基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

これが外来植物だったとは

2014-05-31 18:13:18 | 日記・エッセイ・コラム

 数日前のNHKのテレビ番組を見ていて驚いた、「最近外来植物が増えて在来種の植物に悪影響を」というような意味の放送内容だった。画面には黄色の花が沢山咲いていて綺麗だったが、見ると我家で咲いている花とソックリではないか。

Dsc_0647

Dsc_0658 外来植物と思われる花

 よく繁茂して在来種を駆逐するというような事を言っていたが、確かこの花は伜が友人に頂いたとの事だが、、すごい成長力で毎年すごい勢いで伸び、沢山の花を咲かせて来た、もう内へ来て何年になるだろう七~八年かモットか、とにかく花を見たあとは毎年一株か二株ぐらいにするが花の時期には大きな株となっている。

 これでは在来種はかなわない、何処から来たのだろう遠い国からか、トニカク抜いてしまおうかどうしよう。


城絵図に見る上州の戦国時代展を見に

2014-05-29 18:45:52 | 日記・エッセイ・コラム

昨日二十八日暑くならない内にと家を出て安中市学習の森へ行ってきた、余り急いだせいか愛用なカメラを忘れてしまったがまぁーいいやと直行、安中市の南富岡市との境に近い山中の学習の森に十一時ころ到着、なかなか鄙びたところに立派な施設大したものだ。

Dsc_0634 学習館パンフより

 もう二週間ほど前か、上毛新聞の催し物欄で見て大道寺政繁の居城の松井田城もあるはず、この際是非行ってみたいと思つていたところであった、成るほど在るわ在るわよく集めたもの宮原文庫所蔵というう事だが大したものだ。

 是非と思ったのは永くサガミと言う苗字が珍しいと言われたことや、上州碓氷郡烏淵村大字水沼にこの姓が何故あるか、上州の戦国期の人の移動が原因ではと思い、調べてみたがそこは素人なかなか想像の域を出ないのが現状である。

 まあ色々あるが松井田衆という一団の武士集団があったこと、後北条滅亡の折小田原からの大道寺配下の人たちを受け入れる人達が居たのではないか、などと考えるところである。我が家の墓誌なども菩提寺蓮華院が火災で過去帳を消失しているので想像するだけだが、いずれにしてももう五~六世紀も前のこと殆ど我々では想像するだけである。

Dsc_0636 大道寺政繁肖像

Dsc_0637 松井田衆の名簿

 我が家の過去帳の顛末をざっとまとめてみたが、今回の展示会を見て松井田城絵図と大道寺政繁の肖像画があり、松井田衆という武士集団があったという事が分かりそれで十分ではないか、と思うところである。


いよいよ梅雨入り間近か

2014-05-26 18:32:29 | 日記・エッセイ・コラム

 一時間ほど前から小雨が降りだした、予報より少し早めだが当たりのうちだろう、少し厳しいかな。気温二十六度湿度六十パーセントくらい我が家の各部屋にある寒暖計もそれぞれ幾分違いがあり個性を主張しているようだ。

 何となくぢめっとしている感じ、そろそろ今までと違い湿気が多い感じがなんとなく梅雨入りが近づいたようだ。

Dsc_0630_2 活気づいた我が家の庭木、                                               正面奥より

木犀、もっこく、山茶花、二列目が満天星、

槇、楓、梅やツツジなど

                              

 庭の木々も五月下旬となり新芽がふき終わる頃、一番遅い槙もいよいよ今さかりと浅緑の葉をふき始めている、梅雨明け真夏と続き緑も色濃くなるのだが、今が最も植物が生命力を感じさせる時期だはないかと例年感じる頃である。

Dsc_0632 大雪の屋根からの落下で被害甚

                             大それでも強い木々達

     

