基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

熟年よ声をあげよう (2)

2006-09-30 15:30:17 | 日記・エッセイ・コラム

 よほど声をあげたいらしい27日の投稿も然り乍ら、しばらくまえにもジジババよ声を上げようと投稿をしている。上毛も朝日も投稿はしてみたが採用されても何か面映い、ブログは採用されなくも公表されるが見て貰えるかは不明である、みんなで声を上げたいなーと思う、言いづらいことを言わないでいるとズルズルといつの間にか知らないうちに誰かが意図した方向に行ってしまう、太平洋戦争前に戻らないよう気をつけよう。

 最近の当市政も何かおかしい、市民会議などと市民に意見を言わせる制度をつくり、そんな隠れ蓑の陰で都市計画も百年の大計を大変更をしてしまい、ヒマワリと親しまれている遊園地の観覧車の向こうを張る大きな観覧車を、波志江沼のはたに建てるという、かたほうで計画を縮小して予算を削り、一方で必要のない二基の観覧車を置こうとしている。監視役の市会議員も何をしているのやら、しっかりして貰いたい。


熟年よ声をあげよう (1)

2006-09-27 12:40:00 | 日記・エッセイ・コラム

 アベ・アベ・アベと昨日から新聞テレビ・ラジオどこを聞いても見ても騒いでいる様で、そんなに騒いでどうするんだと言いたいところである。 世間一般のアベとアベが違うんだと言いたいところか、我々が身近で知っているアベは阿部・安陪・安部で安倍ではない、長州即ち長門の国の安倍なのであると言いたい所か。

 今日の声欄の本多さんの戦争を知る者が声を上げようとアメリカの文学者のノーマン・メイラー氏の声を借りてよびかけているが、実に重い。 

 このままナショナリズムが台頭すれば、どうなるのだろ。日の丸の下で死んで当然となりはしないか。すすんで軍服に腕を通す人間となるための教育、憲法が用意されはしないか。この国が血と戦火にまみれてからわずか61年。忘れるには早すぎる。若い政治家たちは戦争を頭でしか知らない。戦場の血と汗と泥のにおいをかいでいない。死を目前にした呻きを聞いていない。すべては、ひとごとなのだ。それで不幸になるのは次代を担う若者である。 と92歳の本多先輩が呼びかけている、我々も内地で軍国少年として銃後の守りなどと言われて勤労動員で飛行機の部品作り、あげくは神風特攻隊へとあこがれ海軍飛行予科練習生への志願とエスカレートして行ったのであった。

 孫や曾孫に血を見させてはいけないし、ましてやその手を他人の血で汚してはならない、我々もご老人を見習い声を上げよう、皆で大きな声を。


文春とゴルフ

2006-09-26 17:09:12 | 日記・エッセイ・コラム

Img_0274_1  「お父さん芥川賞が出ている文春よむ」と息子の呼びかけに「うーんどっちでもいいよ」と答えて置いたが昨日「読むかい」と机の上に文芸春秋九月特別号が置かれていた。いまその受賞作の八月の路上に捨てるを読んでみた、流石とは思うが、克ってのように何か迫るもの、心に感ずる何かが無くなっていると言うか少なくなっている。これも歳のせいか?  この後「昭和の戦争 七つの真実」を読む、まるで歴史書を読むようだ、もう6-70年前の太平洋戦争は近代史の部類にいるのか。

 昨日は久しぶりにグリンパーク仲間のゴルフコンペに出てみた、14日の町内コンペ以来今年の二回目のコース参加である。小澤さんの昨年の急逝以来で普通はこの頃は一番油の乗った季節のわけだが、結果は酷いひどい遣っていなければこんな物かとあきらめる他なしか。


もうお彼岸だ

2006-09-24 12:27:35 | 日記・エッセイ・コラム

 天気予報の予報士まで暑い寒いも彼岸までなどと言うのには驚いた、育ての親の叔母御がよく言っていた言葉を今改めていま聞くとは、昨日は彼岸の中日なので我が家の墓参りをして塔婆をあげて来た、その後家内の両親の墓と大澤家と午後は境町の斉藤家の墓参りをしてきた。

 やはり境町は2歳から22歳まで叔母御のもとで育ったので懐かしい所だ、秋彼岸の頃はなおの事「我々は地球の自転に合わされて長いあいだ生きてきた哺乳類のせいか」感ずるのか。

