むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

トルクメニスタンについてのブログを見つけた

2005-07-31 22:06:06 | 世界の政治・社会情勢
唐突ですが、北朝鮮と一二を争う神がかり国家トルクメニスタン情報を集めたブログを見つけました。
トルクメニスタン・ニュース

ここで芳ばしい話は、指導者のニヤゾフ氏の命令。
トルクメン指導者が青年期と老年期を再定義
トルクメン指導者、氷の宮殿の建造を命じる

北朝鮮の某将軍様よりも、はるかに芳ばしい。というか、北朝鮮は最近はここまでのとっぴな奇抜さはなくなりつつある。

日本人は北朝鮮にいちいち目くじらを立てて憤っているが、私は憤るのも馬鹿らしいとおもう。日本から離れたトルクメニスタンについて考えれば、余裕で笑えるでしょ。

台湾国民党設立

2005-07-31 20:52:47 | 台湾政治
 台湾各紙によると、7月30日、台湾中部の南投県埔里で「台湾国民党」を名乗る独立派政党が結成された。
 これは、中国国民党の中国化路線を風刺するものだが、登録許可を担当する内政部が「中国国民党と同様の党名は許可しにくい」と渋っているのに対して「台湾国・民党」の意味だ、と切り返している。
 初代主席に廖國安氏が選出された。党本部は台湾の地理的中心である埔里の、しかも農家に置き、台湾主体性と土着性を強調している。スポークスパースンには私も良く知っている外省人独立促進会の元会長・許登崑氏がなっている。
 党のシンボルマークは国民党の12条の太陽を中心にすえて、外側に青地に白抜きで台湾をあしらったもので、党歌も国民党のパロディで台湾主体の歌詞に変えたもの。
 26日付けの自由時報が3面いっぱいを使って大きく報じたから注目はされた。が、実態からいうと、国民党を皮肉った以上の意味はない。

郭雨新逝去20周年記念追悼式

2005-07-31 20:52:09 | 台湾政治
 かつて台湾の党外民主運動家として有名だった郭雨新(Koeh U2-sin)氏の逝去20周年を記念する式典と音楽会が郭氏の故郷宜蘭で7月31日開かれたそうです。
 宜蘭まではちょっと時間がかかるし、やることがいろいろとあったので行かなかったのですが、きわめて感慨深いですね。といっても、私は郭氏とは面識はないんですが、郭氏の元秘書で一番弟子でもあった陳菊・労工委員会主任委員(労働大臣)とは面識もあります。陳菊氏は大臣となっても飾らない性格は変わっておらず、ある人にいわせると郭雨新氏の教育が良かったせいとかで、郭氏の人となりが偲べるというわけです。
 31日付け台湾日報12面が全面で郭雨新特集をやっていました。郭氏は1908年宜蘭の貧しい家庭出身、しかも13歳のときに父親を亡くしたが、苦学し1934年台北(たいほく)帝国大学を卒業、戦後は政治の道に進み、25年にわたって台湾省議員を務め、国民党政府を批判、呉三連、李万居、郭国基、李源桟とともに「党外五虎将」と呼ばれる。
 しかし、その後1972年の省議員選挙では国民党の妨害で出馬を途中で放棄を余儀なくされ、さらに1975年の立法委員選挙では次点落選となり、国民党の不正を糾弾する支持者らのデモが発生した。このときに啓発されたのが、後に党外に加わり民進党幹部となる陳菊、林義雄、邱義仁、呉乃仁らがいた。77年国民党によって事実上海外追放、米国で亡命生活をはじめた。78年米国で「台湾総統」への出馬を表明するなど、活発に台湾島内の民主化支援運動を展開した。
 1985年米国で病没、残念ながら翌年の民主進歩党結成を見ることがなかった。
 (これは、党外を支持してきた日本時代以来の作家王昶雄氏についてもいえる。王氏は2000年1月、陳水扁当選を見る前に亡くなったからである)

 台湾が一日も早く台湾人の国として建国されることを願ってやまない。

ロシア映画「ロシアの方舟」

2005-07-30 16:57:11 | 芸術・文化全般
 台湾で7月29日から劇場公開となったロシア映画「ロシアの方舟(Руский ковчег、Russian Ark)」、日本語名「エルミタージュ幻想」、中国語名「創世紀」を早速見てきた。2002年、ロシア=ドイツ=日本合作、99分、監督アレクサンドル・ソクーロフАлександр Сокуров。見たのは、台湾の岩波ホールかユーロスペースともいえる国民党営の真善美。ここは台湾の需要を反映してか、フランス映画が多いが、ほかの欧州、その他の国の映画も上映している。
 映画のあらすじは、エルミタージュ美術館を舞台に、監督が19世紀のフランス人外交官キュスティーヌ伯爵(セルゲイ・ドレイデン)とともに、エルミタージュ美術館の300年の歴史を振りかえる歴史絵巻。
 90分映画をすべて一台のカメラでワンカットで撮ったことで、ギネスブックにも登載され話題になった。
 レンブラント、ヴァン・アイク、ルーベンス、エル・グレコなどエルミタージュが誇る至宝を紹介しつつ、ピョートル大帝、エカチェリーナ女帝、ニコライ1世、ニコライ2世、貴族たちの豪華絢爛な舞踏会なども登場させ、ロシア帝国の光と影を叙情豊かに描いた作品。
 台湾での観客の反応はわりと良かったが、しかし、私が個人的に言うなら、美術品とロシア皇帝史の紹介がいずれも突っ込みが足りず、駆け足で表面をなぞっている観があった。絵画ではヴァン・アイクを重点的に紹介していたのも前後の流れからは、意味がいまひとつつかめなかった。さらに、案内役の伯爵と監督のOSの声が妙に饒舌でピントをはずしていて、むしろ寡黙によってロシア帝国の光と影を伝えるほうが良かったのではないか。これは、脚本がいまいちというべきか。
 また、話題になったワンカット撮影も、そのアイデアの奇抜さと用意周到に準備した苦労は買うが、ハイビジョンカメラとはいえ、作品や建築そのものの美を描くには力不足であり、この題材でそうしてワンカットにこだわったのか謎だ。しかも、舞踏会の場面などは、一台だけで撮るよりも、むしろ上から全体が見渡せるようにしたほうが、宮殿の持つ広がりがつかめてよかったのではないか。
 また言語使用でケチをつけるとすれば、当時のロマノフ朝廷の第一言語はフランス語のはずで、外交やパーティなどの場ではフランス語が主だったはずなのに、まして主人公のフランス外交官までがロシア語を話すというのは本当はおかしい。
 とはいうものの、決してつまらない映画ではない。それは素材のエルミタージュ自身が良いからだろうが、見ていて飽きはこない映画ではあった。
 歴史背景にもそれなりの趣向が凝らされていることもわかった。たとえば、末尾近くで監督と伯爵の語りがロシア革命が近づいていることを予告したうえで、伯爵が「さよなら、ヨーロッパ」と言うところ。これは何を意味するかというと、映画でもわざわざニコライ1世がペルシャの使節と謁見しているシーンが出てくるように、ロシアは17世紀以前にはペルシャとの関係が深く、その後も文化的にも影響を受けていたという背景がある。だからこそ、映画の冒頭で欧化の元祖となったピョートル大帝から説き起こして、末尾のほうで「さよなら、ヨーロッパ」というのは、意味を持つのだ。そこには、共産主義時代で再び欧州と断絶してしまったロシアの悲哀に対する感慨がこめられている。そういう意味では、監督はロシア欧化主義の立場を表明しているともいえる。
 映画はロシア、ドイツ、日本合作。ドイツは資金を提供し、日本はNHKが一部資金と器材などを提供した。日本ではNHKがハイビジョンチャンネルでまず放映してから条例されたらしい。まあ、NHK、技術はすごいんだが、せこい。

 撮影の特殊技術について詳しいものに、
シネマトピックス 作品紹介『 エルミタージュ幻想 』

 日本の公式HPは、エルミタージュ幻想 -オフィシャルweb
 辛口の批評にhttp://home.att.ne.jp/iota/aloysius/cinema/05/c_russki.htm
http://www.gotonewdirect.com/newreview/archives/000036.html
 キャスト一覧は英語で、http://www.imdb.com/title/tt0318034/fullcredits
 ロシア語による記事は"Руский ковчег" Сокурова произвел в Каннах фурор
 作品に関するロシア語の総合HPは、http://www.russianark.spb.ru/rus/news.html

