基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

坂東三十三霊場めぐりの結願を

2007-05-22 16:00:57 | 日記・エッセイ・コラム

 早いものだ、10日11日と常陸の国の霊場めぐりより帰って10日以上たってしまった。その間の動きは暇の割合に結構いろいろあるものだ、ゴルフの大会「地区と町内」小学生の下校時の防犯、ジジババ会のグランドゴルフの練習と大会などなど。

 さて坂東三十三か所霊場めぐりも、次にあと残すところ上総、下総の六か寺と相模の弘明寺と武蔵の浅草寺の二か寺となったので、月内に千葉県を回りたいと想ったが、なかなか家内との調整がつかない、24日ー26日を予定したがやはり無理なので、6月の3日-5日当たりはどうかと思っていている。

 何れにしても関八州を回るのは大変なことだ。


坂東三十三札所 常陸の国六か寺めぐり

2007-05-12 22:19:23 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日一昨日と久し振りに坂東札所巡りの残り常陸の国「茨城県」六カ所を巡ろうと家内と出かける事とした。朝七時四十分車で出発最も難所といわれる八溝山日輪寺を指した、東北自動車道矢板ICで降り461号線で北上、深い山道を登りようやく四時間十分ほどで八溝山に到着、修験道の聖地、成る程「八溝山を知らずに坂東を語るな」と言われる訳だ。「伊勢崎に居たことがある」という坊さんから納経と御朱印をいただき、見晴台で車を止めて用意のお握りを食べ一路佐竹寺へ向かう。Img_0423 道路整備が成っていない茨城県何をしている

 天気予報が午後は荒れ模様というので急いで佐竹寺へ向かう、これも遠い一時間半も走ったか、山門前に車を置き立派な山門をくぐると一変、破れ寺かと見間違う燭台、蝋燭、線香鳴らす鐘の紐も無い、これが佐竹氏の祈願所だった寺かと想う、お堂は国宝というのに、かって納経所としていたらし所の脇を通り庫裏らしい所で御婆さんに御朱印をいただき、宿舎のウェル、サンピア日立へ向かう。Img_0425_1

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 268キロも走ったので早寝早起きをする。朝の日立港の様子は見ていて飽きない、大きなモータープールや資材置き場、冷凍工場、クレーンや港湾設備、そこへ五時と言うのにImg_0427_1 トレーラーの先の部分の運転席が走ってきて荷の部分をつなぎ走り去る。水の上は貨物船が港内を行き交い、大きな外洋航路用のような汽船が入り何というのか小さな船が舳先と後ろを押している、大きいので自力で接岸できないのか、

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 今日は帰りの都合で逆さまわりで行こう、日立南ICから常磐自動車道で土浦北ICまで行き清瀧寺まで行きぐるっと筑波山を回ることとする。昨夜の風で竹が倒れて駐車場へ行けないので門の傍へ車を置き石段を登り参拝を済ませ納経と御朱印を貰い倒れた竹の話をする、志納千円也をする。Img_0430_2

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 次は筑波山大御堂へ向かう、かっての有料道路か大変よい幾らかなと想っている内に大御堂へ着く、只だった、筑波山神社と一緒の神仏混交だったのだろう直ぐ近くのようだ、別当関係化?尼僧か品のいい人に御朱印を頂く。Img_0432_1

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 次に雨引山楽法寺へ向かう、参道は狭いが石畳の境内の参道石段の手入れもよくお堂も納経所も立派なものだ、七堂伽藍とまでは行かないだろうが職員も多くみやげ物売り場まであるのは珍しい、御朱印をいただき納経を済ませ佐白観音へ向かう。Img_0434_1

Img_0435_3 Img_0436_4            

 さて今回の最終寺佐白山観世音寺は笠間市の神社仏閣や美術館、公園などの施設の集積している佐白山麓にあり道路網も整備している、特に日動美術館はお勧め筋である。門前の駐車場に車を置き、隣の一茶庵の看板を見ながら丸太の階段の参道を行く、さすがに家内も大変のようだ自分も膝へ来ているのだから、着くと納経は昼休みとの事五,六分だからベンチで一休み、待っている人たちと一緒に御朱印をお願いして納経を済ませる。此処で始めて冷たいほうじ茶をいただきほっとする、つけた小梅も小鉢に一杯出ている。Img_0438

 参道脇の一茶庵で昼食天ざる蕎麦をおごる。

Img_0439_1  一路自宅へ時に二時丁度、五十号線をまっすぐ。四時四十五分ごろつく道路が良くなると違うものだ、走行距離513㌔ 、お疲れ様。


銀座柳祭りへ

2007-05-06 16:44:35 | 日記・エッセイ・コラム

今日は雨、連休も最後となって若いお父さんお母さんお疲れ様でした。

 昨日は銀座柳祭りに急遽行ってきました、十二時から始まるパレードに品女の吹奏楽部が参加すると言うので、チータンの写真を撮ろうとしたわけです。

 Img_0414 Img_0416 Img_0417 Img_0418                                            

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Img_0398Img_0389                                                 と言うことで季節はずれの暑さの中、銀座Img_0393外堀通りで娘と婿さんと待ち合わせ、三人で見て写真を撮り楽しんできました。  

 昼過ぎて腹が減って昼飯は何がよいかと聞かれたが、迷っているとカツ屋さんかすし屋さんかと言われ 、カツ屋ヘいくと並んでいて時間は分からないと言うのですし屋は行く、ここも七-八人いたがじきに座れた。 さすが銀座店長お勧めの三千数百円のメニュウを注文、ビールと言われ小ジョッキを頼む、シャリの小さい江戸前の新鮮なにぎりを堪能した。 娘ご夫妻ご馳走様。

 上野まで送ってもらい14時40分の普通列車で帰る。信号機故障で十五分ほど遅れるが、本庄は殆んど定時に着く。

 疲れた疲れた、 それでも気分は満点。                                       


驚いた南無阿弥陀仏は続く

2007-05-01 15:25:40 | 日記・エッセイ・コラム

 呆れたものだ昨日「三十日」故安原統支郎君のお母さんのまささんの葬儀が終わって帰ると、岡部進さんから電話で家内の従弟の飯島義冶さんが亡くなったとの事、よく続くものだ飯島家では去年弟の茂之さんが亡くなったばかりではないか、皆年下である淋しい限りだ、葬儀は二日との事。

 そう云えば昔九十歳をむかえた牛久保会頭が「専務、今同級生も二人きりになってしまったよ淋しいものだねえ同窓会も出来やしない」と言っていた事を思い出す。義父の岡部の宇一郎さんも晩年はそんな物だったろう、とにかく百歳と1カ月生きたのだから。 それを考えるとまだ二十年以上あるがね。

 この辺でお題目を上げるのも切りにして貰いたいものだ。