★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「お弁当事情」

2021-05-10 15:03:13 | ベトナム・ハノイ

 

弊社の平均年齢は若いおそらく25歳程度か?

従って給与もそんなには高くない。親元から通う人は「お弁当を持ってくる」

 経済的理由からたとえ故郷から出てきて就職してる社員も節約のため「お弁当」である。

ベトナムで気づいたのは「日本のように【キャラ弁】や見た目の美しさなど全く意識していない」点である。

ある意味少しショックだった。私も息子の高校3年間ずっと弁当を作ってきた。

 3年終わったとき「息子から【ありがとう】とネクタイをもらった」3年間の苦労は吹っ飛んだ。

しかし、年齢が行き、酒を飲みながら「正直自分の弁当はどうだったのか?」聞いてみたことがあった

・3日ローテーション

・揚げ物ばっかり

・季節感なし(他の家庭は夏はそうめんなどの食べやすいものをもってきてたらしい)

仕方がない。私も「ちょうど働き盛りの中、朝早く起きて3年間作り続けた」それだけで

精一杯だった。息子も理解していてくれていたと思う。

 そんなことを考えながら社内の弁当をのぞいた。

・ごはん(これは必須)みんな実家は農家が多い、米だけは豊富にある。(田舎から届けてくれる)

ある日のおかず

・ゆで卵2個と野菜スープ(青菜をゆでた汁と青菜)

・もやし炒めと野菜スープ

・そぼろ

こんな具合である。野菜は必ずあるが、肉や魚はあっても少量である。日本のように3-5品のおかず

などは「皆無」である。それでも「引け目を感じることなく、堂々と食べるのである」

私が小学校の時、おかずが少なくて恥ずかしい気の弱い友達は弁当箱の蓋を立てて隠して食べていた。

ベトナムではこんなことは全く無いのである。

未だに個人GDP$3000以下の国である。みんな我慢して我慢して生きている。

特に田舎から出てきた社員は「打たれ強い」

長い間「支配され続けたベトナム」は我慢強いし、貧しさなどで人を馬鹿にするようなことは

日本などど比べ非常に少ないと思う。いじめも同様である。

最近の貧富の差がこのような「いかがわしい態度を助長しない事を祈る」

 当社は食堂もない。みんなオフィスで準備したテーブルでみんなで食事をとる。人数が増え

足りない人は自分の席で食べている。

私もこのテーブルで食事をしている。おかずを取られたり、おかずをもらったり、楽しいひと時である。

日本ではこんなことはなかった。一応私は「CEO」である。

これもまた、楽しいものである。

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ベトナムハノイの「近郊ツーリング」・・・「天福寺・・・タイ寺」

2021-05-10 13:33:51 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「近郊ツーリング」・・・「天福寺・・・タイ寺」

 昨日の日曜日「相変わらずヒマ」である。

午後、天気もいいので「前から行こうと思っていたが行けなかった【タイ寺】に出かけることにした。

これも本当に思い付きである。午前中洗濯し、ブランチを食べてダラダラしていた。ふと思いつき、スマホで

この寺を検索。距離も20km、手ごろな距離だ。そう思いもしこのままだらだら過ごしたら

夕方になって「ブルーな気持ちになると」そう思って急に出かけることにした。それもできるだけ田舎道を走ろうと

決めてルートを選んだ

 出発し、最初は「google Map」通りに。しかしどうやら迷ってしまった。

ナビは指示するがそのまま行くと何度か「人のうちの庭に入ってしまった」

 仕方なく「方向だけナビで確認しあとは勘で行くことにした」走っていて

*タイムスリップして100年前に来てしまったような気分になった

*路地の道端では「お年寄りが座っていたり」「路地で麦を乾かしていたり」

バイクがやっとすれ違えるような場所を延々と走っていたような気がする。

バイクを止めてエンジンを切ってみた。「聞こえるのは風の音と木々のざわめき

そして鳥の鳴き声だけである」

想えばきっと5-10分程度だったろうが、やっと大通りに出た。

「現代に引き戻された気がした」 そうするうちに目的の「タイ寺」についた。

 水をたたえた「湖(大きな沼)」のほとりの古い寺である。

門には「天福寺」とある。これが正式名か?。 何を祭っているかどうかはわからなかったが

皆さんにわかるのは、ガイドブックに必ず載っている「あの水上人形劇」発祥の寺である。

 画像は、その道すがらの画像と「ここも残念ながらコロナでクローズド」

だったので行けるところで撮った画像である。

ハノイから比較的近い場所だったが、道に迷ったことで

思いのほか「タイムスリップ感」を満喫できた。

このような道に迷い込み、その先は古い街並みに迷い込み

やっとのことで抜け出した先が「この寺だった」

天福寺を対岸からみて。中央に見えるのが「水上人形劇が行われる場所である」

水上人形劇とは「これである」これはハノイホアンキエム湖の近くのシアターで

コロナ前は毎日盛況で切符も取れなかったほどの人気だった。今ではクローズド

に近い状態。

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ベトナムハノイの「お墓事情」

2021-05-10 13:14:54 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「お墓事情」

 

 TOUTUBEで日本のニュースを見ていたら「インドやパキスタン」で

コロナで亡くなった人の「火葬が間に合わず、野外での火葬を行っている様子が映し出された」

世も末である。「酸素が足らず、道端や車の中で死んでいくのはどんなにか無念だろう」

アメリカやブラジルでは「お墓のスペースも足りず、非常に狭いスペースに埋葬している様子も見た」

恐ろしい事である。

 未だ日本ではそこまでは行っていないが「トリアージ」を行うような事態になってきたと聞く

大丈夫なのだろうか?

