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★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

個人で起業して「早14年目」普通にベトナムで「相棒ミッ(ポメプー犬)」と円安に苦しみながら、それでも何とか暮らしてます。

ベトナムハノイの「暑い夜の停電」

2025-06-30 15:04:57 | ベトナム・ハノイ

 一昨日の真や1:30頃の事、いつもは爆睡している「相棒ミッ」が「ごそごそ」とベッドの上を動いている。

設定を26℃にして「自動運転」扇風機は上に向かって「首振りにしていた」のだが? いつもより「妙に暑い」

手探りで「リモコンで扇風機をONにしたつもりだったが?」 あれ?動かない・・・ようやく「暑さで目が覚めた」

枕元の「スタンドをつけるが,点かない」 この時ようやく「停電か?」と「気づいた」 起き上がると「外のビルやネオンはついている」

*あれ? 電気代は払ったし? *以前あった「電気製品の漏電でブレーカーが落ちた?」そんなことが「頭をよぎった」

備えてあった「懐中電灯」を持ち「外へ出る」・・・「アパートの室内灯は点いている」そして「エレベーターも動いている?」

仕方ない「エントランスへ行きセキュレィティに電気がつかない事を伝えると」・・・「そう6時まで停電だよ!}と言われた。

後で分かったことだが?どうやら「ベトナム語でのお知らせのようなものが回っていたらしい」いつも大した用事ではないので

「見逃していたのだろう」

「まあ、停電では備えようがない」・・・「仕方なく部屋に戻り、虫の進入の心配はあったが、できる窓を開ける」

相棒ミッに「事情を説明し、仕方なく床に就く」・・・やはり暑くて眠れない。

「7歳友人の母上に、この旨伝えると」すぐに「はい、7歳友人も母上」も暑くて眠れないと返事が返ってきた。

仕方なく少しうとうとしていると午前3時ころ「エアコンと扇風機が動き出した」・・・・予定より早く「メンテナンスが終わったようだ」

たった2時間の停電だったが「この暑いハノイでは難儀した」しかし、最近の日本の気温を見ると「ほぼハノイに近い、時には

ハノイ寄り暑いようだ」 ハノイも14年前には「夏、電力事情がひっ迫すると計画停電が行われたり、昼間突然停電が起きていた」

あの頃から比べれば「大分ましにはなってきたのだが?」 経済が成長し「人々が豊かになると、消費電力も当たり前だが増える」

思えば14年前は「エアコンなんて超贅沢品で普及率もハノイでさえ30%以下だった気がする」昼間停電になると

仕事もできず「暑い7階のオフィスから逃げ出し」日陰の「チャーダー」で社員全員で冷たいお茶を飲んだことを思い出す。

・・・あの頃から比べれば「停電も減り」「エアコンも普及した」・・・久しぶりの「停電に遭遇し」 相棒ミッと共に

思わぬ「その不便さを体験した」人間とは「環境に慣れて昔の不便さなどすぐに忘れてしまうようだ」

「エアコンも効き、扇風機の風も心地良い中で」そんなことを考えた。

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ベトナムハノイの「体調不良と一時帰国」

2025-06-27 09:35:05 | ベトナム・ハノイ

 6年前に「肺の大病」を患い手術をした。現在は肺の四分の一が無い。幸い手術から5年がたち

奇跡的にも「生かされている」 しかし「病気が病気なため」1年に1回は「検査のために手術をして頂いた病院」で

検査を行う。その日が6月16日だった。それに合わせて「体調を整えていたのだが?」この日の3週間程度前から「何か体調がおかしかった?」

相変わらずの「ハノイの大気汚染」のせいで? 咳は出るし、「夜になると微熱が出ていた」良くない事に「市販の風邪薬+解熱剤」で

一時しのぎをしていた。今までは「何とかこの方法で対応できていた」しかし今回は「来客対応」なども有り、今思えば「無理をしていた」

そして「帰国日が近づき」だましだまし「その日を迎えた」ラッキーなことに「飛行機は空いており、3席独占」が出来て