レバノン内戦時代の民兵指導者ジャアジャア釈放

2005-07-30 16:53:35 | 中東
 レバノン内戦時代のキリスト教右派民兵組織「レバノン人軍(Lebanese Forces, القوات اللبنانية)」の指導者として知られ、内戦終結後にシリアの影響を受けたレバノン政府によって逮捕、11年間投獄されていたサミール・ジャアジャア(Samir Geagea,سمير جعجع )氏が、釈放を求めてきた反シリア民主化推進勢力の要求によって、7月26日釈放された。
 これはレバノンや中東としては大ニュースで、レバノンのキリスト教右派系紙アンナハールはもちろんのこと、ロンドンにあるレバノン系のアル・ハヤー、アラブのニューステレビ局アルジャジーラなどのHPで大々的に報じられた。
 日本や台湾の新聞は、チェックした範囲では一行も報じていないようだった。レバノン在住でHPで情報を発信しているベイルート通信は日本の新聞が触れていないことに遺憾の意を表明しているが、まあ、それは当然といえば当然だろう。レバノン内戦は、日本など極東にとっては遠いよそごとでしかなく、その中の一組織の指導者が釈放されても、それほどニュース価値はないからだ。
 ただ、中東情勢を知るものにとっては感慨深いのは事実だろう。しかも、シリアにとって仇敵だったアウン将軍が5月の国会選挙前に帰国し、ジャアジャアも釈放されたということは、今年2月にアル・ハリーリー暗殺を契機として始まったレバノンの民主化過程のひとつの終着点といえるからだ。
 ただ、ジャアジャア釈放に対して、イランがレバノン内戦時代のジャアジャアによるイラン人外交官攻撃に対する処罰を要求、イランに近いシーア派組織ヒズボラなども、ジャアジャアがかつてイスラエルに近づいたことを根に持っているため釈放を歓迎しなかった。
 とはいえ、ジャアジャアも今やヒズボラやシーア派を敵視するわけではなく、レバノンの団結を和解を唱えている。それがそのとおりに進むかはまだ未知数だが、とりあえずシリア占領時代に右派を中心に身柄を拘束されていたレバノンで、自由化によって内戦以前の役者が全部そろって合法的に活動できる環境が生まれたことは、歓迎すべきことだといえるだろう。
 レバノン人は愚かしい内戦を経験し、戦争の愚かさを身をもって感じているはずである。論争や対立や競争は存在すべきだが、武力と血で血を洗う戦争を克服し、平和と民主主義とは何かを示すためにも、レバノン人の英知に期待したい。

ハヤーの記事は、
http://www.daralhayat.com/arab_news/levant_news/07-2005/
Item-20050726-54be62ac-c0a8-10ed-00ed-f4c8af2fc523/story.html

アルジャジーラ・アラビア語記事は
http://www.aljazeera.net/NR/exeres/
095E21F3-FA94-40F9-9B29-ECDC65175663.htm

同英語記事は
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/
77EA736C-F5A6-4F74-BB90-CA618D419C12.htm

ジャアジャア釈放後治療のためフランスに向かうベイルート空港で行ったスピーチ全文英語訳は
http://www.dailystar.com.lb/article.asp?edition_id=1&
categ_id=2&article_id=17126

ワールドゲームズ引継ぎめぐり波風

2005-07-30 16:51:37 | 台湾政治
 中国時報7月26日付けが2面で大きく伝えたところでは、五輪以外の種目を競う国際スポーツ大会ワールドゲームズがこのほどドイツのデュースブルクで閉幕した。ここで次回2009年の開催地である台湾高雄市に引継ぎを行う際、ひと悶着が起こったようだ。
 台湾側代表の高雄市代理市長陳其邁が「台湾」という名前を強調したことに、ドイツ側が「五輪委員会の規定では中華台北であって、台湾を使ってはいけない」と横槍をいれ、台湾駐ドイツ代表である謝志偉が「台湾はこの場合は地理名称であり、もし中華台北高雄市といったらおかしい」と抗議した。
 これは欧州主要国の中でもとりわけ台湾に冷たく中国べったりの傾向があるドイツだからこそ起こったものといえるが、しかし台湾は台湾という名前を使うこともままならないとは、困ったものだ。
 これに対して、中国時報の解説記事では「いっそのこと首都の台北市を台湾市に変更してはどうか」という提案をしている。つまり、首都の名前が台湾市になれば、中華台湾ということになって、台湾を堂々と使っても問題がなくなるということだ。さらに、メキシコ、パナマ、グアテマラ、ルクセンブルクなどで国名と首都名が同じだから、そんなにおかしなことではないし、首都名の改名も南アで近々プレトリアをツワネに変更する例もある、とする。これは面白い主張だと思う。しかも、中国時報が主張したことが面白い。中国時報はここ1ヶ月くらい、社説や記事や投書が、本土化の色彩が強まっている。中国時報自身にどういう魂胆があるかはわからんが、本土化こそが台湾の実情を反映しているということだけはいえる。

自由時報24日、林志玲帰国を大々的に報道、ちょっとやりすぎでは?

2005-07-30 16:50:12 | 台湾その他の話題
 台湾本土右派系自由時報は7月24日付けで6-7面と2つの面全体を割いて、台湾のトップモデル林志玲の帰国を大々的に報道していた。
 林の母親は陳水扁の主婦後援会である「スイタンタン」の理事長として有名で、林本人も有名になるまではスイタンタンの活動にも参加したこともあり、数少ない台湾派の芸能人として知られている。その林が中国でCF撮影で乗馬シーンで落馬して骨折、中国で入院治療を受けていたが、23日夜帰国した。
 民進党の熱烈な支持者の林一家との関係が深いからか、自由時報が大々的に報道したのは、気持ちはわかるが、ちょっとやりすぎだと思う。たかだか相手は芸能人なんだし。

マルクスはもはや古典?

2005-07-25 01:55:15 | 世界の政治・社会情勢
 英国BBCのラジオ4(総合・教養放送)が最近視聴者アンケートで「偉大な哲学者」を選び、1位がカール・マルクスになったという。
http://www.bbc.co.uk/radio4/history/inourtime/greatest_philosopher_vote_result.shtml
 順位と得票率は次のとおり:
1. Karl Marx, 27.93%
2. David Hume, 12.67%
3. Ludwig Wittgenstein, 6.80%
4. Friedrich Nietzsche, 6.49%
5. Plato, 5.65%
6. Immanuel Kant, 5.61
7. St. Thomas Aquinas, 4.83%
8. Socrates, 4.82%
9. Aristotle, 4.52%
10. Karl Popper, 4.20%
 赤旗が喜んで報じたようだが(「最も偉大な哲学者」/マルクスが1位/英BBCラジオの視聴者投票、←そういえば、ライブドアって赤旗も配信してんだよね(笑)、でもこれって、代々木・日共的には喜ぶべきではないのでは?
 というのも、2位以下の顔ぶれを見れば一目瞭然(英国の思想家が3人も入っているけど(苦笑)、これはもはや「現実の運動論的には死んだ古典的哲学者」を対象にしたものであることがわかる。だから、プラトーン、ソークラテース、アリストテレース、トマス・アクィナスなどが出てくる。
 トマス・アクィナスと並べられて、それで1位になったからといって喜んでいるようじゃ、代々木も頭脳の程度が知れるというべきか、長期低落のせいか、ここまでボケているとは思わなかった。
 ちなみに、わたしは左翼を自認しているが、共産党などボリシェヴィズムはおろかマルクス主義の系譜とは違い、どちらかというとプルードンなどのアナーキズムの系譜に属する。現代欧州の左派リバータリアン、緑の党などはその延長と見ることができる。だから、共産党やマルクス主義にはきわめて冷ややかな見方を持っているわけだが、しかし、ここまで落ちぶれたと思うとなんだかかわいそうになる。

民視ドラマ「浪淘沙」7月24日筆者が日本人教師役で登場

2005-07-25 01:54:22 | 台湾その他の話題
 台湾人初の女医蔡阿信をモデルにした丘雅信を主人公とした民視ドラマ「浪淘沙」7月24日午後10時5分からの放送の第24話で、筆者が日本人教師役で登場しました(10時50分ごろから)。26話だと聞いていたんだけど、24話だったみたいです。
 前回の司会役(参照:民視ドラマ「浪淘沙」:29日夜、筆者が司会者役で登場!(コメント可))はほんとうに数十秒だけのチョイ役だったのですが、今回はわりと長く3分くらい出てました。しかも、半分以上はドアップ!台湾語のせりふも数句ある。
 しかし撮影のときは一生懸命演技やったつもりだったんだけど、実際見てみると、ちょっとつっかえつっかえながらで、とても演技どころではないな。せりふが長かったとはいえ、やっぱり素人だわ。
 再放送は30日土曜日午後5時45分からのはずだけど、25話からは日曜だけの放送になるので、再放送も31日日曜午後5時45分なのかもしれない。民視のHPの番組表がわたしのパソコンではエラーになって見れないので、わからん。
 ちなみに、民視の番組ごとの掲示板も参照のこと:FTV網友聊電視 檢視討論版-浪淘沙

