基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

 今年もささやかに正月飾りを

2015-12-30 15:01:31 | 日記・エッセイ・コラム

 庶民は庶民らしくと何とか世の中忍んできたが、やはり今年も庶民であった。テレビでは各局とも今年の政治経済や社会の出来事を報道しているが、心に残る様なものは殆どなかった、あえて言えば天皇皇后両陛下が行動で、「危ない事には近づくな、世界の平和をめぜせ」と国民に範を垂れてるようだった。

 ご機嫌で旅行して血税を垂れ流している人こそ見習うべきと思うが、逆にこの人を見習うような人たちがオリンピックに名を借りて税の垂れ流しをして居る様だ。

 第二次世界大戦からの復興特需による景気拡大期はとっくに過ぎている、これからは安定期に入り努力する国が伸びるので、マネーゲームで儲けようとしている人達は安定期の足を引っ張るのではと心配だ。アメリカンドリームも終末期に入ったのでは?

 来る2016年新年が穏やかな世界で地球規模の戦争のない穏やか歳になりますよう祈るのみです。

  相変わらずの角松 屋内も

  玄関の銭の木の花が咲く ただし銭は生らない

  今年も同じ卓上カレンダー


外務大臣ご苦労様でした

2015-12-28 17:48:45 | 日記・エッセイ・コラム

 日韓の長年の懸案でしたご婦人の問題ようやく解決の様子何よりです、日韓・日中は近くの友好国であったけれど最近何かと問題が起きてるよう、良い事ではありません近い両国は話し合いが最も大事な事です。

 今日のTVニュースでは日韓両国外務大臣の共同記者会見の様子が放送されていました、我々国民も大筋歓迎です。

  五時のニュースの両外相の会見

  記者の報告

  同会見

 我々戦前派は子供の頃から色々と見たり聞いたりして来ましたので、今回の解決は歓迎してゆきたいと思っています。


またまた鍼灸治療院へ

2015-12-25 16:58:51 | 日記・エッセイ・コラム

 もうこれで最後治療は終わりと思ってが、トンデモナイまたまた痛さが増幅治療院へ出かける、何時だったかあの階段早降りは、ひ繰り返ってイテテとなったのは九月末か?十月初めに整形医院に次いで鍼灸院へ、これは役所時代の後輩が始めてもの定年後に資格を取ったが此れが大した物、資格を取りさらに学院教師の資格まで取り開業しないで先生の方をしていた位スッゴク大した者である。

 最初から目に見えてメキメキ痛さがとれ三回で完治かと思ったらそこまで、生活には支障は殆ど無いようにはなったが最後の詰めが出来ない、「歳の所為で完治は無理かねえ」ときいてみたが「そんな事は無いです完治します」とは言うけれど「やはり歳の所為かナアー」と想うこの頃である。

 今日で五回目だが毎回非常に気持ちが良い鍼を刺してマッサージをして帰ると、体が生き返った様軽く成った様で気持ちが良い。

  初めて自分でも見た鍼治療

  膝に刺さった鍼2‐3センチ刺さって居る

  肩治療やはり2‐3センチ刺さって居る

  前にも載せたが置き鍼と云う


天皇誕生日こんな押し詰まって生まれたのだ 御目出とう御座います

2015-12-23 17:44:57 | 日記・エッセイ・コラム

 まあまあ今年も美智子様と御揃いで戦跡や被災地、福祉や文化関連行事への出席や法律施行の署名等沢山の公務をこなされ、宮内庁の役人も冷や冷やした事でしょう。オペ後の管理もあった事でしょうから。

 我々が小学校の頃は「皇太子様誕生記念〇〇」と云うような木札の掛かった施設をよく見かけたものだった、学年で三年先輩だったが境小には佐波郡唯一の学校プールが在り、そこにはポンプ室の入口に「皇太子様誕生記念プール」の木札が掛かって居た。

 戦前のこの頃は殆どの小学校には学校プールなど無く、伊勢崎町は町営プールで学校プールで無いと自慢したものだった、しかし小学校同士の水泳競技会は良くしていた。伊勢崎はもうその頃南北二校の小学校が在ったし昭和十五年には市制を施行していた、緊張感のあふれる時代だったが懐かしい時代でもあった。

 心臓のオペ後は白髪も増えた様でお気の毒のよう、とに角お元気でお過ごしい戴きたいとのみ願っております。

 


冬将軍来たと思ったら今日の日中はポカポカ

2015-12-22 16:46:08 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は曇りだったが午後は日が射してきた、こんな陽気のか先々月猿ヶ京へ行って来たジジババグループの年送り昼飯会を行きつけの「レストランやまと」で開催、一人欠の七人で賑やかに飯を戴くオイドンはアナゴ天丼を、仲間の女性がソースカツ丼なので穴子半分とかつ一個を交換戴く、男性アナゴ丼だったが女性は殆どがカキフライで丸々としていて美味そうだった。    

 今朝は昨晩からの強風が残ったが真っ青ので青空で良い天気、冬至の今日は北海道はどんな天気とsibuyaさんのお便りを思い出し、「鶴瓶の家族に乾杯」は旭川だったなーと云う事で鶴瓶と小栗旬が賑やかに旭川市を巡って居たが、肝心の雪が無い、ハハーこれは録画したのは冬至の前日で無く先月当たりかと穿って見てしまった。

 上州の冬至の東の空

  同西の空

 しかし旭川の人達は寒さに強いのには感心した、鶴瓶さん小栗旬さんともにコートを着ていると言うのにテーシャツかその上に一枚重ねている程度に見えたが、それ本当かと思った。