食事以外は「ほぼ寝て帰国することが出来た」しかし自分の住む群馬県は「コロナ以来、空港へのバスも無くなり」唯一と言っていい

羽田からのバスに乗った。ハノイ羽田は4時間弱、それなのに「羽田から地元まで3時間以上バスでかかる」結局は

ハノイのアパートから「ドアTOドア」では「12時間以上かかるのだ」 弱った体に「良いわけはなく」到着後発熱してしまった。

今度は38℃以上だった。そして2日間お休憩を取り何とか検査に行ったのだが?・・・ここでまた「弱り目に祟り目」の出来事が起こる。

「なんと半年以上前に予約していた検査+診察」が「先方のミスで取れていなかった?」病気を押して「ベトナムから来たのに・・・」

先方から「平謝りされたが」結局は「その日は検査のみ」で担当医師はおらず翌々日に「特例で診察してもらえることに病院側が

譲歩した」(後で聞けば、自分の従姉がこの病院の元副婦長で、現在は嘱託で働いており、どうやらそこに話が行き、医師より強い

この従姉が手を回し特例で予定を入れてくれたようだ?感謝である) 本題はここから。結局CT検査の結果、「6年前の病気の再発は

無かった」のだが、当日担当医師から「手術した肺の下側が肺炎になっている」・・・「こっちの方が問題で、早く治療しないと」

と言う事だった。「現在死因のNO1は肺炎なので、ちゃんと早期に治療しないと大変なことになる!}と脅かされた。

実は前回の検査でも「あなたは左肺に肺炎の跡がある」今回は自然治癒できたが・・・と言われていた。そして今回も「体調不良」を

軽視し「こんな肺炎になるまでほっとくなんて・・」と強く指導された。結局は3週間ほど前に「調子の悪かった時に感染症にかかり

それを市販薬でごまかし続けた結果が今回の肺炎を引き起こしたようだった」 担当医師から「強くアドバイスされた」

★「あなたの病歴や年齢からは、体調悪くて(特に熱)風邪薬+解熱剤で対応するのは「最高3日」それで改善しないときは

「必ず病院に行くように」病歴から見て「気管支や肺にダメージがある」(現在住んでいるのが大気汚染のひどいハノイであることも

大きな理由との事)したがって「何かしらの感染症で真っ先にやられるのが気管支や呼吸器系の疾患(炎症)を疑うべきだと!」

従って今後「3日しても下がらない熱があるときは、すぐに病院に行くように」と・・・

さすがに「今まで自分の体を過信し、病院に行かずに治すのが当たり前」だったが、自分の病歴や年齢からも

「素直に医師のアドバイス通りにしよう」と思った次第である。(ひどくなった感染症などは風邪薬、まして解熱剤などでは

治らない、しかるべき「抗生物質」を処方しないと治らない。もちろん自然治癒能力が勝ればいいのだが?なかなかそうもいかない?)

このような「普通でない経験を」を海外ですると、普段はあまり思わない「これからの事」を考える。

ハノイで起業して14年「起業した会社は日本の自動車業界の低迷と円安で難しい状況」である。

こんな時こそ「体調を万全にして乗り切らなければならない」それには「今までにまして基本的(食生活や運動)な事を行い」

もう少し打たれ強い「会社にしてから、引退を考えたい」(日本人は自分一人、今後はベトナム人社員がこの会社を

引き継がなければならない)頑張ってほしいものである。

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ベトナムハノイの「7歳友人宅・大改造計画開始」

2025-06-09 10:15:05 | ベトナム・ハノイ

 ブログによく出てくる「7歳友人」宅は同じアパートにある。それなりに広く快適なはずなのだが?

ご多分に漏れず、「この7歳友人がくせ者」で、はっきり言うと「このお宅はいつも散らかっている」

この7歳友人は「凝り性」で「細かい作業」(遊び)が大好き、そして「それを自分の感性で主に紙やテープ」を使って

工作することが大好きなのである。結局その残骸(紙くずや切れ端がいつまでも散らかり、出した筆記用具や本、テープ

等々が散らかり放題、そして家族も忙しいことや整理整頓が身についていないようでいつもぐちゃぐちゃの家なのである)

