基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

広幹道粕川橋梁工事現場へ

2012-09-26 18:25:34 | 日記・エッセイ・コラム

 それこそ秋晴れに誘われて二か月ぶりに歩いたみた、午前中は床屋と家内を友人の集いに送り、午後は昼寝の後広幹道の橋梁工事現場を目指して歩く、秋の空に誘われたが昼過ぎは台風十八号の影響か、東の空から雲が湧き曇り始めてきた。

 明日はどんな天気か、気に成る処だが果たして、天気予報は?。工事は何処の会社かなと見たら地元伊勢崎の会社ではなかった。第一工業と見えるようだ。

 

004 川のこちら側の担当か
 

 工事現場は目に見えての伸展は無かったが、粕川のこちら側はようやく土盛り工事に入って居た、境町側は大分土盛りが高くなり見えるようになって居たが、今まで車などを迂回させて工事をしていた跨線橋をその隣にも一個作り始めて様だ、一回に出来ないのがお役所仕事だが、予算で年次付けや個所付けをするので止むを得ない処なんだろう。

006 盛り土工事が進んでいた

 ここまで歩いて汗ばんだので帰り道保泉公園で一休み、子供のサッカーボールを蹴り返して遣ったりして、元気に「有難うございました」と云われてご機嫌で帰路につく、約五〇〇〇歩ほど歩いたようだがいい運動になった。


秋が遂に来たか

2012-09-24 17:04:46 | 日記・エッセイ・コラム

 長い長い夏が続いたが遂にここに来て秋風が吹き始めたようだ、一昨日二十二日春分の日は前の日あたりから秋雨前線が近づき涼しい日だった、昨日は朝から雨で良い降りが続き気温二十℃くらいで寒いくらいだった。

 今日は朝は上着を羽織って良いぐらいの陽気だったが、今はこの部屋の気温二十七℃湿度六十%とやや高めだが窓の風は気持ちいい。

 空は巻雲が流れているが山手にはまとまった雲も見える、予報は今夜も雨の様だがこれで崩れるのかな、と疑問になる。この辺は昨日の雨は良いお湿りだった、伊勢崎市の雨量は八十ミり超えの様だったが、首都圏の水がめの奥利根のダムはまだ半分ぐらいらしい、今夜もたっぷり降って欲しい処だ。

 庭の花も昨日は雨に濡れていたが、今日は日に輝やいて元気に咲いている、裏の茗荷も先日の夕立と昨日の雨で今頃になって沢山とれている、もうお終いだろうが。

 八十爺には凌ぎ良い季節になった、有りがたや有りがたや。

 

002 雨にぬれる百日紅

007_2 日に輝く百日紅

005 雨にぬれる草花

008 日に映える草花

015_2 水たっぷりの朝顔

018_3 沢山とれた茗荷ももう終わりか


お彼岸の中日 お墓参り

2012-09-22 18:23:08 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝からお墓参りの準備をして十時には家内息子と出発、まず自分の家の宝憧院へ,頼んでおいた秋彼岸会法要の塔婆を住職より戴き墓参、次が家内の家の両親の眠る法長寺へ、さらに家内の実家の傍の大沢家の墓地へ、家内の実家で昼を頂き休憩して境町へ、俺の育ての親の家で焼香をして伯父伯母と義兄の眠る愛染院弥勒寺へ、ここでは昔懐かしい人達に逢いも逢い感激、義姉の用意し塔婆をあげて墓参をして毎年の事ながら三時過ぎに帰路つく。

 帰路息子の要望により例幣使街道の宿場町の本陣跡に出来た、スーパー、フレッセイ境町店へよる。この辺は昔俺たちが子供のころ今から七〇年ほど前は上町、中町、と連なり町の中心だったが、今は空き地とシャッターの閉まった通りとなり見る影もない寂れようだ。

 スウパーの隣は同級生の遠坂の家がやっていた金井呉服店だった、戦後早いうちに廃業してしまったが、よく遊んだ座敷蔵などは未だ有るようだ、この路地を南に向かうと東角は斉藤ダルマや、さらに東に進み南に曲がると懐かしいコロッケや、その南はかって今福と云った小料理屋か寿司屋だ、ここはその前は銘仙を織っていた今井織機工場だったがダンスホールなどから転じた店だ、ここから南を見ると境小学校の裏道が見え突き当りによく縁日の夜お参りした二十二夜様の祠が見える。ああまだ無事にあったのだ感激、諏訪町の三夜様はもう無いのによく在ったものだ、この斜め前あたりに女の同級生の家で遣っていた飯島煎餅屋があったわけだ、が見当たらない、この辺は南町と云って工場や長屋の連なる処だったが小奇麗な住宅地となり見違えるようだ。

 

001 金井呉服屋の座敷蔵か

002 蔵の前から北の街道を見るとかっての

                     境警察署の跡地が見える

003 南を見るとこの奥の左側が斉藤ダルマやか

006 境小学校裏道にある二十二夜様
 写真など写してスーパーへ帰るともう家内と息子は買い物を済ませて待っていて、お父さんを見付けているよなどと云う事になり、右往左往する羽目になり漸く帰宅、一日ご苦労様でした。

