークにおけるクレオールが、フランス帝国主義がフランス語を先住民に強制し、土着言語を消滅させてきた傷跡を示していることは明白な事実である。それが普及しているからといって、強制されていなかったというとしたら、それは歴史の歪曲であり、犯罪である。
だが、そうした歴史は歴史として記憶しておけばいいことであって、それにもかかわらずマルチニークはそのクレオールを母語として使わざるを得ない。
これと同じことが、台湾におけるピジン華語についてもいえる。
台湾においてピジン華語が普及した原因としては、国民党政権が外来政権として台湾人に呼ばれもしないのに侵略してきて、住民がもともと話していなかった北京語を押し付けたためである。
だが、台湾における民主化と民進党への政権交代を経て、台湾において主体性意識、独自性の意識が高まった。それはむしろかつては押し付けられた北京語を通じて行われたものであった。
この時点で、台湾における北京語は、その起源と出自においては外来性と強制が刻印されているものの、民主化と本土化への関与によって、改めて独自性を獲得し、また示すものになったのである。
歴史の刻印は認めなくてはならない。今日、国民党や北京語を盲目的に正当化しようとする日本人や一部台湾人に欠けているのは、歴史の事実を直視することである。
しかし、歴史的な過ちが、現在における過ちだとは限らない。それは歴史的に正しかった植民地主義や慰安婦が、現在において過っていることとパラレルである。
台湾において北京語が強制されてきた歴史的経過は、過ちとして記憶されなければならない。しかし、現実に独自性を担っている道具としてはその効用を活用しなければならない。

ただしここで国民党勢力が誤解してはならないのは、私がここで評価している「北京語」とはあくまでもピジン華語、火星文などに見られる、対岸の中国人には理解しがたい、台湾としての独自性をもった北京語の生活言語としての姿であって、聯合報や保守的勢力が固執する、もはや台湾ではほとんど誰も使いこなせない「標準国語」という虚構の規範言語のことではない。
台湾人によって徹底的に崩された北京語を評価するということなのだ。

その一方で、私自身はもちろん台湾語の響きが大好きである。最近は北京語も多用するようになったが、やはり軽快かつ諧謔さを含み、表現も豊富な台湾語には愛着を持っている。だからこそ台湾語とその他の土着言語の保存も願ってやまない。
現在の趨勢からいえば、20年後には台湾ピジン華語がますます優勢になって、台湾語も少数派になるだろう。しかし、やはり台湾語が消えてしまうには惜しい言語だと思う。だからこそ、自由時報その他の本土派メディアは、台湾語の保存に力を注いでほしいものだ。

自由時報に陳義仁牧師の台湾語4コマ漫画

2007-03-05 04:18:42 | 台湾言語・族群
自由時報の投書面「自由広場」に陳義仁牧師の台湾語4コマ漫画が掲載されるようになった。2月17日に最初に気づき、次に3月3日にも掲載されていたが、どういう周期なのか不明。今度編集者に聞いておこう。
ただ、台湾語のブログ・西拉雅.馬卡道.放索社の記事「台語 4 格 Bàng-kah: 寶島南風 by 陳義仁」によると、どうも昨年12月2日にはすでに始まっていたようだ:(http://www.wretch.cc/blog/uav&article_id=2305722)。
陳義仁牧師とは、屏東高樹教会にいた1992年ごろ(今もいるのか知らない)《Hong-hiong3(風向)》という純ローマ字による台湾語の隔月刊(雙月刊)ニュースレターを18号まで出していたが、その後90年代後半ごろから台湾基督長老教会の機関週刊紙「台湾教会公報」の母語の面に4コマ漫画を描き始めるようになった。それらの漫画は、いずれも台湾・前衛出版社から「我m是罪人」「信耶穌得水牛」「上帝愛滾笑」と3冊にまとめられて出版されている。内容的に台湾語を用いた駄洒落や基督教そのものも笑うものなどもあって、面白い。
実は、「自由広場」では昨年2月ごろから8月ごろまで、ほぼ毎日固定で台湾語と客家語による投書が掲載されていたが、ほんの半年ほどで突然姿を消してしまった。台湾語のニュースレター「台文通訊」153号(2006年12月)の李勤岸教授へのインタビューで明らかにされているところによると、どうやら教会ローマ字(白話字)以外の表記を進めている台湾語運動家が圧力をかけて止めさせたらしい。これはある事情通によると、日本在住の通用ピンイン派の許極燉氏という話だが、氏にそこまでの力があるとは思えないので、ほかにも複数の非白話字派が圧力をかけたのだろう。しかしこれはとんでもないことだ。私自身は、白話字で台湾語を学んだし、白話字に勝る表記法はないと今でも思っているが、台湾語の表記法がまだまだ創生期であることを考えると、通用派がそれを普及させたいなら、通用ピンインで書いて投書して、中身で競えばいいだけのこと。
自由広場のデスク何新興氏は客家人で、自身の母語でもある客家語の復興も願って、母語文の起用に積極的だったのだが、一部の心無い人のおかげで残念なことだ。ただ、何デスクは、客家語はもちろん台湾語にも好意的であり、だからこそ投書は取りやめたものの、陳義仁牧師の漫画を載せることにしたのだろう。

