基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

お彼岸の中日 お墓参り

2012-09-22 18:23:08 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝からお墓参りの準備をして十時には家内息子と出発、まず自分の家の宝憧院へ,頼んでおいた秋彼岸会法要の塔婆を住職より戴き墓参、次が家内の家の両親の眠る法長寺へ、さらに家内の実家の傍の大沢家の墓地へ、家内の実家で昼を頂き休憩して境町へ、俺の育ての親の家で焼香をして伯父伯母と義兄の眠る愛染院弥勒寺へ、ここでは昔懐かしい人達に逢いも逢い感激、義姉の用意し塔婆をあげて墓参をして毎年の事ながら三時過ぎに帰路つく。

 帰路息子の要望により例幣使街道の宿場町の本陣跡に出来た、スーパー、フレッセイ境町店へよる。この辺は昔俺たちが子供のころ今から七〇年ほど前は上町、中町、と連なり町の中心だったが、今は空き地とシャッターの閉まった通りとなり見る影もない寂れようだ。

 スウパーの隣は同級生の遠坂の家がやっていた金井呉服店だった、戦後早いうちに廃業してしまったが、よく遊んだ座敷蔵などは未だ有るようだ、この路地を南に向かうと東角は斉藤ダルマや、さらに東に進み南に曲がると懐かしいコロッケや、その南はかって今福と云った小料理屋か寿司屋だ、ここはその前は銘仙を織っていた今井織機工場だったがダンスホールなどから転じた店だ、ここから南を見ると境小学校の裏道が見え突き当りによく縁日の夜お参りした二十二夜様の祠が見える。ああまだ無事にあったのだ感激、諏訪町の三夜様はもう無いのによく在ったものだ、この斜め前あたりに女の同級生の家で遣っていた飯島煎餅屋があったわけだ、が見当たらない、この辺は南町と云って工場や長屋の連なる処だったが小奇麗な住宅地となり見違えるようだ。

 

001 金井呉服屋の座敷蔵か

002 蔵の前から北の街道を見るとかっての

                     境警察署の跡地が見える

003 南を見るとこの奥の左側が斉藤ダルマやか

006 境小学校裏道にある二十二夜様
 写真など写してスーパーへ帰るともう家内と息子は買い物を済ませて待っていて、お父さんを見付けているよなどと云う事になり、右往左往する羽目になり漸く帰宅、一日ご苦労様でした。