 


経済界に舐められたか民主党

2012-09-21 18:11:06 | 日記・エッセイ・コラム

 この処民主党の代表選最中に先に約束した原発ゼロ問題が閣議決定されなかった、それも数日前に経済三団体首脳が原発ゼロ反対を表明してすぐにこの態度、反対する経済界も経済界、それで簡単にひいてしまう民主党も民主党、何を考えて居るのやら、将来の日本の姿を想像してみると毛穴が泡立つようだ、ぶれない野田総理を期待していたのに、いやまだ間に合うぞ総理。

 国民の六-七十パーセントが賛成する原発ゼロ政策を反対する経済界の意図が分からない、そもそも大口需要者である経団連加盟の企業は、我々一般家庭用需要者の高負担の上に優遇されて安い料金で使っている、電力各社は一般家庭用料金で食っているのが現状だろう、嫌だら各社自家発電して仕事をしてはどうか、そうすればもっと電力を大切にじょうずに使うのではないか、各社無駄遣いが多すぎないか、例えば使った後の熱風、熱水を熱交換で再利用するなど、と余分な事まで云ってしまったが、要は日本国民の生存権の問題である。

 東日本の国民は政府東電の安全と云う言葉を信じパニックにならずに過ごしてきたが、果たしてどうなのか将来、疑問の残る処である。

 先の大震災で日本列島は災害発生の発生期に入ったかのように各専門家が言って居るが、地震・津波・噴火・洪水等々に耐えられる原子炉は出来ているのか、核のごみの再利用が今だ出来ていないのにも呆れるが、埋めるにもその方法さえも決まってない、何という事か。

 経済三団体の首脳に伺いたい、あなた達は自分たちの企業の目先の儲けと存立そのものに賭けていて、日本国民の生存権には見向きもしないのか?伺いたいものだ。

 


秋はいつ来る Ⅴ

2012-09-19 18:18:24 | 日記・エッセイ・コラム

 可笑しな年だ、昨日一昨日と日が出たが髪が乱れるような風が吹き幾分凌ぎ良かった、しかし今日は雨が降ったりやんだりムシムシとやたら湿度が高く、気温は二十八-九度とそれ程ではないが気分はよくない、此れも台風一六号の所為か、とにかく夏の太平洋湖気圧が今になっても依然高すぎて秋が来ないのか、もうとっくに北のロシアの高気圧が時々出てきて良いころなはず、爽やかな秋の日がいつ来るか待ち遠しい。

 今日は家内の誕生日、八二年前はこんな陽気ではなかったろう。


橋本優利子さん逝く

2012-09-18 18:42:25 | 日記・エッセイ・コラム

 一昨日十六日(土用日)家内が電話を受けているのが断片的に耳に入る、どなたか亡くなったようなのは分かるが誰なんだろう、と思っていると「お父さん橋本忠さんの奥さんが亡くなったそうですよ」とのこと、「ええっ」と驚いてしまう。

 私達夫婦は人生の中で伍組の仲人をしたが、その中でその親の逝去はあったが本人は初めてで、しかも六十一歳と若い身空で他界とはなんと申したらよいか、只々冥福を祈るのみである。

 この子達の結婚式は私達にすると二番目の仲人で三十台後半だったろう、現在のプリオパレスの前身の大村会館で、桐生の三つ葉電気の系列の両毛電子計算機株(RCC)のメンバー多数の見守る中盛大に行われたものだった。

 と云うのも忠君のお父さんが伊勢崎市役所の先輩でいろいろとご指導いただき、その頃俺の方は仕事のコンピュータ処理の関係でRCCとお付き合いがありと云うようなことで、就職と仲人を頼まれたと言うところで、深い関係が出来たのであった。

 早速式場の天国社へ行きお悔やみを述べ、なんで話もなく急にこんな事になったか尋ねたりしたところ、癌の進行が速く病名が判明して約十か月の命だったそうだ。

 十七日通夜、十八日葬儀と行われ、今こうしてブログを書いている処である。

 

003 式場全景 焼香終了時

 ご冥福を祈りつつ


国民不在の猿芝居始まる

2012-09-13 12:18:30 | 日記・エッセイ・コラム

 暑い暑いと云って雨の話に雷談義、さては秋はいつ来ると云っている内に、世間は何と言って居るか知らないが、お江戸永田町界隈では国民不在の猿芝居がまた始まったようだ。

 政界の離合集散世の習い、などと云う変なコトワザモ在るようだが、嫌な言葉だ。まあ民主党は野田総理の続投の様だが、持ち駒がだんだん減ってきているようで否応なしに選挙戦に入るか?。 