 今日から沃素絶ちに入ってが三週間弱である、頑張るとするか・・・  。 


久しぶりに高崎へ

2014-05-23 18:21:38 | 日記・エッセイ・コラム

 上毛新聞(ご当地の地方紙)を二~三日前読んでいると、何面だったろう「明日より高島屋で北海道展開催」と出ていた。

 「お母さん高島屋で北海道展だって」と言う事で、本日急遽高崎へゆくことととなる。十時ころ出発、国道354号を乗ったり降りたりして十一時少し前高崎高島屋へ着き早速催し場へ行く、例年と同じような品揃えで店並び変わり映えはないようだ、品定めをして帰りになま物を仕入れようと各階売り場まわりをはじめる、見てイイなと思う物はあるがさていつ着ようかと思うとその機会がない、男物売り場も二~三十分で品定めも終わり、休んでいると家内も成果なしか手にモノなしで現れ再度催し場へ、ここで干物・瓶詰め・寿司弁当など仕入れ、地下で牛の切落しの良いところを三百グラムほど仕入れて、昼食を済ませ帰路につく。

 本日は暑くなく寒くなく程よい五月の風でドライブ日和、なんとも気分が良い、午後一時すぎに帰着、倅にお茶などいただき恒例の午睡を、優雅なもの・・・ニュースは殺伐としているが。

 「来週からヨウド抜きで入院迄はあと二週間と少し」などと考えずに、優雅に優雅にと言う処。


変な地球

2014-05-19 18:12:20 | 日記・エッセイ・コラム

 こんな陽気だったっけ、ゴールデン・ウイークも終わり五月半ばも今日で終わりと言うのに、もうアチッチーとは。

 室温二十七度C、湿度四十五パーセント、時刻午後五時丁度、歳のせいで幾らか寒暖の感覚に狂いが出たのかなんとも暑苦しい感じ、今年のこの感じが普通なのか、それとも俺の感覚がおかしいのか?八十三年生きて感じる不思議な感覚である。近く来る梅雨はどんな感じなんだろう。

 先週から始まった右上奥歯の治療の二日目で、市内境町渕名のすずき歯科へ行ってきた、この歯科医院の西隣がが姪の家なので帰りに久しぶりに寄ってみた、なんと優雅なこと、もともと畠中に広い土地の家だったが、周りに家も増えて良い所となっていた。しかも家も立て直し庭は手を入れて立派にして、今は姪が「見てって」と言う様にフエンスに沿って植えた薔薇の花が今盛りと咲き乱れている。

Dsc_0625 南道路に面して

Dsc_0627 西道路に面して

Dsc_0624 今年の新種?だそうだ

 「お見事」と言うほかなしと言う処、今日はここが良いと言うので庭のパラソルの下でコ-ヒーなど戴く、午前十一時頃の庭の植え込みの中のパラソルの下は天国、「叔母さんに見に来るように言って」という伝言を頂き帰路につく。

 どちらの五月がホント、両方がホントそれとも嘘?。

 


母の日だったのだあー

2014-05-13 17:19:55 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc_0614   先月やっとの思いで作成発送したクラス会開催の意見収集のハガキが、期日を四月末日としたのがようやく集またので集計してみた、

Dsc_0621

Dsc_0621_2 回答のあった返信ハガキ

 発送総数23通、回答18(ハガキ15通、TEL3)だった、開催賛成のもの3人、参加出来ない者15人、その内訳死亡3人、病気療養中又は奥さん療養中11人、いずれにしても不参加1人であった。

 と言う事で、集計結果のハガキを作り回答を寄せてくれた者に「よって今回は残念ですが開催いたしません。以上お知らせまで」と発送しておいた。2014、5、11付にて。

とにかく八十四歳の年男は大変なんだなあー・・・

 こんな作業をしていると「宅急便ですー」というので玄関へ行くと「陽子さんへですね長嶋さんからです」と大きな箱、ああ今日は母の日だったか、今回はアジサイの花か、カーネーションも毎年ではというところか、まあ兎も角オメデトウ。

Dsc_0615 届いたアジサイの鉢淡いピンクか

Dsc_0616 年末からの最後のシンビジュウム

Dsc_0617 庭へ出て元気なデンドロビュウム

 と言うような忘れていた母の日でした、悪しからず。


沃素治療の準備開始

2014-05-12 18:35:17 | 日記・エッセイ・コラム

 いよいよ今日から五週間に渡る沃素治療の始まりだ、まず今日から甲状腺ホルモン剤今までのチラージンから、単位の高いチロナミンに変更だ、二週間するとこの薬を止めて沃度を含む食品をまた二週間完全に遮断し、あと一週間の入院治療になる。

