基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

サアー 師走だよ 忘れず投票に行こう

2014-11-28 16:49:53 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日まで綺麗に色ずいていた紅葉が落ち始め、少し色ずいていた満天星「ドウダン」つつじ真っ赤になったり、季節の移ろいを痛切に感じるこの頃だが、もう秋も終りだ晩秋だ、二日後の月曜日は師走の朔日である、早いものだ歳の所為か一年が何と短い事か。

 我が家のシャラ、楓、満天星つつじの現状

 一方山茶花はわが世の秋とばかり、白とピンクの混ざりや赤の八重咲きなど今を盛りと咲き誇っている。

 赤の山茶花(白は11月初めから咲ぱなし)

 もう師走などと云っていると二千十五年(戦後七十回目じゃあなく六十九回目の)の正月が来てしまう、早いものだ。

 どんな世の中に成るのやらアベノミクスとやらは、世界の経済成長がほぼ止っているのに我が国だけ例外であり得ないのでは、お隣との外交は、戦力はもう保持しているのに戦争できる国にか、原子の火は人類は制御できるのか捨て場所は、東日本大震災の復興はオリンピックなどと浮かれている場合か、持てる者と無い者大都市なかでも首都と地方の格差、紙幣は印刷物に過ぎないその価値は国家が健全であることが前提である、紙幣のゼロがこれ以上増えて紙くずにならない事を祈るのみである。

 文無しジジババよ投票へ行こう、和やかな地球を作ろう。


寒い二日間 谷川へ

2014-11-27 17:17:53 | 日記

 雨の水上駅前商店街 正面に終わりに近い紅葉が

 寒いだろうと厚着をして出かけたらそれほどでもなかった、二十五日(火)午後一時二十四分伊勢崎駅発車、新前橋経由水上駅二時五十五分着の電車の旅だった、ただし小雨の中暖かいとは言えないけれど。

 元同僚男二人(急遽一人欠のため)女性四人の計六人、お迎えの車に乗り宿莞山に向かう、予想の通り小さな宿だった、という事で外へも行けず皆でお茶をしたり、温泉に入ったりしているうちに夕食、宿泊客全員が食堂へそれでも一二-三人は居るか順次運ばれる料理を戴く、オイドンは燗酒二本を戴く、此処のりゅりは美味い猿ヶ京の料理旅館より遥かに上だ。

 当家のご自慢〇〇カニの空揚

 酒は我が家の先祖が飲んだであろう牧野酒造の大盃

 食事あとはコーヒーか紅茶が出て、当家ご自慢の自家製尺八(尺八工房を持っている)の演奏を聴く、和風の曲二曲とピアノに併せて洋風一曲たいしたものだ。

 尺八の演奏

 その後はダべリング、そこはかっての仲間賑やか賑やかいつ果てるやら、適当に写真撮影、

 翌日は十一時四十分ごろ発の上りで伊勢崎へ一時過ぎて着、蕎麦蔵で蕎麦で遅い昼食開散、自宅へは三時頃か無事帰宅。


沼田リンゴか川場リンゴか

2014-11-19 16:57:20 | 日記・エッセイ・コラム

 我が家恒例の地元リンゴの買い出しに行って来た、今日もまたまた家を出て十五分ほどしてカメラを持ってくるのを忘れているのに気がついた、北関高速のICまでもう少しと言う所なので諦める事とした、今回は沼田市から金精峠を超えて日光へ通づる国道百二十号線に並ぶ、リンゴ街道の様子を紹介しようと思っていたのに残念だが止もう得ない。

 色が無いので家でリンゴを撮る

 磨いてないので艶が無いけれど、これが本物

 我が家では梨の時季は里見梨「南総里見八犬伝の里見氏発祥の地と言われる上州碓氷郡里見村、現高崎市里見町」林檎は沼田リンゴ「昭和特に戦後に入り沼田市を中心に周りの町村を含めてリンゴの栽培が盛んになった」を買い込み親戚知人に配り始めて二十年は越えたか?。

 リンゴはここ数年川場村立岩の戸部農園の販売所と言うかお店で、この時季蜜が入ってシャキシャキして美味いサン富士と言う品種を買っている、川場村は沼田市の隣村であるが農村の観光化と言うか開発が功を奏し、川場村田園プラザを中心に南北朝期からの伝統のある古刹吉祥寺や、温泉、造り酒屋、レストラン、カフエ等々が散在し観光客を集めている。

 そこで問題になるのが川場村でとれた林檎まで沼田リンゴと言うのかである、川場村でとれたのだから川場リンゴで良いかである、まあ俺だけに心配事だから細かい事は言わずに皆さんが美味い美味いと食べて呉れればそれが一番と言うところである。   

 いつ頃かこんなコマーシャルが在ったっけ、「東京カリントウは大阪で食べても東京カリントウと云うんだね」 チョット意味が違うか?                       