「ゲド戦記」を観て

2007-03-05 00:53:24 | 芸術・文化全般
スタジオ・ジブリの最新作「ゲド戦記」が今になって台湾で上映されている。始まったのは旧正月前だったと思うが、今日ようやく見に行った。
いろいろネット情報で見ているかぎり、評判はそれほどよくないようだが、私自身はわりと良かったと思う。もちろん決して傑作と呼べるものではないし、映像自体は荒削りな部分もあるが、話のテンポも悪くなく、少なくともエンターテインメントとしては飽きなかった。
メッセージ性としては「風の谷のナウシカ」と「千と千尋の神隠し」を合わせたような、生態系破壊に対する警告と登場人物の人間的成長(この作品では「生の価値」も加わるというか、それがメーンだが)、登場人物のキャラは「天空の城ラピュタ」や「カリオストロの城」を彷彿させた。また、ジブリ以外では「指輪物語」も連想させる。また、原作とは違うというが、原作は読んでいないので知らない。
まあまあ良かったとはいえ、それほど何度も見たいとは思わない。もちろん、明らかに駄作の「ハウルの動く城」なんかよりははるかに良い。だが、劇場・ビデオ・テレビや台湾語吹き替えビデオなどで計20回は見たであろう「風の谷のナウシカ」、同じく計10回は見たであろう「天空の城ラピュタ」、数回は見た「カリオストロの城」「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」あたりと比べたら、やはり劣る。
特にメッセージ性についていうと、まだまだ宮崎吾朗の修行が足りないのか、まるで韓国人のように能書きが多くて説教くさいわりには、あまり心に訴えかけるものがなかった。もちろん、ジブリ作品で社会性やメッセージ性の強いものには、往々にして説教くさい傾向があるのだが、ナウシカやラピュタや千尋はそれなりの深みは感じられるし、だからこそ何度も鑑賞に堪えられるのだと思う。しかし、この作品は台詞に関しては台湾人の観客すら白けていたくらいの薄っぺらさだった(そういえば台湾人は、笑えるようなものではない真面目なこの作品でもひそひそ笑いをよくしていた、やっぱり台湾人は能天気だ)。また、ヒロイン・テルー役の声も新人らしく下手だった。せっかく中世欧州を思わせる背景や登場人物のキャラ設定も悪くなかっただけに、もっと台詞に気配りしてほしかった。

ただ、今回は台湾人の鑑賞態度で関心したことがある。封切からだいぶたっているのに、観客は4割は入っていてそこそこだったことがまず驚いたが、評価できる点は観客のうち私を除いた4人くらいがエンドロールをしっかり見ていたからである。しかも制作スタッフで韓国人の名前がずらっと並ぶと「おお、韓国人がやっている」などと声を出していた。
台湾では、普通観客はエンドロールを見ない。これは映画を見る態度としては非常にけしからんことだと思って、毎回台湾で映画を見るたびに憤慨している。だが、これまでの経験で、台湾でエンドロールをちゃんと見た人がいたのは、やや奇妙な内容のドイツ映画のときだけだった。ドイツ映画と同様に、映画通かアニメヲタクなのかも知れないが、それでもちゃんと台湾でもエンドロールを見てくれるまともな観客がいることは久しぶりに気持ちが良かった。