 鶴瓶さんの何時もの事ながらトコトコと何処へでも行ってしまうところは相変わらずだったが、古道具屋や鮭は後でいいやとラーメン屋だったかへ入ったり何軒入ったろう、一方旬さんの方はオッカナビックリ小学校へ、そして子供たちにオオモテで挙句に大家族が見たいとノタモウテ押しかけてしまい、遂に小学校児童とお父さんお母さんとお爺ちゃんお婆ちゃん更に曾お婆ちゃんの四世代と仲好く交流なんと目出度し目出度しでした。

 先週も何を叩いたか踊ったか子供と仲良しになったが、今度も子供が好きなのか学校とは、それで先が開けたようだった。だが冬至の前日の旭川市も見たかったな!!。

 


ご無沙汰の間に小春日和が冬将軍のお出ましに

2015-12-17 16:24:09 | 日記・エッセイ・コラム

 懲りた懲りた、GOOブログのアイコンをお気に入りに入れといたのをデスクトップに移そうと、ドラックアンドドロップをしたところ、上手くアイコンは移せたがGOOブログの画面が出ない、サア困った色々といじくりまわしたが上手く行かない、OCN時代を含め十年になるかその履歴や記事や写真が全部消えてしまう、困った困っただ。

 昨日になってOCNのプレミアムサポートに聞いてGOOの質問欄へ投稿、今日になり角川氏から回答を貰い、更に弄りまわしてようやく回復、まさに懲りた懲りたの一週間と一日だった。

 今日は午後その後片付けで、この間新しく起こしたGOOブログ二つを先ごろ退会手続きをしたところである、とに角GOOは堅いと言うか手続きが面倒だ、其れがハッカーの攻めに強いのか頼りになるのか、と言うところか。

 小春日和の上州の空

 この間坂東は 暖かな小春日和が続いていたが、予報通り今日は朝から西風気温は上がらず寒い一日だ、まあ師走も半ば過ぎたのだから例年通りならば真っ白の霜の朝が普通の事だ。

 冬将軍のご来場の空

 この空は越後や会津に雪を降らせた後の雲

 まあ長いご無沙汰をしてしまいまさに懲りた懲りたでした。


上州は晩秋か初冬か

2015-12-09 17:12:54 | 日記・エッセイ・コラム

 上州の今朝は大分冷え込んだ、氷点下にはならずに済んだがそれでも二度だった。日中は十四-五度になったか暖かい日になった、これを小春日和と云うのだろうか。

 暖かだった今日の夕景

 庭の満天星躑躅(ドウダンつつじ)はこの寒さで今秋で最も色づいて燃える様だ、白い山茶花は終わったが遅咲きの赤い山茶花はまさに満開で、澄んだ秋空に映えて咲き誇っている。

 満天星躑躅 (ドウダンつつじ)

 まさに満開の山茶花  

 予報では西から天気は崩れる様、明日は未だ坂東までは来ない様だが夜には雨か、明後日からは雨に成る様、冷たい雨の日に成る様だが早めに上がって貰いたいもの、ジジババには暮れの準備がしやすい様宜しくお願いしたいところ。


ああ今日は大詔奉戴日だったか

2015-12-08 17:19:26 | 日記・エッセイ・コラム

 ああ今日は大詔奉戴日かと考えて居たら、我が地方紙上毛新聞の囲みの三山春秋も取り上げていた、特にハワイ真珠湾攻撃の特殊潜水艇攻撃の指揮官で軍神となった岩佐中佐を上げていたが、郷土の先輩として大いに感銘を受け鼓舞されたことだった。

 昭和十六年(千九百四十一年)十二月八日、今でいう第二次世界大戦(わが国では大東亜戦争)の始まりの詔勅が出て、我々青少年学徒はこの日から二十年(千九百四十五年)八月十五日まで、大詔奉戴日と云って学校で或いは動員された軍需工場で大東亜戦争勝利の為、学びはそっちのけで兵器生産に励んでいた。

 当時小学校五年生だったが勤労奉仕や軍事訓練が始まり中等学校や高等科に成ると青少年学徒に賜りたる勅語により成人扱いとなって居たのだった。

 しかし敗戦と同時にあの軍神への尊崇も英霊への感謝も薄れてしまう、と同時にあの無謀の大戦に引き込んでいった当時の指導者、いわゆるA級戦犯に対する考えも薄れてしまって居る様だ。 

 一口に三百万人の死亡者と云うが僅か七四年前いや日中戦争を含めれば七八年前に成るのだが、合わせて何万人に成るのか多くの人命の上に成り立ったこの平和と、この国の民主主義社会は粗末には出来ない問題だ。

 守ろう平和と子供を戦争にやらない社会を造る事を

 


御風邪召しませになっちゃった

2015-12-06 17:17:46 | 日記・エッセイ・コラム

 元気いっぱいハツラツ高速道などに乗たりはしゃいで居たら、いつの間にか咳・鼻水が出て熱ぽくなってしまい、とうとう三日になってもりむら内科医院に出かけて薬を処方して貰う始末、真ッコト嘆かわしい事になってしまった。

 もりむら内科医院へ

 寝るのもしゃくでここ数日暖房を利かせた居間で新聞読んだりウトウトしたり、全然ブログやフェースブックにも気が回らない、熱は微熱位だがなんとなくやる気が起きない、真ッコトだらしない始末。

 今日は朝から町内の資源ごみの収集日の当番で、夜は班長会議との事だが町内区長に連絡してすべて欠席とした。

 我ながらだらしない呆れた次第何ともはや、師走に入った第一号がこんな報告で終わるとは情けない、次回はもう少しましな話にしたいと思ってます。