 そして入院して福島第一原発事故で有名になった、あの沃素131なる物質を飲むことになる。

 胃はムカムカ、食事は不味い、味は分からなくなると踏んだり蹴ったりの始末、これで退院後味覚障害が1ヶ月は続く、その頃早く味覚障害が治らないかなーと、あのうなぎの蒲焼を思いながら悶々の日が続く次第。

 なんと因果な病気「甲状線ろほう癌」などに罹ったんだろう、甲状腺摘出の入院を含めその後の五回に渡る沃素治療最後の入院か、適わん適わん全く・・・

 小児癌などにならない様に、それは大人の責任だ、それを構成する国の責任は言うまでもないことだが。


この陽気不順なのでは

2014-05-08 17:44:25 | 日記・エッセイ・コラム

 陽気は良いのか悪のか?、五月に入り早くも八日だが今年のこの陽気、関東で朝晩薄ら寒い日が多めではないか、今日は仲間と宝川温泉へ行く予定だったが、先月十八日から三日ばかり寝たあの風邪の後遺症か、ゴホゴホが抜けきらず欠席をしたが、四日の姪の一年期の法事、続いて家内の叔父御の葬儀が昨日の葬儀告別式まで五-六-七と続き、今年の後半のGWは不祝儀続きだった。

 ようやく今日当たりから良い日になるのやら、咳もだいぶ良いようだが家の周りの雑草がもくもくと「生えなくもいいものを」、と思うくらい伸びてしまい気が気ではない、足腰が良くなってもこの草むしりでまたと考えると気が重い。

 またこの二月十五~六日のあの記録的な大雪の雪害だが、未だ我が家の雨樋が修理できず、雨のたびに庭の土が流されて大損害だ。

 共済金は群馬共済はもう出てしまい、都市職員共済も近く出るだろうから早く治して貰いたいところだが、関東一円が被害のようで順番待ちも何時までか、待ち遠し限りだ。

 我が方、上州のの真ん中だというのに七〇センチ超とは如何なものか、地球温暖化もこんな処へ顕在化するとは呆れたもの、今後が怖い・・・ 。悪いことは続くようだから・・・ 。


「列強国」と言う言葉

2014-05-03 18:27:07 | 日記・エッセイ・コラム

 いつの間にか五月に入りもう三日になっていた。何時ものことながら風邪をひくと後ゴホゴホと何時までも尾を引く体質嫌な体質だ、今朝の新聞を見ると憲法論議のオンパレードと言うところ、賑やか賑やか。今日は憲法記念日だった。

 十五面の声欄の隣なりの十六面に河童さんの「少年H」の我々より二つ下の昭和7年生まれの小林信彦さんが「今この国はどこにあるのか」とご意見というか想い出を含めて寄稿している。

 敗戦より六十九年、当時の中等学校の生徒であった我々は同じような境遇で、それぞれ食うことも着ることも中には寝るところもどん底を経験して、無資源国日本は労働力が資源とばかりガリガリ働き現在の日本を作った。

 小林さんの文章の中に「列強国」入りを望む政権の危うさ、と言う見出しがあり、アレいつの間にか今の内閣は明治時代の富国強兵の時代を望むようになったのか、と「あ然」とせざるを得なかった。何十年か前に聞いた言葉にいまさらの様に驚く事であった。

Dsc_0611 小林信彦さんの寄稿文

Dsc_0610 今日のトップ記事改憲に執念

 富国強兵は今の庶民の生活を保障するもののではない、あの戦前の生活に戻るか、トンでもない生活は発展途上国並み、軍備は列強国ではそんな事のため、そんな事のため稼ぎ通したのではない、未来の子孫のため豊かな郷土日本を作るため稼いできたのである。

 列強国になる必要はない、一流経済大国で良いのではないか、世界に尊敬され 貢献できる国でいいのではないか。