頭突き男ジダンの対中交流拒否発言で、李登輝発言の誤りがますます浮き彫りに

2007-03-03 06:08:29 | 世界の政治・社会情勢
サッカーの元フランス代表で、「頭突き男」として有名なジネッディーン・ジダンが、「中国のラフプレーや観客の乱暴さはあまりにもひどすぎる」などとして、中国のチャリティー試合に参加しないことを表明したという。

そうでなくても、いまやアフリカや中東などでは、反中感情が広がっている。後で挙げた朝鮮日報が報じたように、アフリカに進出した中国企業が労働者を虫けらのように扱ったり、ダンピング商品が流入して在地産業が育たなくなったりしているため、中国を新植民地主義とする批判が高まり、反中デモが頻発している。昨年9月のザンビアの大統領選挙では、中国人の受け入れの是非が争点にもなり、反中派野党候補が善戦したくらいだ。

中国はフランスなど欧米先進諸国の白人にはぺこぺこして乱暴なんかしないだろうが、ジダンのようなマイノリティ系やアフリカ、中東、台湾、ベトナムなどに対しては、露骨に侮蔑して、狼藉を働くものである。人間には差別や蔑視はつきものだが、中国人の差別意識は中華思想の階級・階層意識から来るもので、日本人や台湾人の想像を絶するものがある。

ところが、「あの」ジダンですら嫌がる中国との交流を、李登輝はSAPIOのインタビューなどで「三通だけではなく四通も五通もどんどんやったらいい」みたいなことを言っていた。やっぱり李登輝はおかしい。中国なんか、むやみに交流して碌なことはない。

しかも、李登輝の主張がおかしいのは、まるで現在の台湾がまったく中国人観光客を受け入れていないかのごとく主張している点だ。少なくとも李登輝の追随者は李登輝発言を聞いてそう信じ込んでいる。
ところが、現在台湾に住んでいればわかることだが、中国からの団体観光客の姿はけっこう目に付く。それは、日本などと同じように、団体に制限して受け入れているからだ。しかもただ受け入れているのではなく、旅行社に多額の保証金を積み立てさせて、もし逃走者や犯罪者が出た場合には保証金没収、場合によっては認可取り消しという強い警戒の網の目を張って行っている。しかも、この方式は国民党本土派も同意している。そうした現実を無視して、まるで全面的に拒否しているかのごとき言を弄して、現在の規制をすべて撤廃させようとするかのような李登輝の「全面的開放論」は間違っている。
特に中国から見たら、台湾とアフリカは似たような位置づけで、収奪の対象としか見ていない。そんなところと全面的な相互交流を進めたら、台湾はどうなるのか?李登輝がいくら口先だけで「正名、制憲、正常化」を叫んでいても、中国との相互交流を全面的に行ったら、台湾は駄目になる。

だから、ジダンは正しいのだ。あのジダンですら、怖がり、嫌がる。中国とはそういう社会なのだ。
李登輝は間違っている。

(注)ジダンは祖先をアルジェリアのベルベル系カビル族に持つ。同じカビル族出身としては、日本の芸能人沢尻エリカの母親リラさんもそう。リラさんは西荻で地中海料理店を経営しているらしい。ただし私は沢尻ファンではない。カビル族という点が興味があるだけ)


参考記事:

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070302-00000014-scn-cn
【中国】ジダン氏「中国人選手は乱暴」チャリティー試合拒否
3月2日18時38分配信 サーチナ・中国情報局
サッカーの元フランス代表のジネディーヌ・ジダン氏(写真左)が、2007年6月に四川
省成都市で行われるチャリティーマッチに参加しない意向を主催者に伝えてきたことが
問題になっている <サーチナ&CNSPHOTO>
 サッカーの元フランス代表のジネディーヌ・ジダン氏(写真左)が、2007年6月に四
川省成都市で行われるチャリティーマッチに参加しない意向を主催者に伝えてきたこと
が問題になっている。2日付で重慶晩報が伝えた。
 ジダン氏は中国障害者福利基金会などの招きで6月18日に訪中し、22日に行われる試
合に出場することになっていた。また中国滞在中に行われるジダン氏関連グッズのオー
クションに参加することも決まっていた。
 しかし関係者によると、ジダン氏はこのほど「中国人選手は乱暴で、一緒にプレーす
るのが恐い。中国ではもう2度と試合をしない」と伝えてきた。
 ジダン氏はレアルマドリードの一員としてこれまでに2回訪中した。ジダン氏は03年8
月に行われた香港チームとの試合ではユニフォームの交換を拒否した。更に05年7月に
は試合中に観客から3回もブーイングを受けた。
 関係者は現在、ジダン氏に清華大学チームとの友好試合などには出場してもらえるよ
う調整を進めている。(編集担当:菅原大輔)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070302-00000016-rcdc-cn
ジダン、「中国人はラフプレーをするから試合をしたくない」
3月2日16時45分配信 Record China
今年の6月22日に四川省成都市で予定されている親善試合に、元フランス代表主将ジダ
ンが参加したくないとの意向を示している。理由は、中国人選手のラフプレーだという
。2007年3月2日に「ジダン中国親善旅行」組織委員会が明らかにしたことによると、6月2
2日に四川省成都市で予定されている親善試合に元フランス代表主将ジダンが参加した
くないとの意向を示していることが分かった。ジダンはこの親善試合への出場が予定さ
れていた。
情報筋によると、ジダンが試合をしたがらない理由は単純だという。彼は2003年と2005
年にレアル・マドリードの一員として中国のサッカーチームと試合をしたが、中国人選
手のラフプレーに大きな不満を持ち、けがをする危険性があると述べていたとのこと。
特に現在は現役を引退しているため、無理して中国人選手とプレーしたくないという考
えのようだ。
だが、組織委員会によると、成都市での親善試合はジダンの中国親善旅行の大きな目玉
で、多くの人が楽しみにしているという。ジダンが試合を拒否する意向を示した後も、
関係者はまだあきらめていないようだ。次善の策として清華大学の学生たちとのエキシ
ビジョンに参加してくれるように説得を試みるという。また、ジダンは試合をする替わ
りに6泊7日の滞在予定を2日間延ばすように求めているが、この要求も受け入れるとい
うことだ。(編集・佐々木康弘)


韓国の右派系紙でかつては中国に甘かった「朝鮮日報」がアフリカの反中国感情について報じ
たもの(日本語版より)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/05/20070205000030.html
【今アフリカで反中国感情が 中国人が低賃金でアフリカ人を差別】
 ザンビアの首都ルサカの空港に3日到着した中国の胡錦濤国家主席は、現地の人々約2000人か
ら歓迎を受けた。しかし、空港から市内に至る道には武装警察数千人、ザンビア大学内には学生デ
モを阻止するための警察数百人が配備された。野党「愛国戦線」のマイケル・サタ総裁は2日間、胡
錦濤主席訪問先に接近することが禁止されている。
 アフリカ大陸で最も早い1965年に中国と国交を結んだザンビアで「反中感情」が膨らんでいる。確執
の根は98年、北部シャンビシ経済特区内の銅鉱山を買い取った中国人が、現地人の労働組合設立
を弾圧し、わずかな給料しか与えないという横暴を極めていることにある。
 昨年7月には中国人の賃金未払いで労働者のデモが起き、これを制圧する際に中国人監督官が労
働者に発砲、46人が死亡した。元労働者のアルバート・ウムワナウモさんは「中国人は私たちを人間
扱いしない。彼らは私たちを支配できる権利を持っているかのように振舞う」と非難した。
 昨秋の大統領選に出馬したサタ氏は「ザンビアは中国の1つの省に転落しつつある。私たちは非民主
的な外国の存在を望んでいない」と露骨な中国追放論を主張、28%の支持を得た。同氏は、首都ルサ
カでは対立候補だったレヴィー・ムワナワサ現大統領の3倍の票を得た。
 こうしたムードはナミビア・ジンバブエ・南アフリカ共和国・アンゴラなどへも広がっている。低価格の
中国製品で就職先を失った南アフリカ労働組合会議(COSATU)メンバーたちは、2005年12月の集会
で自国の繊維産業を衰退させたことに抗議する意味で「メード・イン・チャイナ」と書かれた赤いTシャツ
を引き裂いた。
 今年、ナイジェリア武装集団が中国人労働者を狙い拉致事件を起こしたのも、反中感情と関係がある
とみられている。これは中国がアフリカの天然資源を奪い、製品を低価格で作り、現地の産業を衰退さ
せていることから、「中国も欧米諸国とまったく同じ略奪者だ」という認識が拡大しているためだ。
 スウェーデンにある「ダグ・ハンマーシュルト財団」を導いるヘニング・メルバー氏は「アフリカ人たちは
中国に対し人種差別主義への怒りにも似た強い憤りを表している」と語った。