香港の広東語読みは許容するのに、台湾について台湾語を排斥する日本メディアの不可解

2005-07-23 02:24:54 | 台湾言語・族群
 職場では朝日新聞をとっている。台湾ではかつての反共政策時代以来の習慣から産経新聞をとっている人が多いのだが、わたしはそれではやっぱりいかんだろうというので、「親台湾派」が多いとされる日本の右翼が嫌いな朝日新聞をむしろ読んでいる。まあ朝日の封建的で権威主義的な社風と体質はそれほど好きではないが、でもやっぱり記事の信頼性やバランスではなんだかんだいって朝日でしょとは思う。
 しかも、最近は一般に右翼にイメージされているのとは裏腹に、朝日は決して親中国、反台湾的ではなくて、さすがに軍拡路線をひた走る独裁国家中国に嫌気がさして、さらなる民主化と進歩的な政策につっぱしっている台湾を見直しつつある。
 4月下旬から5月上旬の台湾親中派野党の中国訪問の時の台北発の記事は、かなり親中派に対して冷ややかな視点があって、かなり好感を持っている。
 まあ、現在台湾に最も好意的なのは、東京・中日新聞と西日本新聞というブロック紙だったりするのだが、それはともかく朝日も右翼が攻撃するほどは悪くはない。
 しかし、ちょっとおかしなことに気づいた。20日付け6面第2国際面に香港について写真つきの話題ものが載っている。見出しは3段で「さようなら粤劇の殿堂」。
 この記事で、北角という地名にはパッコック、劇場名「新光戯院」にはサンクォンヘイユンとそれぞれ広東語読みにもとづくルビが振られていたのだ。
 台湾ではこの手の記事ではたいていは北京語でルビが振られる。しかも陳水扁ならチェンショイピエンなどと、shを捲舌音で発音した場合に準じた表記になっており、台湾訛りの北京語ツェン・スイピエンですらない。
 香港は英国統治時代には広東語読みの中国語も公用語として使われ、現在でも漢字読みや庶民の言語は圧倒的に広東語であることを考えれば、香港の地名などのルビに広東語を使うのは、言語の実態に合っている。
 しかし、台湾について、いくら北京語が公用語だといえ、北京語一本やりで、しかも北京語も北方音に準じた表記になっているのは、台湾の言語の実態に合わない。外省人について北京語読みするならわかるが、陳水扁のようなコテコテの南部出身者を北京語読みするのは、陳水扁の出身地のおじさんおばさんにはわからない読み方だからである。まして、台南県長の蘇煥智を北京語でスーファンチーなどと書くのだろうが、台南県民は誰もそう読まない。台湾語でソー・ファンティーと読むのである。
 これは矛盾している。朝日に限らず日本のマスコミの言語表記の基準は、単純に公用語かどうかだけに固執する制度主義なのか、言語生活を基準とする実態主義なのか?香港については実態主義であり、台湾については制度主義になっているのは、矛盾としか言いようが無い。
 そもそも、日本のマスコミは一般的には「制度主義」を採用しているはずである。つまり政府などが定めた制度や、政府当局の統計や見方を主軸とする発想だ。そこからいうならば、香港についての同記事は基準に反していることになる。なるほど、香港の市場や民間社会でいくら広東語が圧倒的に優勢であろうとも、中華人民共和国の一特区に過ぎない香港の建前上の公用語は北京語であり、北京語で読むのが制度的にはあくまでも正しい。広東語は「文字にならない方言」という位置づけなのだから。
 これに対して、台湾について実態主義で見るならば、大体、中南部の多数、また北部でも労働者の間では台湾語の世界である。陳水扁は台湾訛りの北京語ツェンスイピエンではなく、普通はタンツイピイ、愛称アッピイアと呼ぶ。そうしてこそ陳水扁の本来の支持基盤と民意を正確に示すものとなる。チェンショイピエンでは、何のことかわからない。
 しかも制度主義に即してみても、たしかに公式的にはいまだに北京語公用語主義は放棄されていないが、政府内会議など政府のさまざまな場面で台湾語の使用率がどんどん増えていて、半分以上は台湾語を使っている。それも意識的に行っている。
 ここでたとえば「台湾語がわからない客家人」というよくある誤解は、実態と異なっており、客家人で台湾語が聞いてわからない人などいないし、流暢に話せる人も7割を超えている。外省人も同様である。だから、客家人や外省人がいても、台湾語を話すことに躊躇する必要は実用的にはまったくない。しかも、よく忘れられがちであるが、中南部の庶民は北京語が下手で、台湾語しか話していない。そういう社会に立脚し、民意で選ばれた民進党政権だからこそ、台湾語の使用率が高まっているのが現実である。それを無視して、いまだに北京語至上主義をとっているのは時代錯誤であり、何よりも台湾語を弾圧してきた外省人特権層なり国民党反動派に与するものとなりかねない。
 中国の一部でしかない香港について、庶民社会の現実を重視して、中国の公用語と異なる広東語読みを使ってもOKなら、台湾について少なくとも南部に関係する物事や人物について台湾語読みを排除して北京語に固執するのは、矛盾している。
 しかもこれが日本人の所業である点、きわめて罪深いといえる。というのも、日本はかつて台湾を植民地支配した際、台湾語を研究した時期もあったとはいえ、戦争遂行中にはやはり同じ植民地だった朝鮮の朝鮮語と同様、台湾語を弾圧、日本語への同化を目指そうとしたのである。つまり、日本は台湾語についていうならば、かつては支配者、抑圧者としての過去を持っているのであって、今また国民党教育による支配と抑圧に与して、台湾語を排斥して、北京語に固執するということは、日本人が再び台湾を植民地として抑圧していることになるのである。産経新聞のような右翼新聞なら、かつて蒋介石を賛美もしたくらいだから、それはそれで一貫性があるといえるかも知れないが、曲がりなりにも日本の侵略に対する反省と謝罪というトーンを打ち出している朝日新聞が、こと言語政策となると、右翼反動植民地主義の荷担者になっているというのは、ちょっとおかしいのではなかろうか?
 もちろん、これは個々の記者のせいではなくて、編集局長など上層部の政策に問題があるといえる。本気で日本が犯した過ちと罪を反省する誠意があるなら、こんな矛盾は犯さないはずである。

期待はずれの映画「南方紀事之浮世光影」(試写会を見て)

2005-07-23 00:38:27 | 台湾その他の話題
 先日、日本時代の台湾人の画家・彫刻家の生涯を描いた映画の試写会があったので、同僚らと見に行った。
 題名は「南方紀事之浮世光影」。
あらすじは次のとおり:画家・彫刻家の名前は黄清呈。彼の回顧展が台北の画廊で開かれるという話から過去に戻り、黄の生涯をたどる。まず生まれ故郷の澎湖諸島で幼いころから暇さえあれば絵を描く天性の画家だったことから始まり、長じてから当時の日本内地に留学し、芸術の腕を磨いたり、台湾人留学生仲間と哲学を論じたり、ピアニストの恋人桂香と交際するなど、充実した東京生活を描く。31歳になって当時の中国北平(北京)の芸術専門学校の教師として招聘されることになり、いったん故郷の台湾に戻ることになり、やや関係が冷えていた桂香とともに高千穂丸に乗りこむが、船が台湾に到着する直前になって米軍の魚雷攻撃を受け、船は沈没。一部の乗客は助かったが、黄を含めた1000人以上が遭難した、というもの。
言語は日本時代のシーンは台湾語と日本語で、現代のシーンは北京語だが、全体として台湾語が8割くらい。およそ90分で、10月から上映開始予定。
配役は主役の黃清呈にヘビメタバンドシンガーのFreddy Lin(彼は昨年11月、李登輝学校の卒業生で台湾大学政治学科学生の謝易宏とともに、李登輝を囲んで「魁!男塾」のコスプレで有名になった)、恋人の桂香役に舞台女優の張鈞、黄の兄、黃清順役にやはり舞台俳優の林鴻翔、現代のシーンで美術館キュレーター?の役にアイドルの徐懷 (Yuki Shu) 、その恋人・國鈞役に舞台俳優の何豪傑を配した。
公式サイトはhttp://www.easternpond.com.tw/。ただし、7月22日現在まだ工事中。
クランクインの際は「南方紀事」という名前だったが、一画家の生涯だけでちょっと大げさということから、「南方紀事之浮世光影」に変えたという。

