基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

広幹道(東毛広域幹線道路)工事進む

2012-03-30 18:55:21 | 日記・エッセイ・コラム

 二月の延長の三月が昨日あたりで終わったか、今日は暖かいので商工会議所の議員総会の終わったあと少し歩け歩けをして見た。

 今朝から下着を春のものにしたが寒くない、今年の長い長い冬は何処へ行ったのだろうと云うようだ、しばらく寒くて見ていない広幹道の粕川架橋の工事はどうなったかと足は向く、「わあ凄いこちら側へ繋がった」声にはならないが感嘆、

 

001 大きな鉄の箱が繋がっていた

                     粕川の向こう側は土盛りも進んでいる

 保泉の剛志駅への通りは迂回路でしばらく不便だが止むを得ない、早く舘林インターとJR高崎駅前が繋がれば、市の宮郷に計画中の工業団地もすごく生きた物になると云うものだし、我々も高崎や館林が近くなり便利になるというものだ。

 

002 伊勢崎側を拡大して見る

005 剛志駅への道も掘り返されて

                    いる、ここへも橋脚が立つか

 暑い暑い薄着になったけれど二十分も歩くと背中が汗ばんでくる、デジカメで写真を撮って帰路に就く、この収穫で今日はご機嫌で帰宅だ。帰って一休みしてPCに向かいブログをと言う所。


実兄の三回忌で千葉県松戸の八柱霊園へ

2012-03-26 18:17:53 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の日曜は兄貴と跡取りの一夫君の三回忌で千葉の八柱霊園へ行ってきた。早いものでもう丸二年過ぎてしまったのだ、としみじみ思う昨今である。一昨年一月電話連絡で兄貴死亡の由連絡があり、家族葬とのこと、いささか憤慨してみたがそれから三か月後の四月半ばに甥の一夫君が亡くなったのだそうだ。両方家族葬で済ませたそうだ、やむを得ない措置だったろう、喪主本人がそんな状態では無理もない、遠くで手伝ってもやれず可哀想な事をしたもんだ。

 昨日は八時半に境の姉と娘のみどりが孫夫婦の運転の大きなトヨタのワゴン車(アルハードか)で迎えに来て出発、本庄から関越道ー外環道ー三郷南IC から一般道を通り十時四十分頃到着、一夫君の家族はほとんど逢ったことがないので姪の清美夫妻を見つけ奥さんに逢い挨拶ができる。

 墓前で読経、焼香を済ませて(しの田寿司)という料理屋で供養の膳を囲む、献杯の発生と云うのでこの時献杯前に我々兄弟がバラバラに育った経緯を話す、妹とし子の産後の肥立ちが悪く母が昭和八年亡くなり妹も亡くなり、四年後に父も亡くなり兄は父方の伯母後の家の桜井家へ、俺は母方の伯母後の家の斉藤家へと預けられたことを説明したのち献杯をして懇談となる。

003 姪清美夫婦とみどり

004 家内姉等

006_2 一夫君息子夫婦か

 まあとに角逢った事のない人達では話も弾まない、やむを得ないことか、

 午後二時には姉の孫夫婦に迎えに来てもらい清美夫婦に送られて帰路につき、四時ごろには帰宅早いものだ、道路が良くなるとこんなものか。


書く気が起きない春は何処まで

2012-03-21 17:40:20 | 日記・エッセイ・コラム

 本当にこのところ書く気が起きない、記事らしい物がないのも事実だがその気が起きないのも仕方がないことである。

 陽気の所為か?「寒さ暑さも彼岸まで」と昔の人は言ったが、今年は違うそんな訳にはゆかないで、寒さが続き梅の花も早い年からすると一か月遅れ、平年から見ても何週間か遅れているようだ。此れでは桜の花見はこの辺では四月の中旬にでもなるのではと心配にになる。

 まあオジンがその気に成るのは何時頃か分からないが、その時はまた近況や花の事や東毛広域幹線道路(国道354号線バイパス)の進捗状況など気の向くままに書いてみたいと思っている。

 春らしい春は何時頃からか、デジカメを持って出かける日が間遠しいこの頃である。


伊工高同窓会総会相変わらず

2012-03-12 12:14:25 | 日記・エッセイ・コラム

 創立百周年記念式典が終わると、同窓会総会も元の出席状態に戻ってしまい淋しい限りだ。普通校の状態はたまに新聞等で見ると賑やかなようだが、本校のように歴史があっても実業校はこんな状態なんだろうか、だが他校はどんな風にやってるのか聞いてみたいものだ。

 八十爺になっても三月は総会月でいくつかお呼びがかかる、商工会議所やお寺さんは出席しょうかな、どうしようもなくなるまでは、この後はお彼岸もある、墓掃除墓参りこの墓参りが我が家は多い、自分の家相模家(連取町宝憧院)、家内の家岡部家(今泉町一丁目法長寺)、育ての親の家の斉藤家(境町元町愛染院)と続き、同じ墓地にある家内の親戚の墓をなどを回ると五か所くらいになる。

 それに実兄と甥っ子の法事を遣るとの連絡もあり、二十五日の日曜日は千葉県松戸市にある都の八柱霊園にも出かけなければならない、親を早く亡くし別々に親戚で育った縁の薄い兄弟だが、兄貴が一月に甥の和夫君が四月にと続き亡くなったが、跡取りが亡くなる様な状況であったため家族葬で済ませて我々は初めての法事である。

 いずれにしても八十爺にしては忙しい早春である。  


ようやく来たか、遅かった春が

2012-03-06 17:57:33 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は冬のような陽気で、雨も雪に好くならないなあと想う位だったのに、今日は四月半ばの陽気だそうだ。昨日その寒い中を娘と孫が表れて「明日は暖かくなるんだよね」と楽しみにしていたが、今日は早速家内が「千明がスマーク(伊勢崎に出来た大型ショッピングモール)へ行きたいんだって」と云うので一家で繰り出してきた。

 買い物したりアイスクリームを食べたり、夕飯の材料を仕入れたり、酒のつまみにケンターキーフライドチキンを買ったりして帰路につく、途中国道三五四号バイパス(東毛広域幹線道)の粕川架橋の現場を見て、娘は「お祖父ちゃんこんなに遠くまでで歩いてくるんだ」などと感心していた。

 庭に入り「今日は咲いたかな」と梅の枝をよくよく見るとあったあった、二輪と半分咲いてるではないか、

002 やっと開いた一輪

003_2 次の一輪

 早い年の一か月遅れで開花宣言である。ようやく来た春が何とも明るい春が、東北や茨城の被災県の上に早く輝いてほしい。


桃の節句に桃も梅もない

2012-03-03 18:38:43 | 日記・エッセイ・コラム

006

 今日は桃の節句だが桃の花のないのは当り前のことである、だが今年は寒紅梅は咲いたが我が家の白加賀はまだだ、そんな事もあるのでこの辺では太陰暦の節句に近い月遅れの四月三日に雛祭りをするところが多い。

 しかし太陽暦の現在テレビも新聞も桃の節句と騒ぐから我々も自然そんな気にされてしまう、もう一度節句は月遅れと改めて言い聞かせなければならない。

008 二軒西隣の寒紅梅はよく咲いている

001 我が家は白加賀がもう少しと言う所

007 が福寿草は今盛りなり 、か。