また、阿修羅・アジア7という掲示板で左翼系掲示板では知られている「パルタ」という人が中国の悪についてリンクなどをまとめたもの
今こそ世界最大の悪・中国の民主化を考えるべきだ
投稿者 パルタ 日時 2007 年 1 月 25 日 11:52:26
http://asyura2.com/07/asia7/msg/110.html


フランス語ミュージカル「ロミオとジュリエット」、4月に台湾でも公演

2007-03-01 02:30:32 | 芸術・文化全般
フランス語のヒットミュージカルとして知られている「ロメオとジュリエット(Roméo et Juliette、羅密歐與茱麗葉)」がついに台湾でも公演されることになった。4月5日から20日まで国父紀念館にて。昨年早い時点でのアナウンスでは、昨年末にやるという話だったが、後にずれ込んだようだ。その代わり、韓国ソウルでは先に1月20日-2月27日(45回)、プサンでは3月10-21日に公演している。
先日一番高い6000元席のチケットを買ってきた。しかし心配なのは、音響設備だ。私は国父紀念館の音響は知らないが、これまでコンサートなどで訪れたことがある中正紀念堂(オペラなど)や台北巨蛋(昨年のフランス語「ノートルダム・ド・パリ」)の先例から見ると、あまり期待できないからだ。特に台北巨蛋での「ノートルダム」の公演は最悪で、スピーカーがおそらく安物で音が割れていて耳障りで、まったく公演を楽しめなかった(収穫としては台湾人観客の反応を見るというだけ)。中正記念堂は台北巨蛋よりはマシだが、ミュージカルのときはそれほど気にならなかったが、オペラのときには音響の悪さが気になった。

それから、台湾では毎度のことだが、主催団体の「新象文化基金会」のウェブサイト見ても、この公演の出演者の詳細は出てこない(; ;)。ロミオ役は本国オリジナル版でも務めたダミアン・サルグがやるようだが、ジュリエット役はオリジナル版のセシリア・カラとは違うらしいが、いったい誰なんじゃ~~!多分、例によって韓国公演と同じだろうと思い、韓国公演の公式サイト:
http://www.romeonjuliette.com/
を見てみた(しかし相変わらず韓国のサイトって、IE基準で作っているようだな。ほかにはファイアフォックスは表示できるが、その他のだと表示されない。しかも重いし)。
ロミオ Damien Sargue, 代役Jules Grison
ジュリエット Joy Esther, 代役Stephnie Impoco
以下代役は省略して
ベンヴォーリオ Cyril Niccolai
マキューシオ John Eyzen
ティバルト William Saint-Val
カピュレット伯 Arié Itah
カピュレット夫人 Stéphanie Rodorigue
モンテギュー夫人 Brigitte Venditti
ヴェローナ公 Stéphane Métro
乳母 Ida Gordon(なぜか1980年生まれという若い娘のようだ)
ロレンス修道士 Joël O'cangha

ソウル公演では「ロミオ・エン(アンド)・ジュリエット」となぜか英語風の題名(どうしてフランス語のミュージカルに英語風題名をつけるのか、韓国人の発想はわからん)。
値段は、ソウルでは、R석 15만원 / S석 12만원 / A석 9만원 / B석 7만원 / C석 5만원
だったらしいが、
台湾は最高額6000元だから、大体同じような値段といえる。