試写会では感想などを書いて謝礼として100元もらった。
しかし、一言でいって、つまらない映画だった。この制作は多くの友人が関わっているので、前から聞いていたし、台湾日報もよく記事にしていたので期待していたのだが、映画のつくりが素人すぎて、お粗末。
もちろん、題材そのものは良い。これまで台湾では国民党教育によって、台湾自体の歴史的人物が顧みられなかったこともあって、日本時代の台湾人で名を挙げた人を顕彰し、知らせようという試みそのものは買う。しかし、脚本がつまらなく、撮影も異様に下手なのである。
 全般的にいって、シーンのつながりが悪い。色合いも単調でコントラストがない。そもそも主役のフレディはのっぺりした顔なのだから、コントラストが悪いと余計画面映りが冴えなくなるのだ。
大体、現代に回顧展が開かれるシーンから始まる必然性がないし、そこから過去に戻る際に、台湾人によくあるパターンでまったく脈絡がなく連携が悪い。だから現代と過去がばらばらで唐突かつ牽強付会に結びついている格好だった。
とくに試写会参加者の間で不評だったのが、現代のシーンのボーイフレンド國鈞は「いらねえ」という声がもっぱらだった。徐懷 (Yuki Shu)については賛否両論となった。わたしは良いと思う。徐懷自身は外省人芸能人ながら熱烈な陳水扁支持として有名だし、この映画に出演することは彼女が陳水扁をミーハー的に支持しただけでなく、台湾意識にもとづいていることが示されたといえるわけで、若い世代の外省人の台湾本土化、台湾意識への傾斜のシンボルともいえるからである。
また、船が海を進むシーンと蛍が舞うシーンの動画が、北朝鮮映画並みのちゃちなつくりになっていた(制作側は、これはベータ版であって、後で手直しするといっていたが)のも萎えた。
それに、わざわざ日本に行ってロケをしたらしいが、日本だと気づかないようなもので、別に日本にわざわざ行って撮影するほどでもない。なんだか無駄な金の使い方をしている。
 せりふの一部で使われていた日本語についてだが、全体的には言語そのものの考証は比較的力を入れていたようで、日本語は当時の語法をなるべく意識したものになっていた。ところが内容的におかしなところがあって、日本地理の授業のシーンで、「東京の南にあるのが、名古屋、さらに南が四国だ」などといっていた。日本人の一般感覚では名古屋も四国も東京の南じゃなくて、西というのが普通だろう。大体緯度はそんなに違わないのだから。台湾は南北別だからそれを当てはめがちだが、日本は東と西の区別がまずある。
 しかも四国を「日本で三番目に大きな島だ」といっていたのもおかしい。当時の日本の領土でいえば、四国は6番目になるはず。本州、北海道、樺太、九州、台湾、四国の順だ。理科年表で確かめたらよい。日本統治時代といっているわりには、台湾人はこういう具体的な舞台設定で現在の感覚をもってきて「当時の台湾は日本の外地だった」ことを忘れてしまうところが、まあ台湾人らしい詰めの甘さといえようか。
 また、日本語で「ここにこれを置かせていただきたい」みたいな言い回しを使っていたが、浄土真宗起源の「~させていただく」形が一般的に広まったのは戦後であって、当時は一般的ではなかったはず。
 ただし、日本語ということでいえば、主役のフレディは、日本語がまったくできないのに、哲学論争など難しくて長い日本語のせりふを比較的流暢にこなしており、この点では評価できる。わたし自身の経験では、台湾の俳優はこういうときに日本語のせりふをちゃんと覚えようとしないが、フレディはちゃんとこなしていたのは良い。そこは音楽家だからか。
 また、台湾語は澎湖方言(泉州系が強いもの)を比較的忠実に考証して使っているほか、台湾語の語りは台湾語運動もやっている陳豊恵(語研「台湾語基本単語2000」の吹込みをした人でもある)が担当しているので、この点では良い。

 しかしながら、やはり全体的に企画設計が良くない。それには理由があって、そもそもこれが台湾聯通網という組織が関わっているためかもしれない。試写会もその事務所で行われた。台湾聯通網は、台湾独立建国聯盟が中心となって台湾ではじめて専門のインターネットラジオを2002年に作り、台湾意識を広めようとして作られた組織だ。インターネット映像ソフトを作ったりする業務を行っている。わたし自身も実はその設立準備段階から一枚かんでいて、開局後半年間番組をもったこともある。しかし、そこの経営陣が無能で、ラジオをライブで聴いているのは最大で数十人という程度。海外の独立支持台湾人などからも金を集めて鳴り物入りで作ったわりには、これでは効果はほとんど無きに等しい。そこで、半年してから、準備に関わった人間と経営を握っていた人間が衝突、準備に関わっていた人間がわたしも含めていっせいに手を引いたのだ。
 そのときの経営者が今回の企画に入っている。これでは、駄目なのも当然だろう。センスが悪すぎる。「無米楽」とは大違いだ。


映画の紹介については、筆者が個人的に受け取ったメール案内から(中英文:

◎試映會地點:台北市南京東路二段95號十一樓
◎試映會流程:7月18日到7月22日19:30到21:30(擇一場參加)

**
*【浮世光影】簡介*
**
***預告片:http://voiceoftaiwan3.streamguys.com/tvnet/pond/PondPartTrial3*
其他資料:
http://groups.msn.com/taiping/
general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=146&LastModified=4675514755452685863
〝生命是如此美好,值得吾人為之奮鬥;我同意這句話的後半段〞
---海明威

"The world is a fine place, and worth fighting for.' I believe in the second
part."

Ernest Hemingway


日據時代知名雕刻家及畫家黃清埕從日本學成歸國,他與相伴多年的鋼琴家女友桂香搭乘由神戶啟程往基隆的巨輪--高千穗丸,準備回鄉探望親人後赴北平藝專教書,未料,船抵基隆港外,竟遭美國潛艇魚雷擊中,
當時船上僅有兩艘救生艇駛回基隆港,船上一千多名乘客多不幸罹難。這段堪稱世界第三大船難,也是台灣歷史中的重要紀事,不僅沒有得到應有的感懷,還遭受到 官方禁論及打壓,大時代下的悲劇,因此伴隨著高千穗丸的沉寂逐漸被遺忘,而黃清埕這位有可能是台灣有史以來最具天份的藝術家,也隨之殞落,藝術成就鮮少為 人所提及。

多年後,修復專家透過一次美術展認識了黃清埕的畫作,也因修畫及採訪的緣故,對於黃清埕作品和高千穗丸事件產生了好奇,
逐漸發現每幅畫中人物,背後都有一段感人故事,其中「衣婦人」像和「桂香頭像」,似乎又別具某種浪漫糾纏的關係,在
一路尋訪、修補過程中,一步步受到黃清埕對藝術生命與價值的感召,因而引發對自我的強烈衝擊與定位,並為長年隱藏在身體中的病痛找到了出路……
紀事也就此展開。

* *

*"**The world is a fine place, and worth fighting for.' I believe in the
second part."*

Ernest Hemingway

The year is 1943, and Taiwan is under Japanese colonization. After
finishing his studies in Japan, famed Taiwanese sculptor and painter
Ching-Cheng
Huang receives an offer to teach in Beiping Art School. He decides to visit
friends and family back home before leaving for China. He boards the
passenger liner Takachiho Maru in Kobe, Japan, with his girlfriend, a piano
player.Tragically, the luxurious liner is torpedoed by an American submarine
and sinks off the coast of Keelung, Taiwan.

More than 1000 lives were claimed, and only a few survivors were rescued
from two lifeboats. This, the third most disastrous shipwreck in world
history, should have been remembered as important episode in Taiwanese
history. However, instead of commemorating the tragedy, discussions and
inquiries about the incident were forbidden by the island's Japanese
colonial governor. As a result, the story of Takachiho Maru sunk with the
liner and its passengers. Ching-Cheng Huang, perhaps one of the most
talented artists Taiwan had ever produced, was forgotten as well.

Many years later, Shou-shou, a fine art restorer with a crippling illness,
finds one of Huang's paintings in an exhibition. In order to restore the
painting, Shou-shou learns about the artist, the stories behind his work,
and his death at sea. She recreates the story of the painting's "Woman in
Black", and romantically imagines the ways the artist painted his
girlfriend. The more she studies, the more inspired she becomes. Restoring
Huang's painting thus becomes Shou-shou's way of restoring herself.


