基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

春はもうすぐそこだ

2009-02-25 18:35:05 | 日記・エッセイ・コラム

 政治・経済まさに行き詰まり、当分目立った動き無しと言うところか?、個人投資家と言うか、素人投資家と言うかの皆さん当分は現在以上の下げは無いと思うのでしばらくは資金は塩漬けのままが良いのでは?。 「自分に言ってるのか」                 

 午後日が射してきたので少し歩こうと散歩に出る、何時ものように変電所に向かってゆくと、前から子犬かなと想うような犬が来る、「この犬子犬」と声をかけると中学生くらいか、女の子「大人です三年くらい経ちます」とのこと、「ほうもう赤ちゃんが産めるのだ」と感心「マルチーズかチワワだったのか写真をⅠ枚写させてもらうか」と言うことでパシャり。Img_1033 「名前は?」「あられです」「えぇあられ」「お母さんが雛なのであられなんです」とのこと。

成る程小さい、これではうっかり踏みつけてしまいそうだ、やはり犬は小型犬と言われる普通のダックスフントやお隣のべべちゃんの様なのが良いね。

 変電所の手前の畠中のところは来ると、東の方に珍しく遠く大田の金山が見える、懐かしいな、かって境町から小学一年生のとき遠足で歩いていった山だ、そこで又一枚、「パチり」。Img_1034

帰りは公園で何時ものように一休み、放課後なので子供たちが自転車競走のようなことをしている、元気がいいやそれが子供のときは一番だ、  それはそうと我が家の孫のお受験の結果の連絡が無い、請求するのも如何かと想っているが、もっとも後期もあるか、その後になるのかな。

 日が伸びたものだ帰着五時少し前で明るい、しかも今日は暖かい、まあこのまま春は来ないがね。


呑気な日曜日

2009-02-22 18:19:36 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は日曜日、嵐の前の静けさか、温かなよい日が続いておじんには有り難い。この頃ニュースが多いが、小泉さんではないが「呆れて・・・」何にもコメントする気が起きない、不思議な状況だ。

 こんな事で良いの

 良いはづが無いよねー

 閑なのでたまには植木に針金でも掛けようか、それともブログにしようかと考えていると、家内が地区の作品展へ連れてげとのご託宣、公民館へお付き合いして昼食後植木をいじる事とする。Img_1028 Img_1027_2

公民館の植え込み

と銀杏の大木

 Img_1029            

 松が五 -六鉢あるが、ここ数年全然いじっていないので茫々である。小さいのからと始めたが時間が掛かり一鉢でお終い、また良い日にしようと片付けてしまう。    

針金をかけた五葉松Img_1030

 まあイイさ慌てる旅でもないし、ユックリ行こう。


蝶は此処でも越冬するのかな?

2009-02-14 18:08:52 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は関東沿岸では春一番の大暴れで電車の止まったところが有った様だ、関東北部でも夜中には雨が少し降ったが朝には止み良い日になった。Img_1016

 庭の福寿草が暮に庭師がいじったので、今年は咲かないかと気にしていたが、今日の暖かさにいっぺん花開いた、掘り返されて無くなったかと心配してが無事だった。午前中に20℃にもなり春真っ盛りの陽気になっていた。Img_1023

 梅も十一日に開き、家の中ではシンビジュウムが満開だ、デンドロビュームは今年は失敗のようだ,素人には毎年は上手く行かないようだ。

 もみじの下の千両を切ったりしていると、玉砂利の上に見慣れない枯れ草様の物がある、羽が千切れた蝶か? 、もう一度見直すがやはり蝶の様だ。Img_1019 Img_1021 寒が明けて十日北関東で越冬する蝶がいるのか、体の長さ15ミリ、羽を広げて30ミリぐらいのあまり奇麗ではないが蝶で蛾ではない。

 なんと言う蝶なのだろう、地球温暖化のせいで昆虫にも異変が起きているのだろうか、南の昆虫なのだろうか? 、教えてぐださい、博学の方、お願いいたします。


紀元節に梅開く

2009-02-11 19:01:05 | 日記・エッセイ・コラム

 今か今かと待っていた庭の梅が三輪ほど今朝は開いていたが、この時間になるともう十何輪かに増えている。今日は紀元節であると言っても右よりの人間では在りません、この日になると小学生であった七十年程の昔が思い出されるだけです。Img_1012 Img_1011