密かに反米化が進行している台湾の民意

2007-03-01 01:32:08 | 台湾政治
台湾人は、韓国人や北方中国人と正反対で、自分たちが考えていることを声高に主張したり、能書きを垂れたりはしない。いや能書きを垂れる場合のあるが、往々にしてロジックの一貫性がなく支離滅裂で、能書きを垂れるとむしろ意味がないことが多い。だから台湾人は一般的に、言葉で主張するよりも、実際の態度や行動で表現する。特に、本当に怒っているときには、それを口に出すのではなく、黙って怒りを内に秘めるものなのである。
これを「言霊のさきはふ」日本人や、口が先にたつ中国人や、ディベートこそがすべてだと思っている米国人は理解できない。だから台湾人が黙っていると、賛同したと勝手に解釈してしまうのだが、実は台湾人の沈黙は最も怖い、拒否反応であることが多いのだ。
ある日本人の台湾研究学者は「台湾が反米になることはない」と断言したそうである。しかし、それは台湾人の性格、最近の台湾の流れを理解せず、表面的に文字などで現れている「理屈」を鵜呑みにした結果であろう。

実際、私が最近感じるのは、台湾はこの2年くらいの間に、急速に反米化していることである。
反米といっても、韓国人や南米人が声高に叫ぶ類のものではないし、イデオロギー的な反米左翼というより台湾人としての尊厳を傷つけられ(つまり面子を傷つけられ)たことに対する純粋な反作用であるという部分が多い。だから反米というと、反米左翼ドグマやシュプレヒコールを叫ぶ類の形態しか想像できない日本人には、台湾人の心の奥底で進行しつつある反米化の心理が見えないだけである。

しかし親しい台湾人との会話の中では、最近の米国の態度について、いろいろと批判が出てくる。特に20代の若い世代の間では、米国に対する見方は批判的であるものが多い。それはイラク侵略に対する見解からはじまって、台湾の正名などの動きに圧力をかけてくる傲慢な態度に対する反感が強い。
だが、そうした反米感情はたまにしか台湾に来ない人が接することができない。また米国の出先のAITもおそらくあまり把握していないように思われる。台湾人は面子を重んじるから、当の米国人にはそういう素振りはあまり見せないからである。
ところが、一皮剥けた付き合いをしていると、かなり米国に対する反感を持っていることがわかる。
一部では、228事件で虐殺を行った国民党軍を大陸から運ぶのに米軍が一役買ってきたという事実も提起されるようになっている。

そして実際、最近は米国への留学者数、旅行者数も減る傾向にある。その分、旅行では日本が圧倒的人気で、留学では欧州が人気を集めるようになっている。これは、米国がビザ発給を厳しくしたことも原因になっているが、それ以上に米国の台湾に対する非友好的な姿勢に対する反感のほうが比重が大きいようである。
また、陳水扁政権の最近の外交姿勢を見れば、反米化の趨勢が見て取れる。
先ごろ、反米左翼サンディニスタが政権を獲得したニカラグアで、オルテガ大統領就任式に陳水扁以下大勢の代表団が出席し、他の反米政権の領袖たちとも歓談したり、晩餐会でも上位に紹介されたりと、かなり中南米の左翼反米政権と関係を深めている。
昨年暴露された話として、外交部長が昨年春ごろ密かにレバノンを訪問し、米国から毛嫌いされているシーア派対イスラエル抵抗勢力ヒズボラの幹部たちと懇談した。
ほかにも名前は明らかになっていないが、反米政権のいくつかとも接触を深めているという報道もあり、さらに、昨年のリビア、アブダビ訪問に見られるように、わりと比較的親米とはいえ、反米感情が根強いアラブ諸国とも交流を深めている。これらの行動を見れば、米国への抵抗の意図はわりと明確である。
もっとも、そうした反米政権との接触、外交の反米化に対する不快感の現れが、米国の台湾に対する非友好的姿勢に反映されているともいえるが、しかし米国がそんなことをすればもはや独自の外交的カードとパイプを築きつつある台湾としては、ますます米国に対する反感を深めるだけだろう。
韓国に続いて、台湾までも反米国家となったら、米国はアジアに友人などいないのも同然である。さらに、裏庭の中南米でも反米勢力が台頭していることも考えると、現実の国際関係では台湾は孤立してなどいないし、むしろ台湾や韓国やベネズエラを不当にいじめている米国のほうが孤立化に向かっているともいえるのである。