 何とも嫌らしいのが自民党の総裁選だ、谷垣氏も失敗もなく無難にこの三年やってきたが、幹事長の石原氏に足を掬われとは傍目に見ると呆れたことだ、総理在任中に胃潰瘍か何かで政権を投げ出した奴が、派閥のリーダーが出ているのに出てくるし、可笑しな党だ、まあ駄目だろうが今度は投げ出さないという事か、其れともどうせダメ元と言うところか。

 そこえ第三極と云われていた維新の会が、正式に旗揚げをして日本維新の会として発足とのこと、決められない政治の最中の事、さぞかし待たれていたことと想うが果たしてどう転ぶか結果が待ちどうしい、明治維新は一朝一夕に出来たのではない幕末の一時期の話でもない、特に長州では幕藩体制の出来た時から毛利家家訓として討幕があったというし、薩摩の島津家でも此れと近いことが言えるのでは、まあ時間をかけても理想に燃える事は良い事だと想う、飽きずに努力することだろう。

 善戦を祈る

 


遂に来た上州名物

2012-09-11 18:27:00 | 日記・エッセイ・コラム

 東日本大震災から一年六か月の今日と云う日に待ちに待った雷様が遂に来た、予報より早く三時には南西方向から入道雲が出てだんだん暗くなり、四時ごろには大粒の雨が降り始め直に小雨になり今日も此れまでかと心配するうちにゴロゴロとまた賑やかになり、今度は風も加わり大粒の雨が横殴りに西の窓と南の障子のガラスに吹き付けてくる、その内にバリっと大きな音がして黄色い火柱が走る、すぐそばの電柱か・・・落ちた、一瞬照明が消えるが直ぐ復旧する、山手の奥利根の水源地では今どうなって居るのだろう、気に成る処だ。

002 満開の百日紅(猿すべり)も哀れに落花

 現在六時になるが黒雲が東に流れ雷鳴も続いているが雨は一段落、時々ピカリピカリと稲光がしている、

004 太田、桐生方面に流れる雷雲

 太田市や桐生市の方へ流れて行ったところか、雷様のサービスも平等がいい今夜は連日いや連夜かの寝苦しさも解消か、上州名物もこのところ大分少なくなったものだ、この調子では名物から外さなければ成らなくなるのでは?。


雷さま一日待ったが

2012-09-08 18:29:06 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は予報だとこの時間は雨の予定、朝は起きて直に小雨がちょぼり、その後が悪い照ったり曇ったりムシムシ蒸し暑さは堪らない。

 待つこと一日西の空が暗い、前橋市は降ってきたか今日は伊勢崎市は降って呉れるか?

取水制限に間に合わないだろうが 前橋測候所 マエバシソッコウジョ (今は気象台になったのか)と御呪いを唱えようか・・・ 


秋はいつ来る Ⅳ

2012-09-06 18:06:11 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝から楽しみにしていた雨が二時ごろから降り始め、いよいよ昨日から予報で言っていた秋雨前線が我が上州の上を通るかと思ったが四時頃はもう止んでしまった。あのゴロゴロと何回か云ったのは何だったのか、恨めしい。

 六時過ぎにはもっと降ると言ったような予報だったが、現在五時四〇分西の空は明るい、雲は多いが高い、赤城も榛名も山容は見える、さて降って呉れるか?

 

001 明るい西の空、庇の下が榛名富士
 

 今六時五分前だが空が明るくなってしまった、西の山に隠れようとする太陽が最後の光を前線の雲に反射しているのか、それともこの後七時か八時かそれとも其の後か土砂降りの雨が降るのか?、そして明日はカラッとした本格的な秋の日に成るのか、そもそも今夜は久しぶりによく眠れるのか、楽しみにしていよう。


雷来るか、どのくらい降るか

2012-09-04 18:16:37 | 日記・エッセイ・コラム

 かすかに雷鳴が聞こえる、待ちに待った雷様が来てくれるか、今月「九月」に入って一日には今日はと待ったががザーと一降りのみ、二日はやや多く雷までは来なかったがザーザー程度、庭樹の下までは濡れていなかった、昨日三日は入道雲が出たが遂に雨なしに終わった、或いは夜中に降ったかは別として目には見えなかった。  

 

002 昨日はこの雲で降らなかった

 と云っている内にポチポチと降り始めてきた、待ちに待った三週間か四週かぶりの雷様だ、こうなると怖いので雷様か、待ちに待った恵みの雨を持ってきてくれた雷さま様か、さてどちらの雷様でしょう、山手でもさぞ大振りしているだろう、奥利根に降れば利根川の水量も増えるだろう、人間様も日干しが出来ずに大助かり、稲の水も何とか各々の田圃に回るだろう、これで暫く目出度し目出度しだ。

004 今日は来る様だ、黒いし音も

  ゴロゴロと派手になってきた

 

 東電さんもね

 

 真っ暗の中ゴロゴロ、ザーザーと賑やかだがあと何分降るか、お楽しみ・・・

008 いい降りだこの時間だが夜中

                    の様だ(六時五分)