映画の紹介については、ほかに次のサイト

http://www.pcdvd.com.tw/showthread.php?t=440438
http://www.taiwanus.net/forum/read.php?id=2741
予告編は
mms://voiceoftaiwan3.streamguys.com/tvnet/pond/PondPartTrial.wmv
を参照してください。

フレディとコスプレについては、
http://www.anti-china.net/
http://tw.search.yahoo.com/search/images?p=
%E9%AD%81%E7%94%B7%E5%A1%BE+%E6%9D%8E%E7%99%BB%E8%BC%9D&ei=UTF-8&fl=
0&meta=vc%3D&fr=fp-tab-web-t
(長いので改行、直リンクにしませんでした)
などを参照。写真の向かって左、つまり李登輝の右側の人がフレディ。
コスプレ当時の記事は、
http://news.chinatimes.com/Chinatimes/newslist/newslist-content
/0,3546,130101+132004111600780,00.html
これも長いので改行しました。

馬英九は順調に進めるか?

2005-07-19 05:51:26 | 台湾政治
 国民党主席選挙で既報とおり馬英九氏が圧倒的多数の得票を得て選出された。しかし、台湾各紙は馬新主席の前途には困難が横たわっていると指摘する。まず、今回の主席選挙で王派と馬派で党内に修復困難な亀裂が生じて敗れた王金平陣営をどう処遇するかが問題となるほか、党資産清算処理問題、党職員給与支給遅延問題、親民党との協力関係、党の路線問題(親中国色が強すぎる路線を台湾の主流である台湾本土化に修正するか)など、国民党を取り巻く問題が山積しており、馬新主席の党運営は、それほど順調にはいかない、という指摘だ。台湾派の学者徐永明は、台湾日報(台湾独立派リベラル)18日3面の分析記事の中で、馬は敗れた王金平派など地方派閥系の支持が得られず少なくとも短期的には権力のない主席になると予想する。

■王金平派との亀裂

 王派との亀裂修復は、最大の問題のようだ。
 各紙の風刺漫画でもその点に焦点が当てられていて、聯合晩報(穏健統一派だが、反馬的で中間寄り)18日6面では、「接下來怎麼走?」として国民党という船が党資産など上記問題という岩が転がったところで立ち往生しているところ、自由時報(台湾本土派)同日15面漫画は、国民党が真っ二つに割れてその溝の上に馬が座っているところが描かれている。
 敗れた王金平は、慰問に訪れた馬英九と会わず車で逃げるように選挙本部を去ったり、「連戦さんと同じく終身ボランティアとして党にささげる」として副主席を受けない意向を示している。
 馬と会おうとしなかったことについて、台湾派の政治評論家の楊憲宏は今回どういうわけかやたらと馬に好意的で「王はおかしい」と指摘しているが(台湾日報18日3面前記記事)、これはこのブログのコメントで指摘されているように、馬のほうがずれているといえる。これだけ差が開いて面子がつぶれた王を即時に訪問するというのは、東洋社会の発想としてはさらに相手に泥を塗るようなものだからだ。秘書を通じて相手に慰問の意を伝えて後日会うという形にすべきだろう。馬はそういう点では、政治センス以前に一般社会人としてのセンスがゼロであることを露呈したわけで、確かに前途多難であろう。
 敗れた王が脱党して国民党が分裂するという見方が一部にあるが、それはありえないだろう。というのも王の権力のよりどころは立法院長というポストであり、比例区で出ている王は脱党した時点で立法委員のポストを失うからだ。しかし、王が逆に立法院長としての権力や立法院で民進党や台連や親民党を含めた他党との幅広く深い人脈関係を利用して、党内野党として独自の力を発揮するという見方は妥当だろう。
 この見方を伝えるものとして中国時報(穏健統一派、宋楚瑜寄り)17日2面に「馬王 兩個黨中央抗衡?」という解説記事があった。それによれば、王と馬は政治スタイル、センス、背景などすべての上で水と油で、「相互補完関係にあるという見方もあるが、相互補完というのは逆にいえばまったく合わないということでもある」とする。しかも、今回の王は副主席就任を拒否したことに示されるように、党の運営から徹底的に距離を置く一方で、国会議長の職位と人脈を利用して、国民党を「院内政党」に転換させて、むしろ馬の党中央の権力を殺ぐ方向に動くだろう。国民党は事実上、党本部と立法院で、二つの党中央ができる、ということだ。もっとも、国民党は権威主義政党だからそういう状態が生まれるかは留保をつけているが、面白い指摘だと思う。
 台連が「王との関係は変わらないが、馬が本気で本土化を進めるなら、排除しない」と揺さぶりをかけている。
 また、前記台湾日報で徐永明が「謝長廷、王金平、馬英九の三者の間で王が謝に傾斜する可能性もある」と指摘する。
 そういう点では、自由時報18日2面の「國民黨面臨隱性分裂」(国民党は隠れた分裂の方向へ)という指摘はありうる。

■壊れた親民党との関係

 またこれに関連して、国民党と親民党との関係も微妙となる。
 そもそも宋楚瑜は以前から同じ外省人政治家として馬とは険悪な関係にある。実際そうしたボスの意向を反映してか、親民党は国民党主席選の過程で公然と王を支持、馬を批判した議員がたくさんいた。選挙後も親民党副主席の張昭雄が、王を批判した馬を「国民党の団結を考えるならそんな亀裂を深めることをすべきでなかった。知恵がない」と批判している(自由時報18日3面)。
 王が相対的に民進党側に傾く可能性と同時に、親民党も王とくっついて民進党側に相対的に近づく可能性もある。実際、親民党は年末の県市長選挙では台東県については親民党に近い現職、苗栗県については現職の後継者を、民進党と共同で推薦する。また、宋が2月に陳水扁と会談、和解してから親民党の穏健化に不満をもった統一急進派系の議員が相次いで脱党、親民党で最近表に出てくるのはなぜか穏健派で本土派寄りの人が多い。親民党は本土政党に転換を図っている可能性もある。
 また宋としては、08年で嫌いな馬と組んで勝てるかどうかわからない戦よりは、民進党に近づいてそのおこぼれに与ったほうが有利と計算する可能性は高い。

■統一派によりすぎた国民党の問題点

 また馬にとって頭が痛いのは、2008年総統選挙での勝利を目指すにしては、今回の主席選挙で国民党があまりにも外省人のコアな部分、中華民国護持、親中国など、統一派に偏った色彩が見えすぎたことだろう。
 主席選挙では、国民党員の直接選挙となったが、党員は105万人弱いるとはいえ、ほとんどが党費すら払っていない名義貸しの幽霊党員。中南部の本省人党員は、地方派閥を通じた人脈関係で国民党の政治家と個人的につながっているだけで、党の活動そのものには熱心ではない。逆に、熱心な党員は、18万人強を抱える「黄復興党部」(保守派軍人組織)を中心とした外省人に多い。今回の主席選挙では、その外省人党員を意識してか、「どちらがより反台湾独立で、中華民国や国民党本来の価値観に忠実か」という「深藍」度を競うものとなった。
 中国時報18日15面漫画でも「新主席」という卵から「深藍」(深い青、急進統一派)というお化けが出てきて、「和解共生」を掲げた緑(民進党)側や一般人が驚いているという
 だが、これまでの台湾の選挙の通例を見ればわかるように、コアの外省人が、外省人でなおかつ統一派以外の人間に票を入れることはまずない。今回も「黄復興党部」をはじめ外省人党員の8割以上は馬支持に集中したとみられる。南部でも馬支持が多かったのは、外省人党員が積極的に投票したためだ。
 だから、王金平がいくら票獲得のために外省人に媚びた発言をしても、外省人は本省人の王を信用することはなく、馬を選ぶ。自由時報18日15面に「眷村的排外意識(軍人団地の排他的意識)」とする投書が載っていたが、そこでは、高雄県にいる王派国民党地方幹部が王が高雄県の外省人軍人のためにいくら建設をしてきても、結局外省人の多くは高雄と関係ない台北にいる馬にう流れてしまうという点が指摘されていた。
 この点を意識してか、台湾派の自由時報と台湾日報の記事や投書では、王が予想以上の低得票に終わったのは、統一派に媚びて本省人党員が白けてしまい、結果的に「本土派と統一派のどちらからもそっぽを向かれた」ことが原因だと指摘されていた(典型的には、自由時報18日15面陳茂雄教授の「評KMT主席之爭」)
 台湾日報18日3面の漫画で党主席という白鳥の卵をもった白鳥が蛙の形をした王に対して「選挙戦に出遅れたことが問題じゃないの、アホ。問題は血統にあるのよ、あなたは永遠に食べられっこないわ、このアホ蛙!」というのがあったが、残念ながらこれは事実である。とはいえ、王もそれは織り込み済みで、実は国民党の本質と正体を示すために李登輝と図って仕組んだ可能性もぬぐえない。
 というか、国民党は李登輝時代の本土化の歴史もあったため、これまでは本土化がそれなりに進んでいるものという錯覚があった。しかし、今回初めて党員選挙でその内情が明らかになったことでわかったことは、国民党のコアな部分や意思決定は、しょせんは外省人保守派が牛耳っていて、台湾人や改革派が入り込む隙間はないということなのだ。
 そういう意味では同じ台湾日報で楊憲宏が、「馬英九が本土化を進めるだろうし、もはや国民党を外省政党と攻撃することは誤っている」、また統一派・馬寄りの中時晩報18日付け2面社説で、「馬は中南部でも同様に買っていて、外省人かどうかは関係ない」などと述べているのは的外れもいいところだといえる。
 本省人は外省人だろうがいいと思えば入れるが、外省人の8割が馬に集中した事実を故意に無視するのは悪質だといえるだろう。統一急進派の色彩が濃厚なマスコミがそういう弁護をするのはわかるが、楊がそう主張するのはおかしい。
(ここで面白いのは、同じ聯合報、あるいは中国時報系でも、聯合報と聯合晩報、中国時報と中時晩報では、スタンスが違う。聯合報は急進統一派で馬支持だが、晩報はそうでもない、中国時報は馬に批判的で穏健統一派だが、晩報のほうは馬支持で急進統一派。おそらく商売のためだろうが)
 楊憲宏は馬が08年で勝とうとするなら本土化を進めざるを得ないという主張をしているが、馬が台湾派になれるものなら別に総統選挙を意識しなくてもとっくになっているはずだろう。いまだに父親の言いなり、元老たちのお気に入り、外省人の圧倒的な支持という馬の基盤や背景を考えれば、馬に本土化への転換を期待することは間違っているといえるだろう。むしろ今の宋のほうがその可能性が高いといえるくらいだ。