もちろん、数年前の台湾なら、中国との対立関係から、反米に流れることは考えられなかったであろう。しかし、ここ数年の中国の台頭と、それに対する米国資本の中国権力との癒着、それに突き上げられる形で中国寄りにシフトする米国政府の立場などを見れば、中国と対立しているからこそ、米国とも対立せざるを得ない構図になっているのである。しかも、数年前までは米国は中南米や欧州とも信頼関係があった。ところが、911以降、イラク侵略に至るネオコンの横暴な外交の結果、欧州や中南米との関係は悪化し、もとから米国に反感を持っていた中東ではますます反米化が進行している。こうした米中の歩み寄りと、反米勢力の劇的な増加もあって、台湾は「中国と対抗するためには、米国に従わざるを得ない」という呪縛から解き放たれて、外交的にフリーハンドを拡大しつつあるといえる。
もちろん、安全保障上はいまでも台湾は中国との対抗上、米国よりにならざるを得ないし、米国でも国防関係者は対中警戒感を尖らせており、台湾防衛の決意もある。しかし同じ米国政府でも、国防と外交・経済では対中姿勢がほとんど180度異なり、いわば精神分裂の状態である。
つまり、経済的には、資本主義の亡者・米国は、経済成長する中国が示している経済的エサに目が眩み、帝国主義大国同士が結託するという世界史上の前例(モロトフ・リッベントロップ協定でのナチスドイツとソ連など)通り、中国との事実上の経済同盟路線を志向している。その過程で、民主化して自らの意思で動きつつある台湾を邪魔者扱いするようになっているのだ。

私はかつて米国には何度か行ったことがあるが、90年代にまだしも自由民主主義に対する単純な理想も持ち合わせていた米国とその社会は、911事件を機に急速に変質し、いまや経済利潤のみを唯一の基準にする経済怪物に成り果てたと思える。
レーガンが種をまき、急速に拡大した新自由主義という怪物。観念論をすべて捨象し、人間をすべて物象化し、単純な利潤や利益ばかり追求する新自由主義。これが、特に米中両大国で自己肥大化を遂げ、それに完全に従おうとしない、民主主義やリベラルな理想を今から実践しようとしている台湾、人間や金というものの不完全さを認識して観念的な道徳や絶対神に帰依するイスラーム世界を敵対視し、排除しようと試みているのである。
私は最近イスラーム世界に妙に惹かれる。確かにイスラーム世界にも物をぼったり、やたらとバクシーシュを求める物神化の傾向は存在する。湾岸の金持ち国は醜悪だ。しかし、特にシリアに見られるようにそれほど豊かではないものの、人間としての基本的な矜持というか倫理というか優しさというか人懐っこさというか、そうしたものがイスラーム世界にはまだまだ根強く見られる。また、それゆえに中東では米国で肥大化している新自由主義への反発となって現れている。であればこそ、新自由主義によって失われた人間としての価値を再発見して共感を覚えるのである。
一方、台湾社会はといえば、商売人民族からなり、物神化が基本にあるように表面的には見える。しかしその奥にはやはり人間としての基本的な優しさ・暖かさのようなものが存在しているのは事実であるし(921震災での助け合いの姿を想起せよ)、自分たちの力で民主主義を建設しているという自負や矜持がある。
私がこれまで足を運んだことがあるのは20数カ国だが、その中では台湾社会は雰囲気の和やかさと矜持という点では、いずれも上位に位置することは間違いない。逆に下位に位置するのは中国社会、911以降の米国社会である。
人間は食えなければ話にならない。衣食足りて礼節を知るというのは蓋し至言である。しかし、だからといって、衣食足りれば自動的に礼節を知るわけではないし、衣食だけがすべてなのではない。社会を結びつける信頼感と倫理規範、あるいは人知を超えた存在に対する畏怖という崇高な観念があってこそ、人間ははじめてホモ・サピエンスとして生きていけるはずである。

そうしたものを911以降の米国と中国は完全に失っている。
それだけに、イスラーム倫理があるシリア、民主主義への矜持を持っている台湾には共感を覚えるし、米国がシリアと台湾を侮辱し、中国がシリアを食い物にして台湾の抹殺をたくらんでいるのを見ると無性に腹が立つのである。