 ベトナムでも「葬儀、埋葬」は独特だ、未だに社員の中では「明日は3年目の行事で故郷に帰ります」という人もいる

聞けば、「ベトナムでは田舎では未だ土葬が多い」そして土葬をしてから「3年目の深夜」親族で

この墓を掘り起こし「骨を洗ってきれいにし、もう一度骨壺に入れて埋めなおす」という行事が存在する。

しかも「深夜の決まった時間でなくてはならないのである」これも文化伝統なのだろう。

 葬式も静かではなく「にぎやかに送り出す」。「泣き屋」が居て、金を鳴らして、車の窓からは偽物の

お金をばらまいて死者を送る。これもまた文化である。

 そして埋蔵場所は日本と同じ、田舎では親族の畑や田んぼの一角に墓地のスペースがある。

都会では「墓地スペースが分譲されており、そこに墓が建てられる。日本のように寺が墓を管理するようなことは

少ない」 日本でもそうであるが「分譲された墓よりも、田んぼの片隅に親族みんなで集められた墓のほうが

良い気がする」 ベトナムホイアンで「日本人の墓を見た」 田んぼのあぜ道の片隅に「日本のほうを向いて立っていた」

ベトナムではどういうわけか「水の近くに墓が多い」中には水場の中に立っている墓もある。じめじめしそうだが?

私は「葬式」も「墓も」不要だ、 粉にして「半分はベトナムの地に」半分は「2年前に亡くなった犬のムックを埋めた隣に

撒いてくれればよい。」と息子に言ってある。

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ベトナムハノイの「とろろ」事情

2021-05-10 12:35:49 | ベトナム・ハノイ

 

 唐突な話題である。5日前ぐらいの話。

「他の品の良い、文章能力も高いベトナムブログ」を見ていた。

その中にとろろに関するくだりがあった。(山芋、群馬ではとろろ、自然薯などという、どういう言い方が正しいのか?

どんな種類があるのかよくわからないが?)とにかく「ご飯にかけて食べる、そばと一緒に食べる

ねばねばした物」であるが、皆さんご存じだろう?

 恐らく「自然薯とは粘りが強く濃厚、長芋はさらさらしている。」として理解している。

このブログではベトナムの「紫色のとろろ芋」が紹介されていた。

 ということで土曜日の「ベトナム画家の博物館見学が空振りになり、帰りの道すがら」だった

ノイバイ空港からの高速道路の側道を走っていた時、何か「紫色の芋が見えた」通り過ぎたが

引き返した。「何たる偶然」数日前にブログでみた「あのベトナムのとろろ芋である」

 売る側のベトナム人も「急に外国人がバイクで乗り付け、芋を物色していることに驚いたのであろう。

隣の店まで走っていき、助けを呼んできた。つたないベトナム語で「2つの芋を4万ドン」で購入。

 在住11年目で初めて「ベトナム産とろろ芋」をゲットした。

この日の夕食は「とろろ芋ごはん」だったことは言うまでもない。粘り気は日本の自然薯に近い。

緩くするために「イオンで買った白だしを使うが、味が少し濃くなってしまった」

とにかくベトナム在住11年目にして初めての「ベトナム産とろろ芋ごはんだった」

 翌日の夕食は「これもイオンで買った日本そばにこのとろろを入れて」

「とろろそば」にして食した。

ベトナムハノイ、11年目に一人、「ベトナム産とろろで少し幸せな気分になった」

社員によるとベトナムではこれをスープにして食すそうである。

(しかし社員によるとこの購入価格、外国人価格らしい。)

 

 

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ベトナムハノイの「いつものカフェ」

2021-05-10 12:01:45 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「いつものカフェ」

 土曜日の「ツーリング」の後、帰りにNhat tan橋を渡りながら

朝食後何も食べていない事に気づいた。時間を見ればもう15:00時

 ここからなら「いつも寄ってる社員がバイトしてるカフェ」まで

10分だ。 というわけで「遅い昼食へ」

 つくなり「のどが渇き、ラオス産のビール」を注文。

今日は社員「おすすめのバインミー」を注文。

持って行った「平岩弓枝のベトナム関連小説【ベトナムの桜】」

(江戸時代、とある兄弟がベトナム【おそらくダナン、ホイアン】に行き

苦労する話)を読みながらバインミーを完食し、2本目のビールを飲み、ゆっくりした。

家に帰り、ソファーで日本のニュースで「コロナが蔓延してきた」ことを

聞きながら、うとうとした。文字通り「遠い国のニュース」としてしか感じなかった。

何もないハノイの休日。こんな風に過ごしている。

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