基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

新しい年を変な予感の年にしない様

2012-12-31 18:24:09 | 日記・エッセイ・コラム

 南西の山並み(秩父山地か)に掛かるあかね雲に赤い光を残しながら、夕日が先ほど沈んだところだ、明日の朝この太陽が現れるときは、平成二十五年(2013年)の初日の出であるのだから面白い、

 

001 チョット遅くなってしまった夕景、PM5.15頃 

                         屋根の向こうは秩父連山か

 
 まあどうせ明日の初日の出は見る事は無いだろう、まあ見ても東の地平線を離れてからだろう、でなければ東雲のお蔭で拝めるか、寝坊助ぞろいの家だから当てにしない方が良い、とに角新年であり昭和十六年の巳年から数えて七回目の巳年で七二年目である。

 ヨーロッパ戦線に続いて日本が突入した太平洋戦争の勃発で、この時から第二次世界大戦へ本格的の突入であった。もうソロソロ戦争を知らない子供たちが世の中を切り回しはじめ、国際紛争に武力を使わないとの誓いを破るのではないかと危惧される時代が近ずきつつある様な気がしてくるこの頃である。

 大陸間弾道ミサイルがあって、これに着ける核が開発されている時代、これが一旦使われればモラル無き第三次世界大戦となり、チェリノブイリや福島の惨事なんてもので無い、地球の破滅である。

 経済もアベノミクスなどと云っているが、世界の実態経済がそんなもので無い、我が国だけが金を湯水のように使える分けが無い、ヨーロッパの仕事が好きでない民族の国のように、ペーパー経済で国債を発行するだけして、後はお助けをと救済を待つなんて事は世間様が許さない。

 どっちにしても大変な新しい年になりそうな予感、そんな年にしない様よく監視し来る参院選でブロックしようよ。


じんわり庶民へシワ寄せ、好い話もあるよ

2012-12-28 18:43:06 | 日記・エッセイ・コラム

 十六日からそろそろ二週間、真面目な経営者はじわじわと為替の円安に合わせてガソリン灯油値上げしてきた。長い円高の時期に輸入した物だから未だ上げなくとも良いだろうと言いたいところだが、この際儲けておかないと安倍何とかが上手く行かないときは何時円安に振れるか心配、と云う向きもいよう、それが資本家に忠実な経営者なのだろう。

 次はスーパーだろう、デフレで節約している毎日の食卓が狙われる、我々のささやかな楽しみの夕食の惣菜をまた一品減らさなければならないか、帝国ホテルのバー通いの財務大臣では庶民の懐は全ぜーん分からないだろうし、分ろうともしないだろう。

 そこへ行くと我が郷土の自動車メイカーは今朝の新聞の囲みランで、あの円高の中地元協力企業と文字通り協力して、良い成績で今季をしのいだとのこと、何とも頼もしい限りだ。

004_2 庶民の味方郷土の誇り(今朝に新聞記事)

 製作所長は、世界市場の〇パーセントのシエヤーだから出来ると謙遜していたが、トンデモナイやる気が無ければ何にも出来ない、我が郷土の誇りであるこれからも頑張って戴きたい。

 まだまだこの様に隠れた優良企業で社会に還元を考えて居る会社があると思うし、在ることを祈っている、庶民の一員として。


皇太子様お生まれに

2012-12-23 18:36:41 | 日記・エッセイ・コラム

 千九百三十三年(昭和八年)一二月二十三日大騒ぎだったろう、内親王の後の跡取り親王だったのだから、ああ出来ちゃったかと云うような我々下々とは話が違う、現(今上)平成天皇の生まれた日であっる。あれから七八年目の誕生日である、早いものだ。

 我々が小学校に入学した頃はアッチコッチに、皇太子誕生記念と書かれた木札が樹木と云わず建物と云わず、いろいろな所で目にしたものだった。三学年上の俺が特に今でもよく覚えているのは、毎夏よく泳いでお世話になった学校プールのポンプ小屋に掲げてあった木札であった。