 昨夕幾日ぶりかにパソコンのインターネットを開くと千葉の岡部家の民子奥さんからメールが入っていた、開けてみると娘の彩ちゃんの結婚式の写真が入っていた、仲良く楽しげにはにかみもせず明るく写っていた、14日の披露宴の出席を約すメールを返しておく。


ケイロウカイ

2006-09-18 16:34:23 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は敬老の日だがわが町内は昨日(17日)コミニュテー・センターで済ませてしまった。賢明な策だろう、だが三連休の中日もどうゆうものか、今年の出席者は23-4人との事、欠席者が多く出てみたが拍子抜けしてしまった。50人ぐらいはいると思うがからだの具合の悪い人が多いいのか、それとも設営のせいか何れにしても人集めの方法を考える必要があるような気がする。

 町内によると該当者が200人以上となって町内の施設では開けないところもあるようで、気の毒をとをりこして高齢者が哀れになるようだ。我ながら75歳は現在の世の中で高齢者なのか?「これからは歳に七掛けか八掛けが実年の時代」と人生の先輩がよく言っていたがそのとうりになったのかも知れない。


股関節の痛みは運動不足だったのか?

2006-09-15 15:07:37 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日(14日)町内のゴルフコンペに出てきた、今年に入ってコースに出るのは始めてである、ただし朝錬のハーフは別だけど、あれだけ痛かった股関節の痛みが取れてしまった、運動不足だったのかおかしなものだ。 

 心配したとうり土砂降りの雨の中のスタートとなり、連日の雨でヘヤウェーは水でビシャビシャだが流石名門小幡郷ゴルフクラブ、グリーンは水はけが良くパットは重いがよく走る、午後は晴れたがどっちにしても暫らくぶりのゴルフ、しかもこのコース10年ぶりのプレー、スコアーはメタメタだった。成果は足の痛みが最後まで出ずに終わったことだ。


元市長逝く

2006-09-11 16:44:14 | 日記・エッセイ・コラム

 しばらく前から痛かった股関節の診察を受けようと小林整形へ行ってきた。レントゲンと診察の結果腰椎からではないか、第4-5腰椎の間隔が無いのが原因とのこと、湿布と飲み薬で治療しようという事になる。とにかくゴルフをしては駄目だとの診断が無いのでほっとした。くわばらくわばら。

 この時間(pm3時)に雨が降り始めた、むしむしした日なのでみっちり降って涼しくして貰いたいものだ、昨日は晴れて暑い一日だったが高橋基樹元市長の家へ遅れての弔問に伺ってきた。知らないこととは言え失礼してしまった誠に申し訳なく霊前に陳謝申し上げ御霊の安らかな成仏をお祈りした。

 最後に高橋市長にあったのは昨年6月に橋本さんが月夜野に引越しをすると言うので、送別会を新井啓ちゃんと元右京会でしょうと山楽荘で開催、てこちゃん(奥さん)の押す車椅子の出席だったが、数日後写真が出来たので自宅(今泉二町目元新錦)へお届けして以来だ。どうしたかなあと気にしながら逢わずに過ぎてしまい息子の良典氏に伺ったところ、今月始め市民病院へ診察に行き熱があるというのでそのまま入院、一時平熱になったがまた発熱7日に逝去と言うことだった。

 何か馬があった言うか可愛がって頂き「てこちゃん」との馴れ合いの頃の出会いまで付合い、中国までも熱々デイトに付き合った。尤も中国は私が会議所へ移った後の話で、若い頃は一回り年上のアンちゃんだがよく夜遊びへ連れて行っていただきご馳走になつた。金回りの良かったのはノモンハン事変へ参戦した勇士で左手の親指をなくした傷痍軍人恩給のお陰だったようだが我々を連れて飲んでしまう人だった。

 遠い昔の話だが懐かしい想い出である。


秋よ来い

2006-09-09 16:12:57 | 日記・エッセイ・コラム

 土用半ばに秋風が吹くと昔の人は言ったそうだが、私たちが育ったころは確かにそのとうりだったが、最近いつの頃からかそれが違ってきている。今日9月9日ともなれば爽やかな秋風が吹いて田圃の稲穂ゆれている頃のわけだが、この蒸し暑さはどうしたことか我慢できない、(果物の美味しいのは嬉しいが)地球温暖化が叫ばれて久しい、我々は化石燃料の大量消費に歯止めをかけ様と懸命に努力しているが、世界の情勢はなかなか一致した方向に向いていない、特にアメリカの単独主義による京都議定書の調印の拒否、、9,11のテロの後からますますひどくなり中東のアラブの国々に喧嘩を吹っ掛けているような感さえ覚える昨今である。まあ政治も国内での不人気は与党共和党内まで広がっている様だから近く変化が出るだろう。楽しみだ。