うわーウンメーわかさぎ天ぷら

2014-11-15 14:13:21 | 日記・エッセイ・コラム

 大好きなわかさぎの天ぷらを昨夜揚げて食べた、何と美味いのだろう昨日鍼を刺して貰いに行ったところ、「昨日病院の薬局にいた徳江さんと、長野の諏訪湖へワカサギ釣りに行って来たんだけど食べますか」との事、なんで断る事が出来よう「ああ食べるよ大好き」と戴いて来た。

 夕刻準備をして天ぷら揚げを始める、ついでの野菜を玉ねぎ人参サツマイモ家内が用意して俺様が揚げ始める、そして最後にわかさぎを揚げるのだが今日もカメラで写すのを忘れてしまう、そして「何と間抜け」と自己嫌悪に陥る。

 このブログを書きながらも、冷凍から溶けてサッと水洗いした時の銀色に光る小さな魚体が目に浮かぶ、惜しい事をした食通ブロガーの記事が羨ましい。まだまだブログのプロでは無いなと感ずるところ、魚体は中小取り混ぜて4-50尾は居たか、とにかく早い「しゅん」と入れた何秒かイッチョウ上りである、それを肴に赤城山の吟醸をチビリチビリと遣る、至福の一瞬である。

 想いだす今から五十年ほど前、高橋基樹さんが市役所の課長で大将で課員がゾロゾロ、鬼石町の下久保ダムへデッカイゴムボートを持って出かけ、ダム湖に浮かべてにわかワカサギ釣り師になり成果を家中で味わったことを、子供たちは小学校だった。

 姪の持ってきた直米のコシヒカリの搗き立てでの夕食もなを美味い、これでこの秋の醍醐味のいただき日となった。     御馳走様


一九六〇年の若者が昼食で集い

2014-11-12 16:39:43 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は安保反対の年の青年婦人部の生き残りが久しぶりに昼飯を食べた、八十爺を筆頭にジジババばっかり六人だった、三人欠でそれぞれ体調か用事の様だが寄る年波いろいろ在るのだろう止むを得ない事だ。

 何時ものレストランヤマトは休みのようで今日は海鮮や一心太助だそうだ、一人八十婆の家を周り車に乗せて店へ向かう、

 海鮮問屋中里が始めた海鮮や一心太助 旧館と言うか本館と言うか、

 開業してもう何年に成るだろう「とうに二十歳は過ぎたろに」かな、良く盛る店だ店に入ると待合にもう十人ほど待っている、予約席に行くとメンバーがもう四人そろって待っていた。

 二人着いて本日の全員集合、女性は海鮮天丼、我々男性陣と言っても二人は海鮮定食共に千円と少し、現れた料理は此れこそ写真を撮れば良かった、今では後の祭りと言う処、見場も良いが天丼は二匹のエビが丼ぶりのヘリへはみ出している、定食はマグロ、ハマチか、えび、イカそうめん、鯵のたたき、が主で別にサラダや芋や牛蒡の煮つけ味噌汁など、とご飯と言う豪華版良く盛っているわけだ。

 美味い美味いと食べるのに専念、後ホットコーヒーなど戴き雑談、今後メンバーの体調などを考慮しどんな運営をして行くかなど話しあう。まあその都度話し合うぐらい切り名案はなそうだ、とに角今回は水上谷川温泉「莞山」へ元気に無事に行ってくることか。


大形商業施設 スマークへ

2014-11-10 17:29:19 | 日記・エッセイ・コラム

 家内から「少し歩きたいからスマークへ連れてって」と言うので暫くぶりにスマーク詣でに行って来た、十時過ぎに家を出て半には付いていた

 左から妙義

 榛名

 赤城とウスラデッカイ建物だ

 先ず家内と昼飯場所を決め、三越のテナント前に待ち合わせ場所を決め家内を置いて三階から歩きはじめる、ここは見る場所は映画館位きり見る場所は無い、スマークのキッチンと言う食堂の集まりを除くと「餃子の王将」が無い、ここ半年ほどの内に撤退の様だ、三階のテナントは他にも二-三軒空きテナントがある早いものだ、