 昭和一二年入学の我々は本当に満州事変に生まれ支那事変で小学校、五年生で太平洋戦争へと、まさに当時戦争の世紀に生まれた様のものだった。折角入った工業学校もろくに勉強できず戦後新制高校になり卒業したが、校舎も機材も戦災で燃えてしまいろくな勉強も出来ずに卒業したものだった。

 あの頃、戦前の群馬県佐波郡境町は日本一面積の小さい町(大日本雄弁会講談社の少年倶楽部に紹介されて居た)であったが、教育熱心な街であったようで、同じ郡内の伊勢崎町よりずっと小さいのに、皇太子誕生記念の学校プールを作ってしまったのだった。

 もちろん当時の事だから町民をはじめ多くの人達や高学年児童までが、勤労奉仕をやり利根川から玉石運びなど協力して足掛け三年がかりで完成したのだった、お蔭さまで水に強い子供たちが育ったのだが、例幣使街道の宿場町境宿は今は見る影もないが、あの教育熱心な境町は如何したろう、こんな小さな町でよく東大へ毎年のように入学生を送る様な町だったのに、俺たちの同級生は旧制の一高、二高、浦高、慈恵医大などへ行った人たちが居たが、今は。

 今朝のテレビのニュースで見る今上天皇と美智子妃の齢をとったこと、今年は特に心臓の手術をしたり、震災や原発の後の心配など心労の多い年だった、美智子妃もあまり丈夫な方でも無いようなのに、よく天皇をお助けしているように見えるが、お体を大事にして貰いたいものである。


終わって見れば元の木阿弥

2012-12-17 18:21:08 | 日記・エッセイ・コラム

 今回の選挙くらい生活や未来に影響のある事は稀であろうと想われた、しかし改憲や原発の事より経済優先の思想が顕著であったのか?疑問である。特に三極などと云われた政党の乱立で死票が多く、果たして全得票の何パーセントが当選票になったのか知りたいものだ、現選挙制度もこの際早急に違憲状態の一票の格差の是正と併せての改革が焦眉の急である。

002 本日の朝刊トップ

 現政権民主57人国民新1人計58人と比べ、結果できる政権は自民293人公明30人計323人と圧倒的多数で、比べるのもお恥ずかしいと言いたいところ、維新54人皆18人と伸ばした半面未来8人共産8人と苦戦している、社民2人大地1人は何とも理解できない、この体制で何年続くのか、また今後の政権運営でどのように変わるのか我々には判らない。

 初の民主政権も鳩山、菅二代の総理の稚拙な運営を受けて、野田総理の大変な努力も報われなかった、選挙後の自民の安倍総裁の発言は謙虚に聞こえているが、心底はどの様なものか覗いてみたい。

 はたして安倍さんの言うインフレ誘導の結果はどの様になるか、領土問題と防衛軍は、再処理技術の出来ていない原発の未来は、改憲の未来は何処まで、etc・・・ よくよく見詰めていよう政治の世界を。

 


今回はこれで行こう脱原発、反改憲etc

2012-12-15 17:56:54 | 日記・エッセイ・コラム

 選挙運動もあと2時間半でお終いだね、今回の衆院選も詰まる所標記二題と命よりコンクリートの時代に逆戻りかと言うところかもね、しかもいつ先日の中央高速のトンネル事故のように老朽化して予算不足で修理できずに、インフラの設備が何時人の命を奪うか判らなくなって居るのにね、産業の振興も大事だが、人の命の方が遥かに大事だよね、威勢のいいことを言うのは簡単だが命を第一に考えるのが人の道では無いだろうか、明日はこれで行こうよ。

 ぶれない総理頑張ろう


千九百四十一年十二月八日

2012-12-08 18:18:46 | 日記・エッセイ・コラム

 今から七十一年前の今日千九百四十一年十二月八日早朝NHKラジオ 「最もこの時はラジオの第一第二きり無かったが」の二ュースで「臨時ニュースを申しあげます、大本営発表本八日未明帝国陸海軍は西太平洋において米英蘭と戦闘状態に入れり」と繰り替えしていた。

