『インディアン虐殺』、米国では『インディアン戦争』と呼ばれているらしい。
Wikipediaに詳しく書かれています。
「そもそもの白人とインディアンとの戦争は、クリストファー・コロンブスの上陸に始まるものである。コロンブスは中米のインディアン諸部族を艦隊を率いて数年にわたり虐殺し、その人口を激減させた。インディアンたちを黄金採集のために奴隷化し、生活権を奪ったためにインディアンたちは飢餓に陥り、疫病が蔓延し、その数をさらに減らした。白人のもたらした疫病が中米のインディアンを減らしたのではない。コロンブスによる大量虐殺が、疫病によるインディアンの激減を招いたのである。
…「アメリカ合衆国」成立前の東海岸では、ジョージ・ワシントンがインディアン民族の絶滅政策を進めた。ワシントンの手法は焦土作戦だった。ワシントンの軍隊は、イロコイ連邦やニューイングランド全域のインディアンを「根絶やしにせよ」とのワシントンの命令を受けていた。
…アメリカ独立戦争以後、「豊かで安い土地」を求めて白人入植者が西進するようになると、当然そこに住むインディアンは邪魔者となり、これを排除しようとする合衆国政府とインディアンの撲滅戦争と化した。インディアンは領土を追われ、連邦政府が信託保留する土地、「保留地 (Reservation)」に押し込められることを強要され、激しく抵抗するようになる。
…イギリスがアメリカへの入植を始めた1610年代や1620年代は平穏に過ぎたが、ピクォート戦争の起こった1637年頃から、入植地の安全を図るためと、さらなる入植地の拡大のために、植民白人はインディアン部族間の争いを利用し、代理戦争を行わせるようになった。この戦争は17世紀(フィリップ王戦争、ウィリアム王戦争および18世紀初頭のアン女王戦争)からウンデット・ニーの虐殺で1890年にアメリカの辺境が「消滅」するまで、インディアンの土地を白人入植者のために没収し、インディアンを征服して白人に同化させると同時に、インディアン保留地へ強制移住させる、という結果になっていった。(引用終わり)」
とにかく虐殺の連続です。今から500年くらいから150年前に起きたホロコースト・ジェノサイドです。
もう常軌を逸しているとしか思えませんが、これが人権を旨とする米国の前史のようです。
興味ある記述がありました。
「コロンブスの上陸以来、白人たちはインディアン部族が、アフリカの部族社会のような「酋長が支配する首長制の部族社会である」と勘違いした。実際にはインディアンの社会は合議制の完全民主主義社会であり、「王」や「首長」のような個人権力者は存在しない。「大いなる神秘」のもと、人と動物すら明確に区分されず、すべてが平等に共有されるのがインディアンの社会であり、まして大地は誰のものでもなかった。
合衆国は植民化を進めるにあたり、まずインディアンから領土を「購入」しようとし、「物品」と引き換えにこれを行った(つもりだった)。しかしこれは、インディアンの共同体から見れば「白人が贈り物をして、ここに住まわせてくれと言って来た」ということである。白人は「ここから出て行ってくれ」と言ったつもりだが、インディアンはこれを理解していない。彼らに「土地を売り買いする」という文化習慣が無いからである。
…インディアンは和平を結ぶ際、和平の「ロングハウス」、「ティーピー」などで「会議の火」を囲んで車座になり、「聖なるパイプ」で煙草を回し飲みし、「大いなる神秘」に和平を誓う。すべての存在が「大いなる神秘」の中にあると考えるインディアンにとって、大いなる神秘との盟約であるこの行為を破ることは絶対にあってはいけない誓いである。
白人たちは上記したように「土地を買った」つもりでいるので、この誓いを破った。インディアンを追い出そうとし、あまつさえこれを武力で虐殺したのである。「インディアン戦争」は起こるべくして起こった(引用終わり)」
アメリカ大陸への入植は大きな意味では「経済行為」だったと思います。「土地を買う」ということは近代資本主義では当たり前の行為であり、買った者は所有者として絶対的な支配権があります。しかし、これは一種の人為的な取り決めであり、根本的な真理でもなんでもありません(貧乏人の僻みかもしれませんが…)。
ユダヤの陰謀論にもいろいろありますが、ユダヤ人にとってカネで土地を買い支配権を得られることは、最も都合の良いことだと思う。金融・不動産を占拠してしまえば、その国を乗っ取ったも同じものになります。
インディアンの虐殺も、アメリカ経済発展のためにどうしても必要だったということでしょうか? 以前ブログで『人権と数理論理教』という記事を書きましたが、要するに科学的(数理論理的)思考=近代民法理論(所有権絶対)=資本主義精神(利潤の絶対化)を持たない人間には「人権」はないようです。むしろ邪魔な存在になり、虐殺=民族浄化すべきと考えられているようです。
それにしても、これを可能にしているのは、「科学応用兵器」です。
南北戦争では米国人同士が戦い、約62万人の死者を出していますが、この間の兵器(特に銃)の進化も凄まじかった。技術的要素がまだ大きかったようですが、基本的には科学的知識に裏付けられていました。特許もちゃんと出されています。
米国人はきっと、我々はこれで!=「銃」でこの広大な大陸を制覇し、近代的な文明を築いたんだという自負があるかもしれません。「銃」=科学技術の恩恵(神からの恩恵)のシンボル、我々は「銃」で、この地の支配者(神の民)になった。ユングの集合無意識ではありませんが、米国民族の「銃(科学技術)」への信仰は実存的なもののように思えます。現在も銃の規制が難しいようですが、米国民にとってはアイデンティティなのかもしれません。
話は変わりますが、公害問題でもこの「インディアンの虐殺」のような謀略が行われることが多いと思います。経済行為(科学技術の社会への影響)には公害が付きまといます。そして被害者はいつも科学(社会科学・自然科学・精神科学)で武装された人たちによって弾圧されます。一方的に被害を受けても、なお弾圧されます
20世紀になっても、そして今現在も収奪は続いています。
「20世紀になってからの「レッド・パワー運動」に代表される、権利回復要求運動が現代のインディアン戦争となった。黄金に代わってウラニウムや石炭、水といった保留地の地下資源が、合衆国の収奪対象となった。現代の「インディアン戦争」は、地下資源の収奪と環境汚染、そして「西部劇映画」や「インディアン・マスコット」問題に象徴されるメディアやスポーツにおける歪曲された民族イメージのステレオタイプ化が大きなテーマとなっている。」
資源を求めて、(危険な)工場用地を求めて、奴隷のような労働者を求めて、かつてのフロンティア運動のような、現代の虐殺(文明的な虐殺)が行われているようです。