そして「自分たちもそうであったように」大自然の無いこのハノイでは

子供たちは色んな工夫をして「家の中に自分だけの秘密基地」を作るのである。彼女は「子供用のパーツになったクッションフロア」

のようなものを使い「リビングの隅にこの秘密基地」をよく作っていた。 しかし「この母上の妹さんが結婚」し、その旦那さんも

同居を始めたので「一層ものが増え」「7歳友人のキャラも重なり」家中が「すごい事になってしまっていた」(散らかり放題)

そこで自分が「母上の誕生日プレゼントの一環として」「7歳友人宅大改造計画」を提案し「採用された」

 要するに「収納家具をしこたま作り」家中に散乱している物品を「断捨離して上で、この収納にすべて入れて」家中を整理しようという

事なのだ。併せて「この7歳友人が今まで行ってきた悪行」(家中の壁に落書きをし、大好きなステッカーを張りまくってしまった

壁や既存家具もこの際、全てきれいにしようという大プロジェクトである」

今までも「社員の実家の家具屋」を通していくつかの収納を作ったのだが?とてもそんなものでは「この家族の散らかりパワー

にはついていけなかった」 さてそんなわけで「このような作業が好きな自分が取りまとめを行った」その結果

9つの収納家具を新製作、1つのソファーと1セットのダイニングテーブルを購入することになった。この家の実情に即した

「なんと9つの収納家具をオーダーする」と言う「大仰なプロジェクトだ」日本でこんなことをやったら「いくらかかるかわからない?」

しかしここはベトナム、そして実は「わが社社員の実家が家具屋」と言う絶好の条件を活かし「9つのオーダー家具」を作れるのだ!

(この家具製作、以前のブログにもいくつか載せているが、素晴らしいオーダー家具が安価で製作できるのだ)

*現地調査

*採寸

*希望の聞き取り

*採寸からの「イメージ図」作成

*チェック

と言う経過を経て、明日に発注を行う予定だ。

さてさて「今回の7歳友人宅の大改造計画」 まずはイメージ通りに「家具ができるか?」そしてこれがイメージ通りに

配置され、「散らかり放題の7歳友人宅」が「すっきりするかどうか?」と言うことだ。

大変楽しみである。これだけの内容を行っても「ちょっと高価な光物を買うくらいのコスト」で可能なのだ。

そういう点では「ベトナムは良いところ」である。

(しかし最初はリビングだけだったのが、寝室や台所の収納にまで話が広がり、そして7歳友人の勉強場所を

秘密基地風にまでする計画に広がっていった。少し高い「母上の誕生部プレゼント代わりのはずなのだが?」・・・

いやはや支払いが怖い)

 

