基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

車変える

2010-02-27 17:36:41 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は暖かい、日の当たった昼頃は室温24度にもなった。今年の一,二月は久しぶりに寒い日が続き、霜柱もひどいし雪も積もらないがよく降ったものだ。

 まあ何だかんだ言っても今年は外へ出されないのだからしょうがない、早く暖かくなってウオーキングに出なくてはと思っている。 来週の火曜日の二日には今の車のイプサムの変わりにオーリスという車が来る事になったいる。寄る年波でイプサムは大きすぎるので少し小さい1800CCの普通車にする事としたのである。

 届けるといったが二日は取りに行く事とした、店の庭でも少し乗り回して慣れないと大変だろうと思う、とに角この十年で車の性能も仕様も大分変っただろうから。

 楽しみだが少し怖い気もするところだ。

 


紀元節だ

2010-02-11 17:51:05 | 日記・エッセイ・コラム

 雲に聳える高千穂の、高嶺颪に草も木も、靡き臥しけん大御世を、仰ぐ今日こそ楽しけれ。  今日は建国記念の日で、この歌は「紀元節の歌、一番」です。

我われ昭和生まれ、それも一ケタ生まれは、今日折角の祭日で休みのはずなのに小学校に登校して、講堂で式典をして校長先生の教育勅語の奉読の後この歌を唱ったものだ。

 世はまさに皇国史観全盛で、軍国主義で無いと夜も日も明けないような時期の、昭和十二年数え7歳の入学でこの年に日中戦争「支那事変と言った」が始まり、5年生で太平洋戦争「大東和戦争と言った」となり、以後今の中学2年生まで苦しい嫌な戦争がつずき原子爆弾で終わった。

 今の建国記念の日は、そんな事もあって戦後初の昭和二十三年の新祝日法案には入らず、それから十八年すぎた昭和四十一年の国会で自民党の多数で祝日として制定し加えらた物である。

 いづれにしても明治以降の天皇家を神格化した歴史観の結果で、軍部の大東亜共栄圏構想に上手く利用されたものと成ってしまった。


放射線照射終わる

2010-02-09 17:40:18 | 日記・エッセイ・コラム

 一月二十二日に始まった患部への放射線の照射は今日13日間の予定を全部終了した、まあ後から後から照射の患者はいるものだ。

 まさか足が痛くて階段もやっと登ったのが甲状腺癌の骨転移だとは、更に肺転移までしているとは驚いた。でもこちらは痛くも無く息苦しくも無いので助かるし、第一病気の気がしないのだから世話が無い。

 明日は4週間目の群大病院外科の診察日だが、検査結果でどうなるか、とにかく順調に飲み薬は種類が減っているのだが、

 だがアイトソープのヨウ素を飲むのは出来れば御免蒙りたい所だ、まあ診察結果は又ご報告としよう。


良いお朔日だった

2010-02-01 18:07:19 | 日記・エッセイ・コラム

 心配していた相撲協会の理事選も、貴乃花親方の善戦当選で形がつきお目出度い限りだ。

 とにかく品格に欠ける横綱が国技館で相撲を取るということその事がおかしな事である。

 国技の相撲と、国技館と、土俵入りを奉納する明治神宮が泣いているのでは?

 一方プロ野球は今日一斉にキヤンプインをしたようだが、西武の雄星君が初々しい容でデビュウしたようだし喜ばしい限りだ。

 大先輩工藤にも目をかけて貰っているようだし、目出度し目出度しと言うところか。

 今日の二月一日は、大変良いお朔日だった。