 「雲にそびえる高千穂の、高嶺颪に草も木も、靡き伏しけん・・・」折角の祝日のお休みに低学年の我々はいやいや登校して、講堂の堅い長椅子に座り教育勅語や校長先生の講話を聞き、前出の紀元節の歌を斉唱して痛かったお尻を撫ぜなぜ下校することが出来るのだった。此処で本日の一番の楽しみである町長さんからのつぶし餡の白いお饅頭二個のお駄賃がもらえることだった。

 この頃の境町の町長は正田虎四郎さんと言う方だったと思うが、非常に教育熱心の方だったと聴いていた。お饅頭を貰ったのでお世辞を言うのではないが、小さな町なのにプールや立派な講堂など他に無い施設を持ち、お饅頭は個人のポケットマネーだったと聞いている、今に無い立派な人だった。

 昔の人は偉かったなあ、とつくづく想う昨今である。


不動様今年も宜しく お願いいたします

2009-02-05 18:30:07 | 日記・エッセイ・コラム

 今年も成田山新勝寺へ行ってきた。初不動の一月二十八日や節分はゆっくりお参りできないので、立春にしてから何回目だろう。本庄発九時一分に乗り成田に十一時過ぎに着く、護摩供養に間に合わないので暇つぶしが大変だ、米屋でコーヒーを飲んだり買いもしないのに陳列の羊羹や菓子など眺めたり、完成の山門などを写真に写したり、お札を申し込んだ後本堂の周りをうろついたり、ようやくお護摩が始まる。護摩木一本五百円×二本には孫の入学成就と旅行の安全の祈願を込めた申し込みをする。Img_1006

  新しい山門Img_1007_2

前から在る仁王門 Img_1008

裏庭の不動妙王坐像

 お護摩札も今回から三千円の箱型がなくなり五千円以上となった。宗教法人もそんなに儲けなくも良いものをと思うが、お不動様はどんな風に思っているのやら。

 帰りは何時ものように菊屋でうな重にお調子一本で昼を済ませて、柳屋で羊羹とちぎり餅を買って三時頃の京成に乗り帰途につく  。

 今日の千葉は一日晴れ間のない日だったが湿度のせいかそんなに寒くは無か った。

 自宅着は午後六時を回ってしまった、成田着が十五分か二十分の遅れで予定は大分狂ってしまう、まあ暇なのでどうて事は無いか。   

 


海平なり

2009-02-01 17:20:23 | 日記・エッセイ・コラム

 名物の空っ風が一日よく吹いている、夕方pcの叩く時間だが本棚の一つにあった書籍 海平なり (海穏やかなりと読む)を何気無く手にとって見る。Img_0999_2 Img_1002

 丁度十二年と一ヶ月少し前の発行のサンデン株の創立者牛久保海平さんの回顧録である。   懐かしさに又拾い読みを始めてしまう、翌年亡くなった様な気がするからもう十三年忌になるかも、海平会頭と会議所専務としてのお付き合いも短いようで長いというか、内容のよく詰まったものだったと思うこのごろである。

 会議所の膨大な業務と各種団体の関連行事や、特に県連会長となってからの業務打ち合わせと行動など多忙な毎日をよく一緒したものだ。Img_1003

県連との行動を共にすることも多く、新井県連専務とも必然的に連絡行動共に多くなって行った。

 とにかく会頭は県連会長をを受けてから五-六十の役をこなし、多忙な日々をすごしていた物だ。私のほうも四十ぐらいは役職もあり、日中友好協会や市観光協会などの設立や運営などもあり、当時の市長や助役との連絡調整など多忙を極めた、尤もそれが仕事で市から移籍したのだから止を得ない事だったが。

 まあ体がいくあっても足りないとはこの事か、「受けたからには真面目にやりましょう」が会頭の何時もの言葉だった。