記憶の風化こそが独裁の清算につながる

2007-03-01 01:31:28 | 台湾政治
今年の228事件記念集会は、60周年という節目だったにしては、それほど盛り上がりがあったようには見えなかった。特に若者の参加は少なかった。参加していたのは、かつて「228」という言葉すら禁句になっていた時代の記憶がいまでも鮮烈に残っている50代以上が中心だった。若者にとってはもはや228は単なる歴史の遠い出来事に過ぎないようである。
しかし、これはだからといって、228事件の真相究明や、その最高責任者である蒋介石、国民党ファッショ独裁が免責されていいことを意味しない。もし国民党、特に大中国派の馬英九一派が、今回の盛り上がりのなさを国民党に対する免罪だと考えているとしたら、それは台湾の民意と方向性を見誤る傲慢である。

馬英九はいまだに蒋介石の責任については認めようとせずに、むしろ蒋介石をいまだに弁護し、賛美している。
しかし、今の台湾の若い世代は、歴史だとはいっても、国民党がろくでもない集団だということは認識しているし、馬英九のような往生際の悪さ見れば、「やはり悪いことをやったから、弁解がましいんだ」と考える。台湾人はボーっとしているように見えて、意外にそういう勘は研ぎ澄まされているからである。

だから国民党に残された道はただ一つ。さっさと蒋介石の責任と過ちを認め、膨大な党資産でもって遺族に損害賠償を行い、国民党を発展的解消して、完全に台湾化した保守政党として出直すべきなのだ。歴史の誤ちに対する責任の取り方としては、それに勝るものはない。
馬英九は口を開けば日本の過去の蛮行に対する糾弾を行うが、それが自分に降りかかるととたん、自分たちが日本に対して行っている基準は適用しなくなる。そうした二重基準や自家撞着は台湾人に喝破されている。台湾人は一貫して歴史に関心などない。だから、国民党や中国や南北朝鮮が日本の過去の罪過を騒ぎ立てるほど反感を抱く。国民党が「抗日記念」だの南京虐殺だのを言い立てたら、当然台湾人から反発されるのである。

とはいえ、まさに「台湾人は歴史に重きを置かない」からこそ、民進党や深緑陣営が228事件と蒋介石の責任について、あまり騒ぎ立てすぎることも得策とはいえない。
蒋介石や国民党が不埒な集団だということは、実は知っている人はみんな知っているいる。知らない人はそもそも蒋介石という人物の存在すら知らない。これを読む日本人の多くは信じられないかも知れないが、今の台湾で蒋介石を知らない人は、特に若者の間では多いのである。私が3年前台北駅あたりを歩いていたら、中学生くらいの若者2人が「蒋介石って、誰だっけ」なんて会話をしていたのを耳にしたことだってある。現在中正(蒋介石の忌み名)記念堂の改名が議論になっているが、台湾のテレビが若者に中正記念堂は誰を記念しているかと聞いたところ「知らない」が大半だった。
しかし、「蒋介石など知らないよ」という今の台湾の若者のあり方ほど、「独裁の清算」として正しいものはない。好きの反対は嫌いではなくて、無関心、知らないことからである。
実際、蒋介石という人物は、世界史的にみて偉大でもなんでもない。単なるファッショ軍閥の頭目であり、共産党との内戦に敗れた単なる落伍者に過ぎないのだ。だから、「それって誰?」という反応こそが、実は世界史的に見て最も正しい反応である。
そういう若者たちの実情に照らしてみれば、おそらく228や蒋介石の罪状について言い立てることは、逆にいえば寝た子を起こすことになる。また、そもそも台湾人社会では「相手を追い詰めることはしない」のが鉄則だから、あまりやりすぎると、むしろ逆効果になる危険性もある。

しかし何度もいうように、そうした記憶の風化は、決して国民党のこれまでの罪科を免罪にするものではない。そもそも国民党が優勢を誇ってきた歴史と伝統そのものが無になっていることを意味するからである。「蒋介石は偉大な民族の星で、蒋介石がいなければ台湾はなかった」などという国民党の公式イデオロギーも、そもそも蒋介石なんて知らないし、なんとも思っていない若者には通用しないからだ。

その意味でも、228の記憶が、若者の間では風化していることは、悪いことではない。若者は228も関心がないが、蒋介石だって知らないし、蒋介石なんて偉大な人ともなんとも思っていないからである。