 プレビ劇場のゲーム場

 二階のショッピング街

 同

二階に移りライトオンや〇〇シューズなど覗きここで携帯の歩数計を見ると二四〇〇歩ほど、未だこんなものかと一階に移り歩き三越前へ、家内はご機嫌斜めかと思ったがそれ程でもない様子、ここで昼を食べようとレストラン街へ、洋食と思ったがパスタでも味気ないと寿司屋と言っても回転ずしへ入る、回転さんは暫くぶりなのでお茶も醤油もガリも調子が合わない、暫くぶりにアナゴのたれ付きのにぎりを食べてマアマアの腹具合で退散、口福堂で大好きな牡丹餅と家内の好みのたれの団子を買い込み帰宅、歩数計は五五〇〇歩を超えていた。

 まあまあ良い運動になったか。


木枯らし二号か三号か

2014-11-07 14:35:52 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝から坂東平野は良く晴れたがだんだんに西風が強くなる、木枯らし二号か三号か・・・

ここのところまたまたGooブログに引っかかっている、まあ一昨日の鍼灸師に射して貰ったことは下書きに格納したのだが、昨日の庭木の手入れは映像を取り込むところで可笑しくなってしまった。

 今日は改めた画を入れて書いてみよう、

朝九時前にここ三-四年頼んでいるシルバー人材センターのメンバー四人が四台のトラックや軽トラで現れた、まあ俺の年には未だだろうがお頭がシルバーの方にお願いするのは身が引けるが始めていただく、十時のお茶で「昔若いころ椎間板ヘルニヤのオペをやってね」と話になり、四人の中に「俺も三十代の頃手術をやって肝炎になり半年も入院したんですよ」との事、あの頃は採血が追い付かず売血まであった時代だ、うっかりも何も輸血の人のある率は発症する人がいたような厳しい時代だった。

 それでも定年後こうして人材センターで社会のために働けるまで生ったのは大したものだ、もともと体が丈夫に出来ていたのか、又はその医療機関がご立派だったのか良かった良かったと言う処である。

 まあ小さな庭で三時には大よそ完了、お茶をして帰られた。結果がごらんの通り綺麗になりました

 見通しも良くなり綺麗になった

 同

 上からも

 玉柘植も二月の大雪で割れてしまったので

               三個の内一個を扱いでしまった

 という事で本日は名誉挽回出来たか?


群馬大学附属病院受信報告

2014-11-03 16:40:34 | 日記・エッセイ・コラム

 十月二十七日に書き始めたが、この日ブログ専用のニコンJ2が重いのでキャノンIXY を持って行って写した写真がPCに取り込みが何時ものように出来なかったが漸く何とかなったので六日遅れの公開となってしまった。

 とうとうこの大学病院へ受診始めて満六年になる、最初は甲状腺癌診断と治療方針を決める事から、次の入院甲状腺全摘から始まり、後は年一回の入院アイソトープ(沃素131)を飲み甲状腺癌と骨転移、肺転移を治療する事だった、まあ入院ごとにその都度概要報告はしてきたが、 細かいこと言うと切りが無いがとに角色々あったし年一回のアイソトープを飲み放射線が半減期八日の率で減り胃、味覚異常による食欲不振と言うより食べたくない状態が数日続き、五日で退院後約一ヶ月は味覚異常が続くという事を五年続けたのだった。

 今日は恒例の三か月置きの診察のため朝8時に家を出て車で前橋市昭和町の病院は向かう、家を出るのがチョットと遅れたので九時少し過ぎて着き、受付機で受け付け採血が在ると言うので採決室へ、

 いつも混雑採血室

 三-四十分待ちかして第二外科へこちらは小一時間、孫のような女医さんの長岡りん先生に近況報告と今後の方針等を聞き「大分順調ですよ数値は良いし」と言われてやや安心

 外科外来待合ここもいつも混雑

 次は放射線科へ、今日は岡本先生、しばらくこのように診察を続け骨折などをしないよう治療をしてゆきましょうとのこと、こちらも数値は大変良いとのこと、一安心と言う処。

 放射線科待合

 これで会計と行くが之からが長い、何時も百人程が待ち二十人は並んで計算受付待ちである、

 外科578放射線579だが578がなかなか出ない、

 578より早く580が出来つぃまう

 とやかくしている内に出来て自動清算機で二千八百四十円の支払を済ませて駐車場へ、ここでは二百円也を支払う、時に十二時を過ぎること十分か、昼食を今日は蕎麦にしようと街中の結城屋へ向かう、今日は好く入って居る時間が速いのかも、天もりを頼みゆっくり賞味して満足、千百円を払い帰路につく、アイン薬局でチラージンをいただき三百四十円を払い帰宅時に二時二十分ほど、ご苦労様でした。

 慣れないカメラはこうゆう時は使わない方が良いと感じた次第以上。