 今日の新聞は自由民主党の総裁選の報道で賑やかだ、安倍、谷垣、麻生の三氏の立候補を伝えているが小泉総理に似たり寄ったりで新鮮味は無い、まあ敢えて言えば谷垣氏が我々には好感度か。


朝顔が秋を持ってくる

2006-09-07 18:23:11 | 日記・エッセイ・コラム

Img_0263_1  今日は昼頃からむしむしする湿度が高いのか、予報では土砂降りの訳なんだが外れたか、昨日は予報どうり朝7時少し前から雨が降り始め一日降り続いたのでしのぎ良かった、庭の鉢植えImg_0270_1の朝顔は葉の色が変わってきた、もうお終いか、門やフエンスのヘリに植えた朝顔は今盛りでしばらく楽しめそうだ。

 ここのところ台風が近づき本州直撃かと思ったら、幸いにもさっと回れ右をして東に去ってしまい、暑い日だなと思ったら風はさらっとして朝夕涼しくしのぎ良かったりと、季節は着実に本格的秋に向かっている。果物もジュウシーな梨やブドウが食べられてこんな幸せな時季はない、台風などの天災の無い限りはであるが。

 2日(土)には21市民会議に出席してきた、C絆班はなんとなく論議が核心に触れてゆかないので、まとめに困るのではないかと思い発言して予定外の一日(本日)を入れてもらったのだが、やはりかみあいが無いので仕掛けが必要ではと言ってみたが幾らか役に立ったか、まあ座長が自治ネットの長なのでよいと思って推して見たが、言葉を創りすぎるようでピンときない、小学4-5年生が分かるような言葉、表現とすべきと思うしImg_0271、自治行政の原則でもある。次回は欠席。


梨か、梅か、マツムシソウか、それともワカサギか

2006-09-01 16:50:06 | 日記・エッセイ・コラム

   今朝は8時ごろより雨となったおかげで涼しく過ごし良い、昨日は一日良く晴れて大分暑い日となったが、空気が乾燥していたのでサッパリしてしのぎよかった。そんな事でかねて懸案だった榛名町へ里見梨を買いに出かけた、高崎の街中を抜けて18号線(中仙道)へ出て直ぐに406号線(草津街道)へ入って15分も走ると里見に着く、下里見の信号のある交差点を左に入り梨屋さんの看板をいくつか見ながら少し行くと安中市との境界の道路標識がある、その手前の右側に行きつけの富沢さんと言う梨屋さんがある、着いてみるとちょうど1時間で家から30キロメートルだった。いつもの様に親戚用、近所用、理恵の家に送り用と買い、前々から榛名の梅を買いに行こうと思っていたがなかなか出かけられないので、ついでに聞いてみようとしたらそこに幾つか積んであるではないか、早速そこでいくつか仕入れて見たが安いし混ぜ物が無いので臭みが無くて美味い、これでしばらくImg_0260朝のお茶が旨く飲めることになった。

 今朝の新聞(地方紙)に榛名湖の周辺にススキなどに混じってマツムシソウが咲いていると載っていたので見に行くこととして、昼飯は榛名神社の門前町の蕎麦にでもしょうかと湖へ直行しマツムシソウを見つけたが見つかんないので事務所で聞きやっと写真撮影にこぎ着けて昼とする。家内は腹が減ったようなので、手じかな湖畔亭で済ますことする。

 昔むかし50年以上前の湖畔は、茫々とした中に湖畔亭が一軒ぽつんと在って、すすきの穂の揺れる秋の夕ぐれは高峰実枝子の湖畔の宿の歌のように淋しい風景だった。その時食べたワカサギの天ぷら蕎麦の旨かったことと、窓からながめた榛名富士は忘れられない、今はホテル土産物屋など何十軒あるのか変わったものだ、今回はワカサギ定食にして見たが到底かなわない、あの時の湖畔亭ではないのだから。

 そして梨を配りながら我が家へ帰る、疲れた残りは明日か。

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