■党資産、党職員給与遅延問題

 国民党は世界一の資産を持つ政党として知られるが、そのほとんどは日本植民地の遺産を横取りしたものであり、民進党政権になってから、不当取得資産の国家への返還を求められてきた。これに対して、国民党側は民進党政権が進める「不当取得財産処理特別法」の成立に親民党などと組んで抵抗する一方で、批判の目をそらすために、自らの都合で自主的に売却を進めるなどしてきた。しかし、そもそも不当取得資産を売却してキャッシュに代えることはおかしい。ただ、従来は親民党との青色連合、あるいは王金平の人脈で無党団結連盟など無党派が国民党を支持することで、資産処理の追ってを何とか避けることができた。
 ところが今回馬は王派と決定的に関係が悪化したことで、従来は王の人脈関係で結びついていた他党との関係は微妙となる。
 聯合晩報18日6面は、親民党無党団結連盟が「これまで王との人脈で王の面子を立てるために」国民党を支持することが多かったが、王がこんな形になった以上は国民党を必ず支持する必要はなくなったと話していることを伝えている。親民党の場合は党資産処理特別法に賛成に回る可能性も指摘している。
 もっとも同じ面には馬派の幹部が「和解を主張する民進党政権の行政院が法案を提出する可能性は低い」と見ていることを報じている。
 ただ、馬派のこの見方はあまりにも楽観的すぎるだろう。民進党から見れば、親民党との和解のほうを優先させ、さらに国民党の資産に手をつけられれば、国民党を分裂させることもできるから、国民党と和解できなくなることを心配する必要はないからだ。国民党資産に手をつけることになれば、親民党と台連は国民党の内実を知っているだけに、分捕りを狙っているから、親民党も本来は賛成であるからだ。
 党職員への給与支給遅延も、決断力がない馬が主席になればさらに遠のいて時限爆弾となる可能性がある。
 しかも、馬がおかしなところは、台北市長を兼任のまま党主席に就任するとこれも能天気なことを述べていることである。国民党が与党で総統と主席を兼ねるというならこの党の体質から考えればプラスが大きい。しかし、市長と主席の兼任では、市政と党の運営のどちらを優先するかという問題に常に直面する。
 馬のセンスの無さが如実に示されているといえるだろう。

■馬が浮上する可能性

 ただし、政治には絶対ということはありえない。これにも変数は存在する。それは台湾日報で徐永明が指摘するように、年末の県市長選挙で国民党が象徴としてとらえている台北県長を国民党が16ぶりに奪回できるかどうかにかかっているだろう。台北県は首都台北市に近く、人口も県市で最大で、この県長を獲得することの意味は大きい。この4期は民進党が勝利していた。ただ基礎票では青陣営が緑陣営よりも若干多く、国民党がここを奪回すれば、民進党政権の基盤を大きく揺るがすことが可能となり、それを党主席として指揮した馬の権力と正当性は大きく上昇すると考えられるからだ。逆に奪回できなければ馬の党主席としての声望はさらに低下することになる。
 現在のところ五分五分とみられる。民進党は新人羅文嘉を立てているが、39歳の客家人として若手と客家票を獲得できる可能性は高いが、逆に民進党員としての理念がいまひとつ明確ではなく台連の支持者が棄権する可能性がある。とはいえ、国民党が立てている周錫イもこわもての外省人で同じく国民党の予備選挙に立った本省人で三重市長など地方派閥や本土派が離反する可能性もある。周の古巣である親民党も「裏切り者」を応援することは難しいだろう。
 というわけで、年末の選挙は民進党と馬の両者にとって2008年の総統選挙を占う試金石となるだろう。

■馬は勝てる総統候補になるか?

 今回馬が圧倒的な支持で党主席に選ばれたことで、2008年の国民党総統候補の座は確実にしたと見られている。ただし、これも変数があって、確実だとはいえない。かぎはあくまでも年末選挙にあるだろう。
 とはいえ、たとえ年末選挙で台北県を奪取したとしても、馬が順調に2008年の総統選挙に勝利できるかといえば、かなり疑問符がつく。
 日本人はどういうわけか、外省人と美的センスが似ているものだから、外省人が馬をハンサムだといい人気があるというと、そうかと納得してしまう傾向がある。今回の主席選挙の結果について、独立支援の日本人ですら総統選挙で民進党の苦戦、馬の優勢を主張しているものが見受けられた。
 しかし、それは台湾の一般庶民感覚をわかっていない外国人ならではの思い込みであろう。
 たしかに、馬は台北市や外省人の間では、人気は高い。ハンサムでハーバード大留学という経歴は、たとえ行政能力がなくても、それだけで都市部の中産階級に訴える力はある。行政能力はブレーンが補えば何とかなる。民進党は都市中産層や外省人から見ればダサイ人しかいないからそれだけではかなわないように見える。
 しかし、選挙は実際には投票行動に動くかどうかが問題であって、表面的な人気とは異なる。人気があっても人情や基盤がなければ投票に行かない。ハンサムというだけできゃあきゃあ言うような軽薄なミーハーは基本的には投票には行かない。晴れていれば彼氏彼女と遊びに行くだけだろう。
 しかも、どんな社会でも都市部中産層やミーハーやインテリぶった人間は、3割を超えることがない少数派であることを忘れてはならない。馬は確かに北京語しかできない日本人が台北市で出くわすような階層の中では人気があるのは事実だが、その他7割を占める庶民層、とくに中南部の庶民にはまったく人気がないという、もう一方の厳然たる事実を忘れて「人気があれば勝てる」という図式は、それこそ軽薄というそしりは免れないだろう。
 昨年9月に豪雨で地下鉄工事現場から水が噴出して水浸しになった三重市に、馬市長が慰問と謝罪に回るというシーンがテレビで放映されたことがある。馬が下手な台湾語で慰問して回るのだが、相手の庶民は「なんだ気障で気取った外省人が下手な台湾語で表面を取り繕っていて、誠意のかけらもない」といった風だった。
 また2001年と04年年末の立法委員選挙でも、馬が国民党の応援に出かけると、台中市ですら観客は白けていて、南部ではまったく人気のニの字もなかったという。
 大体、馬は台湾語が下手すぎる。あんな下手糞な台湾語では庶民はしらっとするばかりだ。それは外省人だからではない。外省人でも台湾語がうまく庶民的な人はたくさんいる。劉一徳は巧みな台湾語で台北県の田舎・金山では人気がある。
 馬のスタイルは、気取った北部インテリそのもので、中産層や外省人やそれと感覚が似ている日本人受けはするが、台湾人受けは絶対にしない。戦後の台湾史を知っていれば、北部の外省人と南部の台湾本省人は、文化も歴史もまったく違う、べつの種族、民族というべきであって、外省人や日本人に受けるからといって、台湾人に受けると思っていたら大間違いである。

■国民党は体質転換できるか?

