今回訪問して気づいたことだが、ハンガリーは演劇大国である。ブダペシュトの隅々に劇場があり、オペラ、ミュージカル、話劇がいくつも上演されている。ブダペシュトだけでなく、地方都市のセゲドにも国立劇場があって、話劇を中心に常に劇が上演されているのだ。これはハプスブルク時代の名残なのだろう。
今回ブダペシュトでたまたま「オペラ座の怪人」をやっていた。
生舞台の怪人を見るのは、2002年2月に韓国版をソウルで見て以来だ。
しかも上演したのは、泊まった日本人宿「アンダンテ」か歩いて5分くらいにある
Madách színház(マダーチ劇場)だ。
この劇場の名前、ハンガリー文学の知識がある人ならわかると思うが、19世紀の文豪で主に戯曲を書いたマダーチ・イムレからとったものだ。
だが、話劇ではなく、主にミュージカルをやっているようだ。
Madách színház マダーチ劇場(トップページ)
Madách színház マダーチ劇場演目案内
Az Operaház Fantomja ハンガリー版オペラ座の怪人トップページ
下に出てくるのは、
[ Belépés] [ Enter] [ Eintritt]
左からハンガリー語、英語、ドイツ語による入り口メニュー。
いずれかをクリック。
マダーチ劇場↓
オペラ座の怪人の案内板↓
2010年6月5日(土曜日)ソワレ午後7時~
キャスト(ハンガリー人名は姓+名順):
Az Operaház Fantomja(ファントム) POSTA VICTOR(ポシュタ・ヴィクトル)
Christine Daaé, énekesnő(クリスティーヌ) KRASSY RENÁTA(クラッシ・レナータ)
Raoul, Vicomte de Chagny(ラウル) HOMONNAY ZSOLT(ホモンナイ・ジョルト)
Carlotta Giudicelli, operaénekesnő(カルロッタ) SÁFÁR MÓNIKA(シャーファール・モニカ)
Umberto Piangi, operaénekes(ピアンジ) PANKOTAY PÉTER(パンコタイ・ペーテル)
Monsieur André, operaigazgató(アンドレ) SZEREDNYEY BÉLA(セレドニェイ・ベーラ)
Monsieur Firmin, operaigazgató(フィルマン) WEIL RÓBERT(ウェイル・ローベルト)
Madame Giry, balettmester(マダム・ジリー) BAJZA VIKTÓRIA(ナイザ・ヴィクトーリア)
Meg Giry, a lánya, balettáncosnő(メグ・ジリー) HAFFNER ANIKÓ(ハフネル・アニコー)
Joseph Bouquet, zsinórmester(ブーケ) VIKIDÁL GYULA(ヴィキダール・ジュラ)
Monsieur Reyer, korrepetítor(レイエー) BOGNÁR ZSOLT(ボグナール・ジョルト)
Monsieur Lefevre, az Operaház leköszönő igazgatója(ルフェーブル) KOLTAI JÁNOS(コルタイ・ヤーノシュ)
Árverési kikiáltó(オークションの司会) HORESNYI LÁSZLÓ(ホレスニ・ラースロー)
座席は5200フォリントの比較的良い席(1階前から10列)を当日購入した。
最初はちょっとどうかと思ったが、終盤に近づくにつれてよくなった。さすがハプスブルク文化の遺産である。大体、音楽も日本などと違って、ちゃんと生で演奏している。その辺はさすがに欧州だ。
ただ、劇場の中は狭い。だから、舞台も小さめで、道具も小さめになっている。
1幕は7時4分に開始。
小さいというか、ちゃちいと感じられたのは、シャンデリア。これまでに生で見た東京、NY、ソウルだと、オークションの終盤に光を放つところも、サイズそのものも威容を放ちつつ観客席の真上まで斜めに上がっていくが、ブダペシュトの劇場は小さいので、シャンデリアも小さく、しかもほとんど直線に舞台の上に上がっていくだけだった。しかも司会の最後の一句が終わって、爆音を鳴らして光る場面でも、音も光もいまひとつ弱かった。「あれれ?」って感じ。ただ演出や演技は全体に大げさ。
「ハンニバル」の練習場面でも、カーテンが落下してバレリーナたちが「ファントムが来た」とあわてる場面は、やや演技がわざとらしいというか、大げさだった。ただ、大げさといえば、ブーケやピアンジが怪人に殺される瞬間は、他の舞台では暗示的だったのが、ブダペシュトでは絞め殺す瞬間が見えるようになっていた。
「ロミオとジュリエット」の演出にしても、ロミオが首をつったり、ジュリエットが手を切ったりする、激しく直截的な演出が多いハンガリーだが、「怪人」でも、人が死ぬ場面は直截的なようだ。もっとも、これは2005年の映画版の影響もあるのかも知れないが。
映画版といえば、あまりファンの間では評判は良くないが(私も好きではない)、ブダペシュトの演出には、映画版の影響がそこかしこに見られた。
怪人テーマ音楽では、他の舞台では怪人とクリスの二人が階段から降りてくるのだが、だからこそこの場面では歌は録音されたものを流していることが多いのだが、ブダペシュトでは舞台のうえを歩き回ったり、舞台に穴があいて奈落との間を行き来する演出だった。だから多分ここの歌は録音ではなく、生で歌っている。生で歌うことを優先させたのか?