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ベトナムハノイの「来客対応、タイビン省小旅行 顛末記」

2025-06-06 18:11:53 | ベトナム・ハノイ

 最近は本業ではなく「ベトナムに長く居ることにより知り合いから依頼される」案件の対応が多い。

①「実習生の採用面接」対応

②「前会社の友人のトラブル対応」 今回の案件はこの2つだった。

①は「当初仕事とは関係ない友人だったが、ひょんなことで自分が関係するようになった建築系に資金援助(貸与)する縁と

「ご多分に漏れず、日本の製造業の社長として、作業者の確保のためにベトナムに来たが【悪質送り出し機関に引っ掛かり】

助けを求めてきたのが縁で、現在のような「関係になった」既に20人の実習生を採用している。「日本ではまじめな社長だったのだが?」

「海外に出るようになって、はじけてしまった感のある【すぐに女性に声をかけ、連絡先を求めては、プライベートで親交を深めているようだ」

しかし「全くベトナム語はしゃべれないため、主に日本語のしゃべれる女性が守備範囲のようだ」

そして②は前職で同じ会社だった友人だが「これまたすっ飛んでいる」 ①にも増しての「ベトナム人お姉ちゃんとの付き合いが好きで」

しかし性格的に「深入りするタイプ」で今までもたくさんの援助トラブルが起きている」

今回はこの①②両名が「ハノイでバッティングすることになり」これまた「ひと騒動だった」

① は「居酒屋だろうが、カフェだろうが手当たり次第に声をかけ、仲良くなり、時には仕事できた折にも「女性が取ったホテルに泊まり」

仕事のピックアップには「そんなホテルまで自分が迎えに行く羽目になることも少なくない」

②は「そういう意味では一途なのだが?」 「私の知る限りでは援助額が人材で***十万から多くは***百万までを「回収不能な

援助」を行うので「気が気ではない」そしてそのほとんどを「私経由でVNDを提供するため、借用書や誓約書」などの作成も

自分が行わなければならない。人が良いというか? 一途と言うか? 「常識では信じられないような気前の良い個人ODA」を行うのだ。

今回はこの二人を伴い「ベトナムの省の中でも【何も観光することのない、タイビン省」に行ってきた。

(この旅行を企画し、同行した自分の友人であり、ビジネスパートナーであるタイビン省出身の女性A氏+①はベトナムに来るたび

A 氏にお世話になり、A氏の子供を「ベトナムの孫」と呼んでかわいがっている、そして②はA氏が勤務する送り出し機関から

実習生を取っており、今回も実習生の面接のために来たのだが、A氏からのお誘いに乗り今回の小旅行に参加した、無類のベトナム

ローカル好きである。結局①と②は面識も無く「2名を結びつけるのは自分しかいなかったので、今回このような事になった。

 さて旅行がスタートした。噂通りの「何もない場所」・・・しかしこの①②共に「ローカルのベトナムが大好きで」

このような場所をそれなりに「楽しんでいたようだ」 初日は1泊、3人で「完全なローカルホテルに泊まり」(A氏は実家に泊まった)

何もない「田舎の滞在を楽しんだ」「場所の名は Bai Bien con Den」と言う場所である。泥の海が広がり

「何もない海である」でそれなりには「自然を満喫できた」

昼は海産三昧、昼食べ過ぎて「夕食ももちろん海産とベトナム料理」 明けて朝食はホテルなのにメニュウが「インスタントラーメンと

お粥しかなく」当然「お粥にしたのだが、これが大当たりで【あさりのお粥】全員「大満足」であった。

 その日の昼には「A氏の自宅に招かれ、ベトナム人の普通の家庭料理をふるまわれた「これもまた、大変おいしく」

「女癖の悪い①②」も大満足だった。

 そして今回の「タイビンの小旅行」には「①②共に自分の友人と言うことで、ベトナムでの【相棒ミッ】(ポメプー犬3歳)

