基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

若いカップルイイね~

2013-09-29 18:18:09 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日九月二十八日土曜日は家内の弟の息子の結婚式だった。暑い寒いも彼岸までなどと昔の人は言ったけどとんでもない、心配した台風二十号も早々と東の太平洋の彼方へ去り暑い暑い、仲秋の良い日と云うか結婚式日和になった。

009 教会シャロンゴスペルチャーチ高崎

012 花を振り掛けてお祝い

024 いよいよ披露宴新郎新婦入場

026 開宴に当たり一言、貫録ありか?

029 嫁さんの顔は見えたかな

034 ケーキ入刀

042いよいよ終盤両家挨拶かお礼の花束贈呈か

 この結婚式位情報の少ない結婚式は無かった、二週間ほど前に何か知らないが両家を代表挨拶をなどと云われ、おかしいな両家から出てやるのが普通ではないか、いや別に媒酌人が居れば済むのではと思ったが、どの様にやるのか不明のまま引き受けてしまった。そんな事で花嫁の顔も今日初めて見る騒ぎ、まあ別嬪さんの部類だろう、という事だが、出席メンバー五〇人くらいか?、相手の氏素姓もよく知らず、まあ余り当たり障りの無い様な事を簡単に喋っておく位か、と用意した内容に少し会場の雰囲気に合わせた内容うを加えて済ませて見た。

 内容はキリスト教式で厳粛な中に済んで花かけの式も賑やかだった、いよいよ午後五時三〇分ごろ披露宴で挨拶であったがまあまあ何とか済んで、家内のすぐ下の弟の乾杯で始まり予定の七時半ごろ両家のお礼のあいさつで終了、

 早速待っていた十王タクシーに乗り帰宅、ああ疲れた疲れた、お茶を戴き早々と就寝、夜中に目が覚めて手足がチクチクと痛い、神経痛かかってはこんな事は無かったに、職を去って一五年さすがに鈍ったか、歳は取りたくねえもんだ。

 直君、由紀さんオメデトウ。早く二世を作ってね、頑張ろう・・・。


我が家のお彼岸お中日

2013-09-23 16:47:09 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は秋のお彼岸のお中日、日本中が仏教徒になりそれぞれが忙しく、お寺参りやお墓参りに走り回る日である。我が家もご多分に漏れずお寺三つに墓地二つを回ってきた。

 まず両親の菩提寺宝憧院へついで、家内の両親の居る法長寺、ついでにいつも寄る家内の家の本家の墓、家内の家の近くの家内の母親の家の墓、ここで家内の実家で昼を戴き休憩とダべリング、次はオイドンの育ての親の眠る境町の愛染院へ、斉藤家で線香をあげて一休みをして帰宅、これで本日の行動予定終了である。

 

002 高崎市倉渕町から先祖の墓をこの地伊勢崎市の宝憧院に移して三〇年に成るか?

005 家内の実家の菩提寺法長寺

010_2 育ての親斉藤家の人達の菩提寺、瑠璃光山愛染院無量寺
 

 写真は墓地のみは省いたが強行軍だ、盆や彼岸は何時もこんなもの、遠く倉渕までの事を考えればまだまだ軽い事。

009


映画「少年H」を見る

2013-09-21 18:36:59 | 日記・エッセイ・コラム

 ああ懲りた懲りた標記のブログを二回も書いて、今日はあきらめるか。

おかしなOCN

 名文だったのになー

 

 翌日二二日に見て文庫写真を追加する。

003 映画を見る十年ほど前に読んだだ文庫

 上巻の表紙の河童さんの小学校時代、国民学校になって居たか。

 下巻神戸二中時代の河童さん、襟章にⅢとある敗戦の年だ。

 同い年のH君が書く、ただし肇君と基君の違いだ。


呆れた台風大暴れ

2013-09-16 18:05:58 | 日記・エッセイ・コラム

 台風十八号は今は大船渡の辺を北東へと云っていたが、昨日からの大暴れはとんでもない代物だった。今日の上陸前から関西は大変、川の氾濫や竜巻被害、中部地方を襲い今日になって我が方の関東を巻き込み竜巻や土砂崩れなどの災害を残して東北へ。

 中でも気なったのが桂川の渡月橋のかん水である、一度きりお目の掛かっていないが、何か気持ちそのものが広々となるあの思いが忘れられない、自然に何か書きたくなるような雰囲気と云うかを持つ独特な観光地である。その渡月橋がもう少しで水が上がると言う処だったのが、少ししたらあれだけ長い橋が冠水お店や旅館まで水が入ると言う大騒ぎをしているではないか,驚いた。