テーマ曲の終盤でクリスが恍惚となって「アー」と絶叫した後は、この舞台ではクリスがそのまま床に倒れこんだ。これは演出としては正しいと思う。
笑ったのが、「The Music of the Night」(ハンガリー語では Az éj zenéje、夜の音楽)
の後、クリスが目覚めていたずら心で怪人のマスクをはがすときに、ベッドに近づいてきた怪人を待ち伏せするかのように眠ったふりをして、怪人が近づくとマスクを取るという演出になっていた。けっこうトリッキーなクリスw。
そういえば、この前後の場面で、クリスが仰向けに横たわるところは、台を使っていたり、この舞台は台を多用していた。舞台が小さい分、道具で工夫したということか。
1幕終盤で、クリスとラウルが愛を誓う場面。有名な「All I ask of you」(ハンガリー語では Ennyit kérek én、私があなたに求めるすべて)は、私自身はそんなに好きな曲ではないが、この舞台のは良かった。
しかも二人のキスは激しいこと、またそれを見て怪人が嘆く場面では、他の舞台のようにすすり泣きではなく、大声で泣き叫ぶ感じになっていた。キスと横恋慕の激しさは、恋愛表現が激しいハンガリーらしいところ?
1幕は8時15分に終了。
休憩は約20分間で、8時35分から2幕。
マスカレードの場面では、他の舞台では最後まで怪人はわからなかったが、ここでは最初から丸わかりで、怪人が近づくたびにクリスが悲鳴を上げるという、ちょっと変わった演出だった。
「ドンフアンの勝利」の練習場面で、ピアノが勝手に鳴る場面があるが、そこの演出はちょっとぎこちなかったのと、本番で、ピアンジが殺されるが、怪人がピアンジを絞め殺して、ピアンジが悲鳴をあげるところが、シルエットで見える演出だったのは、やや疑問がある。
それはともかく「ドンファン」本番で歌われ、私が一番好きな「The Point of No Return」(ハンガリー語ではなぜか Túl késő, hogy visszalépj 戻るには遅すぎる)は、切々と歌われていて、良かった。
ファンの間では「クリスはいつ怪人だと気づくか」が鑑賞ポイントになっているが、この舞台ではクリスが最初から怪人だと気づく演出になっていた。しかもあまりにも明示的に。明示的なのが好きなんだろうか?
また、「ノーリターン」の終わりで、クリスが怪人の役柄の仮面を取るのが普通だが、ここでは怪人が役柄の仮面を自分で脱いで、最後にクリスが怪人自体の仮面を剥ぐという演出になっていた。でも、これって、いずれもクリスが取らないと意味ないんじゃ?
明示的・直截的演出といえば、地下の怪人の住処のラウルが現れた後、怪人が招き入れて、ラウルの隙をねらって縄をかけるところでは、他の舞台ででは上のほうで切れている「縄」を使っているが、ここでは柱にくくりつけて、本当に「縄で首を絞めている」という、やはり直裁的というか、きわめて危険な演出になっていた。「良い子のみなさんは真似しないでね」と、日本では断り書きが出てきそうだw。「ロミジュリ」でロミオが首つって、ジュリエットが手を切っていたようなもの?えぐい演出だわい。
ただクライマックスで、3人が「ノーリターン」の曲調で絡むところは良かった。
終盤近くで、クリスが怪人にキスするところは、他の舞台にも増して、きわめて激しい接吻だった。これもハンガリーの愛情表現を反映したものか。
フィナーレは、怪人は舞台裏に隠れるようになっていた。その後、メグが現れて、舞台後方の仮面と花をひらい、前方に持ってきていずれも床において、自分はひざまづいて立つという演出になっていた。
ちなみに、会場ではハンガリー版怪人のCD(2枚組、特に2枚目の2幕はほとんど入っている)が売られていて、4500フォリント、パンフレットは内容紹介とキャスト紹介が別々になっていて計1000フォリントだった。
これについては後日。
カーテンコール↓