も同行した。「車酔いや、車中でのそそうなどを心配したが?」全く「トラブルなく」 大自然を満喫し、ホテル室内でも

「いつものおもちゃを投げて取ってくる遊びまで行い」 元気に「ハノイに帰着した」食事もローカルのホテルだったので

「犬はダメ」と言う「文化が無いらしく」・・・「犬が相棒の自分にとっては、すこぶる良い環境の旅だった」

「ホテルのレストランでの食事」「近くの【海鮮レストラン】での食事」でも「誰も文句を言わず、相棒ミツを気持ちよく

受け入れてくれたこと」は大変うれしかった。(こういう点ではベトナムは日本よりも寛容で、ありがたい)余談だが「ベトナムエアライン

は「犬に対して寛容でJALやANAのように犬を【貨物扱いし、荷物室に閉じ込めるようなことはしない】」「客室に動向可能なのである」

欧米でも「犬に関しての扱いはこれに準じており、日本はその点では大きく後れを取っている。

 相棒ミッも「生まれて初めての旅行に出かけ、生まれて初めての【海】を見た、入ろうとしたが「チェックでなめてみたところ

余りの塩辛さに、今回は海には浸かれなかった」 しかし周辺の大自然の中では「本当にうれしそうに走り回っていた」(翌日の早朝

5:30~1時間ほど相棒ミッと海周辺の自然を回り「此のマイナーな場所の小旅行」を満喫した。

①②そして自分を含めても「誰よりも旅行を楽しんだのは相棒ミッだったようだ」

 一つ驚いたのは「帰着後自宅で寝たミッ」翌日の早朝・・・「いつもはベッドのいろんな場所で寝るのだが?」

この日は「夜寝た場所で、そのままの形で朝になっていた」 いやな気がして「抱き上げようとすると、体が硬直している」

・・もしや・・驚き「ゆすってみた」・・・「何事もなかったように目を覚まし、大きなあくびをした」・・・・

よほど「小旅行が楽しく、遊びすぎて【疲れ果てたのだろう】・・・・」 それにしても「驚いた」

その後いつものような「ミッの朝のルーティーン」をこなし、ようやく「安心した」

宿泊地は「ここ」 日曜日だったが「人もまばらで、ローカル感満載だった」ハノイから3時間弱

あまりきれいではない海。そして下は「砂ではなく泥である」

下りれそうな場所を探して「ミッを下したが」 水をなめた「塩辛さに」逃げ出した

ミッにとっての「初めてのお出かけ」ホテルの部屋に物おじせずに「楽しみつくした」

(持って行ったおもちゃで家と同じ遊びを満喫した)

翌日の朝、運河沿いの「田舎道」に「たたずむミッ」 犬は「自然の中にいてこそ」 生き生きしている。

ひと遊びして「自分と一緒に昼寝をした」 自然の中で「大いに遊んだので昼寝も爆睡」だった。

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ベトナムハノイの「久々の発熱」

2025-05-29 12:10:00 | ベトナム・ハノイ

 相棒ミッの入院騒ぎでここのところ「疲れてはいたのだが?」

一昨日から「食欲が無く、おなかが空かない状態が続いていた」昨日「ミッの通院で17時に病院に行った後」

帰宅したのだが「どうも調子が良くない」・・・ミッには何とか食事を作り(胸肉をゆで細かく裂いて、ニンジンはみじん切りにして

ドックフードに混ぜた)やったのだが、自分の餌を作る気にならない。

(昼食を取らないことを心配してくれた一番気の付く社員ETOが買ってきてくれたバインミーを一口かじったのだが?

吐き気を模様してきた) 何か「手が熱い気がする」、ふと思い立ち「体温計を使って熱を測ってみると?」

あらら、38℃も熱がある。「こりゃあ体調が悪いわけだ!と納得する」 昨夜からこんな症状だったので

前から発熱していたのかもしれない? 何とか「解熱剤を飲まなければ?」仕方なく「ベトナムのインスタントのおかゆ」

の「米だけの部分に永谷園のお茶漬けの元を入れ、塩昆部長、を少々、そして梅干しを入れて、そしてお湯を注げば完成」

少し味は濃かったが「食べきれた」 その後「ベトナム解熱剤、2錠が既定のところ3錠、そしてパブロンゴールド」

を服用した。相変わらず「腹部の膨満感」があったので「太田胃散も飲んで終了」

(パブロンゴールドも太田胃散も現在ハノイではSNSでメッセージを送るだけで1時間程度で届けてくれる、今まで必要だった

薬は全て簡単に手に入った。便利な時代になったものである)

 早々にパジャマに着替え「8時前に床に就いた」その前から「相棒ミッ」は玄関の靴入れで「寝入っていたのを起こして」

ベッドに連れて行った。「ミッも未だ完全な体調では無いようだ?」

熱があるときの「いつもの睡眠」(熟睡できず、寝苦しく何度も時計を確認した、21:05、22:30、1:38,4:20:4:58:5:15)

覚えているだけでもこれだけあった。ミッも本調子ではないのか?起きるたび「違う場所」で寝ていた。

一人暮らしで「こうして病気になるとつくづく感じることだが?」 何をしたくても(水が飲みたい、薬を飲みたい、等々)

結局は自分でやるしかない。と言う現実。当たり前だが「大変な事である」

前夜は8時前に寝たので結局「ミッにも起こされ」6時前には起きてしまった。それでも「体調はすぐれず」「ミッを病院に

連れて行く9時が迫った頃、ようやく動き出した」 明日から実は「日本のお客さん対応が6月4日まで続く」

元気なら「何ら問題ないのだが?」 こんな時は「相棒ミッ共々休息を取りたい?」

対応の内容も「仕事なら仕方ないのだが?」 お付き合いのある人が「時間が余ったところのお付き合い」なので

はっきり言って「重要ではないイベントなのだが?」 それぞれの会社とは「お付き合いがあり、利益を得ている」

しかたがない事なのだ。さてさて「何とか今日中に体調を整え」明日からの長期イベントに備えなくてはならない。

14年目の一人暮らしは「時々大変だ」

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