 今も吹き返しの北西風を残しているが、今夜は台風一過の涼しい夜となり、良く眠れるだろう。


ネッツトヨタ高崎つなとり店へ

2013-09-14 17:47:00 | 日記・エッセイ・コラム

 吾輩の車(オーリス)の点検通知が来ていたのを、アッチイチーですっかり忘れていたのに気が付いて、火曜日に涼しいので思い出し「今週中に空きがありますか」と電話を入れ、今日土曜日の三時に空きが在ると言うので持って行ってきた。

 担当の関口君はお客さんで忙しそう、メカニックは若い子だ山田君と云うらしい、簡単な説明と四十分ほど待ってほしいと言って作業に入る。コーヒイを戴きながらアクアのカタログを眺めている内に点検終わる。

001 点検中のわが愛車オーリス

004 ネッツトヨタ高崎つなとり店

 お客の応対の終わった関口君に金を払い、次いでに運転席がいつの間にか高くなっているので下げてもらい、下げ方を改めて聞いて納得する。娘が先日乗って上げたのか、後の事を考えて下げて置いてもらわないとオジンには困る問題だ。

 相変わらずお客の応対は客商売とは言え毎度御丁寧だ。事務もセールスもメカニックも皆よく躾けてある、ご立派と云うべきだろう。

 台風が来るせいかまたまた一昨日からアチイチー・・・。


映画見学と歩け歩けを

2013-09-09 18:48:55 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝は寒いくらいの涼しさだった、焙烙の上の暑さから水の中へ落とされた様、は大袈裟か。そこへ今日は新聞休刊日と来た、早速大型商業施設スマークのプレビ劇場へ今話題の宮崎  駿さんの風立ちぬを運動を兼ねた見行くとに成る。

 朝食と朝の用事を済ませて9時半ごろ出発、10時10分前にスマークの屋上駐車場へ着いたが、入口の榛名口が10時の開門とのこと、少し待ち入場プレビ劇場は入場券を買い入るが始めはコマシャルばかり15分もしてようやく本篇へ。

 風立ちぬとは航空機設計者であの有名なゼロ戦の設計者堀越次郎の青春とゼロ戦の設計にかける情熱を描いた記録である。 俺の生まれたとき(昭和6年)は東京帝大の理一科を出て三菱重工の航空機設計部門にいたようだ、在学中の関東大震災、陸海軍の軍用機にかける想いの問題、特高警察の動きなど当時の世相と、その中での仕事と里見姓の女性との恋愛と結婚など、真面目な何事も一筋の性格をよくとらえ表現されていた、大人のファンタジーだった。

 終わって見たら12時半であっという間の2時間だった。1階のレストラン街で久しぶりにビビンバなどを戴く、家内は冷麺様の物を食べていたが「美味かった」とのこと、さらに先日の牡丹餅の口福堂で家内は栗大福と串団子を買い込み帰路につく。

001 ウイークデーなのに相変わらず賑やかなスマーク正面

 約其れでも約4000歩を歩いていた、アッチイチイの運動不足はまだ取り返せないが。


大型商業施設スマーク伊勢崎店へ

2013-09-06 17:31:02 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝から雨でしのぎ良さそうだ、長い長いアッチイチイチイーの時季もようやく過ぎたか、だがこのヘンテコリンノ陽気まだどうなる事か?。

 お爺はこの暑さに負けて二月ばかり散歩をしていない、相当足が弱っているだろうと心配になり午後三時頃になりスマークへ行くことにした。車で十五分ほどで到着、四階の屋根つきの駐車場へ、流石平地はガラガラだがここは空きを探すのが大変、みんな濡れるのは嫌なのだ。

 まず懸案のプレビ劇場へ、来週の上映スケジュウル表を貰い、少年h風立ちぬの時間を確かめ三階を歩き、次に一階へ行き口福堂で牡丹餅を買いここのレストラン街を一回り、次に三階に戻り食堂と云うのかなんて言うのか店がイッパイ在って真中にテーブル席がイッパイあるところで、かって何かで見た大阪王将と云う中華店で餃子三人前を買い込み帰路につく。

 ここで一波乱、妙義口は分かったが五階駐車場へ行ってしまい四階だったかと四階へ降りたが、さてどこへ置いたのか車の在りかが分からない、確か出口に近い処だったわけだがと探したがその出口が見つからないい、探し探してやっと在った在ったやっと見つかる。

 大きいのも良いことだが田舎者には良い事だけではないものだ。デパートなどと違いやや大きな商店街がそっくり入ってしまうのだから慣れないとソンなものだ。