 もちろん、馬にも勝てる見込みはある。それは国民党を徹底的に民主化して権威主義ファッショ政党から普通の西側の保守政党に脱皮し、また外来政党から本土土着政党にすることであろう。
 国民党のようなファッショ政党が普通の民主政党に脱皮した例はスペインのフランコ時代の独裁政党、イタリアのファッショ政党などがいずれも中道右派政党になった例、リトアニアやハンガリーやモンゴルでも共産党が普通の中道左派社民主義政党に脱皮した例もある。特にモンゴルの例は参考になるだろう。
 しかし、問題は国民党があまりにも資産を持ちすぎていること、さらに馬があまりにも自らの定見や決断力がなく周りに流されやすいことだろう。
 まして今回の選挙で、外省人のコアの党員が、決して王を支持しようとしなったことから見られるように、国民党の外来ファッショ排他的体質は、病膏肓に入るというレベルで、他国のファッショ政党の民主化はきわめて困難だと見ざるを得ない。
 また、台湾では馬が本土化する可能性として、馬が「ひとつの中国」や反台湾独立の一方で、反国家分裂法や天安門事件などで、中国共産党をきわめて強く批判している部分を評価する見方もある。たとえば、行政院大陸委員会主任委員の呉燮が馬の反中共発言を評価している(中国時報18日4面、呉燮「激賞」馬的弦外之音)。
 しかし、馬の反中共姿勢も、冷戦型の反共主義の一種であって、民主化が進み共産主義が危険思想ではなくなった今日の台湾においては、反共主義のスタンスからする中国批判はもはや時代遅れとしか言いようがない。そもそも台湾の主体性にとって、中国が問題なのはそれが共産党だからではなくて、台湾を併呑しようとする大中華意識が問題なのである。台湾はもはや反共主義ではなく、共産党のベトナムとも友好的な関係を築いている。
 馬が中国共産党と批判する場合は、結局は大中華で反共という蒋介石のスタンスと同じであって、法輪功による中共批判の「九評」を執筆した外省人の台湾大学政治学教授、明居正と通じるものであって、決して台湾の主体性を尊重するものとはならない。

【速報】国民党主席選挙で馬英九当選だが、国民党改革の前途は多難

2005-07-16 21:19:18 | 台湾政治
 7月16日行われた中国国民党主席選挙で、外省人の台北市長・馬英九氏が37万票5056票(得票率71・51%)を獲得、対抗馬の台湾本省人の立法院長・王金平氏の14万3268票(27・32%)をほぼ2.5:1の差でリードして当選した。
 国民党は戦後日本が敗退後台湾を占領し外来独裁政権として支配してきたファッショ型政党。2000年の総統選挙で土着のリベラル政党・民主進歩党(民進党)に敗れて野に下ったとはいえ、独裁政権時代に蓄積した圧倒的な資産、社会の隅々にある末端組織、公務員・教員・軍人のほとんどが党員など、事実上支配政党として隠然たる勢力を保っている。
 以前はファッショ型政党らしく、党首である主席は「党員代表」による間接選挙で、しかも複数候補はいない状況で信任投票で、得票率95%以上という状況だったが、二度にわたって総統選挙に敗れたのを教訓にしてか、民進党が全党員選挙で党首を選出するのに遅ればせながら倣って、今回は国民党史上初めての党員直接選挙、しかも初めて複数候補が出る「民主的」選挙となった。全党員105万あまりのうち党歴など投票資格があるのは102万9106人。一般党員の関心は低かったのかが45%程度だった。しかし18万人を誇る保守派軍人組織「黄復興党部」、それとあわせて27万人と見られる外省人党員のほとんどは投票に行ったと見られ、外省人保守派のなかで信頼が厚い外省人の馬氏が有利となったようだ。

 主席選挙では、人気の馬に、人脈の王と言われる二人の激突となった。
 馬は香港生まれで、父親が典型的な保守派外省人であり、本人もこれまで一貫して保守的な立場に立ってきたことで外省人長老に信頼が厚い。ハンサムフェースで、北部の女性に人気がある。ただし、上の5人がすべて姉と女性に囲まれて育ったため、なよなよとした印象があって、南部の台湾人には不人気で、また台北市長としての行政能力の無さを最近露呈させている点がマイナス。ハンサムという点だけがとりえで、穢れ役をやらないで、かっこばかりつけているとの批評もある。
 片や王は南部高雄県の出身で、典型的な土着的な政治家。立法委員歴28年と政治家としてもベテランで、竹下登風の気配りと根回しで党内外に広い人脈を誇る。李登輝との関係も深いとされる。ただ、定見がなく、日和見的なところがあるため、国民的人気は今ひとつ。
 党幹部の中央常務委員や立法委員の中では、王の支持のほうが多く、また尖閣問題で軍艦に乗船したり、テレビCMをふんだんに流すなど、話題つくりの攻めの戦いという意味で、王が優勢と見られていた。
 傾向としては本省人で中南部の土着型政治家が王の支持が多く、馬は外省人や本省人でも若手の支持が多かった。
 ただし、結果から見れば、やはり積極的に投票に行った外省人党員にとって本省人で李登輝との関係も深い王は警戒され、馬に票が集まったと見られる。また、若手には人脈重視の古い体質を持つ王よりも、イメージだけは清新な馬に期待があったのも事実だろう。
 馬の当選は国民党がしょせんは外省人中心の外来政党であるという本質を見せ付けた結果に終わったといえるだろう。
 とはいえ、やや異数もある。今回馬の支持に回ったのには、国民党内で最も台湾本土派と見られイメージも良い徐中雄(台中縣豐原選出立法委員)、イメージはよくはないが土着型として知られる陳杰(彰化縣選出立法委員)、やはり土着派の呉敦義(南投県選出立法委員)、外省人ながら台湾意識は強く台連や民進党との関係も良い朱立倫(桃園県長)ら本土派有力者もいるからだ。彼らが馬支持に回ったのは、おそらく馬の持つ清新なイメージで国民党をまともな本土型保守政党として転換させることを期待してのことだろう。私は馬がそこまでの能力があるとは思わないし、また馬のコアな支持者がそのイメージとは裏腹に外省人保守勢力にあることが示された以上、党の改革は順調には進まないと思う。
 実際、今回の選挙戦の過程では、そうした本土改革の声は表面にはほとんど反映されず、王も馬も党員投票のコアな勢力である保守派受けのする主張ばかり展開し、北京語ばかり聞かれた。国民党というファッショ型政党の改革は困難だろう。
 また、8月の党大会で正式に就任する馬新主席の前途も多難だ。一般的にはこれで2008年の国民党公認総統候補は、馬が確実になったとみられるが、そんなにすんなり行くのか。
 今回は宋楚瑜や親民党が公然あるいは非公然と王支持に回った。宋にとっては同じ外省人の政治家である馬は邪魔な存在だからである。昨年末の立法委員選挙に続いて今回も、宋が再び国民党に面子をつぶされた格好となり、その怨念は馬の妨害と足を引っ張ることに懸命に向けられることになるだろう。馬はクリーンだとされているが、行政能力や決断力は欠如しているし、しかも部下にはクリーンではない人間もいる。宋や王やその支持者は、馬の周囲のスキャンダルを虎視眈々と狙い、スキャンダル暴露が今後進行するかも知れない。また、2008年に馬が国民党公認総統候補になったとして、宋や王が積極的に支持するかは未知数である。国民党が一丸となったとしても2008年は国民党が政権奪回することは困難と見られるから、宋や王が積極的に馬を応援しない可能性もありうる。
 国民党陣営の今後の暗闘が注目される。

 (余談)そういえば、連戦が相変わらず無責任を露呈したのは呆れる。自分の後継を選ぶ選挙なのに、午前中に早々と投票を済ませた後、日本経由で訪米の途について、開票結果が出たときには東京の帝国ホテルに宿泊しているという。何を考えているんだか。