 小学校、もうこの頃は国民学校になって居たか?、五年生今の数え方だと十歳だったが、登校すると校庭に集められ校長先生の挨拶で無く訓示だったかの後、ラジヲ放送を聞かされたものだった、確か五~六年生だけだったような気がする。今想うと何か知らないが背中がゾクリする様な緊張感を持ったことを想い出す。以来一九四五年八月一五日まで初戦の奇襲による勝利の後、三年九か月余トコトン叩きのめされ八月六日広島、九日長崎とダメ押しの原爆投下により敗戦、ポツダム宣言受諾となったのであった。

 今想えば物量、科学技術、国土はもとよりあらゆることに勝る列強との戦争に踏み出した一瞬だった。結果は今云々する事もない周知の事だが、なんでこんな無謀な事をしてしまったか不思議でならない、言う歴史家などは日清・日露戦争の上手くいったことの過信の結果などと云うが、果たして其れだけか?。

 ちょうどこんな時に衆議院選挙に突入しているが僅か六十年余きり過ぎていないのに、もう憲法改正、自衛隊の国防軍化、核保有などと云いだす人達が居て、また此れを支持する人達が居る、防衛庁が防衛省になり、憲法改正のための国民投票法が出来たところへ、これを進めて来た人が、比較第一党になるような事になれば、サア大変である。

 帝国海軍飛行予科練習生を最後に受けた軍国少年は言う、団栗コロコロ団栗子になる前に日本国民よよく考えよう、投票日まで後八日、良い政党を育てよう、皆さん。


リンゴ買いに川場村へ

2012-12-06 18:47:26 | 日記・エッセイ・コラム

 恒例となって居るリンゴの仕入れに、昨年始めて見つけた川場村の戸部林檎園を訪ねた。十一月下旬を予定したが前述のようなアクシデントに見舞われ断念、今日打ち身の痛みも和らいたのと、日和にも恵まれていい気分で出かけた、十時少し回った頃久しぶりの高速道の運転で若干緊張気味で出発、北関東道駒形ICから藤岡ジャンクション経由関越道へ、前橋ICの辺から折からの強風に煽られ道路上の枯葉が 一斉に舞い上がり怖いやら壮観やら、行く先はどんな様子か気にしつつ沼田ICに付き川場へ向かう、風はやや強いが天気はまあまあと言うところ、直に戸部林檎園を見つけて到着、早速買い入れをはじめる。

 

004 戸部農園の売店、雲行きが悪い

003_3 街路灯の表示
 

 着いたときは当家の奥方か一人だったが、買ってるうちに倅のような若い衆が、少しして当家の大将かが現われ勢揃いの感、母屋は七~八十メートル手前にある。家内の兄弟二軒の分、境の姉御の分、家内の弟の家と娘の家には達急便で発送、我が家の分も入れてちょいと散財帰路へ着く。川場田園プラザの蕎麦屋は休み、沼田の国道一二〇号線を流して蕎麦屋を見つけたがない、と思ううちにIC前に着いてしまい帰ることに、一二時少し回ったが関越に乗り我が家へ、一時少し前には市民病院前蕎麦屋柳屋へ着いていた。早い。

 昼蕎麦を済まし帰宅一時半少し、わずか三時間半ほどのドライブだった。

 


明日からいよいよ賑やかに

2012-12-03 18:40:03 | 日記・エッセイ・コラム

 師走の三日、明日は衆議院選公示、いよいよ師走の町は賑やかになる。全部の政党名を並べられ言える人が何人いるだろう、可笑しな選挙になるだろう、今のようなご時世はよく昭和初期になぞらえる人がいる、政党が決められず世の中は不景気「あの頃とは比べ物にならないが、絆は薄くなっている」と云われて、さらに似ていると言われるのは右寄りのと云うか元気のいい政党党首が近隣諸国に舐められては大変と憲法改正と軍備増強などと云い始めている。

 まあ言うのはご自由だがこの様な発言には往々日本人は惑わされやすい、神の国伝説ではないが優秀な民族である舐められて堪るか、との想いがあるのか?・・・。

 まあ騙されない様にしようよ、昨日は師走二日目に中央自動車道でトンネル天井の崩落事故があり九人も亡くなっている、今回の師走選挙は憲法改正反対と原発は地震国のわが国では次の福島県人を出さなためと、後処理の膨大な出費を勘案して無くして行くべきと、よくよく考えて一票を投じようではないか。