「台文通訊」135号に台湾語文を寄稿

2005-07-16 18:38:31 | 台湾言語・族群
 台湾語文によるニュースレター形式の定期刊行物としては最も歴史が長い「台文通訊」(Tai5-bun5 Thong-sin3)の最新号、6月15日付け135期には、私が書いた文章が掲載されている。このブログでも何度か絶賛しているドキュメンタリー映画「無米楽」の意義を評価したもので、全羅(全ローマ字)で書いたのを編集部が漢羅(漢字ローマ字交じり)に改めたもの。同号7-8ページに掲載されている。ホームページでは
http://taiwantbts.org/article_start.asp?Vol=135&Art=7
http://taiwantbts.org/article_start.asp?Vol=135&Art=8
を参照のこと。
 同誌に寄稿するのは、2004年1-2月号に台湾語ドラマ「台灣霹靂火」の台湾語運動上の意義について述べた1万字の論文以来。
 しかし皮肉なことに、私は台湾に来てから台湾語文を書く数量が減った。代わりに中国語が増えた(^^;)。むしろ日本にいて仕事も忙しかった1996-99年が台湾語文をたくさん書いていた。
 まあ、台湾語は逆に台湾では国民党政権以来の抑圧された状況が続いているからだが。これはクルド語がトルコなどでご法度で、むしろ亡命先のドイツなどで盛んに行われているのと同じ状況かもしれない。「台文通訊」も最初は米国LA、次にNY、そして現在はカナダのトロントの台湾人が編集しているし、台湾語小説の創作量はトロント近郊在住の医師・陳雷(本名は呉景裕で、陳水扁夫人の従兄弟にあたる)が最多を誇っている。台湾にいるとどうしても国民党教育体制の影響で文字言語としての台湾語がおろそかになりがちだ。これは今後台湾が名実ともに独立国家としての体裁を整えていくうえでの最大の課題だろう。

映画パッションを観て

2005-07-16 18:37:58 | 芸術・文化全般
 最近、メル・ギブソン監督作品の映画「パッション」(The Passion of the Christ)をVCDで見た。昨年上映されているときは、総統選挙後のごたごたなどで多忙だったため見に行けなかったし、普通のCD屋でVCDが見当たらなかったので、キリスト教系書店で買った。480元とちょっと高かった。
 Passionという英語は普通は情熱などという意味が知られているが、キリスト教用語では古語の「苦痛、受難」の意味。これと同じことは、Conceptionが概念ではなくて処女懐胎を意味することにも言える。
 この作品はイエス・キリストが拘束されて十字架に掛けられるまでの最期の12時間と最後に復活する瞬間までを描く。イエスを描いた多くの作品と違って、最期に受ける残虐な拷問を忠実かつ執拗に描いたもの。鞭打ちで全身みみず腫れになったところ、十字架磔で両手と両足に釘を打たれるところなど、音も含めてきわめてリアルに描写しているので心臓が弱い人や年少者には薦められないだろう。話題を呼んだのが、台詞も英語でなく、イエスが話していたとされるアラム語のほか、ラテン語、ヘブライ語など当時話されていた言葉をなるべく復元して、全編英語字幕をつけた点。
 アラム語はセム系言語のひとつで、アラビア語やヘブライ語と兄弟言語にあたる。現在は一部の方言がシリアの一部などで細々と話されているだけで、それもイエスが話していた当時のアラム語とは異なっていて、実際にそのとおりの復元はできないが、そこはアメリカ、アラム語研究学者が諸方言や文献を照らし合わせてなるべく当時に近いとみられるものを復元させたという。
 敬虔で保守的なカトリック教徒といわれるメル・ギブソンが私財を使って、宣教のために作ったといわれるだけに、意気込みのほどが伝わる。
 しかも、全編がアラム語、ラテン語などと、現在では日常で使われていない言葉なので、俳優がわざわざそれを覚える苦労は並大抵ではない。だが、そこはプロの俳優、言語も演技のひとつだからこなしたうえ、しかも表情までこめていたのには感服させられた。
 私も台湾でドラマ脇役出演経験が何度かあるが、その経験からいっても、台湾の俳優ではこういう根性は期待できない。歴史ドラマで日本時代には日本語が多用されるが、ちゃんと長いせりふを覚えてくれる人なんか一人もいない。だから現場で言語指導も兼ねている私が短いのを教えるといった具合だ。これが台湾がいまひとつ国際的に認知されない根性の無さかもしれない。パッションを見てぜひ見習ってもらいたいものだと思う。
 それはともかく、アラム語は私も細かいことは知らないが、現在マイブームで学習中のアラビア語と兄弟言語だけあって、響きや単語がところどころ似ていることがわかる。誰をmaan、王をmaleki、王国をmalkina、否定詞のないをla、私をanaなどは、アラビア語とそっくりであった。まあ、私のアラビア語はまだ初歩段階なので、流暢な人が見たら、かなり内容も類推できるのではないかと思った。
 もっとも、アラム語がわりと真に迫ったものだったのに対して、ラテン語がややお粗末だった。文法は間違っていないんだろうが(間違いを指摘できるほどラテン語も知らないてか、これも初歩段階)、発音が気になった。というのも、古典ラテン語では、発音はローマ字通りで、cは子音kの音、vは半母音wの音で読むのが原則なのだが、いずれも現代イタリア(ヴァチカン)式にチェ、ヴェで読んでいた(たとえば真理veritasをヴェリタス、皇帝caesarをチェザールなど)、それからイエスが十字架にかけられるシーンで、カトリックの聖画でよく描かれるINRI、つまりIESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM(ユダヤの王、ナザレ人イエス)というラテン語の表記だが、uをVで表記しているのは正しいとして、Sが丸みを帯びた字体になっていたけど、当時ってもっと角ばっていたのでは?と疑問に思った。
 ひょっとしたら、アラム語に精力を集中させすぎて、ラテン語部分は若干考証が手抜きになっているんじゃないだろうか。
 まあ、こうした語学オタク的な突っ込みはこれまでにして、内容的なものに移りたい。

 主な配役だが、イエスを演じたジム・カヴィーゼルがワシントン州で育った米国人である以外は、イタリア人やルーマニア人などのラテン系やブルガリア人などスラブ系を多数起用しているようだ。エンドロールでもイタリア人っぽい名前がたくさん出てくる。まあ、教義や典礼上はプロテスタントよりもカトリックや東欧正教会系のほうがイエス当時の雰囲気に近いものがあるので、ラテンと東欧を使うのはわりと正解かもしれない。
 イエスの母マリア役のマヤ・モルゲンステルンはルーマニア・ブカレスト生まれで同国の有名な舞台女優たしいし、マグダラのマリアのモニカ・ベルッチはイタリア・ペルージャ生まれ、大祭司カイアファのマッティア・スブラージアもイタリアのベテラン性格優、ローマの総督ピラトのホリスト・ナーモヴ・ショポヴはブルガリアの名門映画一家の出身、ほかにもピラトの妻クラウディア、イスカリオテのユダ、サタンはイタリア人、使徒ヨハネはブルガリア人のようだ。

 内容的には、メル・ギブソンは四つの福音書をいずれも同等に参考にしたとのことだが、マグダラのマリアの存在感がいまひとつ薄いところにルカやマルコの影響が強いことが感じられた(岡田温司『マグダラのマリア』中公新書p.14によると、マグダラに好意的なものから否定的な順に、ヨハネ、マタイ、マルコ、ルカだと指摘されている)。マグダラは実は私がキリスト者としても聖書の中の女性で最も惹かれるキャラなのだが、この存在が薄いところが私自身は不満だったし、メル・ギブソンのカトリック保守派としての本質が現れていると思う。
 マグダラに比して、イエスの母マリアはせりふは少ない、寡黙な役ではあるが、そこは表情が苦悩と慈愛に満ちていて存在感があった。この女優はルーマニアの有名な舞台俳優らしいが、敬虔なクリスチャンだろう。なかなかの演技力だと思った。
 ただ、慈愛に満ちた母という描き方はやはり監督のカトリックらしい解釈だと思った。メル・ギブソンは超教派的に考えたと主張しているようだが、聖書解釈に超教派などありえない。メル・ギブソン独自の解釈だということはできるが、それはそれで面白いとは思った。
 マグダラやマリアの描き方のカトリック保守派としての傾きはともかくとして、イエスそのものの描き方、たとえばイエスが人間の罪と罰に堪え、彼を陥れたり罵倒しているユダヤ聖職者や民衆にも微笑みを返しているように見えるシーンはやはり感動的で共感できるものであった。
 ただ、欧米公開時に問題になったとされるユダヤ人を悪く描いているという指摘はどうだろうか?まあ、東洋人だからユダヤ人差別問題に鈍感なのかも知れないが、それほどユダヤ人を憎らしげに描いているようには見えなかった。また、ピラトと妻の苦悩も描いているし、全体的にイエスの「敵」にあたる人たちにもキリスト教のテーマである「博愛」が貫かれているように感じた。それにユダヤ人を悪く描いているといっても、当時のイエス自身の認知はあくまでもユダヤ教徒の改革派だったわけだし、メル・ギブソンがいくらアメリカ人の単純思考があるからといってもその点に無知だとは思えないし、映画でもイエス自身の認知について自覚的に描かれていたと思う。

 あらすじやその他配役については、パッション@映画の森てんこ森を参照。